切愛、あるいは独占 ~『不感症の神様』と呼ばれた42歳のエリート上司は、派遣の私にだけ42年分の「欲」と「愛」を溢れさせる~

結城ろか

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第3章【雨音に甘い熱】

46 ブランデー・クラスタの縁取り。甘い誤算。 | 告白、仕事愛にクソデカ誤変換【宇佐美】

ストロベリー・マティーニのグラスが空になると、バーテンダーが声をかけてきた。

「新しいカクテルをお作りしましょうか?」

もっと一緒にいたい。
そのドロドロした本音をもっともらしい『上司の配慮』で包み隠し、俺は彼女に新しいカクテルを勧める。

「禁酒中だったな。それならアルコール度数の低い他のカクテルも試してみるか?」

「そしたら……さっきよりもアルコール度数が高くても大丈夫なので、綺麗で思い出になるようなカクテルを飲んでみたいです!」

思い出。
その響きに胸がざわつく。

(これで終わりにしたいという意味か? それとも別の意味があるんだろうか?)

混乱する俺の思考を見透かしたように、バーテンダーが静かに目を細めた。

「それでしたら、『ブランデー・クラスタ』はいかがでしょうか。アルコールを少し控えめにお作りしましょう」

(ブランデーか。アルコールを控えたところで、さっきのマティーニよりは格段に強いはずだ)

彼女がこの2杯目でどうなってしまうのか。
止めるべきだという義務感が、この時ばかりはひどく場違いで邪魔なものに思えた。
まどろむようなその瞳に、自分だけが映る瞬間を俺は確かにそして強烈に求めていた。

「それをお願いしよう」

手際よく差し出されたグラスは、縁が純白の砂糖で宝石のように彩られ、その中では長く剥かれたレモンの皮が美しい螺旋を描いて踊っていた。

「……すごい。グラスの中にレモンのリボンが入ってるみたいです!」

目を輝かせる彼女を見て、バーテンダーが告げる。

「お二人の時間がどうか止まりますように。カクテル言葉は、『時間よ止まれ』でございます」

余計なことを。
心の中で毒づきながらも、その言葉は俺の独占欲に静かに、けれど確実に火を灯す。

「甘くて……美味しい!」

アルコールを抑えたとはいえ、ベースはブランデーだ。
それなのに、彼女はジュースのような勢いでそのグラスに口をつけている。

「三井さん、少しペースが早い。これでもさっきよりは強いんだぞ」

「大丈夫です、本当に美味しいから……」

彼女は蕩けたような笑みを浮かべ、グラスの縁にまぶされた砂糖を無防備な指先でそっとなぞった。
その指を迷いなく口に含む仕草に、俺の理性は一気に麻痺していく。

「……宇佐美さん、あの、ごめんなさい」

カクテルが半分ほどになった頃、彼女がうつむきながら唐突に口を開いた。

「私、本当は禁酒なんてしてないんです。お酒を飲んで、酔っ払ってご迷惑をかけたらって怖くて……。宇佐美さん、いつも完璧だから」

「……そうだったのか」

「でも、今日は楽しいからアルコール解禁しました!」

アルコールのせいか彼女の頬がほんのり染まり、瞳には濡れたような光が宿る。

不意に彼女の体がふらりと大きく揺れ、その重心が俺の方へと傾いた。
慣れないブランデーが急速に回ったのだろう。

「……あっ……すみません」

慌てて姿勢を直そうとする彼女の肩を、俺は反射的に抱き寄せ自分の体で支えていた。
掌から伝わる、彼女の熱い鼓動。
酒の匂いよりも濃い彼女自身の甘い香りが俺の理性の防波堤をミシミシと軋ませ、息を吐くことさえためらうような沈黙が流れる。

その熱に耐えきれなくなったのか、彼女は「えっ……」と小さく声を漏らすと、逃げるように俺の肩から身を引いた。
そのまま慌てた手つきでバッグを探り、救いを求めるようにスマートフォンを取り出す。

「……えっと……そうだ! 宇佐美さん、私、宇佐美さんからのアドバイスをちゃんと守れるようにメモしてるんですよ」

ドヤ顔で差し出されたスマートフォンの画面。
そこには、『宇佐美さん記録』というあまりにも身も蓋もないタイトルのメモ帳が開かれていた。

「……」

俺の中では、上司と部下の立場をわきまえながらも必死に「君は特別だ」と伝えてきた言葉の数々。
それが彼女の端末の中では、まるで労働基準監督署の立ち入り調査報告書のような事務的なリストに成り下がっている。

(……俺は君の、何なんだ)

言葉を失う俺をよそに、彼女はふにゃりとあどけなく笑う。

「宇佐美さんに、この派遣を使ってよかったって思ってもらえるよう精進してます!」

そうじゃない。
俺はもう君をただの派遣社員としては見ていない。

この致命的に噛み合わないやり取りさえ、手放したくないほど愛おしくなっている自分に呆れるばかりだ。

(時間よ止まれ、か……)

時計を見ると、既に2時間近くが経過していた。
バスの最終便は、とうに過ぎている。
管理職としての『正しい対応』を、42年分の独占欲がねじ伏せようとしていた。

「三井さん、正直に言う。このまま……君を帰したくないと思ってしまっている」

喉の奥から絞り出した、俺なりの宣戦布告。

「明日からの十連休が、これほど邪魔だと思ったことはない」

『不感症の神様』なら、決して選ばなかった言葉。
俺なりの精一杯のストレートを投げたつもりだった。

「ふふっ。宇佐美さん、本当にお仕事が好きなんですね。お仕事ができなくなるから連休が邪魔だなんて。私もそう思えるよう全力で取り組みます!」

……あまりにもひどい誤算だ。
俺の決死の告白は、またもや彼女の『仕事熱心フィルター』によって、爽やかな仕事愛へと変換されてしまった。

(伝わっていない。……いや、言い返せない俺が悪いのか)

「違う」と彼女の肩を掴んで叫びたいのに、俺を縛る『上司』という仮面がその声を喉元で押し殺す。

「……行こう。外でタクシーを拾って、君を家まで送り届ける」

それは俺の人生において、最も非論理的で、最も切実な独占欲の抑制だった。
震える衝動を胸の奥に封印し、彼女と出口へ向かう。

――だが。
店の重い真鍮のドアに手をかけた瞬間、俺の耳に届いたのは夜の帳を切り裂くような激しい雨音だった。
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