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いつか見た夢の世界で
変わりゆく道行きの中で
今日もまた、ジークに会うことが出来なかった。
あの剣術大会以降、私は毎日のようにジークへと「パーティのパートナーを辞退したい」と申し出るべく、彼を探している。
けれど、ジークが生徒会室に現れる事も無ければ、そもそも学園内でその姿さえ見かける事も無い。
彼の付き人であるライアスに聞いてみても無駄で、彼曰く「自室に籠られている」との事らしい。
勤勉なジークが学園を何日も休んで引き籠もるだなんてどうしたのだろうかと心配する反面、どんどん迫る王家主催のパーティの開催日に焦りも高まってくる。
そんな日々を、生徒会副会長として会長であるジークの代理を務めて、ユースクリフ邸に帰れば領地の仕事や事業運営に取り掛かったりしながら過ごしている。
部屋の隅にいつまでも飾られているジークから送られてきたドレスを一刻も早く在るべき場所へ、ジークの運命の相手であるサリーの元へと届けてしまいたい。 けれど現実と理想を擦り合わせるとそんな真似など出来るはずもなく、だからこそ目を背けるために息吐く暇も無く働いている。
「痛っ」
筆ペンのインクが切れたので替えを出そうと引き出しに手をかけると、チクリとした痛みと共にジクジクと後を引く熱が人差し指に走った。
その指先は、今は包帯でしっかりと結ばれていて既に血が滲んでいるという事も無い。 この傷ができた時なんて、それはそれは血がたくさん出て周りの令嬢達が悲鳴をあげたり失神したりと大騒ぎとなってしまったほどなのに。
学園では出血の割にただの切り傷でしかなかったので手持ちの絆創膏を巻いたけれど、ユースクリフ邸に帰ってからアリーに指先を見られてすぐに包帯に巻き替えさせられた。 その時にもまだ出血は治っていなかったから、指先の小さな傷の割に深い所まで切ってしまったのだと思う。
そういえば、この怪我のせいでもうひと騒動あったのだったっけ。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「ジェンキンス子爵家のアルダレート。 本日より、エイリーン学園騎士科へと編入して参りました。 以降、お見知り置きを」
「はい、アルダレート様。 騎士科の生徒として学園内での規律を重んじ、また日々の努力を忘れぬよう。 それでは、貴方の学園生活が有意なものとなるよう、祈っております」
ここまでの、編入生への形式上の挨拶を終えてやっと堅苦しい空気から解放された。
本来であれば生徒会長の仕事の1つである編入生への激励の言葉を代理として行う事は何とも新鮮な経験ではあったが、また同じ事をしたいかと問われれば『否』である。 あんな台詞を真顔で言わなければならないなんて、なんだか恥ずかしいでしょう?
だから、そうした経緯から来る気まずさを払拭するためにもすぐに切り替える。
「さて、形式的にはこんなもので構わないでしょう。 ではアルダレート様、今後は同じ学園生としてよろしくお願いします」
「はい、エリーナ様。 此度は貴方に勝利を捧げる事が出来なかった未熟な自分ですが、これよりは研鑽を重ね、必ずや貴方を守る騎士として恥ずべき事の無いよう努めさせていただきます」
人前且つ今はお互いに学園性であるという理由から、アルダレートは簡易的に頭を下げるだけの礼で再度誓いを口にする。
幼い頃からのたった一度きりの約束事のために、わざわざ。 アルダレートは本当に律儀な人だと思う。
「ええ、ありがとう……でも、気負い過ぎないでくださいね。 貴方だってこれからは私と同じ学園生なのだから、学園生活の中で育まれる物もあるでしょうし、今はあの時の事は胸の隅に置いておいて、一生徒として学園を楽しんでください」
「もちろん承知しています。 日頃からエリーナ様のお側に付いていては未熟な自分では邪魔となるだけでしょうから。 まずは、自らを鍛えなければ」
「邪魔だなんて事はないのですけれど……」
根が真面目らしいアルダレートはこの前の剣術大会でジークに敗北した事を相当気にしているらしい。
私としては、そんなにも思い詰めずにもっと気楽に考えて欲しいのだけれど。 だって、所詮は小さな頃のほんの些細な約束事が発端なのだから。
真面目なアルダレートにどう言葉をかけたらいいものかと考えて苦笑いが浮かびそうになるのを、片手を頬に当てて隠しながら思案する。
すると、アルダレートが急に頬に当てている手をまるで壊れ物でも扱うように丁寧に掴んだ。
何事かと硬直していると、彼は心配そうな声音で言葉を発する。
「怪我をなさっているではないですか! 血も滲んで、いったい何が!?」
「アルダレート様、そんなにも気にする事なんてないのですよ? ちょっと教科書の頁で切ってしまっただけで、ほんの些細な切り傷なのですよ」
アルダレートの掴んだ手の人差し指には絆創膏が巻かれている。 それは、今日の授業中に切ってしまった傷を処置した跡だ。
思ったよりも深くまで切れているようでなかなか血が止まらなかったけれど、今日一日の間誰も気にする事なんてなかった小さな小さな怪我であったのに、本当に目敏い人だ。
内心でそんな評価をアルダレートに下していると、突然私の手を掴むアルダレートの手がはたき落とされた。
「アルダレート、君は相変わらず不遜なのか丁寧なのか分からん奴だな」
その犯人は、ライアスだった。 そして、なぜかアルダレートに対して不機嫌そうな態度で接している。
「そういうライアス殿も、相変わらず言葉遣いが宜しくないというのに殿下の側近をやれているのか。 確かに、君は優秀な侍従だからな」
対するアルダレートも実に険悪な姿勢でライアスに応じる。
そうして互いに感情の篭って無さげな笑い声を上げて、しかしその視線は互いに睨みあっている。
「あ……あの、ライアス様」
「エリーナ嬢。 君はもう仕事に戻った方がいい。 君はジーク様の代理として居るんだからな、ミスなどしないように頑張ってくれ」
近頃、ライアスの態度が以前と比べて少しだけ柔らかくなったように思う。
以前までならば荒れ狂う番犬の如く私に噛み付き、そして嫌っているからと嫌味を言ってきていた。 けれど最近では、先の言葉のように少しばかり高圧的な態度は変わらないのにそこから少しだけ毒気が抜けたように気遣うような言葉を掛けてくるようになった。
私としては、彼との意思疎通や生徒会の仕事が潤滑化して喜ばしい。
喜ばしい、のだけれども彼の胸の内でいったいどんな変化があったのか少しだけ興味があった。
「だいたい、君はデリカシーというものが無さすぎるんだ! いくら怪我をしているのが心配だからといって、本人の許可も無く勝手に女性の手を取るだなんて信じられないよ!」
「君だってエリーナ様に対してなんだ、さっきの態度は! 彼女は君よりも高位の役職に居る、言わば上司のようなものではないか。 なのに馴れ馴れしいにも程があるとは思わないのか!?」
2人は知り合いでそこそこ親しげな間柄である事は、言葉の要所要所から聞こえてくる気安い言葉遣いから察せられた。
けれどもそんな間柄の2人が、なぜ私の指の怪我からあんな喧嘩に発展するのか。
そもそも、喧嘩というよりも舌戦で、互いに互いの悪い所を言ってはフォローするように締め括っていたりするのでもはやわけが分からない。 とりあえず、アルダレートとライアスがすごーく親しい間柄のご友人同士であるという事は容易に想像がついた。
そんな2人の言い争いはどんどんヒートアップし、しかしその内容はどんどん質と品が下がって子供の口喧嘩じみてきた。 アホとかバカとかそんなレベルである。
けれど、そんな醜態を晒す2人に生徒会の仕事が邪魔されている現状を、生徒会長代理としては見過ごせない。 現に、他の役員たちは皆あまりにうるさい口喧嘩に集中を欠かれて騒ぎの元凶に視線が行っている。
だから私は、2人の耳をそれぞれ引っ張って生徒会室から放っぽり出したのだった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
結局、あの後は2人とも反省して役員の皆に謝罪して、ライアスは真面目に仕事に取り組んで、アルダレートは力仕事を手伝ってくれたりしたから良かったものの。 なんで、他人の怪我であそこまで騒ぐのか。
アルダレートはなんだか過保護だし、ライアスに至っては私への態度とか評価がひっくり返ってしまったみたいだったし。
そう思い返すと、私の周りが大きく変わってきている事がよく分かる。
サリーとよく話す間柄になった事も、アルダレートと再会した事も、ライアスから敵意を向けられなくなった事も、やり直す前の私だったら起こりえない事だった。
少なくとも、以前の私に比べれば対人関係は上手く回っているように思う。
………けれど、だからといって私の罪が濯がれるわけではなく。
己に課した贖罪は果たすべきである。
目下、問題はジークのパートナーとして送られてきたドレスが私の元にあるという事。 それはつまり、運命のパートナーであるジークとサリーの仲を邪魔してしまっているという事だ。
それは、ダメだ。 許されない事だ。
だからこそ、ジークと話して暫定パートナーである私をサリーに替えてもらわなければならない。
けれどジークは学園に訪れない。 ライアスに聞いても、いくら最近私への態度が丸くなったといってもそう易々と王家の事情を話してなどくれない。
つまる所、打つ手無し、という事だ。
そして、ここまで悩んでおいて馬鹿らしい事なのだけれど。 考え始めてからこの解答に至るまで、それはここ最近の思考の流れそのものなのだ。
結局の所、これはジークと直接話さない事には解決しようのない問題で、でも彼と会えないからこそ焦って早期の解決を求めている。
だからこそ、こうして思考が堂々巡りを始めたら仕事に取り掛かる事にしている。
別の事で頭をいっぱいにして、眠くなったら眠るのだ。 そうでもしなければ、私はずっと悩んでしまいそうだから。
だから、今日届いた領地からの手紙を開いて仕事を再開する。
ノートを開き、鞄からペンケースを取り出し……そこでふと思い出して、それをそのまま机の奥に仕舞い込み、別のペンケースを用意した。
さっき仕舞い込んだペンケースの事も、ジクジクと熱を帯びる指先の感覚も、先行き不安の未来も、何もかもを思考の外へと追い出して仕事を始める。
頭を使って何かをしているその時だけが、今の私にとっては嫌な事を忘れられる最良の現実逃避の術なのだ。
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