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いつか見た夢の世界で
与えられた役割の中でも
目を凝らし、対面する者の一挙手一投足に神経を集中する。
見極めるのはジークへの害意。
面に貼り付けた薄ら寒い笑顔の仮面の下にある思惑を看破せんと、長々と話す腹の出た貴族を観察する。
勿論、私の思惑を相手方に悟られぬよう十数年の貴族生活で培ってきた技術を総動員して笑顔の仮面を張り付けて、ジークより一歩下がった位置で相槌と共に微笑み続ける。
やがて一通り話を終えたらしい貴族は、ぷくりと膨れた腹を揺すりながらジークの前を去って行く。
そこで一つ、緊張の糸を漸く緩められた。
「殿下、少しテラスで休憩いたしましょう。 そこの給仕の方、殿下と私に飲み物を。 テラスまでお願いします」
ジークも話通しと歩き通しで疲労が溜まっているのか、了承したように頷いたのでそれに合わせて近くを通った給仕に飲み物を用意するよう命じる。
テラスは基本的に人の寄らない場所故に、婚約者同士の2人きりの交流や、パーティーに疲れた者の休憩所として用いられる。 そういう事情があるから、基本的にテラスへ向かう者には配慮して声を掛けないようにするという暗黙のマナーが社交界にはあるのだ。
「お疲れ様でございます、殿下。 いずれ給仕の方が飲み物を持って参りますので、少々お待ちください」
「ああ、ありがとう。 それと、ご苦労様。 エリーナ嬢も疲れただろう」
「いえ大丈夫です、そのような事はございません。 殿下のお側で微笑んでいただけですから」
「どうせ君の事だから、常に気を張って俺を害そうとする輩を見極める為に観察とかしてたんだろ。 君の言う大丈夫だけは信用出来ないからな」
言わなかったらまた無茶をするんだろうとぼやくジークに、もはや幾度と繰り返されてきたこの問答に返答は不毛であると私は渾身のスマイルで応えた。
……別に、茶化しているわけではないのでそんなに眉根を寄せないでいただきたい。
「それにしても、殿下はパーティーの度にあのように年上の方々に囲まれているのでしょうか?」
ファーストダンスを終えて以降、私とジークを囲んでいた人垣が雪崩れて、年若い子息令嬢達はダンスに興じ、腹が膨れていたり痩せぎすであったりゴテゴテに着飾った貴族家当主らしい者達は人脈を広げるために交流して談笑し始める。
当然、貴族家当主らの中にはジークのような将来有望な高位の存在に取り入ろうと近寄ってくる者もいる。 普段のパーティーであってもよく見られる光景ではあるのだけれど、今はそうした者であれ警戒対象にあたる。
私の役目の中にはそうした怪しい存在の見定めもあるため、さっきの腹の出た貴族やそれまでに寄ってきた者らも全て観察していた。
「まあ、王太子という立場に擦り寄って美味しい思いをしようとしたり、自らの娘を差し出そうとする者はよく見るな」
「王太子という立場を、金の成る木とでも考えているのでしょうかね? 実際は責任と重圧を伴う、多くの期待を背負った立場であるというのに」
「はは、そう畏まったものでもないけどね。 まあ、与えられた立場に庇護されてきたのは事実なんだから付随してくる義務も責任も全て果たすさ。 それが、今の俺の仕事だ」
ただし生まれ変わったら王太子業なんて二度と御免だ、とジークは笑った。
生まれながらに、血統と出生の順序だけで私達貴族や王族には多くの権利と大きな責任を与えられる。 それは国の一端程度の土地であったり、そこに住まう人々であったり、平和と平穏の維持であったりと様々だ。
責任は過酷であり、だからこそ富を得る権利を持つ。 例えば、富の元に人を雇い、命令し、従える事だって出来るのだ。
今しがた、先ほど頼んだ飲み物を運んできた給仕だって王城勤めとして雇われた者だ。
「ありがとう。 もう大丈夫よ」
私がそう言えば、給仕は恭しく一礼して去って行く。
受け取った2つのグラスは、一つは私で、もう一つはジークのもの。
けれど私は両方を受け取って、異臭の確認と口に含んでの毒味を行う。 それもまた、ジークの盾たる者の仕事であるからだ。
「どうぞ殿下、どちらのグラスにも異物や毒物のようなものは混入されていないように思いますわ」
「ありがとう…………毒味役まではしなくてもいいと言ったのに、やはり君は与えられた職務を全うするんだな」
グラスを揺らし、中の液体が揺れる様を眺めながら、ジークは悲しそうな声音で言った。
「殿下と同じですよ。 これが、今の私の仕事です」
既に事態は動いていて、役割に代えは利かない。 故に、妥協もまた許されないのだ。
与えられた役割を果たす事も、ジークを死なせないように守る事も全て打算的な行いだけれど、果たすと決めた以上は果たす。
それくらいの誠実さの一つもなくては、どうして贖罪などと言えようものか。
「これを飲んでもう少し休憩したら、ホールへと戻りましょう。 王太子殿下が長い時間居なくなっているのは外聞が宜しくありませんから」
「そうだな。 ……エリーナ嬢、戻ったらもう一曲付き合ってもらえるか?」
「お望みとあらば、お付き合いいたします」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
本来ならば、パーティーにおいて特定の人物と常に行動し続ける事はあまり無い。
というのも、そもそも貴族にとってパーティーとは遊楽に非ず。 実態は腹の探り合いに化かし合い、新たな関係の開拓などに躍起になる狩場のようなものである。
けれど今回、私はジークの盾として常に側に居る事を求められているため、令嬢達の輪に入る事も、他の殿方の誘いを受けて踊る事も無い。 護衛のようなものなのだから、一時とて離れる訳にはいかない。
ダンスの相手はジークだけで、常に付き添いながら周囲への警戒を続けるのだ。
だから、ジークに二曲三曲とダンスの相手を求められても仕方のない事。 彼とて、欲に塗れた化け狸の相手など御免だろうから、その逃げ場になるのも吝かではない。
……ちなみに私は、同じ相手と続けて踊る事の意味を知らないなんて事は無い。 きちんと理解している。
けれど、今は常時と異なる事態にあるのだからノーカウントというものでしょう?
そうして、三曲目のダンスを終えて一息。
続けてかかる次の曲に合わせて踊る者達の邪魔にならないようホールの端へと向かう最中で声を掛けられた。
「あらエリーナ様、お久しぶりでございますわね」
名前を呼ばれ、声のする方を向けばそこには3人の令嬢、かつて私のお友達であったアーシアとラミアとレイシーがいた。
アーシアがラミアとレイシーを引き連れている形は以前のまま、まずはアーシアが私の隣に立つジークへとカーテシーと共に挨拶の言葉を述べて、後の2人もそれに続いた。
「顔を上げて構わないよ。 今宵は、どうかパーティーを楽しんでいってほしい」
「ええ、それは勿論。 ……それにしても、エリーナ様。 まさかジーク殿下のパートナーに選ばれていただなんて。 私、初めてそのお話を聞いた時はとても驚きましたのよ。 だって、私の元にはパートナー候補のお話なんて届いてこなかったものですから」
ねえ、2人とも。
アーシアが、そう背後のラミアとレイシーに同意を求めれば2人とも口々に言葉を吐き出しはじめた。
曰く、せっかくお友達なのだから教えてくれたらよかったのに。
曰く、私がジークとそういう関係になってから交流が途絶えてしまって寂しかった。
……よくもまあ、言えたものである。
内心で、そう歯噛みした。
いくら前の世界の出来事とはいえ、容易く関係性を破棄したくせに。 腹の中では私の事など、ただ利用するだけのものであると考えているくせに、なんと白々しい。
貴族のしがらみや個人的な怒りから、私が彼女達3人に持っている感情はとても複雑だ。 けれど、そんな感情を面に出すわけにはいかないから、それらは全て胸の内に留めて微笑んだ。
顔で笑って、心で罵るという貴族の基本だ。
「申し訳ありませんアーシアさん、ラミアさん、レイシーさん。 生徒会や家の事で忙しくしていたものですから、話す機会がなかなか作れなくて……。 それに、殿下のパートナーに選ばれたのもつい最近だったもので、お知らせする暇もありませんでした」
「まあ、ご多忙にされていましたのね。 では、ジーク殿下と交流する時間もあまりとれなかったのではありませんか? 私達とお話をする時間すら取れない程にお忙しくされていらっしゃったのですもの」
当て付ける言い回しで、アーシアは私とジークの関係性を疑問視する言葉を吐き出す。
「ええまあ、そうですね。 パートナーとして選ばれてから交流の場は設けられていましたが、それほど密に会うような事は無かったかもしれません」
アーシアの言いたい事は分からなくもない。
要するに、家柄で選ばれただけのパートナーでしかないのであろうから図に乗るな、といった所であろう。
隠す気も無い悪意から読み取れる言葉なんてどれもありふれていて分かり易い。 そこに込められている想いもまた、理解出来なくもない。
そして、それは無意味な懸念だ。
「けれど、パートナーと言ってもこの場限りのもの。 だから、密に接していなくとも問題はありません」
アーシアが無用な心配をして、その結果、私に因縁を付けられても困る。
だからこそ、そうした諍いの芽は早めに間引いておくに限る。 別に秘して得をするわけでも、此度のジークとの縁が継続的なものであるというわけでもないのだから。
今は、こんな厄介事を抱え込んでいる暇は無い。 だから勘違いしているアーシアには、私とジークは、彼女が邪推しているような関係ではないと明言する必要があるのだ。
「あら、そうなのですね。 でしたら、なぜエリーナ様にお声がかかったのでしょう? 代役のパートナーなど、わざわざ由緒あるユースクリフ公爵家に頼むものでもないでしょうに」
「俺がエリーナ嬢に頼んだんだ」
未だ訝しむ様子を見せるアーシアに、ここまで沈黙を保ってきたジークがようやく口を開いた。
「まあ……ジーク殿下ご自身が、ですの?」
「ああ、生徒会で交流があるからな。 身近な存在で、何より信頼出来る女性だから声を掛けたんだ」
「あら、そうでしたのねぇ」
「オルトリン嬢が言うように、俺とエリーナ嬢は私情を話すような間柄ではない。 せいぜいが、仕事関係の話ばかりする程度だ」
私が言うよりも、ジークの口からその関係性を聞かされた方が納得いったのか、アーシアは目に見えて機嫌を良くしたようだった。 なんとか穏便に状況を乗り越えられそうである。
それにジークの言う通り、私との関係などそれぞれが負った職務の延長上にあるものでしかない。 そこに情を介入させる事などありはしないのだ。
そう1人で納得して、ジークの言葉に内心で頷いていると、ジークはさらに言葉を続けた。
「けれど、エリーナ嬢が素晴らしい女性だという事は知っている。 真面目で職務に忠実で、途中で役目を投げ出さない直向きさもある。 まあ、職務に忠実過ぎるあまりに自らを顧みない姿勢はいただけないし、定期的に見ていないと時々、心配になるほど無理をするけどね。 だが、俺にとってエリーナ嬢は好ましい人だよ」
続けられたのは、何やらよく分からない言葉の羅列であった。
何を言っているのこの人、と口を突いて出そうになった言葉をとっさに飲み込んだ。
「あの……ジーク殿下?」
アーシアもキョトンとして、扇で口元を隠すのも忘れてジークを見やっている。 淑女として、してはいけない間の抜けた顔をしているけれど、それも仕方ないと思う。
私はといえば、状況とジークの言葉の真意が理解出来ないまま、奇妙な空気がその場に漂っているのを感じていた。 本当、何故にそんな事を今言うのか。
けれど、そんな思いなどジークに届く事も無く、さらに予想外な言葉を紡いでいく。
「足りない分の交流はこれから深めていくだけさ。 ではオルトリン嬢、グルトール嬢、トレイル嬢、失礼させてもらうよ」
そう言うと、ジークは私の手を取って足早にアーシア達の前を後にした。
手を引かれるまま歩いて暫く、先のジークの発言でパニックになっていた頭が少し落ち着いてきた私はジークへ質問を投げかけた。
「殿下、何故あのような事を仰ったのです。 あのまま言わせておけば波風も立てぬまま終われたというのに」
正直、今は些事ですら排除してジークを守る事に専念したいのだ。
だからこそ相手方が勝手に満足するように話を合わせ、望まれるような受け応えを心掛けていた。
しかし、さっきのジークの発言で、そんな努力もぶち壊しである。
だからそうした疑問を問うてみれば、ジークは少し眉根を寄せた。 それはいつもの、過労を指摘する時の表情だった。
「オルトリン嬢達と遭遇してから、君の表情が少し強張っていたからね。 早くあの場を離れるべきだと思ったんだ。 それにどういう訳だかあちらも、君に対して攻撃的なようにも見えたし」
「……そんな、分かり易いほど顔に出ていましたか」
「いや、そんな事はないと思うぞ。 ただ、俺から見ていつもの君より表情が険しく見えただけだからな。 あと、君が言われっぱなしなのも癪だったから、少しムキになってしまったというのもある」
そう言ってからジークは、私の方へと向き直った。
引かれていた手は変わらず握り込まれ、私を見据えるジークの視線から逃れる事を拒むように繋がれている。
「君は俺のパートナーだ。 だから、ああいう者から守るのも君をパートナーとして連れている俺の役割であり、個人的にもそうしたかったんだ。 ところで、ダンスをもう一曲どうだろう? 気分も幾らか晴れるだろうからな」
「えっ、あ、はい……ではなくて! 結局どういう事で」
さらに増えた疑問への質問をする前に、強引に手を引かれて、再び踊る事になった。
パニックになっているとはいえ、ダンスの最中に会話をする余裕くらいはあるからジークに何度も問い掛けたが、全て黙殺された。
ここで話しても無駄だと悟った私は、ダンスが終わった後で必ず、ジークに文句の一つでも言ってやろうと心に決めるのだった。
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