公爵令嬢の辿る道

ヤマナ

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辿り至ったこの世界で

知らずとも、其処に

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初めのうちは、隣を歩くジークに対する緊張とこれまで直接的に触れることの無かった市井を歩く事への不安もあったけれど、暫く歩き回ってジークの説明を聞いていればそうした気持ちは徐々に薄れていった。
ジークは立太子してからかなりの頻度で市井に出ていたらしく、大通りの屋台や少し入り組んだ路地にある評判の商店までいろいろな場所を教えてくれた。 特に、食事はテーブルマナーに則って摂るものと幼い頃より躾けられてきた私にとって買ったその場で食べながら街を行く『食べ歩き』というものはとても背徳的で、けれど心情的にはとても清々しい、悪くない体験となった。

「庶民の食文化には初めて触れますが、貴族のものと違って大味なものが多いのですね。 シンプルで味が濃くて、でもどこか癖になるコクがあって……特に、串焼き。 かぶりつくのははしたないけれど、それも含めてあれは良い物でした」

「気に入ってもらえて何よりだ。 4本も食べるなんて、よっぽど美味しかったんだな」

「あっ……ええ、はい……」

……訂正。 
悪くない、どころか私は結構、庶民の食文化を堪能していた。 それも、最初の緊張や市井を歩く不安さえ忘れて、ジークに買ってもらった屋台の串焼きを食レポする程度には……。 
だって、食べ歩きなんて文化は初体験だったし、腕の良いシェフの作った贅を凝らした料理でもないのにとても美味しかった。 
それに、何より。

「その、場の雰囲気に流されてしまいまして」

「雰囲気?」

「はい。 ……私、公爵家では食事の時間を、1番退屈に感じていたのです」

公爵家の誰に評され褒められるでもない食事のマナー、私を実の娘であり家族として認めない公爵によって私と他の3人の間に引かれた食卓を分つような一線、集って食す事の不毛さと緊張で味の感じられない食事。 
その全てが嫌いだった。
だから、いつの頃からか食事を楽しむ事さえ忘れてしまっていたのだ。
まず最初は、あの家族と食事を共にする事が嫌になって、呼び出されない限りは自室で食事を摂るようになった。
その後は、食事に対する意味を思案して、その末に一連をただカロリーを摂取するためだけの行為と定めれば、次第に食す物への執着も失せた。 必然、食事に求めるものは栄養価と時間効率となっていき、内容はより簡素に、そして少量になった。
一度、アリーから粗食が過ぎると注意を受けてから多少は食事内容の改善を受けたけれど、それもまた、食事を処理すべきタスクとし、その上で定められたノルマのクリアを目的としたものへと変質したに過ぎなかったが。
私にとって、食事とは貴族としての会食の際に発生する責務の一つか、生き物として生存するために必要な栄養素の確保手段でしかなかったのだ。

「でも、ここは良い場所です。 人の声が響き、人の温かさがある……公爵家よりも、とても居心地がいい。 多分、だからこの串焼きも美味しいのでしょう」

「そうか……ところで、キリエル嬢とはいつも食事を共にしているが、それともまた違うのかな。 彼女もまた騒が、明るくて賑やかな人だが」

「サリーは……なんというか、たくさん食べさせようとするのが私の侍女のようで。 ちょっと、楽しいとはまた別なのです」

今朝もまた、サリーはお腹いっぱいだと言っているのにおかわりを私の皿に盛ろうとしてきたりしたのだ。
その様が、私が食を疎かにしていた頃のアリーと被って母のお節介の如く感じてしまう。
……そういえば、アリーはどうしているのだろうか。
私の侍女であり、乳母でもあり、幼い頃からずっと公爵家内部で私の唯一の味方だった人。 実母より、義母よりも、この胸の内に秘して母と慕っていた人。
また、会える時は来るのだろうか……。

「……さあ、そろそろ次の場所へと参りましょう。 今のところ私は結局、何も思い出せていませんから」

アリーの事は、考えても仕方がない。
そもそも、彼女は公爵家の使用人。 とうに公爵家を勘当された私には縁無き人であり、関わる事叶わぬ人なのだから。
だから、思考を切り替えて次の行動へと移るようジークを誘う。
そもそも、市井に降りた元の目的は私の記憶を取り戻す手掛かりを求めての事。 
けれど、現状は何の成果も得られていない。
そんな手掛かりとなるような何かがそう易々と街の道端に転がっているとは思わないけれど、故に私こそがもっと能動的に探すべきなのだ。
だって、今ここに居られるのはジークの厚意あっての事なのだから。
ジークが私の事を、記憶を失くす以前のエリーナを『大事な人』と称する程に望み、それ故に協力してくれているのであるならば、私はその思いに報いるべきだろう。
少なくとも、談笑しながら串焼きを何本も頬張っていて良い筈が無い。
事の本質を、見誤ってはいけないのだ。
そう考えて立ち上がり、そしてジークへと手を伸ばす。

「ラナちゃん……? まあ、ラナちゃんじゃないかしら!」

けれど、そのタイミングで私を呼ぶ声が聞こえた。 
私と言っても、呼ばれたのはあくまでミドルネームの部分なのだけれど。 そして、今となってはその名すら剥奪されている。 
だと言うのに、その取り上げられた部分を呼ぶこの老婦人は誰なのか。

「え……あ、はい。 確かに私はラナでしたけれど」

「お久しぶりねぇ、元気にしていたかしら。 お家の方はもういいの?」

「ご婦人。 失礼ですが、彼女のお知り合いなのですか?」 

「ええ。 前まで教会で会ってはお話しする仲だったのよ。 そう言う貴方は、ラナちゃんのお知り合いかしら? ひょっとして、良い人かしら。 まあ、だったら婆は邪魔をしてしまったかしらねぇ」

「……!? い、いいえ違います! この方とはそのような間柄ではありません!」

この老婦人、初対面なのになんてとんでもない誤解をしているのか!
身分も合わず、身の丈も合わず、何一つとして捧げられるものも誇るものも持ち合わせていないこの私なんかがそのような事ある筈が無いのに、そんな可能性なんて在り得ないのに……本当、なんてとんでもない事を言うのだ!
これは否定しなければと思ってさらに口を開こうとして、なのに、それをなぜかジークに止められてしまった。 
けれど、その後に耳元で小さく「話を合わせてね」と囁かれたので、ひとまず口を閉じて成り行きを見守る事とした。

「自己紹介が遅れました、ご婦人。 ラナさんの友人のリードと申します。 今日は彼女の事で用事があってここまで来ました」

「まあ、ご丁寧にどうも。 私はケリーよ。 用事って、前に言ってたお家の事かしら?」

「いいえ、もっと彼女個人の事なのです……実は彼女、つい最近事故に遭ってしまいまして。 その後遺症で、記憶喪失に陥ってしまったのです」

「えぇ、事故!? ラナちゃん、大丈夫だったの!?」

「は、はい……その、この通り、です」

ははは、と乾いた笑いを浮かべて、心底驚いた様子のケリー婦人に自らが元気であるとアピールをする。 具体的には、咄嗟に浮かんだジェスチャーとして力こぶを作るポーズをとってみた。
するとケリー婦人はひとまず納得したのか、安心とばかりに吐息を一つ漏らし、ジークにどういう事かと根掘り葉掘り問い質しはじめた。
不意の事だろうに、ジークは問われた事に対してそれぞれ納得のいくであろう答えを返し、結果的に私は『馬車事故に遭って一ヶ月寝込み、目覚めた時には一部の記憶を失くしていた商家のお嬢さん』となっていた。 半分真実、半分嘘である。

「それで、一時の間彼女がここらで過ごしていたと聞いて何か記憶を取り戻すきっかけでもないかと探していたところなんです。 なのでよろしければ、ご婦人にも協力願えませんか?」

「もちろんよ。 せっかく仲良くなった娘がそんな目にあっているのを見過ごせる筈がないわ。 ……とは言っても、ラナちゃんは自分の事をあまり話さない子だったから、あまり話せる事はなくてねぇ。 婆に相談してねと言っても困り顔をするばかりで」

「そうですか……分かりました。 すみませんね、お時間をとらせてしまって」

「いいえ、いいのよ。 仲良くなった相手に忘れられるのは寂しいもの。 何も話してあげられなかったけれど、婆で力になれる事があればいつでも頼ってちょうだいね。 だいたいいつも、昼くらいにはこの先の教会にいるから……辛いだろうけど、頑張ってね。 私も、ラナちゃんが早く良くなるように神様に祈るから」

「はい……ありがとう、ございます」

そうして去っていくケリー婦人の背を見送り、やがてその背も人混みに紛れて見えなくなっていく。
ケリー婦人と話し、そして見送った今思うのは意外であったという驚きだった。
ジークの話が嘘であると疑った訳ではないけれど、俄には信じられなかったのだ。 私が、市井の庶民に混じってこの街を歩いていたという事を。
私は、自分で言うのもどうかと思うけれど結構な引き篭もり人間である。
だって部屋の外に出れば、そこには現実が広がっている。 私の事を家族とも思わない同居人に、恐ろしい貴族社会。
それらと関わる事が憂鬱だったから。
だから、特別な用事が無ければ自室に篭り、学園が休日の時はほぼ部屋を出ないようにしていた程である。
なのに記憶を失くす以前の私は、自ら市井に赴きケリー婦人のような人との関係を構築していた。 知らない筈の関係性だけれど、間違いなく此処には過去の私が残した痕跡があった。

「あの、ジーク殿下。 なんだか私、変なのです」

さっきまでは、何も感じなかった。
なのに今は、その胸の内に、どこかぽっかりと穴でも空いているかのような虚を感じている。
そして、さっきのケリー婦人との会話を追想するだけで、不思議とそれが少しだけ埋まっていくように感じるのだ。
それは懐かしいような、嬉しいような。
そんな想いの結晶。

長椅子に私とケリー婦人が2人で並んで腰掛けて、他愛のない話に耽る景色が脳裏に浮かんでいた。
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