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辿り至ったこの世界で
赦しと救い
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王国騎士団の勢が到着した事によって生存を確信して、ジークと私で2人して安心しきって疲労と緊張が一気に弛緩したせいで気絶するように眠ってから、2日後。
自身を横たえているベッドの脇で私は、私の手を取ってわんわんと泣いているサリーを宥めていた。
「本当に、本当にあの時は生きた心地がしませんでした! だってお城に忘れ物したから取りに戻って、そしたらあんな……。 もしかしたらお姉様がって思ったら、サリーは、サリーは……!」
「ごめんなさい、サリー。 不安にさせてしまったわね」
あの日、サリーは私とジークと別れた後、言っていた通りに彼女のお祖母様の家へと向かっている途中で忘れ物に気付いて王城まで取りに戻ったという。
通常であれば、彼女の立場としては使用人用の通路を使って城内に入るべきであるのだが、その時のサリーは「急いでいるし別に構わないでしょ」と考えて、基本的には王族専用である筈の隠し通路から入ろうとしたのだそうだ。 直前に私達3人で通路を使用して街へ降りていた事から別に構わないだろうと思っての事らしいのだけれど、当然ながら見付かればお咎めのある行いである。
けれど、そんな何の気無しの行いがきっかけとなり、結果としてサリーは血溜まりと死体の転がるあの惨状を目にする事となった。
彼女は『基本的には』真っ当な精神性の人間である。
ならば、状況に困惑して恐怖心に駆られた事だろう。 けれど、サリーは同時に芯の強い人間でもあった。
血溜まりと死体の光景に、腐乱して腐臭を漂わせて腐肉に蠅のたかっている空間を懸命に歩き抜け、滴り踏み付けた血溜まりの水音に嘔吐感を覚えながらも城内へと駆け込んで、隠し通路の惨状を報せたのだ。
それからは状況を確認した騎士団が、事件の発覚と共に捜査へと乗り出した。 加えて、サリーの話から既に王城へと帰還している筈の私とジークが行方不明となっている状況から捜索隊も編成されて、王都内部に残った騎士団の残存勢力を挙げての捜索が始まったのだという。
要するに、サリーこそが私とジークがこうして無事に生還する事の出来たきっかけであり、つまり彼女もまた私達の命の恩人なのである。
だって、もしも騎士団の到着があれ以上遅れていれば、逃げられるような余力の無い私達は下手をすれば再び捕まって、今度こそ殺されてしまっていたかもしれない。
少なくとも、私よりも出血の状況が酷く、そして疲弊し切っていたジークは、高い確率で失血死していたかもしれないのだから。
「ほら、私は大丈夫。 ちゃんと生きているから、安心して。 ね?」
今回の一件では、サリーにも迷惑をかけた。
彼女には関係の無い事で心配をかけて、面倒をかけて、見たくなかっただろう恐ろしい地獄のような光景を見せてしまった。
たとえ私にそのような意図が無くとも、あの男達の目的が私の奪取であったというのなら、少なからずその責は私にもあるのだろう。
容赦も無く、そして理不尽な、私でさえまるで預かり知らぬ悪意であれ、本質的に関わりのある私とは違ってサリーには何の関係も無い事だったのだ。 なのに、結果的には彼女の心に疵が残ってもおかしくない程に凄惨なものを見せてしまったのだから。
だから、彼女が私の死を恐れ、そして不安に思うのならば、私にはせめて実感と共にそれらを取り払ってやるために何かをしてあげるべきだろう。
そして、生命の実感には触れて感じる方が手っ取り早い。
「ほら、おいでなさい。 ……私には体温もあるし、血も巡っているし、心臓は鼓動を刻んでいるでしょう? 安心してちょうだい。 私はまだ、生きているわ」
「……はい。 温かいです、お姉様」
「なら、良かった」
「でも足りません、お姉様。 出来ればこう、ずずいっと熱烈なハグのまま添い寝をば」
「貴女ねぇ……。 もう、今日だけよ」
ご褒美兼慰めだし仕方なしと了承すると、サリーはさっきまでの滂沱もかくやとばかりの涙は何処へやら、満面の笑顔と共に瞬でベッドに潜り込んできた。 何とも、気持ちの切り替えが早いようである。
……まあ、サリー本人はこの調子だから、多分大丈夫なのでしょう。
うん、なんというか本当に図太い子。
でも、だからこそ、サリーがいてくれたから今もこうして今生を終えないままに生きていられる。
その事を感謝しながら、抱き付いた姿勢で熱っぽく息を乱して私の胸部に自らの顔を押し当てるだなんてセクハラ紛いの行いをするサリーに「今日ばかりは止む無し」と慈母の心で妥協をしながら、窓の外を眺める。
「彼の方は大丈夫だろうか」と、ほんの少しだけ上の空になりながら。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
目覚めてから更に1日の後、数箇所の擦過傷や肉が抉れている部分はあれども出歩く事に問題は無いと王城の医官に外出の許可を得た私は、サリーを通じて訪問の約束を取り付けていたジークの元へと来ていた。
彼は私よりも1日早く目覚めたけれど、その怪我の具合は私よりも酷いもので、多くの擦過傷や打撲痕に、身体中の数箇所の骨にはヒビが入っており、極め付けには両脚共に例の『銃』で射たれた貫通穴が数箇所開いていて、少なくとも3ヶ月程はまともに歩く事はおろか、一部政務にも支障が出るだろうとの事であった。
「……ジーク様。 その、お加減はいかがでしょう」
「今のところ特に大きな問題なんかは無いよ。 利き手は無事だったから執務くらいなら難無くこなせるし、元より最近の仕事はそっちがメインだったからな。 まあ、強いて言うなら君との朝食の席に出向けないのが残念というくらいかな」
ジークはそのように、冗談めかしてあっけらかんと言うけれど、実際に問題が無いなんて事はないだろう。
だって、片目は腫れているようで眼帯をしているし、骨にヒビの入っている方の腕は三角巾で吊っていて、襟元や袖口から覗く肌は一部分が青黒くなっている。 きっと、布団の下の両脚だって、痛々しい怪我の治療痕が残っている事だろう。
そしてその全て、此度の私を狙っての誘拐事件にジークを巻き込んだ挙句、身を挺して庇わせてしまった私にも責はある。
故に、何を言うべきか、どう謝るべきかと、ここに来るまでの間はずっと言葉を考えていた。
それでも、いざジークと対面して、現実として私の存在が及ぼしてしまった彼への悪影響の結果を目の当たりにしてしまえば、事前に思案していた言葉の全てがただの安っぽい言葉の羅列に思えてきて、何も言えないまま場に沈黙を落としてしまった。
「………っ。 ……」
「エリーナ嬢が気負う事じゃない。 これは、ただ俺が力不足だったからこうなっただけの事だ。 誰が悪いと追求するなら、未熟な俺とあの誘拐犯達の頭領だという男だよ」
私の言おうと思っていた言葉の全て、私でさえ欺瞞でないとは言い切れない。 打算と自己中心的思考こそ、私の本質なのだから。
故に、言葉に詰まってしまっていた。
けれど、その結果としてジークは私の態度を好意的に汲み、慰めの言葉をかけてくれている。
でも、それは違う。 違うのだ。
私は、そんな繊細な者ではない。
もっと小狡くて、あまりにも貧弱な、ちっぽけな人間なのだ。
誰かのためと嘯いて、その実は自らのために。
救われたいと願いながら、自らが救われない事を知っている。
そんなちっぽけな、蟻のような小娘でしかないのだ。
そんな小娘が、縋りに縋ってここまで来た。
贖罪はおろか為しえた事などちっぽけなものばかりで、それ以上に罪を犯して、今もこうしてのうのうと生きている。
結局は、今生も前生までと何一つ変わらない。
辿るべき罪人としての道行きを外れ、他者に縋った末路である。 赦される事の無い私にとっての、誤った道の果てだ。
その果てで、私はジークを死なせてしまうところだった。
そんな過ちは、許されない。
ならせめて、正すべきであろう。
本来、私が行くべき正道へ向かって、拒絶をするべきである。
「……もう2度と、あのように身を挺してまで死線に向かわないでください。 あなたはこの国の王太子殿下で、貴き身の上の御方なのですから」
「分かっているよ。 俺だって、そんなやたらと無謀な訳じゃない。 ただ今回は少々、いやだいぶ力んで突っ走ってしまったという感じは否めないが」
どうにも、こういう性というのは御し難い。
そう、ジークは笑って言った。
笑って言って「まあ、もっとも」と、さらに続ける。
そして、人の気も知らないでジークは、
「愛する人のためなら、そうなるのも吝かでないがな。 それに、そのおかげで君の気持ちも聞けた訳だしな」
あっさりと、そんな事まで言ってのけた。
「あれは! ……だって、死んでしまうと、思いましたから。 私も、ジーク様も、死んで終わってしまうのだと。 だから、どうせ死ぬのなら、せめてと思って……」
「でも、俺達はこうして生還出来た。 生きてるんだよ、俺も、君も」
それは、そう。
私も、ジークも、生きている。
血は流れさえしたけれど、たくさん怪我して何度も死んだと思ったけれど、それでも今、こうして生きている。
……生きて、いるのだ。
「でも、生きていると今言えるのは、運が良かっただけです。 もしかしたら、死んでしまうかも知れませんでした。 その可能性の方が、きっと高かったでしょう」
本当に、私達が生きているのは奇跡なのだ。
もしも、頭領の男がもっと容赦無く何度も何度も射ってきていたら? 最後に頭領の男の頭を射ち抜いた謎の3射が私達に向いていたら? 騎士達の到着が、もっと遅れていたら?
そんなもしもを今は乗り越えられても、また同じような苦境に陥った時に再び奇跡が起きるなんて都合のいい事があるとも限らないのだ。
死なんて、易々と作り出せるものなのに。
「死んでほしくない……あなたに、死んでほしくないのです。 だから、無茶はしないでください。 愛してるなんて言って、私なんかのために命を賭けないでください。 あなたまでもが死んでしまったら、私は、もう……」
自らの死には、もう慣れた。
悪意さえ超え、殺人でさえも経験した。 慣れはせずとも、そんな一線はとうに超えてしまった。
それでも、人として赦されない私でも、超えたくないものはある。
大事な人……愛する人の死だけは、ジークの死だけは見たくない。 ジークの死を超えてまでも、それでも終わらない生命なんて生きていたくない。
「私の事なんていいのです。 お願いだから、死なないで……! 私なんてどうでもいい。 愛してなんてくれなくていいから、ただ生きてさえいてくれれば、私はそれだけで……」
「済まないが、それは出来ないな」
感情的になっていた私の手を握って、私の言葉を遮って、ジークはそのように否定の言葉を発する。
落ち着けとばかりに真っ直ぐと見つめられて、握られた手からは彼の体温が伝わってきて、私は乱れた呼吸と思考回路が少しずつ正常に整っていくのを感じた。
「自分なんてと君は言うが、俺にとってのエリーナ嬢は愛しい人なんだ。 だから、君の方こそ、もっと自分を大事にしてくれ」
熱暴走が治ったような、そのせいで多少の空虚と呆け具合の抜けない頭のまま言われたのは、まずは一つの肯定であった。
私という存在の、ジークの中での価値の話である。
「だいたい、君は学園で生徒会業務をしていた時からそうだっただろう。 誰より働いて、自身を蔑ろにして体調を崩したりもしていたな。 今だからはっきりと言うが、君こそ、自分を大事にするべきなんだよ」
「……なんの話をなさっているのですか。 私は真剣に」
「俺だって真剣だ。 君が俺に死んでほしくないと思うように、俺だって君に死んでほしくなんてないんだよ。 君が一体何を抱え込んでいるのかは分からないが、自分なんてと思う程に苦しんでいるのなら、俺に相談してほしい。 話せないのだとしても、せめて頼ってほしい。 愛しているから、エリーナ嬢のために力になりたいから。 それが、ずっと俺が望んでいる事だ」
そしてそれは、いつかの解答でもあった。
記憶を失っていた時の私が、なぜ私のためにと彼に問うた時の、彼が言っていた「打算」の中身。
打算だなんて、なんて言葉が悪い。
箱を開ければ、言葉の印象なんかよりもずっと素敵な、純粋な想いではないか。
「……あ、れ?」
言われて、言葉と記憶が結合して、気付けば目頭が熱くなっていた。
いつぞや振りの、感情の雫が溢れていた。
それも、なんとも愚しく、そしてあまりにも学習しない馬鹿女である私の流すこれは、この胸の高鳴りから成る想いはーーー喜び、である。
捨て去った筈の悲願の成就。
身の程知らずな過去の私が欲していた、愛する人のくれる愛。
こんなにも間違っている道まで外れて、その果てにまで辿り着いて、今さら貰うべきではないその心を貰って……。
罪悪感に苛まれた。
既に死した、過去の私が嘲っているのが聞こえてくるようだった。
でも、それでも……。
むかしむかしの私は。
今も心の奥の奥底に沈んだ、残骸と成り果てたあの日の、愛を欲していた私は。
確かに今、救われたのだと、そう思った。
自身を横たえているベッドの脇で私は、私の手を取ってわんわんと泣いているサリーを宥めていた。
「本当に、本当にあの時は生きた心地がしませんでした! だってお城に忘れ物したから取りに戻って、そしたらあんな……。 もしかしたらお姉様がって思ったら、サリーは、サリーは……!」
「ごめんなさい、サリー。 不安にさせてしまったわね」
あの日、サリーは私とジークと別れた後、言っていた通りに彼女のお祖母様の家へと向かっている途中で忘れ物に気付いて王城まで取りに戻ったという。
通常であれば、彼女の立場としては使用人用の通路を使って城内に入るべきであるのだが、その時のサリーは「急いでいるし別に構わないでしょ」と考えて、基本的には王族専用である筈の隠し通路から入ろうとしたのだそうだ。 直前に私達3人で通路を使用して街へ降りていた事から別に構わないだろうと思っての事らしいのだけれど、当然ながら見付かればお咎めのある行いである。
けれど、そんな何の気無しの行いがきっかけとなり、結果としてサリーは血溜まりと死体の転がるあの惨状を目にする事となった。
彼女は『基本的には』真っ当な精神性の人間である。
ならば、状況に困惑して恐怖心に駆られた事だろう。 けれど、サリーは同時に芯の強い人間でもあった。
血溜まりと死体の光景に、腐乱して腐臭を漂わせて腐肉に蠅のたかっている空間を懸命に歩き抜け、滴り踏み付けた血溜まりの水音に嘔吐感を覚えながらも城内へと駆け込んで、隠し通路の惨状を報せたのだ。
それからは状況を確認した騎士団が、事件の発覚と共に捜査へと乗り出した。 加えて、サリーの話から既に王城へと帰還している筈の私とジークが行方不明となっている状況から捜索隊も編成されて、王都内部に残った騎士団の残存勢力を挙げての捜索が始まったのだという。
要するに、サリーこそが私とジークがこうして無事に生還する事の出来たきっかけであり、つまり彼女もまた私達の命の恩人なのである。
だって、もしも騎士団の到着があれ以上遅れていれば、逃げられるような余力の無い私達は下手をすれば再び捕まって、今度こそ殺されてしまっていたかもしれない。
少なくとも、私よりも出血の状況が酷く、そして疲弊し切っていたジークは、高い確率で失血死していたかもしれないのだから。
「ほら、私は大丈夫。 ちゃんと生きているから、安心して。 ね?」
今回の一件では、サリーにも迷惑をかけた。
彼女には関係の無い事で心配をかけて、面倒をかけて、見たくなかっただろう恐ろしい地獄のような光景を見せてしまった。
たとえ私にそのような意図が無くとも、あの男達の目的が私の奪取であったというのなら、少なからずその責は私にもあるのだろう。
容赦も無く、そして理不尽な、私でさえまるで預かり知らぬ悪意であれ、本質的に関わりのある私とは違ってサリーには何の関係も無い事だったのだ。 なのに、結果的には彼女の心に疵が残ってもおかしくない程に凄惨なものを見せてしまったのだから。
だから、彼女が私の死を恐れ、そして不安に思うのならば、私にはせめて実感と共にそれらを取り払ってやるために何かをしてあげるべきだろう。
そして、生命の実感には触れて感じる方が手っ取り早い。
「ほら、おいでなさい。 ……私には体温もあるし、血も巡っているし、心臓は鼓動を刻んでいるでしょう? 安心してちょうだい。 私はまだ、生きているわ」
「……はい。 温かいです、お姉様」
「なら、良かった」
「でも足りません、お姉様。 出来ればこう、ずずいっと熱烈なハグのまま添い寝をば」
「貴女ねぇ……。 もう、今日だけよ」
ご褒美兼慰めだし仕方なしと了承すると、サリーはさっきまでの滂沱もかくやとばかりの涙は何処へやら、満面の笑顔と共に瞬でベッドに潜り込んできた。 何とも、気持ちの切り替えが早いようである。
……まあ、サリー本人はこの調子だから、多分大丈夫なのでしょう。
うん、なんというか本当に図太い子。
でも、だからこそ、サリーがいてくれたから今もこうして今生を終えないままに生きていられる。
その事を感謝しながら、抱き付いた姿勢で熱っぽく息を乱して私の胸部に自らの顔を押し当てるだなんてセクハラ紛いの行いをするサリーに「今日ばかりは止む無し」と慈母の心で妥協をしながら、窓の外を眺める。
「彼の方は大丈夫だろうか」と、ほんの少しだけ上の空になりながら。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
目覚めてから更に1日の後、数箇所の擦過傷や肉が抉れている部分はあれども出歩く事に問題は無いと王城の医官に外出の許可を得た私は、サリーを通じて訪問の約束を取り付けていたジークの元へと来ていた。
彼は私よりも1日早く目覚めたけれど、その怪我の具合は私よりも酷いもので、多くの擦過傷や打撲痕に、身体中の数箇所の骨にはヒビが入っており、極め付けには両脚共に例の『銃』で射たれた貫通穴が数箇所開いていて、少なくとも3ヶ月程はまともに歩く事はおろか、一部政務にも支障が出るだろうとの事であった。
「……ジーク様。 その、お加減はいかがでしょう」
「今のところ特に大きな問題なんかは無いよ。 利き手は無事だったから執務くらいなら難無くこなせるし、元より最近の仕事はそっちがメインだったからな。 まあ、強いて言うなら君との朝食の席に出向けないのが残念というくらいかな」
ジークはそのように、冗談めかしてあっけらかんと言うけれど、実際に問題が無いなんて事はないだろう。
だって、片目は腫れているようで眼帯をしているし、骨にヒビの入っている方の腕は三角巾で吊っていて、襟元や袖口から覗く肌は一部分が青黒くなっている。 きっと、布団の下の両脚だって、痛々しい怪我の治療痕が残っている事だろう。
そしてその全て、此度の私を狙っての誘拐事件にジークを巻き込んだ挙句、身を挺して庇わせてしまった私にも責はある。
故に、何を言うべきか、どう謝るべきかと、ここに来るまでの間はずっと言葉を考えていた。
それでも、いざジークと対面して、現実として私の存在が及ぼしてしまった彼への悪影響の結果を目の当たりにしてしまえば、事前に思案していた言葉の全てがただの安っぽい言葉の羅列に思えてきて、何も言えないまま場に沈黙を落としてしまった。
「………っ。 ……」
「エリーナ嬢が気負う事じゃない。 これは、ただ俺が力不足だったからこうなっただけの事だ。 誰が悪いと追求するなら、未熟な俺とあの誘拐犯達の頭領だという男だよ」
私の言おうと思っていた言葉の全て、私でさえ欺瞞でないとは言い切れない。 打算と自己中心的思考こそ、私の本質なのだから。
故に、言葉に詰まってしまっていた。
けれど、その結果としてジークは私の態度を好意的に汲み、慰めの言葉をかけてくれている。
でも、それは違う。 違うのだ。
私は、そんな繊細な者ではない。
もっと小狡くて、あまりにも貧弱な、ちっぽけな人間なのだ。
誰かのためと嘯いて、その実は自らのために。
救われたいと願いながら、自らが救われない事を知っている。
そんなちっぽけな、蟻のような小娘でしかないのだ。
そんな小娘が、縋りに縋ってここまで来た。
贖罪はおろか為しえた事などちっぽけなものばかりで、それ以上に罪を犯して、今もこうしてのうのうと生きている。
結局は、今生も前生までと何一つ変わらない。
辿るべき罪人としての道行きを外れ、他者に縋った末路である。 赦される事の無い私にとっての、誤った道の果てだ。
その果てで、私はジークを死なせてしまうところだった。
そんな過ちは、許されない。
ならせめて、正すべきであろう。
本来、私が行くべき正道へ向かって、拒絶をするべきである。
「……もう2度と、あのように身を挺してまで死線に向かわないでください。 あなたはこの国の王太子殿下で、貴き身の上の御方なのですから」
「分かっているよ。 俺だって、そんなやたらと無謀な訳じゃない。 ただ今回は少々、いやだいぶ力んで突っ走ってしまったという感じは否めないが」
どうにも、こういう性というのは御し難い。
そう、ジークは笑って言った。
笑って言って「まあ、もっとも」と、さらに続ける。
そして、人の気も知らないでジークは、
「愛する人のためなら、そうなるのも吝かでないがな。 それに、そのおかげで君の気持ちも聞けた訳だしな」
あっさりと、そんな事まで言ってのけた。
「あれは! ……だって、死んでしまうと、思いましたから。 私も、ジーク様も、死んで終わってしまうのだと。 だから、どうせ死ぬのなら、せめてと思って……」
「でも、俺達はこうして生還出来た。 生きてるんだよ、俺も、君も」
それは、そう。
私も、ジークも、生きている。
血は流れさえしたけれど、たくさん怪我して何度も死んだと思ったけれど、それでも今、こうして生きている。
……生きて、いるのだ。
「でも、生きていると今言えるのは、運が良かっただけです。 もしかしたら、死んでしまうかも知れませんでした。 その可能性の方が、きっと高かったでしょう」
本当に、私達が生きているのは奇跡なのだ。
もしも、頭領の男がもっと容赦無く何度も何度も射ってきていたら? 最後に頭領の男の頭を射ち抜いた謎の3射が私達に向いていたら? 騎士達の到着が、もっと遅れていたら?
そんなもしもを今は乗り越えられても、また同じような苦境に陥った時に再び奇跡が起きるなんて都合のいい事があるとも限らないのだ。
死なんて、易々と作り出せるものなのに。
「死んでほしくない……あなたに、死んでほしくないのです。 だから、無茶はしないでください。 愛してるなんて言って、私なんかのために命を賭けないでください。 あなたまでもが死んでしまったら、私は、もう……」
自らの死には、もう慣れた。
悪意さえ超え、殺人でさえも経験した。 慣れはせずとも、そんな一線はとうに超えてしまった。
それでも、人として赦されない私でも、超えたくないものはある。
大事な人……愛する人の死だけは、ジークの死だけは見たくない。 ジークの死を超えてまでも、それでも終わらない生命なんて生きていたくない。
「私の事なんていいのです。 お願いだから、死なないで……! 私なんてどうでもいい。 愛してなんてくれなくていいから、ただ生きてさえいてくれれば、私はそれだけで……」
「済まないが、それは出来ないな」
感情的になっていた私の手を握って、私の言葉を遮って、ジークはそのように否定の言葉を発する。
落ち着けとばかりに真っ直ぐと見つめられて、握られた手からは彼の体温が伝わってきて、私は乱れた呼吸と思考回路が少しずつ正常に整っていくのを感じた。
「自分なんてと君は言うが、俺にとってのエリーナ嬢は愛しい人なんだ。 だから、君の方こそ、もっと自分を大事にしてくれ」
熱暴走が治ったような、そのせいで多少の空虚と呆け具合の抜けない頭のまま言われたのは、まずは一つの肯定であった。
私という存在の、ジークの中での価値の話である。
「だいたい、君は学園で生徒会業務をしていた時からそうだっただろう。 誰より働いて、自身を蔑ろにして体調を崩したりもしていたな。 今だからはっきりと言うが、君こそ、自分を大事にするべきなんだよ」
「……なんの話をなさっているのですか。 私は真剣に」
「俺だって真剣だ。 君が俺に死んでほしくないと思うように、俺だって君に死んでほしくなんてないんだよ。 君が一体何を抱え込んでいるのかは分からないが、自分なんてと思う程に苦しんでいるのなら、俺に相談してほしい。 話せないのだとしても、せめて頼ってほしい。 愛しているから、エリーナ嬢のために力になりたいから。 それが、ずっと俺が望んでいる事だ」
そしてそれは、いつかの解答でもあった。
記憶を失っていた時の私が、なぜ私のためにと彼に問うた時の、彼が言っていた「打算」の中身。
打算だなんて、なんて言葉が悪い。
箱を開ければ、言葉の印象なんかよりもずっと素敵な、純粋な想いではないか。
「……あ、れ?」
言われて、言葉と記憶が結合して、気付けば目頭が熱くなっていた。
いつぞや振りの、感情の雫が溢れていた。
それも、なんとも愚しく、そしてあまりにも学習しない馬鹿女である私の流すこれは、この胸の高鳴りから成る想いはーーー喜び、である。
捨て去った筈の悲願の成就。
身の程知らずな過去の私が欲していた、愛する人のくれる愛。
こんなにも間違っている道まで外れて、その果てにまで辿り着いて、今さら貰うべきではないその心を貰って……。
罪悪感に苛まれた。
既に死した、過去の私が嘲っているのが聞こえてくるようだった。
でも、それでも……。
むかしむかしの私は。
今も心の奥の奥底に沈んだ、残骸と成り果てたあの日の、愛を欲していた私は。
確かに今、救われたのだと、そう思った。
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