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◆ ◆ ◆
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情事の後の匂いが残る部屋を見回すと、すでに人の気配はなかった。
冷えた空気を振り払い、アリシアは全裸でベッドから降りる。
窓から見える空はまだ薄暗く、事後からそう時間が経っていないことが分かった。
続き部屋にある浴室で頭から熱いシャワーを浴びた彼女は、手早く――魔法で長い髪を乾かし――身支度を整えた。
腰まであるプラチナブロンドはきっちりと結い上げる。
黒い詰襟の軍服に、細身のズボン、ロングブーツを身に付けて最後に帯剣すれば、帝国軍大将副官アリシア・ベティーヌの出来上がりだ。
女性にしては長身の彼女に軍服は良く似合っていた。
大将付きの副官には執務室が与えられる。
続き部屋には寝室、浴室まで付いており、戦時ともなれば泊まり込みが出来るように配慮されていた。
アリシアが上司とする時はいつもこの部屋だった。
侯爵家の長女として生まれたアリシアが軍属を選んだのは、帝国の戦神と呼ばれた祖父の影響だ。
元々、武官を輩出する家柄ではあったが、彼女の祖父は桁違いに強かった。
幼いながらその強さを目の当たりにしたアリシアは迷わず軍の学校へと進んだ。
文武ともに優秀な成績を収めて卒業した後は、一兵卒から始めて、今では大将副官まで上り詰めた。
そんな彼女が上司であるシグルドと男女の関係になったのは、アリシアの魔力切れがきっかけだった。
数カ月前の魔物討伐時のことである。
事前調査よりも魔物の数が多かった上、討伐隊のメンバーへの治癒行為で、余力を使い切ってしまったのだ。
軍の本部に戻り、シグルドの執務室へ入った途端、アリシアは魔力切れで身体が動かなくなった。
ポーションでの回復では間に合わないと判断したシグルドが、合意の上で医療行為魔力譲渡として彼女を抱いた。
それからは理由なくずるずると男女の関係を続けている。
アリシアにしてみれば結婚願望もないので構わないと考えている反面、事後の寂しさだけはどうしようもなかった。
心中はどうあれ仕事に支障をきたす訳にはいかない。
アリシアは表情を引き締めてシグルドの執務室へ向かう。
シグルドが彼女を起こさなかったのは、本日のアリシアの仕事が終わりだという事でもあったが、明日は休みだ。
もし引継ぎに漏れでもあってはいけないという彼女の性格故の行動だった。
誰もいない廊下を通り過ぎ、一番奥にあるのが大将であるシグルドの執務室になる。
その扉をノックしようとしたアリシアは直前で手を止めた。
「――異動、させるのか?」
本来、防音処理がされている部屋だが、扉が少し開いているらしい。
中からの声が漏れて聞こえてくる。
アリシアは思わず入ることを躊躇った。
「あの才女を手離すなんて、気でも狂ったか?ああ、それともアリシア嬢に結婚の話でも?」
聞いたことのある声は、シグルドとは畑違いだが、宰相補佐をしているユゼフのものだ。
元軍人のユゼフは軍ではシグルドと同期で友人である。
たまに執務室へ遊びに来ていたのでアリシアも良く知っている人物だった。
「侯爵家から苦言を呈された。軍を退役して欲しいという意向もある」
「そりゃあな。お前が大将なのに前線に立つから、副官のアリシア嬢も付き合わなくちゃいけない。親としちゃあ、可愛い娘に魔物討伐はさせたくないだろうよ」
「あれは強い」
「知ってるよ。彼女、俺より余程強いわ。帝国で女性が活躍する場所は少ない。アリシア嬢には先駆けになって貰いたかったんだが家の意向じゃ仕方ないな」
女が軍人なんて、とアリシアが入隊した頃は世間の目は厳しかった。
それが変わりつつあるのは現宰相や宰相補佐であるユゼフが動いているからだと知っている。
上司ではないが、それなりに気にかけて貰っていた。
「けどあそこは軍閥だ。あれだけ才能があるアリシア嬢へそこまで厳しく言うのには訳があるんだろ?」
「恐らく俺とのことが漏れた。彼女の次兄が軍属だったから、その辺りだろうとは思うが」
シグルドは肝心な部分を濁したが、ユゼフはその意味を正確に読み取った。
「手を出したんだな、お前」
「ああ」
「つまりアリシア嬢の魔力にシグのが混じってると。部下で貴族令嬢であるお嬢さんに何てことをしてんだよ」
ユゼフの溜息が聞こえ、アリシアは身体を震わせた。
魔力切れの補充で医療行為として体液を交わらせることは違法ではない。
だが、貴族令嬢であるアリシアの魔力にシグルドの魔力が混じっているのは外聞が悪い。
魔力量が多い者ならそのことに気付くだろう。
だからアリシアは最近、実家へ顔を出すことを避けていた。
シグルドとの行為が無くなれば、魔力も元に戻る。
それまでは忙しさを理由に帰らないと決めていたのだ。
同じ軍属である次兄は帝都にはいないので気を付けることもなかったが、お節介な誰かが彼の耳へ入れたのかもしれない。
軍も一枚板ではない。
特にシグルドの絶対的なカリスマ性は長所であり短所でもある。
つまり味方も多いが、敵も多い。
彼がそういう所で煩わないようアリシアが部下へと目を光らせていた。
自分が足元を掬われたのは、やはり脇が甘かったからだろう。
そういう危険があることを想定しながら、身体を重ねることを止めなかった自分の浅ましさに、アリシアの顔が強張る。
結婚願望はない。
けれど、愛し愛されたい。
その相手がシグルドならどんなに幸せな事だろうか。
何年も拗らせてきた想いは、身体を重ねたことで歪んでしまった。
幕引きしなければ。
これ以上の付き合いが生むのは、不毛な想いと虚しさだけだ。
アリシアは足音を消してゆっくりと執務室から離れ、扉へ背を向けた。
※
アリシアの決断は早かった。
退役には上司であるシグルドの許可がいる。
だから休職扱いの申請書を――心身の不調という――医師の処方と一緒に軍の総務へ書類を提出した。
そして、その足で帝都を離れた。
元々、副官としての仕事についてはマニュアル化しており、シグルドの執務室へ一式保管して貰っている。
軍人たるもの、自分がいつ居なくなっても良い様な仕組みになっている。
軍から支給されている軍服や剣は副官の部屋に置いており、その鍵と借りている官舎の鍵はシグルドの机の上に置いた。
休職扱いなので、上司判断で処分するか保管するかは分からない。
アリシアは休職期間を終えた時点で退役する予定なので、どちらでも良かった。
ここまですれば恐らく誰も困ることはない。
シグルドの魔力が抜けきるまで実家に帰るつもりもなかった。
帰ればシグルドとのことを問い詰められるだろうが、証拠さえなければしらばっくれることも可能だ。
特に嫡男である一番上の兄はアリシアの事を随分と気にかけてくれている。
彼には、休暇を貰ってしばらく旅行へ行くという手紙だけ送っておいた。
行く場所は誰にも伝えなかった。
のんびりと馬を歩かせながら向かったのは、帝国でも東側にある大きな港のある街だった。
そこから船が出ており、海を挟んだ国へ渡ることが出来る。
他国へ行く時は身分証明の提出が必要になり、誰かに居場所を突き止められる可能性もある。
アリシアは港にある宿屋で今後の行き先をどうするか考えていた。
軍でも高い地位にいた彼女は、しばらくは遊んで暮らせる程の蓄えはある。
とはいえ、今後の身の振り方は決まっていないので、あまり散財もしたくない。
せっかくの旅行で気が滅入りそうになったアリシアは外へ食事に出た。
化粧をしておらず、乗馬服に埃除けのローブを纏えば、アリシアは男性に見える。
歩いていても女性に声を掛けられるぐらいだ。
それを良い事に、ふらりと入った料理屋で酒を飲む。
初めて訪れた土地で食べる郷土料理は興味深く美味しい。
独りなのであまり種類は頼めないが、彼女は毎日きちんと楽しんでいた。
酒豪の家系なので悪酔いすることはない。
ほろ酔い気分で浜辺を歩きながら空を見上げる。
アリシアは深く息を吐いた。
夜中でも明るい帝都では考えられないぐらいの星空が広がっている。
新月で月明かりが邪魔することもない。
とても綺麗で、彼女は足を止めた。
昼間は生まれて初めて海を見て感動した。
知識としてはあるが、自分の目で見て感じる事の大切さに気付く。
「渡ってみようか」
闇に紛れて見えないが、この海を渡った先にあるのは東方諸島と呼ばれる島々が集まって出来た国だ。
島によって微妙に言葉が違うし、島特有の食べ物があると云う。
自分の居場所がバレたとて、それが何だろう。
軍人が心の不調で休職すれば、ほとんど現場に復帰することはない。
それが分かっている忙しいシグルドが自分を探す事はないはずだ。
鼻の奥がつんとして、アリシアは目を閉じた。
シルバーグレイの短髪に夕暮れから夜へ変わる前の深い紺色の瞳。
強面ではあるが整った顔立ちで、軍のトップに相応しい大柄で鍛え上げられた身体の持ち主。
未だ前線で剣を振るう人だった。
その背中に憧れ、目指した。
褒め言葉ひとつ出てこないシグルドに、敬遠する令嬢は多かったようで、見合いの話もなかったようだ。
だからアリシアが大将副官になった時、シグルドの実家からベティーヌ家へ婚約の打診があったようだが、シグルド自身がその話を潰したと彼女は聞いていた。
想いを伝える前に失恋は決まっていたのだ。
シグルドとアリシアは15歳ほどの歳の差もある。
相手にされなくても仕方がなかった。
女性として見られなくてもいい。
隣に立つ大義名分があれば、それでいい。
そういう思いで副官として務めて、20歳を過ぎ、いつの間にか25歳になってしまった。
仕事に関してはそれなりに認めて貰っていたと思う。
数カ月前の魔力切れさえなければ、もっと長く隣に居ることも出来たはずだ。
「会いたいなぁ……もう、会えないのに」
軍の休日は長くて三日ぐらいのものだ。
シグルドと顔を合わせなくなって、すでに十日が経っている。
アリシアは一度実家に戻ったとしても、貴族として生きていくつもりはなかった。
必ずどこかでシグルドと出会ってしまうからだ。
彼がもし結婚でもしてしまったら、誰かと仲睦まじいところを見てしまったらきっと耐えられない。
ふつふつと湧き上がる嫉妬にアリシアは涙を零した。
周りに誰もいないことをいいことに、泣いて泣いて。
泣き過ぎてボロボロになった目元を魔法で冷やしている時だった。
少し感傷的になっていたのかもしれない。
異変に気付いた時には、アリシアは何者かに腕を取られていた。
軍の中でさえ、アリシアより強い者はいない。
だが掴まれた腕を振りほどこうとしてもびくともしなかった。
慌てて魔法を発動させようとした彼女は相手を確認して、息を止めた。
闇夜に浮かび上がるシルバーグレイの髪は、とても見慣れたものだった。
最初に浮かんだのは疑問だ。
目の前に何故彼がいるのか。
そもそも目の前にいるのが本当にシグルドなのか。
たった数秒ではあるが、彼女の迷いに相手は付け込んだ。
「閣下……っ!」
魔法を使われたと気付いた時には遅かった。
薄れゆく意識の中で、アリシアは自分の名前を呟く低音を聞いた気がした。
※
アリシアが重い瞼を開けて最初に見たのは、見知らぬ天井だった。
何とか身体を起こしてみれば、天井というよりも天蓋付きのベッドの上だと分かる。
窓は黒いカーテンに遮られて外の様子は見えず、朝か夜かも知ることが出来ない。
喉が渇いていて部屋を見回せば、サイドテーブルの上に水差しが見えた。
覚醒しきれていない身体で起き上がり、立ち上がろうとしたところで視界が回った。
床に叩きつけられるな、とどこか冷静な自分がいるがどうしようもない。
けれど、いつまで経ってもアリシアが床へ倒れ込むことはなかった。
「起きたか」
長身のアリシアを軽々と担ぎ上げたのはシグルドだった。
いつも通りの軍服だが、珍しく詰襟を寛げている。
「閣下?」
「少し強めに魔法をかけた。まだ起きることは出来ないはずだが」
「魔法耐性は鍛えています。閣下もご存じでしょう」
ベッドに戻され、アリシアが何も言う前に水の入ったコップを差し出される。
彼女は一気に中身を飲み干した。
「毒が入っているとは思わないのか?」
「入っていたとしても即効性でなければ解毒は出来ますし……まぁ、閣下になら殺されてもいいですよ」
まだどこかすっきりしない頭でアリシアは答えた。
「ふふ、もうお会いすることはないのだと思っていましたから。こうやって会えたなら、殺されるのだとしても本望です」
シグルドはベッドの端に腰掛け、眉間に深い皺を寄せた。
いつもは冷静沈着なアリシアが、自分の魔法の所為とはいえ、随分な事を言っている。
「……どうして黙って休職届を出したんだ?」
「閣下とユゼフ様の話を聞いてしまいました。私の実家が閣下へ物申したと。軍属でない者が軍の人事に口を挟むなど以ての外です。私的な事で閣下へご迷惑をお掛け致しました」
「それが理由か?」
「いえ、はっきり申し上げれば、閣下との関係を終わらせたかったからですね」
シグルドの眉が上がる。
「私の魔力切れが原因とはいえ、閣下にとっては不本意な関係を持ってしまいましたから」
「不本意、だと?」
「閣下とは年齢も離れていますし、私は子供ぐらいにしか思われていないかもしれませんけど。せめて身体だけでいいから貴方と繋がっていたかった。閣下が拒否されない限り、私はずっと今の関係を続けたでしょう」
アリシアは自嘲する。
何よりも欲を優先させる。
そんな自分が嫌いだった。
清廉潔白に生きていけたら、もっと胸を張ってシグルドと向き合えたはずなのに、身体だけでも目の前の男が欲しかった。
「閣下、どうか退役させて下さい。貴方の前から消えてしまいたいんです」
シグルドは何も言わず、ベッドへ乗り上げアリシアの身体を優しく腕の中に引き入れた。
彼の内に渦巻くのは、後悔と自分へのどうしようもなさであった。
男女のことは得意ではない。
長い間、自分を支えてくれた副官であり、かけがえのないアリシアへの想いを一度も口にしたことはなかった。
彼女よりも随分歳が離れている。
アリシアに似合う男は幾らでもいて、それは自分ではない。
だから想いを隠した。
彼女から「消えてしまいたい」などという台詞を聞くことになろうとは。
そこまでアリシアを追い詰めた自分に憤りを感じていた。
「望み通り退役を認める。だが、その後でアリシアを追うが許してくれるか?」
「え?」
「俺はかなり年上で、それでもアリシアを欲しいと思った。魔力切れを理由に君の初めてを奪った卑劣な男だ。君の隣に居ていいはずがないと分かっていた。それでも手離せなかった。そう、手離せなかったのは俺の方なんだ」
「閣下」
「こんな男だが、もし許されるなら一緒に生きて欲しい」
シグルドから何かを懇願されたことはなかった。
アリシアは目を瞬かせる。
彼の言葉を反芻して、その意味を理解して。
アリシアはその空色の瞳から涙を溢れさせた。
※
今までとは段違いに優しく唇を合わせる。
触れるだけの口付けにアリシアの心が温かくなっていく。
「好きだ、アリシア」
不器用な男からの本音に、アリシアの涙は止まらなかった。
シグルドはそんな彼女の眦に口付けて涙を掬いとる。
そして再び唇を合わせた。
段々深くなる口付けに、アリシアの息が上がっていく。
優しく、けれど逃げることを許さない触れ合いは、いつしか身体の方にも及んでいた。
気が付いた時には、下着以外は脱がされていて、アリシアはシグルドから顔を逸らせた。
男装をしているので可愛い下着など付けていない。
「晒しか」
「女性独りでの旅行だとバレたくなかったので」
「危機管理としては褒めるべきなんだろうが、せっかくの胸が潰れてしまう」
シグルドが手際よく晒しを外すと、細身の身体にしては豊満な胸が現れた。
彼はそっと胸へと手を這わせていった。
「……あ、ん」
大きな手が胸を弄ぶ。
無骨で硬い掌が厭らしく肌を這っていき、アリシアの喘ぎが増えていく。
「かっか、んんっ」
「俺の屋敷だ。声は抑えなくていい」
「え?閣下の、あっ、あ」
色々と聞きたいこともあったが、アリシアの思考は快楽に染まっていて尋ねることが出来ない。
首筋から鎖骨、鎖骨から胸と、下がりながらシグルドの口付けが降ってくる。
アリシアはシグルドしか知らない。
彼にされることをそのまま受け入れていくだけだ。
太腿を舐め回され、そのまま秘された場所をじっくり舐め上げられる。
「ひっ、あ、あっ、そこ、やぁ」
執拗に与えられる快楽責めに、アリシアは喘ぐことで何とかやり過ごす。
それでも身体に熱が溜まっていく。
「も、入れて、くださ」
息も絶え絶えの願いは、獰猛な視線を投げ掛けられた後に叶えられた。
いつの間にか全裸になっていたシグルドが圧し掛かり、アリシアを一気に貫く。
彼女はその衝撃に身体を仰け反らせた。
「……っ、はっ」
一瞬、息が止まる。
何度もしているのにその質量に慣れない。
「アリシア」
寡黙な目の前の男は、閨でもあまり言葉を発しない。
時折漏れる荒い息と名前だけ。
甘い言葉も煽るような言葉も紡がない。
それでも短い言葉の中で気遣うような声色をしていることは分かる。
アリシアはそんな男の首へ手を回した。
そこからは激しかった。
抱き合いながら胎を抉られ、容赦なく後ろから揺さぶられた。
アリシアは息を付く暇もなくずっと身体を貪られ続けた。
アリシアも軍人なのでそれなりに体力はある。
魔物と対峙することだってあるのだから日頃から鍛えていた。
その彼女がシグルドの底無しの精力に慄いた。
「も、無理です、閣下」
掠れた声で泣きついて、ようやく離して貰えたのは夜明け近くだった。
目が覚めて何となく時計は見ていた。
見間違いでなければ半日近く抱かれていたことになる。
そんなことを考えながらアリシアの意識は途切れた。
※
突然アリシアが消えた。
理由など分からない。
前日まで普通だった彼女に何があったのか、シグルドには想像も出来なかった。
休職届の件を知った時に、彼女が自分の元へ戻ってくるつもりがないと気付いた。
シグルドは目に見えて荒れた。
元々感情が少ないところへ感情を出さないよう生きてきた男が、魔力を暴走させて自分の執務室を半壊するぐらいには。
呆れたユゼフに諭されて我に返ったシグルドは、アリシアの気持ちがどうあれ、無理にでも自分の所へ戻るように根回しを始めた。
アリシアの両親や兄を説得し――すでに手を出したことはバレていたので彼女の父親からは殴られたが――婚姻を認めて貰った。
総務へ提出されたアリシアの休職届は受理する担当を説得して、有給へと差し替えさせた。
唯一、手こずったのはアリシアの居場所だった。
公的な身分証明を使えばすぐに分かるようにユゼフに依頼していたが、アリシアは使用しなかった。
帝国内にいると思いたいがアリシアは転移魔法が使える。
国外への転移魔法の使用には許可がいるので、そちらもユゼフに頼み込んで手を回していた。
彼女が法を犯すとは思えないが、それでも万が一を考えてシグルドは常に不安であった。
彼女は自分の魔力を隠しており、魔力からも居場所を突き止めることが出来なかった。
シグルドから離れて初めて魔力を使ったのが、あの浜辺だった。
探索魔法を途切れさせないようにしていたシグルドは、すぐに彼女の魔力を感知した場所へ転移魔法で飛んだ。
ようやく捕まえたアリシアは泣き腫らした目をしていた。
初めて見る顔に、シグルドは掛ける言葉が見つからなかった。
互いに落ち着いてから話をしようと、殺気立つアリシアを眠らせて屋敷へと戻った。
その話をピロートークで――とはいってもひと眠りした後の昼間であったが――アリシアは聞かされた。
「……ええと、物理防御や魔法防御がされている執務室が半壊?」
「心配せずとも今は元通りだ」
「うちの親に会ったんですか?」
「婚前交渉についてはきちんと謝った」
「私の休職届はなかったことに?」
「アリシアの経歴に傷が付く。溜まっている有給消化に変えただけだ」
シグルドの話は突っ込みどころ満載だが、アリシアにはこれ以上の追求が出来る程の気力と体力が無かった。
力なくベッドに身体を横たえた彼女の髪を梳きながら、シグルドは時々、彼女の額や頬へ唇を落とす。
「閣下は以前、私との婚約を断ったとお聞きしたのですが」
「あの時、君はまだ10代で、恋のひとつも知らない時期だ。俺の家から持ち掛ければベティーヌ家は断れないからな」
「それは、そうですけど。閣下は私のプライベートまでご存じなんですか?」
「調べなくても分かる。君は軍の養成学校を飛び級で卒業し、入隊して数年で中将まで上り詰めた。恋愛なんぞする暇はないだろう」
アリシアは昔の事を思い出す。
軍の学校を卒業する時に、シグルドが来賓で出席していて祝辞を述べた時のことだ。
その時、彼はすでに大将の座に就いていた。
飾り緒や勲章のついた軍服の正装で、踝まであるマントを纏っていた姿は目に焼き付いている。
アリシアにとって一目惚れであり初恋であった。
「軍は戦う為だけの組織ではない。戦争がない今、君たちの大切な人たちが笑顔で暮らす為の国防としての力が求められる。力を外へ出すことなく内に秘めろ。その力を想いに変え、軍人としての役目を果たして欲しい。ただ、魔物討伐などで戦うこともあるだろう。その時は私が先頭に立って指揮を執る。それを覚えておいてくれ」
本来、軍のトップが前線へ立つことなど無い。
だがシグルドはきちんと自分の言葉を守った。
年に数回ある魔物討伐には必ず参加し、先陣を切って自ら剣を振るう。
アリシアはそんな彼の隣に早く立ちたかった。
だから、脇目も降らず昇進の為だけに頑張ったのだ。
中将になって、すぐに大将副官の異動を希望して、幸運な事にそれは叶った。
「卒業式で閣下を見てから、私は貴方の隣に立つのが目標だった。だから副官に任命されて舞い上がって。でも婚約の件を知って落ち込みました。仕事では一緒に過ごすことが出来るけれど、それ以上にはなれないんだって」
「……そうか。随分、遠回りをしてしまったな」
一番近くに居たはずなのに、すれ違った。
「いま幸せですから」
「ああ、俺もだ」
耳元で囁かれる低い声が心地良い。
体温を求めてシグルドの鍛え上げられた身体に擦り寄ったアリシアは、下腹部に当たったそれに気づいて口元を引き攣らせた。
そろそろと離れていくアリシアに気付いたシグルドは、少し強引に腕の中へ囲い込む。
「閣下……お元気、ですね?」
「好いた女が同じベッドにいるんだ。仕方ないだろう?」
「明け方までしましたよね?え?え?閣下、もしかして年齢詐称とかされてます?」
「軍人にそんな事が出来る訳ないが、まぁ、褒め言葉として受け取っておこう」
どこか楽しそうなシグルドの手が不埒な動きになっていく。
「ん、閣下、駄目ですよ。仕事はどうされるんですか?」
「謹慎の身だ」
「は?」
「執務室を半壊させたからな」
「いつまで?」
「アリシアが出勤するまでだ」
「それは誰が決定されたんですか?」
「……」
よく考えれば軍の大将に謹慎を言い渡せるのは国王ぐらいのものだ。
けれど、シグルドが勝手に自分の処遇を決めたなら。
「今日から出勤しましょう。私がいない間、事務処理はどうしていたんですか?まさか」
厭な予感に、アリシアはシグルドを睨む。
「まさか放っておいたりはしていませんよね」
「んんっ」
「嘘でしょ、何日分……閣下、さっさと準備してください。私の執務室はそのままですか?軍服もそのまま?では、あちらで着替えてきますから、一刻も早く執務室に来てくださいね」
アリシアはそこかしこへ落ちていた服を手早く身に付ける。
そしてシグルドの返事を待たず、アリシアは転移魔法で部屋から消えた。
あっという間の出来事に、シグルドは苦笑する。
彼女は自分が休職届を出したことなど忘れているのだろう。
戦場ではシグルドが前に立つが、執務室の実権を握っているのはアリシアだ。
それは軍では暗黙の了解だった。
元に戻って来た日常に安堵しながら、シグルドもまた身支度を始めた。
冷えた空気を振り払い、アリシアは全裸でベッドから降りる。
窓から見える空はまだ薄暗く、事後からそう時間が経っていないことが分かった。
続き部屋にある浴室で頭から熱いシャワーを浴びた彼女は、手早く――魔法で長い髪を乾かし――身支度を整えた。
腰まであるプラチナブロンドはきっちりと結い上げる。
黒い詰襟の軍服に、細身のズボン、ロングブーツを身に付けて最後に帯剣すれば、帝国軍大将副官アリシア・ベティーヌの出来上がりだ。
女性にしては長身の彼女に軍服は良く似合っていた。
大将付きの副官には執務室が与えられる。
続き部屋には寝室、浴室まで付いており、戦時ともなれば泊まり込みが出来るように配慮されていた。
アリシアが上司とする時はいつもこの部屋だった。
侯爵家の長女として生まれたアリシアが軍属を選んだのは、帝国の戦神と呼ばれた祖父の影響だ。
元々、武官を輩出する家柄ではあったが、彼女の祖父は桁違いに強かった。
幼いながらその強さを目の当たりにしたアリシアは迷わず軍の学校へと進んだ。
文武ともに優秀な成績を収めて卒業した後は、一兵卒から始めて、今では大将副官まで上り詰めた。
そんな彼女が上司であるシグルドと男女の関係になったのは、アリシアの魔力切れがきっかけだった。
数カ月前の魔物討伐時のことである。
事前調査よりも魔物の数が多かった上、討伐隊のメンバーへの治癒行為で、余力を使い切ってしまったのだ。
軍の本部に戻り、シグルドの執務室へ入った途端、アリシアは魔力切れで身体が動かなくなった。
ポーションでの回復では間に合わないと判断したシグルドが、合意の上で医療行為魔力譲渡として彼女を抱いた。
それからは理由なくずるずると男女の関係を続けている。
アリシアにしてみれば結婚願望もないので構わないと考えている反面、事後の寂しさだけはどうしようもなかった。
心中はどうあれ仕事に支障をきたす訳にはいかない。
アリシアは表情を引き締めてシグルドの執務室へ向かう。
シグルドが彼女を起こさなかったのは、本日のアリシアの仕事が終わりだという事でもあったが、明日は休みだ。
もし引継ぎに漏れでもあってはいけないという彼女の性格故の行動だった。
誰もいない廊下を通り過ぎ、一番奥にあるのが大将であるシグルドの執務室になる。
その扉をノックしようとしたアリシアは直前で手を止めた。
「――異動、させるのか?」
本来、防音処理がされている部屋だが、扉が少し開いているらしい。
中からの声が漏れて聞こえてくる。
アリシアは思わず入ることを躊躇った。
「あの才女を手離すなんて、気でも狂ったか?ああ、それともアリシア嬢に結婚の話でも?」
聞いたことのある声は、シグルドとは畑違いだが、宰相補佐をしているユゼフのものだ。
元軍人のユゼフは軍ではシグルドと同期で友人である。
たまに執務室へ遊びに来ていたのでアリシアも良く知っている人物だった。
「侯爵家から苦言を呈された。軍を退役して欲しいという意向もある」
「そりゃあな。お前が大将なのに前線に立つから、副官のアリシア嬢も付き合わなくちゃいけない。親としちゃあ、可愛い娘に魔物討伐はさせたくないだろうよ」
「あれは強い」
「知ってるよ。彼女、俺より余程強いわ。帝国で女性が活躍する場所は少ない。アリシア嬢には先駆けになって貰いたかったんだが家の意向じゃ仕方ないな」
女が軍人なんて、とアリシアが入隊した頃は世間の目は厳しかった。
それが変わりつつあるのは現宰相や宰相補佐であるユゼフが動いているからだと知っている。
上司ではないが、それなりに気にかけて貰っていた。
「けどあそこは軍閥だ。あれだけ才能があるアリシア嬢へそこまで厳しく言うのには訳があるんだろ?」
「恐らく俺とのことが漏れた。彼女の次兄が軍属だったから、その辺りだろうとは思うが」
シグルドは肝心な部分を濁したが、ユゼフはその意味を正確に読み取った。
「手を出したんだな、お前」
「ああ」
「つまりアリシア嬢の魔力にシグのが混じってると。部下で貴族令嬢であるお嬢さんに何てことをしてんだよ」
ユゼフの溜息が聞こえ、アリシアは身体を震わせた。
魔力切れの補充で医療行為として体液を交わらせることは違法ではない。
だが、貴族令嬢であるアリシアの魔力にシグルドの魔力が混じっているのは外聞が悪い。
魔力量が多い者ならそのことに気付くだろう。
だからアリシアは最近、実家へ顔を出すことを避けていた。
シグルドとの行為が無くなれば、魔力も元に戻る。
それまでは忙しさを理由に帰らないと決めていたのだ。
同じ軍属である次兄は帝都にはいないので気を付けることもなかったが、お節介な誰かが彼の耳へ入れたのかもしれない。
軍も一枚板ではない。
特にシグルドの絶対的なカリスマ性は長所であり短所でもある。
つまり味方も多いが、敵も多い。
彼がそういう所で煩わないようアリシアが部下へと目を光らせていた。
自分が足元を掬われたのは、やはり脇が甘かったからだろう。
そういう危険があることを想定しながら、身体を重ねることを止めなかった自分の浅ましさに、アリシアの顔が強張る。
結婚願望はない。
けれど、愛し愛されたい。
その相手がシグルドならどんなに幸せな事だろうか。
何年も拗らせてきた想いは、身体を重ねたことで歪んでしまった。
幕引きしなければ。
これ以上の付き合いが生むのは、不毛な想いと虚しさだけだ。
アリシアは足音を消してゆっくりと執務室から離れ、扉へ背を向けた。
※
アリシアの決断は早かった。
退役には上司であるシグルドの許可がいる。
だから休職扱いの申請書を――心身の不調という――医師の処方と一緒に軍の総務へ書類を提出した。
そして、その足で帝都を離れた。
元々、副官としての仕事についてはマニュアル化しており、シグルドの執務室へ一式保管して貰っている。
軍人たるもの、自分がいつ居なくなっても良い様な仕組みになっている。
軍から支給されている軍服や剣は副官の部屋に置いており、その鍵と借りている官舎の鍵はシグルドの机の上に置いた。
休職扱いなので、上司判断で処分するか保管するかは分からない。
アリシアは休職期間を終えた時点で退役する予定なので、どちらでも良かった。
ここまですれば恐らく誰も困ることはない。
シグルドの魔力が抜けきるまで実家に帰るつもりもなかった。
帰ればシグルドとのことを問い詰められるだろうが、証拠さえなければしらばっくれることも可能だ。
特に嫡男である一番上の兄はアリシアの事を随分と気にかけてくれている。
彼には、休暇を貰ってしばらく旅行へ行くという手紙だけ送っておいた。
行く場所は誰にも伝えなかった。
のんびりと馬を歩かせながら向かったのは、帝国でも東側にある大きな港のある街だった。
そこから船が出ており、海を挟んだ国へ渡ることが出来る。
他国へ行く時は身分証明の提出が必要になり、誰かに居場所を突き止められる可能性もある。
アリシアは港にある宿屋で今後の行き先をどうするか考えていた。
軍でも高い地位にいた彼女は、しばらくは遊んで暮らせる程の蓄えはある。
とはいえ、今後の身の振り方は決まっていないので、あまり散財もしたくない。
せっかくの旅行で気が滅入りそうになったアリシアは外へ食事に出た。
化粧をしておらず、乗馬服に埃除けのローブを纏えば、アリシアは男性に見える。
歩いていても女性に声を掛けられるぐらいだ。
それを良い事に、ふらりと入った料理屋で酒を飲む。
初めて訪れた土地で食べる郷土料理は興味深く美味しい。
独りなのであまり種類は頼めないが、彼女は毎日きちんと楽しんでいた。
酒豪の家系なので悪酔いすることはない。
ほろ酔い気分で浜辺を歩きながら空を見上げる。
アリシアは深く息を吐いた。
夜中でも明るい帝都では考えられないぐらいの星空が広がっている。
新月で月明かりが邪魔することもない。
とても綺麗で、彼女は足を止めた。
昼間は生まれて初めて海を見て感動した。
知識としてはあるが、自分の目で見て感じる事の大切さに気付く。
「渡ってみようか」
闇に紛れて見えないが、この海を渡った先にあるのは東方諸島と呼ばれる島々が集まって出来た国だ。
島によって微妙に言葉が違うし、島特有の食べ物があると云う。
自分の居場所がバレたとて、それが何だろう。
軍人が心の不調で休職すれば、ほとんど現場に復帰することはない。
それが分かっている忙しいシグルドが自分を探す事はないはずだ。
鼻の奥がつんとして、アリシアは目を閉じた。
シルバーグレイの短髪に夕暮れから夜へ変わる前の深い紺色の瞳。
強面ではあるが整った顔立ちで、軍のトップに相応しい大柄で鍛え上げられた身体の持ち主。
未だ前線で剣を振るう人だった。
その背中に憧れ、目指した。
褒め言葉ひとつ出てこないシグルドに、敬遠する令嬢は多かったようで、見合いの話もなかったようだ。
だからアリシアが大将副官になった時、シグルドの実家からベティーヌ家へ婚約の打診があったようだが、シグルド自身がその話を潰したと彼女は聞いていた。
想いを伝える前に失恋は決まっていたのだ。
シグルドとアリシアは15歳ほどの歳の差もある。
相手にされなくても仕方がなかった。
女性として見られなくてもいい。
隣に立つ大義名分があれば、それでいい。
そういう思いで副官として務めて、20歳を過ぎ、いつの間にか25歳になってしまった。
仕事に関してはそれなりに認めて貰っていたと思う。
数カ月前の魔力切れさえなければ、もっと長く隣に居ることも出来たはずだ。
「会いたいなぁ……もう、会えないのに」
軍の休日は長くて三日ぐらいのものだ。
シグルドと顔を合わせなくなって、すでに十日が経っている。
アリシアは一度実家に戻ったとしても、貴族として生きていくつもりはなかった。
必ずどこかでシグルドと出会ってしまうからだ。
彼がもし結婚でもしてしまったら、誰かと仲睦まじいところを見てしまったらきっと耐えられない。
ふつふつと湧き上がる嫉妬にアリシアは涙を零した。
周りに誰もいないことをいいことに、泣いて泣いて。
泣き過ぎてボロボロになった目元を魔法で冷やしている時だった。
少し感傷的になっていたのかもしれない。
異変に気付いた時には、アリシアは何者かに腕を取られていた。
軍の中でさえ、アリシアより強い者はいない。
だが掴まれた腕を振りほどこうとしてもびくともしなかった。
慌てて魔法を発動させようとした彼女は相手を確認して、息を止めた。
闇夜に浮かび上がるシルバーグレイの髪は、とても見慣れたものだった。
最初に浮かんだのは疑問だ。
目の前に何故彼がいるのか。
そもそも目の前にいるのが本当にシグルドなのか。
たった数秒ではあるが、彼女の迷いに相手は付け込んだ。
「閣下……っ!」
魔法を使われたと気付いた時には遅かった。
薄れゆく意識の中で、アリシアは自分の名前を呟く低音を聞いた気がした。
※
アリシアが重い瞼を開けて最初に見たのは、見知らぬ天井だった。
何とか身体を起こしてみれば、天井というよりも天蓋付きのベッドの上だと分かる。
窓は黒いカーテンに遮られて外の様子は見えず、朝か夜かも知ることが出来ない。
喉が渇いていて部屋を見回せば、サイドテーブルの上に水差しが見えた。
覚醒しきれていない身体で起き上がり、立ち上がろうとしたところで視界が回った。
床に叩きつけられるな、とどこか冷静な自分がいるがどうしようもない。
けれど、いつまで経ってもアリシアが床へ倒れ込むことはなかった。
「起きたか」
長身のアリシアを軽々と担ぎ上げたのはシグルドだった。
いつも通りの軍服だが、珍しく詰襟を寛げている。
「閣下?」
「少し強めに魔法をかけた。まだ起きることは出来ないはずだが」
「魔法耐性は鍛えています。閣下もご存じでしょう」
ベッドに戻され、アリシアが何も言う前に水の入ったコップを差し出される。
彼女は一気に中身を飲み干した。
「毒が入っているとは思わないのか?」
「入っていたとしても即効性でなければ解毒は出来ますし……まぁ、閣下になら殺されてもいいですよ」
まだどこかすっきりしない頭でアリシアは答えた。
「ふふ、もうお会いすることはないのだと思っていましたから。こうやって会えたなら、殺されるのだとしても本望です」
シグルドはベッドの端に腰掛け、眉間に深い皺を寄せた。
いつもは冷静沈着なアリシアが、自分の魔法の所為とはいえ、随分な事を言っている。
「……どうして黙って休職届を出したんだ?」
「閣下とユゼフ様の話を聞いてしまいました。私の実家が閣下へ物申したと。軍属でない者が軍の人事に口を挟むなど以ての外です。私的な事で閣下へご迷惑をお掛け致しました」
「それが理由か?」
「いえ、はっきり申し上げれば、閣下との関係を終わらせたかったからですね」
シグルドの眉が上がる。
「私の魔力切れが原因とはいえ、閣下にとっては不本意な関係を持ってしまいましたから」
「不本意、だと?」
「閣下とは年齢も離れていますし、私は子供ぐらいにしか思われていないかもしれませんけど。せめて身体だけでいいから貴方と繋がっていたかった。閣下が拒否されない限り、私はずっと今の関係を続けたでしょう」
アリシアは自嘲する。
何よりも欲を優先させる。
そんな自分が嫌いだった。
清廉潔白に生きていけたら、もっと胸を張ってシグルドと向き合えたはずなのに、身体だけでも目の前の男が欲しかった。
「閣下、どうか退役させて下さい。貴方の前から消えてしまいたいんです」
シグルドは何も言わず、ベッドへ乗り上げアリシアの身体を優しく腕の中に引き入れた。
彼の内に渦巻くのは、後悔と自分へのどうしようもなさであった。
男女のことは得意ではない。
長い間、自分を支えてくれた副官であり、かけがえのないアリシアへの想いを一度も口にしたことはなかった。
彼女よりも随分歳が離れている。
アリシアに似合う男は幾らでもいて、それは自分ではない。
だから想いを隠した。
彼女から「消えてしまいたい」などという台詞を聞くことになろうとは。
そこまでアリシアを追い詰めた自分に憤りを感じていた。
「望み通り退役を認める。だが、その後でアリシアを追うが許してくれるか?」
「え?」
「俺はかなり年上で、それでもアリシアを欲しいと思った。魔力切れを理由に君の初めてを奪った卑劣な男だ。君の隣に居ていいはずがないと分かっていた。それでも手離せなかった。そう、手離せなかったのは俺の方なんだ」
「閣下」
「こんな男だが、もし許されるなら一緒に生きて欲しい」
シグルドから何かを懇願されたことはなかった。
アリシアは目を瞬かせる。
彼の言葉を反芻して、その意味を理解して。
アリシアはその空色の瞳から涙を溢れさせた。
※
今までとは段違いに優しく唇を合わせる。
触れるだけの口付けにアリシアの心が温かくなっていく。
「好きだ、アリシア」
不器用な男からの本音に、アリシアの涙は止まらなかった。
シグルドはそんな彼女の眦に口付けて涙を掬いとる。
そして再び唇を合わせた。
段々深くなる口付けに、アリシアの息が上がっていく。
優しく、けれど逃げることを許さない触れ合いは、いつしか身体の方にも及んでいた。
気が付いた時には、下着以外は脱がされていて、アリシアはシグルドから顔を逸らせた。
男装をしているので可愛い下着など付けていない。
「晒しか」
「女性独りでの旅行だとバレたくなかったので」
「危機管理としては褒めるべきなんだろうが、せっかくの胸が潰れてしまう」
シグルドが手際よく晒しを外すと、細身の身体にしては豊満な胸が現れた。
彼はそっと胸へと手を這わせていった。
「……あ、ん」
大きな手が胸を弄ぶ。
無骨で硬い掌が厭らしく肌を這っていき、アリシアの喘ぎが増えていく。
「かっか、んんっ」
「俺の屋敷だ。声は抑えなくていい」
「え?閣下の、あっ、あ」
色々と聞きたいこともあったが、アリシアの思考は快楽に染まっていて尋ねることが出来ない。
首筋から鎖骨、鎖骨から胸と、下がりながらシグルドの口付けが降ってくる。
アリシアはシグルドしか知らない。
彼にされることをそのまま受け入れていくだけだ。
太腿を舐め回され、そのまま秘された場所をじっくり舐め上げられる。
「ひっ、あ、あっ、そこ、やぁ」
執拗に与えられる快楽責めに、アリシアは喘ぐことで何とかやり過ごす。
それでも身体に熱が溜まっていく。
「も、入れて、くださ」
息も絶え絶えの願いは、獰猛な視線を投げ掛けられた後に叶えられた。
いつの間にか全裸になっていたシグルドが圧し掛かり、アリシアを一気に貫く。
彼女はその衝撃に身体を仰け反らせた。
「……っ、はっ」
一瞬、息が止まる。
何度もしているのにその質量に慣れない。
「アリシア」
寡黙な目の前の男は、閨でもあまり言葉を発しない。
時折漏れる荒い息と名前だけ。
甘い言葉も煽るような言葉も紡がない。
それでも短い言葉の中で気遣うような声色をしていることは分かる。
アリシアはそんな男の首へ手を回した。
そこからは激しかった。
抱き合いながら胎を抉られ、容赦なく後ろから揺さぶられた。
アリシアは息を付く暇もなくずっと身体を貪られ続けた。
アリシアも軍人なのでそれなりに体力はある。
魔物と対峙することだってあるのだから日頃から鍛えていた。
その彼女がシグルドの底無しの精力に慄いた。
「も、無理です、閣下」
掠れた声で泣きついて、ようやく離して貰えたのは夜明け近くだった。
目が覚めて何となく時計は見ていた。
見間違いでなければ半日近く抱かれていたことになる。
そんなことを考えながらアリシアの意識は途切れた。
※
突然アリシアが消えた。
理由など分からない。
前日まで普通だった彼女に何があったのか、シグルドには想像も出来なかった。
休職届の件を知った時に、彼女が自分の元へ戻ってくるつもりがないと気付いた。
シグルドは目に見えて荒れた。
元々感情が少ないところへ感情を出さないよう生きてきた男が、魔力を暴走させて自分の執務室を半壊するぐらいには。
呆れたユゼフに諭されて我に返ったシグルドは、アリシアの気持ちがどうあれ、無理にでも自分の所へ戻るように根回しを始めた。
アリシアの両親や兄を説得し――すでに手を出したことはバレていたので彼女の父親からは殴られたが――婚姻を認めて貰った。
総務へ提出されたアリシアの休職届は受理する担当を説得して、有給へと差し替えさせた。
唯一、手こずったのはアリシアの居場所だった。
公的な身分証明を使えばすぐに分かるようにユゼフに依頼していたが、アリシアは使用しなかった。
帝国内にいると思いたいがアリシアは転移魔法が使える。
国外への転移魔法の使用には許可がいるので、そちらもユゼフに頼み込んで手を回していた。
彼女が法を犯すとは思えないが、それでも万が一を考えてシグルドは常に不安であった。
彼女は自分の魔力を隠しており、魔力からも居場所を突き止めることが出来なかった。
シグルドから離れて初めて魔力を使ったのが、あの浜辺だった。
探索魔法を途切れさせないようにしていたシグルドは、すぐに彼女の魔力を感知した場所へ転移魔法で飛んだ。
ようやく捕まえたアリシアは泣き腫らした目をしていた。
初めて見る顔に、シグルドは掛ける言葉が見つからなかった。
互いに落ち着いてから話をしようと、殺気立つアリシアを眠らせて屋敷へと戻った。
その話をピロートークで――とはいってもひと眠りした後の昼間であったが――アリシアは聞かされた。
「……ええと、物理防御や魔法防御がされている執務室が半壊?」
「心配せずとも今は元通りだ」
「うちの親に会ったんですか?」
「婚前交渉についてはきちんと謝った」
「私の休職届はなかったことに?」
「アリシアの経歴に傷が付く。溜まっている有給消化に変えただけだ」
シグルドの話は突っ込みどころ満載だが、アリシアにはこれ以上の追求が出来る程の気力と体力が無かった。
力なくベッドに身体を横たえた彼女の髪を梳きながら、シグルドは時々、彼女の額や頬へ唇を落とす。
「閣下は以前、私との婚約を断ったとお聞きしたのですが」
「あの時、君はまだ10代で、恋のひとつも知らない時期だ。俺の家から持ち掛ければベティーヌ家は断れないからな」
「それは、そうですけど。閣下は私のプライベートまでご存じなんですか?」
「調べなくても分かる。君は軍の養成学校を飛び級で卒業し、入隊して数年で中将まで上り詰めた。恋愛なんぞする暇はないだろう」
アリシアは昔の事を思い出す。
軍の学校を卒業する時に、シグルドが来賓で出席していて祝辞を述べた時のことだ。
その時、彼はすでに大将の座に就いていた。
飾り緒や勲章のついた軍服の正装で、踝まであるマントを纏っていた姿は目に焼き付いている。
アリシアにとって一目惚れであり初恋であった。
「軍は戦う為だけの組織ではない。戦争がない今、君たちの大切な人たちが笑顔で暮らす為の国防としての力が求められる。力を外へ出すことなく内に秘めろ。その力を想いに変え、軍人としての役目を果たして欲しい。ただ、魔物討伐などで戦うこともあるだろう。その時は私が先頭に立って指揮を執る。それを覚えておいてくれ」
本来、軍のトップが前線へ立つことなど無い。
だがシグルドはきちんと自分の言葉を守った。
年に数回ある魔物討伐には必ず参加し、先陣を切って自ら剣を振るう。
アリシアはそんな彼の隣に早く立ちたかった。
だから、脇目も降らず昇進の為だけに頑張ったのだ。
中将になって、すぐに大将副官の異動を希望して、幸運な事にそれは叶った。
「卒業式で閣下を見てから、私は貴方の隣に立つのが目標だった。だから副官に任命されて舞い上がって。でも婚約の件を知って落ち込みました。仕事では一緒に過ごすことが出来るけれど、それ以上にはなれないんだって」
「……そうか。随分、遠回りをしてしまったな」
一番近くに居たはずなのに、すれ違った。
「いま幸せですから」
「ああ、俺もだ」
耳元で囁かれる低い声が心地良い。
体温を求めてシグルドの鍛え上げられた身体に擦り寄ったアリシアは、下腹部に当たったそれに気づいて口元を引き攣らせた。
そろそろと離れていくアリシアに気付いたシグルドは、少し強引に腕の中へ囲い込む。
「閣下……お元気、ですね?」
「好いた女が同じベッドにいるんだ。仕方ないだろう?」
「明け方までしましたよね?え?え?閣下、もしかして年齢詐称とかされてます?」
「軍人にそんな事が出来る訳ないが、まぁ、褒め言葉として受け取っておこう」
どこか楽しそうなシグルドの手が不埒な動きになっていく。
「ん、閣下、駄目ですよ。仕事はどうされるんですか?」
「謹慎の身だ」
「は?」
「執務室を半壊させたからな」
「いつまで?」
「アリシアが出勤するまでだ」
「それは誰が決定されたんですか?」
「……」
よく考えれば軍の大将に謹慎を言い渡せるのは国王ぐらいのものだ。
けれど、シグルドが勝手に自分の処遇を決めたなら。
「今日から出勤しましょう。私がいない間、事務処理はどうしていたんですか?まさか」
厭な予感に、アリシアはシグルドを睨む。
「まさか放っておいたりはしていませんよね」
「んんっ」
「嘘でしょ、何日分……閣下、さっさと準備してください。私の執務室はそのままですか?軍服もそのまま?では、あちらで着替えてきますから、一刻も早く執務室に来てくださいね」
アリシアはそこかしこへ落ちていた服を手早く身に付ける。
そしてシグルドの返事を待たず、アリシアは転移魔法で部屋から消えた。
あっという間の出来事に、シグルドは苦笑する。
彼女は自分が休職届を出したことなど忘れているのだろう。
戦場ではシグルドが前に立つが、執務室の実権を握っているのはアリシアだ。
それは軍では暗黙の了解だった。
元に戻って来た日常に安堵しながら、シグルドもまた身支度を始めた。
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