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1巻
1-2
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ルシ様は、上手く躱すことが出来ないみたい。それとも、可愛い女の子と接するのが嬉しいのかしら……
そんなことを考えながら、私は刺繍を刺していく。この授業では、思い思いのデザインをハンカチに刺繍する。
大体の場合、家族か婚約者に刺繍したハンカチをプレゼントする。もちろん、私もルシ様にハンカチをプレゼントする予定だ。
アンナ嬢は誰にプレゼントするのかしらと思っていると、剣術の授業が終わった令息達が歩いてくるのが見えた。
「ルシ様だわ」と私が声を漏らすと、アンナ嬢も気付き、「あっ、ルシアン様だっ」と駆け出した。
大きな声と駆け出したことに驚き、私は足を止めて、走り去る彼女を見送る。おかしいわよね? と同意を求めるようにラルフを振り返り、首をかしげると、ラルフも苦笑いをして肩を竦めた。
再度、ルシ様を見ると、アンナ嬢が授業で刺繍したハンカチを差し出していた。
もちろん断るだろうと思っていたら、驚いたことにルシ様はそれを受け取ったのだ。
入学して二週間が過ぎたが、時折ルシ様とアンナ嬢の距離が友人として適切ではないと感じることがある。
まさか、ルシ様……?
政略的なものだとしても、婚約者としてお互いに尊重する良い関係を築けていると思っていただけに、ルシ様の態度に何とも言えない気持ちになる。
立ち止まって二人のやり取りを見ていた私に、ルシ様が気付き駆け寄ってくる。
「メル、授業でハンカチに刺繍をしたと聞いたよ」
「えぇ、そうですわね」
返事をしつつ、ルシ様の手元にあるアンナ嬢が刺繍したハンカチに視線を向ける。
「えっと、その、これは友達として受け取ってほしいと言われてね。無下にするわけにもいかなくて……」
「そうですか。まぁ、毎日昼食の時間を一緒に過ごしていますし、友人ではあるでしょうね」
「そうだね。それで……メルはどんなのを刺繍したのかな?」
私からハンカチがもらえると思って、ルシ様はそう聞いてきたのだろう。
私も、日頃のお礼も兼ねてルシ様にあげようと頑張って刺繍をしたけれど……。先程の光景を見て、ルシ様に渡す気が失せてしまった。
「授業中に終えることが出来ず、まだ途中なので、見せられませんわ」
本当はもう仕上がっている。刺繍は好きだし、得意だから……
「……そっか。仕上がったら、是非見せてほしいな」
「分かりましたわ。さぁ、サロンにいる殿下をお待たせしてしまいます。行きましょうか」
サッとエスコートしようとしたルシ様の横を通り過ぎて、私は先を歩く。
「……っ、メル!」
私は振り返り、先程のことは何も気にしていないというようにふわりと柔らかく微笑む。
それでも、今はルシ様のエスコートを受ける気分にはなれなかった。
「ルシ様? どうしましたか?」
「……いや、何でもない。行こう」
そうして昼食を終え、学園から帰る時間になる。
これまでのルシ様とアンナ嬢の様子や今日のやり取りを見て、私は誰かに相談しなければと思っていた。学園から帰って来て、すぐにお兄様の部屋に向かう。
「お兄様、メルティアナです。入ってもよろしいでしょうか?」
「どうぞ」
お兄様は、お父様から仕事の一部を引き継いでおり、学園を卒業した後は家で仕事をしている。今は書類を読んでいるところだったようだ。
「お忙しいところに申し訳ありません」
「いいよ。ちょうど休憩しようと思っていたところだからね。お茶を淹れるから待ちなさい」
そう言うと、お兄様は立ち上がり、茶葉を取り出す。
「いえ、私が淹れますわ」
「いいから、メルは座っていなさい。これも気分転換に一役買っているんだよ」
「そういうことなら、お言葉に甘えますね」
ソファーに腰を掛け、お兄様がお茶を用意してくれるのを静かに待つ。お茶を淹れる姿も優雅で美しい。
「はい、どうぞ。それで? 何かあったのか?」
まだ決定的に何かがあったわけではないし、気にし過ぎと言われれば、そうなのかもしれない。でも、お兄様なら何かアドバイスをくれるのではないかと思う。
「それが……以前、聖女であるアンナ嬢と学園で交流を持っているとお話ししたと思いますが」
「あぁ、聞いたね。今は殿下も交えて四人で昼食を取っていると言っていたかな」
「はい。それで……彼女はルシ様とラルフを気に入ったみたいで」
「……それはなんというか」
私の言葉に、お兄様は眉を寄せて嫌悪感を示す。お兄様もその端整な顔立ちゆえに、女性達から秋波を送られることが多かったので、状況がよく分かるのだろう。ただ近寄りがたい雰囲気があるため、お兄様が彼女達に直接何かをされるようなことはなかったけれど。
「それで、彼女は今日刺繍の授業で作ったハンカチを、友情の証としてルシ様に渡したんです」
「……彼は、そのハンカチを受け取ったのかい?」
「はい。いつも昼食を共にしているので友人と思っていると。それから、無下には出来ないから受け取ったと言っていました」
この時のやり取りを思い出し、何とも言えない気持ちになる。ルシ様は私の婚約者なのに。
あの時、「婚約者であるメルからしかもらうつもりはない」とでも言ってほしかったのかもしれない。
「彼は随分と浅はかなのだね」
「やっぱり、そうでしょうか……?」
「あぁ、婚約者であるメルがいる前で、他の女性からハンカチを受け取るなんて考えられないね」
あぁ、男性であるお兄様でもそう思うのですね。
「私もそう思います。……それで、今後もこういうことがあるのではないかと疑ってしまうのです。もしかしたら、ルシ様とアンナ嬢が想い合うのでは……と」
「んー……。どうしたものかな。もし、今後も怪しい行動をするのであれば、婚約解消も考えていかなければいけないけれど。さすがに不貞を犯す輩に、大事な妹を嫁がせるわけにはいかないからね」
「私も、ルシ様がそんなことをするとは思いたくないのですが……」
十歳から婚約者となり、交流を重ね、お互いに親愛の情くらいはあると思っている。それが、知り合って間もないアンナ嬢に心を奪われるなんて……
「何かあってからでは遅いから、良い物を貸してあげるよ。これなんだけど……」
そう言って、お兄様は引き出しから一つの魔道具を取り出す。
以前、見せてもらったことがある小型のカメラで、てんとう虫の形をしているので、隠し撮りが出来る優れものだ。一般に出回っている物ではないらしい。
「まぁ、何もないに越したことはないけど、万が一、何かあった場合は、しっかり証拠を撮っておいで。向こうの過失による婚約解消にしてあげるよ」
「お兄様、ありがとうございます。もしもの時は、これで証拠を残したいと思います」
「そうしなさい。ああ、この魔道具のことは誰にも言ってはいけないよ? ラルフにもね」
「はい。分かりましたわ」
「幸運を祈っているよ」
お兄様の部屋から自室へと戻り、先程借りた魔道具を机の上に置く。このカメラのすごいところは、手鏡と連動している点だ。てんとう虫型カメラが見ている映像を手鏡に映し出しつつ、手鏡に魔力を流してカメラの角度を調整し、シャッターを切ることが出来る。
これで、誰にも気付かれることなく、ルシ様の不貞の証拠を握ることが出来るのだけれど……
今は、まだハンカチをもらったり、ちょっとボディタッチが多いなと思ったりする程度だから、本当に使うかは分からないけれど。とりあえず、現状は様子を見ることにしましょう。
週末の休みに、街娘に変装して、ミリアとお忍びで街に下りることになった。お忍びなんて今までしたことがなかったから、とても新鮮でドキドキする。
「お嬢様は、街娘の姿をしていても立ち姿だけで気品が溢れて、美しさを隠せませんね」
「姿勢のせいかしら……こればかりは、幼い頃に身に付けたものだからどうにもならないわね。さて、今日はしっかりとお店を見て回るわよ」
「はい、お供させていただきます」
今回の目的は、以前から気になっていた薬を売っているお店に行くこと。
本で薬草を調べていくうちに薬の作り方に興味を持ち、いつか自分でも作れたらと思っているので、実際に売られているところを見たかったのだ。
訪れた店は清潔感があり、種類ごとに綺麗に陳列され、見やすくなっていた。きらきらした魔力を帯びた薬瓶を一つ手に取り、やはり薬を作ってみたいと強く思う。
「わぁ、お嬢様! こんな素敵な薬屋があるなんて知りませんでした! すごいです。置いてある薬が上質ですね、薬の輝きが違います。私が行く薬屋は平民達が気軽に買えるように質を低くしてあるものが多いので、ここまでの輝きがないんですよね。仕方ないんですけど」
「そうなのね。私は薬屋に来たのが初めてだから、他とは比べられないけれど、このお店は綺麗だと思ったわ」
ミリアと店を後にし、街を回っていると、貴族エリアの近くでルシ様とアンナ嬢を見かけた。
すぐさまマジックバッグからてんとう虫型カメラを取り出し、起動する。
マジックバッグは、容量が大小さまざまで、デザインも豊富に取り揃えてあるため、貴族のみならず、平民達にも必需品となっている。
それにしても、休みの日に学園の外で会うほど親密になっていたなんて。今日、二人に出くわしたことは、運が良いと思うべきなのかしら……
ルシ様が他の女生徒と一緒にいるのを見て、ミリアは憤慨していたが、私は不思議なくらい落ち着いていた。証拠を撮るべく近くのカフェに入り、ゆっくりお茶を飲みながら手鏡で二人の様子を確認する。
二人で髪飾りを選んでいるみたいね。
宝石はルシ様の瞳の色……。まるで恋人同士のようだ。仲睦まじく髪飾りを選ぶ二人を淡々と写真に収めていく。
まだ、これだけでは婚約を解消するほどではないため、何も知らないふりをして、さらに様子を見ることにした。
翌日。朝の準備をしていると、ルシ様が迎えに来ていると聞いて驚いた。
……何故わざわざ迎えに?
「やあメル、おはよう。最近、メルと二人で話せる機会が減ってしまったから、一緒の馬車で登校出来たらと思ってね」
「おはようございます。では、ルシ様の馬車に同乗させていただきますわ」
ルシ様に手を引かれて馬車に乗り込み、扉が閉まった途端、抱き締められる。
「ルシ様?」
「メルっ! 最近は昼食もいつも四人で取っているだろう。全然二人になれず寂しかった」
「……たまには、こうして一緒に登校するのも新鮮で良いですね」
私の肩に顔を埋めるルシ様の頭をゆっくり撫でながら、窓の外に視線を向ける。すると、騎乗しているラルフと目が合った。でも、すぐに逸らされてしまったので、彼がどんな思いで見ていたのかは分からない。
やがてルシ様が体を離し、ラッピングされた小さな箱を私の手に載せる。
「これ、メルに似合うと思って。受け取ってくれるかな?」
その場で中を確認すると……昨日、アンナ嬢と選んでいた髪飾りだった。他の女と選んだ髪飾りをプレゼントするなんて、ルシ様がこんなにも無神経な人だとは思わなかった。
「……素敵な髪飾りですね。ありがとうございます」
「髪につけても良いかな?」
「……もちろんです」
複雑な気持ちで髪飾りをルシ様に付けてもらう。
ルシ様は私が昨日二人を見たことを知らないから、何事もなかったようにこんなことが出来るのよね……
学園に着き、馬車から降りると、アンナ嬢も教会の馬車から降りたところだった。すごいタイミングだと思いつつ、アンナ嬢に声を掛ける。
「アンナ嬢、おはようございます」
「あっ、メルティアナ様! ルシアン様! おはようございます!」
相変わらず、元気に駆け寄ってくる。
何度も注意しているし、授業でも習っているのに、身に付いていないみたいね。
アンナ嬢はルシ様の隣に行くと、腕に触れ、上目遣いで見つめる。すると、ルシ様の瞳の色が暗くなったように見えた。
何かしら……? きっと、髪で陰って見えただけよね。
「今日、剣術の授業で試合があるんだよね? 観覧出来る日って聞いたから応援に行くね! 頑張って!」
……婚約者の前で、その態度はどうなのかしら。だけど、ルシ様も彼女の手を払うわけでもなく受け入れていたので、もう何も言わずに二人を置いて歩き出す。
後ろでルシ様が、「あぁ、ありがとう。頑張るよ」と返事をしているのが聞こえた。
ルシ様はアンナ嬢と共に教室へ入ってくると、すぐに私の席まで来て「どうして先に行ってしまったの?」と声を掛けてきた。私からしたら、婚約者を追いかけもせず、他の女と仲良く教室に入ってくるあなたの方が信じられない。
けれどそんなことは言えず、私は眉を下げて目を伏せる。
「ごめんなさい。二人が楽しそうに話していたものだから、邪魔してはいけないと思いまして」
「っ、そんなっ。メルのことを邪魔なんて思ったことないよ! メルが一番大事なんだ!」
一番大事……ね。二番目もいるのかしら。そうだとしたら、アンナ嬢?
何て答えて良いか分からず黙っていると、殿下が声を掛けてくる。
「ルシアン? 声を荒らげているようだけど、どうかしたのかい?」
「いえ、何でも……」
「そうか? ミズーリ伯爵令嬢も大丈夫か? 少し元気がないように見えるが」
「殿下、ご心配ありがとうございます。本当に何でもありません。ただ私が至らないだけです」
殿下に心配かけないようにと思ったのに、不甲斐ない自分に思わず視界が滲む。
「ミズーリ伯爵令嬢……」
そう言い、殿下が私の髪に手を伸ばした。だが、咄嗟にルシ様が殿下の腕を掴み、それを阻む。無意識に手を伸ばした殿下も、殿下の手を掴んでしまったルシ様も驚いて固まっていた。我に返ったルシ様がすぐに手を離し、謝罪する。
「殿下、申し訳ございません。つい……」
「いや、私も悪かった。君の婚約者に無闇に触れようとしたこちらに責がある。……そろそろ授業が始まる。席に戻ろうか」
何とも言えない空気の中、各自席に戻っていく。私があまりに憐れに見えたので、殿下は慰めようとしてくださったのかもしれない。
今日は、午前中にある剣術の授業で試合が行われる。
通常であれば、剣術の授業がある時間は令嬢達は刺繍の授業だが、試合がある日だけは観戦が許されている。
令息達は自分達の活躍を令嬢達に見せようと、いつも以上に力が入る。令嬢達も令息達にアピールするため、いつもより髪型をバッチリ決めていたり、タオルを用意していたりする子もいる。試合後にタオルを差し入れて仲良くなろうという作戦だ。
私は婚約者がいるので、一応ルシ様に渡す用に持ってきてはいるけれど……
何となくハンカチの二の舞になりそうな気がしながら、屋根付きの観覧スペースに腰掛け、試合を見守る。
ルシ様は順調に勝ち進んだ。準決勝で騎士団長の次男と当たり敗れてしまったけれど、健闘していた。
ルシ様を労おうと腰を浮かせたところで、ふと思った。
この後、アンナ嬢がタオルを渡すのではないかと。そうだとしたら、ルシ様はそれをどうするのか。どうしても気になった私は、ルシ様の反応を確かめるためにカメラを起動して、様子を見ることにした。
すると、案の定、タオルを手に持ったアンナ嬢がルシ様に駆け寄っていた。
「ルシアン様、お疲れ様です。これで拭いてね」
アンナ嬢は、そう言うと、タオルをルシ様の額に当てて汗を拭う。あまりにも親密な態度に驚いたけれど、写真を撮ることは忘れない。
「あっ、アンナ嬢!」
パシッと腕を掴むルシ様に、キョトンと首を傾げるアンナ嬢。
「どうかした?」
「……いや、タオルをありがとう。使わせてもらうよ」
結局、ハンカチの時と同じように、ルシ様は受け取ってしまった。
彼に対する信頼は、もうなくなりかけていた。タオルの差し入れは、婚約者からもらう物だって分かっているはずなのに。周りの令嬢達も、アンナ嬢がルシ様にタオルを持って行った時点で、どういうことだと私に目で訴えていたというのに。
「あの男……」
後ろからラルフの声が微かに聞こえる。思わず声が出てしまったという感じだ。
私は膝の上に置いていたタオルを、ルシ様に気付かれる前にマジックバッグにしまった。
このマジックバッグは制服同様に指定されており、革製で腰に着けるタイプになっている。
学園生活に必要なものが入れられるようになっているが、不要なものは持ってこられないように、容量は小さく設定されていた。
観覧席にいる私に気付いたルシ様は、徐々に顔色が悪くなっていく。やっと自分のしたことに気付くとは本当に愚かだと思っていると、ルシ様が駆け寄ってくる。
「ルシ様、お疲れ様です。格好良かったですよ。剣術が得意だなんて知りませんでしたわ」
「あ、ありがとう。その……」
「どうかしましたか?」
キョトンと首を傾げ、私は知らないふりをする。ここで口論するのは体裁が悪いし、言わなくても何が悪かったのかルシ様も分かっているようだから……
「いや、何でもない。楽しんでもらえたなら良かったよ」
「はい、楽しかったですわ」
「えっと、それじゃ、私は向こうに戻るから、昼食で会おう」
「はい、では後程」
にっこりと微笑み手を振って別れると、後ろからラルフが声を掛けてくる。
「お嬢様、よろしいのですか?」
「ん? 何かしら?」
「……ルシアン様の行動は少し問題かと」
「そうね……。確かに婚約者としては、あり得ない行動だと思うわ。アンナ嬢とルシ様は、今日の行動が周りにどう思われているか分かっていないようね。ルシ様は、さすがにアンナ嬢のタオルを受け取ったのはまずいと気付いたみたいだけど、その程度よ」
「お許しになるのですか?」
「許す、ね……。ふふっ、どうかしら?」
「……お嬢様のお気の済むように」
試合が終わり、いつもの王族専用サロンに集まると、自然と先程の試合の話になる。
「殿下、優勝おめでとうございます」
「ありがとう。ミズーリ伯爵令嬢」
そう、今回の試合で優勝したのは、なんと第二王子殿下だったのだ。
剣術に長けた方だとは聞いていたが、ここまでとは驚いた。守られる立場の人間が、一番強いってどういうこと?
「殿下は本当にすごいです! 王子様って守られるだけじゃないんですね!」
アンナ嬢……あなたは本当に変わらないわね。殿下に対して失礼よ……
「自分の身くらい自分で守れなければならないからな。護衛を頼っているようでは、駄目なんだよ」
「それにしても、騎士団長の息子に決勝戦で勝っちゃうんだもん。すご過ぎ!」
「さすがというべきか、彼は強かったよ。私はギリギリ勝てた」
決勝は騎士団長の息子と殿下だったが、とても激しい試合だった。
「とても素晴らしい試合でしたわ。ドキドキしてしまいました」
本当に怪我をしてしまうのではないかというほど白熱していて、私も目が離せなかった。
「楽しんでもらえて良かった」
殿下の言葉に、私は微笑みを返す。私達が話している間、ルシ様は会話に混ざることなく静かだった。不思議に思っていると、アンナ嬢が余計なことを言う。
「あっ、そういえば、皆タオルを差し入れていたけど、メルティアナ様は観客席から出てこなかったね」
その言葉に、ルシ様の肩がビクッと震え、殿下は鋭い視線をルシ様に向ける。
ここで何も分かっていないのは、アンナ嬢だけ。
「えぇ、タオルを持ってくるのを忘れてしまいましたの。なので、大人しく観客席におりましたわ」
私は頬に手を当てて、困ったわという雰囲気を作る。
渡したくなくて渡さなかったのではなく、あくまで忘れてしまったということにしたのだ。
すると、ルシ様はバッと私に抱き着く。
「そうだったんだね! メルが忘れ物なんて珍しいけど、そういうこともあるよね。うん、そうだよね」
「ルシ様……あの……」
さすがに人前で抱き締めるのは駄目だと思うの。
ルシ様もまずいと思ったのか、抱き締めた時と同じ勢いで、バッと離れる。
「っ、すまない」
「そういうのは、二人の時にやると良い」
「はい、申し訳ございません」
「もう気にするな」
ここでようやくアンナ嬢が私の髪飾りに気付く。
「あれ、メルティアナ様! その髪飾り!」
「え? これは、今朝ルシ様からいただきましたの」
あなたとルシ様が選んだ髪飾りよねと思いながらも言葉には出さず、私はにっこりと微笑む。
「よく似合ってる! やっぱりその髪飾りにして良かったね? ルシアン様」
「……は?」
そう声を上げたのは殿下だった。
私があえて知らないふりをしたのに、聞いてもいないことをアンナ嬢が言ってしまうとは……
「昨日、一緒に宝石店で選んだんだけど、もう一つ可愛い髪飾りがあって、どちらにするかルシアン様大分悩んでたの。それで一緒に選んだんだけど、私もこの髪飾りを買ってもらったんだ」
「まぁ、そうだったのですか? では、アンナ嬢にもお礼を言わなければならないですね。素敵な髪飾りを選んでくれて、ありがとう。アンナ嬢の髪飾りもとてもよくお似合いですよ」
「ありがとう! これ、本当に気に入ってるんだ」
チラリとルシ様に視線を向けると、彼は青褪めていた。
そんな顔をするくらいなら、最初から婚約者以外の女性と宝石店に行かなければ良かったのに。ましてや、髪飾りをプレゼントするなんて。
殿下は呆れて物も言えないというように沈黙していて、ルシ様を見る瞳は冷たい。
こんな雰囲気で楽しく食事が出来るわけもなく、早めに教室へ戻ることになった。
そして、家に帰る馬車の中で考える。
人の婚約者と買い物したことをわざわざ私に告げる無神経さには驚くが、あれはただ「一緒に髪飾りを選んだんだよ」と無邪気に報告しているだけなのか。
はたまた、「昨日はルシアン様と宝石店であなたの髪飾りを一緒に選んであげたの。髪飾りまでプレゼントされちゃった」と、マウントを取ってきているのか……
昨日宝石店で撮った写真と、今日の剣術試合で撮った写真をお兄様に見せよう。そして、昼食時にあったことを話せば、お兄様も呆れるだろう。
「……はぁ、あの男は本当に何を考えているんだか」
写真を見たお兄様の一言目がこれだ。
「ルシ様は、私が婚約者であることを忘れてしまったのでしょうか」
「いや……あれだけお前に好意を寄せていたというのに、な。つまり、最近は聖女殿が婚約者のような行動を取っているということか」
「そうですわね。ハンカチを渡したり、タオルを差し入れたり、本来は私がしなければいけないことですわ。しかも、昨日は街でデートして宝石店で髪飾りまで買ってあげていましたしね」
「あぁ、そうだ。聖女殿は、分かってやっていると思うか?」
「……何とも言えませんわね。彼女は元々知らないことが多いので、悪意なくやっている可能性もあります。逆に、知っていてやっているのだとしたら……」
「故意であれば、メルの婚約者を略奪するつもりがあることになるが……。もう少し様子を見るしかないか」
それから、数日様子を見ていたけれど、相変わらずルシ様とアンナ嬢の距離感は適切ではなく……
何度も注意しているのに、異性に気軽に触れるなんて、アンナ嬢は何を考えているのかしら。
そして、それを振り払うことなく受け入れているルシ様……。そんな彼の姿を日々見つめているうちに、もう駄目だと、この関係を終わりにしようと思った。
そんなことを考えながら、私は刺繍を刺していく。この授業では、思い思いのデザインをハンカチに刺繍する。
大体の場合、家族か婚約者に刺繍したハンカチをプレゼントする。もちろん、私もルシ様にハンカチをプレゼントする予定だ。
アンナ嬢は誰にプレゼントするのかしらと思っていると、剣術の授業が終わった令息達が歩いてくるのが見えた。
「ルシ様だわ」と私が声を漏らすと、アンナ嬢も気付き、「あっ、ルシアン様だっ」と駆け出した。
大きな声と駆け出したことに驚き、私は足を止めて、走り去る彼女を見送る。おかしいわよね? と同意を求めるようにラルフを振り返り、首をかしげると、ラルフも苦笑いをして肩を竦めた。
再度、ルシ様を見ると、アンナ嬢が授業で刺繍したハンカチを差し出していた。
もちろん断るだろうと思っていたら、驚いたことにルシ様はそれを受け取ったのだ。
入学して二週間が過ぎたが、時折ルシ様とアンナ嬢の距離が友人として適切ではないと感じることがある。
まさか、ルシ様……?
政略的なものだとしても、婚約者としてお互いに尊重する良い関係を築けていると思っていただけに、ルシ様の態度に何とも言えない気持ちになる。
立ち止まって二人のやり取りを見ていた私に、ルシ様が気付き駆け寄ってくる。
「メル、授業でハンカチに刺繍をしたと聞いたよ」
「えぇ、そうですわね」
返事をしつつ、ルシ様の手元にあるアンナ嬢が刺繍したハンカチに視線を向ける。
「えっと、その、これは友達として受け取ってほしいと言われてね。無下にするわけにもいかなくて……」
「そうですか。まぁ、毎日昼食の時間を一緒に過ごしていますし、友人ではあるでしょうね」
「そうだね。それで……メルはどんなのを刺繍したのかな?」
私からハンカチがもらえると思って、ルシ様はそう聞いてきたのだろう。
私も、日頃のお礼も兼ねてルシ様にあげようと頑張って刺繍をしたけれど……。先程の光景を見て、ルシ様に渡す気が失せてしまった。
「授業中に終えることが出来ず、まだ途中なので、見せられませんわ」
本当はもう仕上がっている。刺繍は好きだし、得意だから……
「……そっか。仕上がったら、是非見せてほしいな」
「分かりましたわ。さぁ、サロンにいる殿下をお待たせしてしまいます。行きましょうか」
サッとエスコートしようとしたルシ様の横を通り過ぎて、私は先を歩く。
「……っ、メル!」
私は振り返り、先程のことは何も気にしていないというようにふわりと柔らかく微笑む。
それでも、今はルシ様のエスコートを受ける気分にはなれなかった。
「ルシ様? どうしましたか?」
「……いや、何でもない。行こう」
そうして昼食を終え、学園から帰る時間になる。
これまでのルシ様とアンナ嬢の様子や今日のやり取りを見て、私は誰かに相談しなければと思っていた。学園から帰って来て、すぐにお兄様の部屋に向かう。
「お兄様、メルティアナです。入ってもよろしいでしょうか?」
「どうぞ」
お兄様は、お父様から仕事の一部を引き継いでおり、学園を卒業した後は家で仕事をしている。今は書類を読んでいるところだったようだ。
「お忙しいところに申し訳ありません」
「いいよ。ちょうど休憩しようと思っていたところだからね。お茶を淹れるから待ちなさい」
そう言うと、お兄様は立ち上がり、茶葉を取り出す。
「いえ、私が淹れますわ」
「いいから、メルは座っていなさい。これも気分転換に一役買っているんだよ」
「そういうことなら、お言葉に甘えますね」
ソファーに腰を掛け、お兄様がお茶を用意してくれるのを静かに待つ。お茶を淹れる姿も優雅で美しい。
「はい、どうぞ。それで? 何かあったのか?」
まだ決定的に何かがあったわけではないし、気にし過ぎと言われれば、そうなのかもしれない。でも、お兄様なら何かアドバイスをくれるのではないかと思う。
「それが……以前、聖女であるアンナ嬢と学園で交流を持っているとお話ししたと思いますが」
「あぁ、聞いたね。今は殿下も交えて四人で昼食を取っていると言っていたかな」
「はい。それで……彼女はルシ様とラルフを気に入ったみたいで」
「……それはなんというか」
私の言葉に、お兄様は眉を寄せて嫌悪感を示す。お兄様もその端整な顔立ちゆえに、女性達から秋波を送られることが多かったので、状況がよく分かるのだろう。ただ近寄りがたい雰囲気があるため、お兄様が彼女達に直接何かをされるようなことはなかったけれど。
「それで、彼女は今日刺繍の授業で作ったハンカチを、友情の証としてルシ様に渡したんです」
「……彼は、そのハンカチを受け取ったのかい?」
「はい。いつも昼食を共にしているので友人と思っていると。それから、無下には出来ないから受け取ったと言っていました」
この時のやり取りを思い出し、何とも言えない気持ちになる。ルシ様は私の婚約者なのに。
あの時、「婚約者であるメルからしかもらうつもりはない」とでも言ってほしかったのかもしれない。
「彼は随分と浅はかなのだね」
「やっぱり、そうでしょうか……?」
「あぁ、婚約者であるメルがいる前で、他の女性からハンカチを受け取るなんて考えられないね」
あぁ、男性であるお兄様でもそう思うのですね。
「私もそう思います。……それで、今後もこういうことがあるのではないかと疑ってしまうのです。もしかしたら、ルシ様とアンナ嬢が想い合うのでは……と」
「んー……。どうしたものかな。もし、今後も怪しい行動をするのであれば、婚約解消も考えていかなければいけないけれど。さすがに不貞を犯す輩に、大事な妹を嫁がせるわけにはいかないからね」
「私も、ルシ様がそんなことをするとは思いたくないのですが……」
十歳から婚約者となり、交流を重ね、お互いに親愛の情くらいはあると思っている。それが、知り合って間もないアンナ嬢に心を奪われるなんて……
「何かあってからでは遅いから、良い物を貸してあげるよ。これなんだけど……」
そう言って、お兄様は引き出しから一つの魔道具を取り出す。
以前、見せてもらったことがある小型のカメラで、てんとう虫の形をしているので、隠し撮りが出来る優れものだ。一般に出回っている物ではないらしい。
「まぁ、何もないに越したことはないけど、万が一、何かあった場合は、しっかり証拠を撮っておいで。向こうの過失による婚約解消にしてあげるよ」
「お兄様、ありがとうございます。もしもの時は、これで証拠を残したいと思います」
「そうしなさい。ああ、この魔道具のことは誰にも言ってはいけないよ? ラルフにもね」
「はい。分かりましたわ」
「幸運を祈っているよ」
お兄様の部屋から自室へと戻り、先程借りた魔道具を机の上に置く。このカメラのすごいところは、手鏡と連動している点だ。てんとう虫型カメラが見ている映像を手鏡に映し出しつつ、手鏡に魔力を流してカメラの角度を調整し、シャッターを切ることが出来る。
これで、誰にも気付かれることなく、ルシ様の不貞の証拠を握ることが出来るのだけれど……
今は、まだハンカチをもらったり、ちょっとボディタッチが多いなと思ったりする程度だから、本当に使うかは分からないけれど。とりあえず、現状は様子を見ることにしましょう。
週末の休みに、街娘に変装して、ミリアとお忍びで街に下りることになった。お忍びなんて今までしたことがなかったから、とても新鮮でドキドキする。
「お嬢様は、街娘の姿をしていても立ち姿だけで気品が溢れて、美しさを隠せませんね」
「姿勢のせいかしら……こればかりは、幼い頃に身に付けたものだからどうにもならないわね。さて、今日はしっかりとお店を見て回るわよ」
「はい、お供させていただきます」
今回の目的は、以前から気になっていた薬を売っているお店に行くこと。
本で薬草を調べていくうちに薬の作り方に興味を持ち、いつか自分でも作れたらと思っているので、実際に売られているところを見たかったのだ。
訪れた店は清潔感があり、種類ごとに綺麗に陳列され、見やすくなっていた。きらきらした魔力を帯びた薬瓶を一つ手に取り、やはり薬を作ってみたいと強く思う。
「わぁ、お嬢様! こんな素敵な薬屋があるなんて知りませんでした! すごいです。置いてある薬が上質ですね、薬の輝きが違います。私が行く薬屋は平民達が気軽に買えるように質を低くしてあるものが多いので、ここまでの輝きがないんですよね。仕方ないんですけど」
「そうなのね。私は薬屋に来たのが初めてだから、他とは比べられないけれど、このお店は綺麗だと思ったわ」
ミリアと店を後にし、街を回っていると、貴族エリアの近くでルシ様とアンナ嬢を見かけた。
すぐさまマジックバッグからてんとう虫型カメラを取り出し、起動する。
マジックバッグは、容量が大小さまざまで、デザインも豊富に取り揃えてあるため、貴族のみならず、平民達にも必需品となっている。
それにしても、休みの日に学園の外で会うほど親密になっていたなんて。今日、二人に出くわしたことは、運が良いと思うべきなのかしら……
ルシ様が他の女生徒と一緒にいるのを見て、ミリアは憤慨していたが、私は不思議なくらい落ち着いていた。証拠を撮るべく近くのカフェに入り、ゆっくりお茶を飲みながら手鏡で二人の様子を確認する。
二人で髪飾りを選んでいるみたいね。
宝石はルシ様の瞳の色……。まるで恋人同士のようだ。仲睦まじく髪飾りを選ぶ二人を淡々と写真に収めていく。
まだ、これだけでは婚約を解消するほどではないため、何も知らないふりをして、さらに様子を見ることにした。
翌日。朝の準備をしていると、ルシ様が迎えに来ていると聞いて驚いた。
……何故わざわざ迎えに?
「やあメル、おはよう。最近、メルと二人で話せる機会が減ってしまったから、一緒の馬車で登校出来たらと思ってね」
「おはようございます。では、ルシ様の馬車に同乗させていただきますわ」
ルシ様に手を引かれて馬車に乗り込み、扉が閉まった途端、抱き締められる。
「ルシ様?」
「メルっ! 最近は昼食もいつも四人で取っているだろう。全然二人になれず寂しかった」
「……たまには、こうして一緒に登校するのも新鮮で良いですね」
私の肩に顔を埋めるルシ様の頭をゆっくり撫でながら、窓の外に視線を向ける。すると、騎乗しているラルフと目が合った。でも、すぐに逸らされてしまったので、彼がどんな思いで見ていたのかは分からない。
やがてルシ様が体を離し、ラッピングされた小さな箱を私の手に載せる。
「これ、メルに似合うと思って。受け取ってくれるかな?」
その場で中を確認すると……昨日、アンナ嬢と選んでいた髪飾りだった。他の女と選んだ髪飾りをプレゼントするなんて、ルシ様がこんなにも無神経な人だとは思わなかった。
「……素敵な髪飾りですね。ありがとうございます」
「髪につけても良いかな?」
「……もちろんです」
複雑な気持ちで髪飾りをルシ様に付けてもらう。
ルシ様は私が昨日二人を見たことを知らないから、何事もなかったようにこんなことが出来るのよね……
学園に着き、馬車から降りると、アンナ嬢も教会の馬車から降りたところだった。すごいタイミングだと思いつつ、アンナ嬢に声を掛ける。
「アンナ嬢、おはようございます」
「あっ、メルティアナ様! ルシアン様! おはようございます!」
相変わらず、元気に駆け寄ってくる。
何度も注意しているし、授業でも習っているのに、身に付いていないみたいね。
アンナ嬢はルシ様の隣に行くと、腕に触れ、上目遣いで見つめる。すると、ルシ様の瞳の色が暗くなったように見えた。
何かしら……? きっと、髪で陰って見えただけよね。
「今日、剣術の授業で試合があるんだよね? 観覧出来る日って聞いたから応援に行くね! 頑張って!」
……婚約者の前で、その態度はどうなのかしら。だけど、ルシ様も彼女の手を払うわけでもなく受け入れていたので、もう何も言わずに二人を置いて歩き出す。
後ろでルシ様が、「あぁ、ありがとう。頑張るよ」と返事をしているのが聞こえた。
ルシ様はアンナ嬢と共に教室へ入ってくると、すぐに私の席まで来て「どうして先に行ってしまったの?」と声を掛けてきた。私からしたら、婚約者を追いかけもせず、他の女と仲良く教室に入ってくるあなたの方が信じられない。
けれどそんなことは言えず、私は眉を下げて目を伏せる。
「ごめんなさい。二人が楽しそうに話していたものだから、邪魔してはいけないと思いまして」
「っ、そんなっ。メルのことを邪魔なんて思ったことないよ! メルが一番大事なんだ!」
一番大事……ね。二番目もいるのかしら。そうだとしたら、アンナ嬢?
何て答えて良いか分からず黙っていると、殿下が声を掛けてくる。
「ルシアン? 声を荒らげているようだけど、どうかしたのかい?」
「いえ、何でも……」
「そうか? ミズーリ伯爵令嬢も大丈夫か? 少し元気がないように見えるが」
「殿下、ご心配ありがとうございます。本当に何でもありません。ただ私が至らないだけです」
殿下に心配かけないようにと思ったのに、不甲斐ない自分に思わず視界が滲む。
「ミズーリ伯爵令嬢……」
そう言い、殿下が私の髪に手を伸ばした。だが、咄嗟にルシ様が殿下の腕を掴み、それを阻む。無意識に手を伸ばした殿下も、殿下の手を掴んでしまったルシ様も驚いて固まっていた。我に返ったルシ様がすぐに手を離し、謝罪する。
「殿下、申し訳ございません。つい……」
「いや、私も悪かった。君の婚約者に無闇に触れようとしたこちらに責がある。……そろそろ授業が始まる。席に戻ろうか」
何とも言えない空気の中、各自席に戻っていく。私があまりに憐れに見えたので、殿下は慰めようとしてくださったのかもしれない。
今日は、午前中にある剣術の授業で試合が行われる。
通常であれば、剣術の授業がある時間は令嬢達は刺繍の授業だが、試合がある日だけは観戦が許されている。
令息達は自分達の活躍を令嬢達に見せようと、いつも以上に力が入る。令嬢達も令息達にアピールするため、いつもより髪型をバッチリ決めていたり、タオルを用意していたりする子もいる。試合後にタオルを差し入れて仲良くなろうという作戦だ。
私は婚約者がいるので、一応ルシ様に渡す用に持ってきてはいるけれど……
何となくハンカチの二の舞になりそうな気がしながら、屋根付きの観覧スペースに腰掛け、試合を見守る。
ルシ様は順調に勝ち進んだ。準決勝で騎士団長の次男と当たり敗れてしまったけれど、健闘していた。
ルシ様を労おうと腰を浮かせたところで、ふと思った。
この後、アンナ嬢がタオルを渡すのではないかと。そうだとしたら、ルシ様はそれをどうするのか。どうしても気になった私は、ルシ様の反応を確かめるためにカメラを起動して、様子を見ることにした。
すると、案の定、タオルを手に持ったアンナ嬢がルシ様に駆け寄っていた。
「ルシアン様、お疲れ様です。これで拭いてね」
アンナ嬢は、そう言うと、タオルをルシ様の額に当てて汗を拭う。あまりにも親密な態度に驚いたけれど、写真を撮ることは忘れない。
「あっ、アンナ嬢!」
パシッと腕を掴むルシ様に、キョトンと首を傾げるアンナ嬢。
「どうかした?」
「……いや、タオルをありがとう。使わせてもらうよ」
結局、ハンカチの時と同じように、ルシ様は受け取ってしまった。
彼に対する信頼は、もうなくなりかけていた。タオルの差し入れは、婚約者からもらう物だって分かっているはずなのに。周りの令嬢達も、アンナ嬢がルシ様にタオルを持って行った時点で、どういうことだと私に目で訴えていたというのに。
「あの男……」
後ろからラルフの声が微かに聞こえる。思わず声が出てしまったという感じだ。
私は膝の上に置いていたタオルを、ルシ様に気付かれる前にマジックバッグにしまった。
このマジックバッグは制服同様に指定されており、革製で腰に着けるタイプになっている。
学園生活に必要なものが入れられるようになっているが、不要なものは持ってこられないように、容量は小さく設定されていた。
観覧席にいる私に気付いたルシ様は、徐々に顔色が悪くなっていく。やっと自分のしたことに気付くとは本当に愚かだと思っていると、ルシ様が駆け寄ってくる。
「ルシ様、お疲れ様です。格好良かったですよ。剣術が得意だなんて知りませんでしたわ」
「あ、ありがとう。その……」
「どうかしましたか?」
キョトンと首を傾げ、私は知らないふりをする。ここで口論するのは体裁が悪いし、言わなくても何が悪かったのかルシ様も分かっているようだから……
「いや、何でもない。楽しんでもらえたなら良かったよ」
「はい、楽しかったですわ」
「えっと、それじゃ、私は向こうに戻るから、昼食で会おう」
「はい、では後程」
にっこりと微笑み手を振って別れると、後ろからラルフが声を掛けてくる。
「お嬢様、よろしいのですか?」
「ん? 何かしら?」
「……ルシアン様の行動は少し問題かと」
「そうね……。確かに婚約者としては、あり得ない行動だと思うわ。アンナ嬢とルシ様は、今日の行動が周りにどう思われているか分かっていないようね。ルシ様は、さすがにアンナ嬢のタオルを受け取ったのはまずいと気付いたみたいだけど、その程度よ」
「お許しになるのですか?」
「許す、ね……。ふふっ、どうかしら?」
「……お嬢様のお気の済むように」
試合が終わり、いつもの王族専用サロンに集まると、自然と先程の試合の話になる。
「殿下、優勝おめでとうございます」
「ありがとう。ミズーリ伯爵令嬢」
そう、今回の試合で優勝したのは、なんと第二王子殿下だったのだ。
剣術に長けた方だとは聞いていたが、ここまでとは驚いた。守られる立場の人間が、一番強いってどういうこと?
「殿下は本当にすごいです! 王子様って守られるだけじゃないんですね!」
アンナ嬢……あなたは本当に変わらないわね。殿下に対して失礼よ……
「自分の身くらい自分で守れなければならないからな。護衛を頼っているようでは、駄目なんだよ」
「それにしても、騎士団長の息子に決勝戦で勝っちゃうんだもん。すご過ぎ!」
「さすがというべきか、彼は強かったよ。私はギリギリ勝てた」
決勝は騎士団長の息子と殿下だったが、とても激しい試合だった。
「とても素晴らしい試合でしたわ。ドキドキしてしまいました」
本当に怪我をしてしまうのではないかというほど白熱していて、私も目が離せなかった。
「楽しんでもらえて良かった」
殿下の言葉に、私は微笑みを返す。私達が話している間、ルシ様は会話に混ざることなく静かだった。不思議に思っていると、アンナ嬢が余計なことを言う。
「あっ、そういえば、皆タオルを差し入れていたけど、メルティアナ様は観客席から出てこなかったね」
その言葉に、ルシ様の肩がビクッと震え、殿下は鋭い視線をルシ様に向ける。
ここで何も分かっていないのは、アンナ嬢だけ。
「えぇ、タオルを持ってくるのを忘れてしまいましたの。なので、大人しく観客席におりましたわ」
私は頬に手を当てて、困ったわという雰囲気を作る。
渡したくなくて渡さなかったのではなく、あくまで忘れてしまったということにしたのだ。
すると、ルシ様はバッと私に抱き着く。
「そうだったんだね! メルが忘れ物なんて珍しいけど、そういうこともあるよね。うん、そうだよね」
「ルシ様……あの……」
さすがに人前で抱き締めるのは駄目だと思うの。
ルシ様もまずいと思ったのか、抱き締めた時と同じ勢いで、バッと離れる。
「っ、すまない」
「そういうのは、二人の時にやると良い」
「はい、申し訳ございません」
「もう気にするな」
ここでようやくアンナ嬢が私の髪飾りに気付く。
「あれ、メルティアナ様! その髪飾り!」
「え? これは、今朝ルシ様からいただきましたの」
あなたとルシ様が選んだ髪飾りよねと思いながらも言葉には出さず、私はにっこりと微笑む。
「よく似合ってる! やっぱりその髪飾りにして良かったね? ルシアン様」
「……は?」
そう声を上げたのは殿下だった。
私があえて知らないふりをしたのに、聞いてもいないことをアンナ嬢が言ってしまうとは……
「昨日、一緒に宝石店で選んだんだけど、もう一つ可愛い髪飾りがあって、どちらにするかルシアン様大分悩んでたの。それで一緒に選んだんだけど、私もこの髪飾りを買ってもらったんだ」
「まぁ、そうだったのですか? では、アンナ嬢にもお礼を言わなければならないですね。素敵な髪飾りを選んでくれて、ありがとう。アンナ嬢の髪飾りもとてもよくお似合いですよ」
「ありがとう! これ、本当に気に入ってるんだ」
チラリとルシ様に視線を向けると、彼は青褪めていた。
そんな顔をするくらいなら、最初から婚約者以外の女性と宝石店に行かなければ良かったのに。ましてや、髪飾りをプレゼントするなんて。
殿下は呆れて物も言えないというように沈黙していて、ルシ様を見る瞳は冷たい。
こんな雰囲気で楽しく食事が出来るわけもなく、早めに教室へ戻ることになった。
そして、家に帰る馬車の中で考える。
人の婚約者と買い物したことをわざわざ私に告げる無神経さには驚くが、あれはただ「一緒に髪飾りを選んだんだよ」と無邪気に報告しているだけなのか。
はたまた、「昨日はルシアン様と宝石店であなたの髪飾りを一緒に選んであげたの。髪飾りまでプレゼントされちゃった」と、マウントを取ってきているのか……
昨日宝石店で撮った写真と、今日の剣術試合で撮った写真をお兄様に見せよう。そして、昼食時にあったことを話せば、お兄様も呆れるだろう。
「……はぁ、あの男は本当に何を考えているんだか」
写真を見たお兄様の一言目がこれだ。
「ルシ様は、私が婚約者であることを忘れてしまったのでしょうか」
「いや……あれだけお前に好意を寄せていたというのに、な。つまり、最近は聖女殿が婚約者のような行動を取っているということか」
「そうですわね。ハンカチを渡したり、タオルを差し入れたり、本来は私がしなければいけないことですわ。しかも、昨日は街でデートして宝石店で髪飾りまで買ってあげていましたしね」
「あぁ、そうだ。聖女殿は、分かってやっていると思うか?」
「……何とも言えませんわね。彼女は元々知らないことが多いので、悪意なくやっている可能性もあります。逆に、知っていてやっているのだとしたら……」
「故意であれば、メルの婚約者を略奪するつもりがあることになるが……。もう少し様子を見るしかないか」
それから、数日様子を見ていたけれど、相変わらずルシ様とアンナ嬢の距離感は適切ではなく……
何度も注意しているのに、異性に気軽に触れるなんて、アンナ嬢は何を考えているのかしら。
そして、それを振り払うことなく受け入れているルシ様……。そんな彼の姿を日々見つめているうちに、もう駄目だと、この関係を終わりにしようと思った。
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