次元トランジット 〜時空を超えた先にあるもの〜

柿村 呼波

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第1章 繰り返す女

過去への扉_1

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 鮫島李花を過去へ送り出した後、九条は控室へと戻っていた。

「さっきの客は何をするために過去へ行ったと思う?」

今週の演奏予定を確認していた蒼井静佳へと声をかけた。
彼は九条がオーナーをしているレストランブルーローズでピアニストとして演奏をしている。長身でスーツが似合うタイプで少し人を寄せ付けない雰囲気がある男性だ。丁度スケジュールを確認するために九条に会いに来たところだった。

「誰かに会いに行ったみたいでしたけど、他に何かあるんですか?」

蒼井静佳には少し人とは違った能力がある。

「それとあのお客さん、大人しいフリしていましたけど九条さんのこと馬鹿だとか罵ってましたよね」

彼には人の心の声が聞こえるという少し変わった能力がある。それ故に大勢の何気ない心の声が聞こえる人混みはあまり得意ではない。幼い頃は、子供特有の嘘がないから故の残酷な心の声に恐れを感じていた。もちろん周りにいた子供には内緒にしていた。それは変なやつだと言われるのが怖いから。そしていつも周りに人がいる時は変に気を張っていた子供だった。

その反動のせいか人と一緒にいるよりも、ピアノを弾いている時の方が気楽だったし1つのことに集中できた。ピアニストになったのもピアノが得意だったこともあるが、上手に弾ければレッスン中の先生もうるさくない。それに他人の心の声に振り回されることなく自分らしくいられたからだった。

「罵るって? あぁ、そんなこと思っていたみたいだね」

そういう九条も心の声が聞こえる。この二人が特殊なだけで決して誰もが心の声を聞ける訳ではない。

「まぁこれで、うちのソムリエも安心して仕事ができるかな」

「どうして本城さんが関係あるんですか?」

「半年くらい前に君も彼の弟の結婚披露パーティー手伝ってくれたでしょ」

蒼井は少し薄らいだ記憶を手繰り寄せた。

「高原の別荘借り切ってピアノの生演奏頼まれたあれですか? 確か二人とも何ヵ国語も話せる人たちでしたよね。とっても素敵で絵になる様なお二人でしたね」

「そう、お似合いの二人だったでしょ?」

九条と蒼井は本城幹彦と美里夫妻のことを脳裏に浮かべ、落ち着いて良いパーティーだったことを思い出していた。
二次会のような結婚披露パーティーとは別に、親族との食事会は当初ささやかにする予定だった。それが何故か超一流ホテルの小さくないバンケットルームを貸切る豪華なメニューの食事会へと変わっていた。

中でも透き通るようなイエローゴールドでキラキラ輝くコンソメスープや、ボリューム満点なのにサーブされると美しくさが際立つ牛フィレ肉とフォアグラのパイの包み焼きが絶品だったと親族は大喜びだった。

なんでも久し振りに日本に帰国した両親が張り切ってしまったと二人は話していた。

「古くからの友人がホテルの支配人だから顔を見せたい」

いち庶民とは思えないセリフを言ったとか言わないとか。

その後高原の別荘を借り切って行われた結婚披露パーティーは友人や親しい人たちだけを集めたので変に気を使うことなく、空気の良いところで伸び伸びと過ごせたようだった。
リクエストされた曲はクラシックの名曲からロックのアレンジまでとにかく幅が広かった。和やかな会場内はどの曲が流れても特に雰囲気が変わるようなことはなかった。

「でもどうして本城さん普通に仕事してたんですか、ブルーローズの従業員として。新郎の兄はもっと他にやることがあるような気がするんですが」

「実は以前二人がブルーローズに来たときに、『ソムリエ姿のお兄さん素敵!』って新婦さんに言われたのが嬉しかったらしくて、密かにカッコいいとこ見せたかったみたいなんだ。だから良かったんじゃないかな」

「でもなんでそれがさっき過去へ行った女の人に繋がるんですか?」

これまでとは一転、急に九条が真面目な顔をした。
「鮫島李花は本城の弟である本城幹彦のことが好きなんだ、現在進行形で。だから何かやらかしに過去へ行ったんじゃないのかな」

「えっ…… 大丈夫なんですか、そんな人過去に行かせて」

それを聞いた九条はただ意味ありげに口元を緩めた。

『うーん……  きっと大丈夫じゃないと思うよ』と九条は心の中でだけつぶやいた。
しかし蒼井静佳は九条の心の声を聞き取ることはできない。

蒼井は意味ありげな九条の発言の意図を知りたいのに、なぜか彼の心の声だけは聞こえない。レストラン・ブルーローズのオーナーでディメンションの店主でもある九条薫は蒼井にとって摩訶不思議な存在だった。

一瞬、口角を上げた九条が蒼井に尋ねた。

「さっきの客が過去で何をするのか知りたくない?」

「そんなことできるんですか? 探偵でも雇うわけじゃないですよね?」
『過去に行ったのにどうやって探るのだろう?』

「探偵は雇わないけど、蒼井くんも過去に行ってさっきの客の近くで何をするか見てみない? もちろん身の安全はある程度は保証するよ」

蒼井は『身の安全はある程度は保証する』という言葉に引っ掛かりを覚えたが、面白そうなので話に乗ることにした。

「安全なら見たいですけど、覗き見するようでちょっと嫌な感じがあります」
『ある程度の安全ってどれくらいのこと言っているんだろう、大丈夫なのかな』

「覗き見じゃなくて、次元の監視だよ」

「次元の監視なんて……。僕にそんな大それた事できるんでしょうか……ある程度じゃなくてちゃんと安全に帰ってこられる保証があるなら行ってもいいです。九条さん本当のところどうなんですか? 単なる人手不足じゃないですよね」
『本当に人手不足じゃないのか? 誰にでもできることなのか?』

「色々と心配しているようだけど人手不足ではないよ、君のやる気次第かな。それと監視者として過去へ行ってもらうのだから必ず今いる場所へ帰ってこられるし何かあれば必ず助けに行く。それは約束するよ。それに過去に行って監視をできるのは限られた人だけなんだよ」

いつも何を考えているのか分からないところのある九条薫だが、今日はいつも以上に何を考えているのか蒼井静佳には皆目見当も付かなかった。

「それと君、困っていることがあるよね。人の心の声が聞こえるなんて気味悪がられるから絶対に他の人に明かすことができない。誰にも話すことのできないそれは、もう随分前から君がたった一人で抱えている秘密。

監視者として仕事をすることで、それから解放されるとしたらどうする? 君次第ではその力をコントロールすることだって可能なはずだよ。どう、解放されたいだろう」

九条は薄ら微笑んで蒼井の目をじっと見つめた。

話の内容もさる事ながら、中性的な美しさを持つ九条の微笑みは蒼井の心に破壊的な動揺を与えた。性別を超えた美人の笑顔は有無を言わせぬ武器なのだ。それは人間の正常な思考を阻害ほどに。それを九条は絶対に分かってやっているところがあざといし怖い。

九条に見つめられ時が止まったように感じた蒼井だったが実際には瞬き一つするくらいしか経っていないほんの一瞬の出来事だった。

直ぐに九条の笑顔という衝撃から我に帰った蒼井は、なぜブルーローズのオーナーである九条がピアニストである蒼井の『心の声が聞こえる』という秘密を知っているのか不思議でならなかった。これまでそんな素振りなど露ほども見せたことなどなかったのに。

そして蒼井は常々九条のことを少し変わった人だとは思っていたが、これはもう変わったで済まされる次元ではないと思った。おそらく、いやほぼ確実に九条は人の心の声が聞こえるのだろう。蒼井が九条から感じていた”得体の知れない何か”の存在は疑惑から確信に変わっていた。


人の心の声が聞こえる世界は心穏やかでは居られない世界だ。物理的には1人で居るのに心の中では1人では無い、そんな不均衡な世界。
『もしそれがコントロールできるのなら突然心の静寂を乱されることも無くなるのかも知れない』そう考えた蒼井はどんな理由であれ九条の話に乗ってみるのも面白そうだと思ったのだ。

『それにもし何か変化が訪れるなら過去へ行くのは良いきっかけになるはずだ、それだけは間違いない』そう蒼井は自分に言い聞かせた。

九条は 「次元の監視ができるのは限られた人だけだ」と言っていた。蒼井が九条の言うその限られた人なのだとしたら断る理由はどこにもない。それに今それを断ったらもう次はないのだと蒼井の直感が訴えかけていた。

「僕で良いのなら、行きます……過去へ」

気付けばそんな言葉が蒼井の口から出ていた。すると突然九条が大きな言葉を発した。

「天ヶ瀬、そこにいるんだろう」

不意に九条がドアへと向かって話し始めたと思ったと同時に控室と廊下をつなぐドアが開いた。
『気配はなかったのに天ヶ瀬さんいつからいたんだろう』蒼井がそう思っているとすぐに九条が話を続けた。

「過去へは天ヶ瀬と一緒に行ってもらうから。1人じゃないから蒼井くんも安心でしょ。分からないことがあったら彼に聞いて、あれでいて結構使える先生だから」

「全く人をなんだと思っているんだか……  先生じゃないですよ、引率者みたいなものです」

『いや、それは先生で良いのでは……』と蒼井は思うものの口には出さないでおいた。口に出しても出さなくても九条には筒抜けなのだが。

「さあ、監視対象は早めに追いかけた方がいい。対象者は随分と焦っていたからね。天ヶ瀬、悪いけど今日は蒼井くんもいるからこの扉から行ってくれる」

九条がそう言葉にした瞬間、青く輝く幻想的な光を放つ扉が現れた。
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