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緑への回帰

ナイキ侯爵のひそかな思惑 2

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「陛下」

 しばらくおとなしくセレンの話を聞いていたナイキ侯爵が手を上げた。

「なんだ?」
「今まで陛下が執り行ってきた様々な権限を譲り渡されることになるその大臣の上に立つ者は、どうやって決めるのです?」

「資質とやる気のある者に立候補してもらおうと思う。行く行くは大々的に平民からも立ってもらいたいとは思っているが、それは後の話だ。現状では政治に関わる仕事をしている諸侯らや、先代に仕えた経験のある者らから選ぶべきだと考えている」

「で? その方々が立候補したとして、選ぶのは誰ですか?」

「それが少し問題なんだよな……。なるべく多くの者達に関わってもらいたいとは思っているから、少なくとも地方の領主には参加してもらいたいと思っている」

「それでしたらいっそのこと、地方地方に投票所を設けて20歳以上の成人に票を投じさせてはいかがですか? 命じていただければ、地方に精通している配下の者を応援に出向かせます。そうすれば平民たちは自分たちも政治に参加することが出来るのだと分かり、国のありようを自分たちも真面目に考え無いといけないと自覚するようになるのではないでしょうか」

 思いもよらないナイキ侯爵の進言に、セレンは目を瞬いた。可能であればそれに越したことは無いのだが、それが侯爵の口から出て来た事に些か戸惑いを隠せない。          

「それは……、確かに理想ではあるが、総ての地方に対しては無理では無いのか?」

「そうですね。総ての地方に、というのはさすがに無理です。ですが一応領主の方々には、出来る範囲で構わないので努力をしてもらうという事で話をしてみてはどうでしょうか?」

「そう……、だな」
「ご命令いただければ、私の方で対処します」
「……分かった。では頼む」
「畏まりました」

 恭しく頭を下げるナイキ侯爵に、どうしても解せない気分になる。確か侯爵は、事前に国王の権限を縮小することを相談しなかったことに腹を立てていたのでは無かったか?

 話がスムーズに行きすぎているような気がして、セレンは妙な気持ちに陥った。

「あ……、そう言えば大事なことを聞き忘れていましたな。その新しい職は、なんという職名になるのでしょうか? それと立候補を募るのはいつごろと考えられていますか?」

「ああ、悪い。それよりも大事なことを侯爵に伝えそびれていた。新しく創設しようと思っているこの職は、宰相が補佐に回る立場になる。あくまでも皆の投票によって決められるべき人事なのでなんとも言えないのだが、もしよければ侯爵も立候補してみないか?」

「いいえ。そんなことならご心配なく。私が上に立つ器では無い事は、この私自身が十分承知しております。私は補佐の身が一番自分に合っていると思っておりますので、よろしければそのまま、新しく上に立つ方の下で働かせていただければと思います」

「……そうか、分かった。では新しい職は、大臣の上に立って統括してもらうという事で、総理大臣とでもしておこうか」
「畏まりました」

「候補者の受付に関しては、手続きや根回しもある程度は必要だろうから3カ月後くらいにと思ってはいたのだが……。それだけ大規模にするのであればもう少し先の方がいいだろう。……半年くらいかければ、地方を説得したり準備を整えさせることが出来そうか?」

「はい。……そこまで時間は必要ないかと思いますが、お時間をいただけるのであれば有難いです」
「分かった、そうしよう」

 淡々と話が進んでいく中、フリッツだけがついて行けないような複雑な表情を見せていた。だが既に王族の了承を得ているという事で、受け入れていくしかないのだと思おうとしている、そんな葛藤も含まれているようにも見えた。

「陛下」
「なんだ? フリッツ」

「……その立候補は自薦のみですか? もし私が推薦したいと思っている人物が立候補されない場合は、私が推薦するという事は出来るのでしょうか?」

「それは……、微妙なところだな。推薦された相手がやる気のない相手では、責任ある仕事を任せられないのではないか?」

「謙虚な方の場合もあるでしょう。資質がある方ならば、周りが支えればいいことではないですか。そう言う事ですよね、長官?」

「はい、その通りです」
「……しかしな」

 フリッツやナイキ侯爵の言い分も一理あるとは思うが、やる気のない者がこの重責を担う仕事をする事が、良い結果をもたらすとは言い切れないとセレンは思った。

「資質があるのだと皆が認める方ならいいのではないかと思います。たとえやる気があったとしても、器に問題がある方がこの国のトップに立つのは、私はその方が問題があると思います。……横から差し出がましいことを、失礼いたしました」

 今まで黙って離れた位置から会話を聞いていたクラウンが、控えめに口を開いた。だがその控えめな口調が却って、ここに居る面々にその意義を見出させたようだった。

「……クラウンが言った事は、とても的を射ていると思いますな。陛下、やはり今回は初めての事ですからしっかりと上に立つ者を選んでいただけないと、私どもとしましても易々と同意するわけには行きかねます。自薦他薦を問わず、候補者を受け付け出来るように取り計らいのほど、よろしくお願い申し上げます」

 そう言ってフリッツが深々と頭を下げた。それに倣い、隣のナイキ侯爵も頭を下げる。
 ナイキ侯爵はもとより、フリッツにまで頭を下げられたとあっては、いかなセレンとは言え無碍にも出来なくなってくる。

「分かった。了承しよう」

「ありがとうございます。それで今回その候補となる人物には、何か特に制限とかございますか? 例えば男爵以上の者にすべきとか……」

「いや、今回は特にそういうものは設けるつもりは無い。先にも言ったように、ただ政治や経済に詳しい者から選ぶべきと、そのくらいの制約だ」

「畏まりました。では半年後の初の総理大臣選出のため、準備に入らせていただきます」

 恭しく頭を下げるナイキ侯爵の表情は、執務室に足を踏み入れた時とはまるで違っていた。その瞳には、訝しく思うほどの力強い光が放たれていた。
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