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第101話 打ち上げ

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「楓たん遅いぞー」
 すでに酔っているようなテンションの桜に言われ、すかさず楓はペコリと頭を下げ、
「ごめんごめん」
 と言いながら席に座った。
 カラオケに集まったメンバーは楓、向日葵、桜、椿、そして葛の五人だった。急遽、五人での打ち上げとなったが、葛を否定する者はいなかった。そう、そこまではよかったはずだった。ゲームを楽しんで、みんなで後でカラオケに行こうねということで。
「椿たんと一緒じゃなかったんだね」
「ま、まあね。僕にも色々あるんだよ」
「色々ね」
 何を思ったのかニヤニヤする桜を横目に、楓はドリンクの注文を済ませると、息を吐き出して背もたれに背中を預けた。
 思わず椿を見てしまってからすぐに視線をそらす。少し時間を置いてもまともに直視はできなかった。椿にとっては名前がわかったかもしれないが、楓は見失っていた。
 例えフラれた相手でも、好きな人間に好きと言われることによる動揺が、大きいものとは考えていなかった。むしろ、椿はただの友達だと思っていただけに、衝撃は大きかった。
 もし、名前をつけるなら、愛だ恋だというものではなく、緊張だった。
 そもそも、好きなんて言葉は楓にとって、桜に言われても嬉しい言葉で、素直に照れてしまうものだった。向日葵に言われればなおさらだ。それが、滅多に言わない椿に言われた日には、脳の処理が追いつかなくなっていた。
 ちらと見るだけで精一杯だった。
 何にしても思考はうまくまとまらず、遊園地にある高速回転するコーヒーカップに乗させられているような気分だった。
 だが、椿はいつものように凛として、楓が来ても全く動じる様子がなかった。なんだか悔しいと楓は思った。
「楓は何歌うの?」
「え?」
「楓は歌う歌ない?」
「あ、ああ。えーと」
 向日葵に問われ、しどろもどろになりながら楓は固まった。今までの楓に、友達とカラオケなどというイベントは、少なくとも記憶にある限り一度として存在しなかった。
 それでも、カラオケ自体に行ったことはあった。ただ、友達とカラオケという場面がなかった。そのため、何を歌えばいいかということはわからなかった。少なくとも国歌ではないことしかわからなかった。そもそも、音楽の授業の時くらいしか歌わない楓に、カラオケのレパートリーはなかった。
 ランキングのようなものに出てくる歌の中にはタイトルがわかり、聞いたことのある曲もあったが、どれも歌ったことはない曲だった。
「向日葵は何か歌ったの?」
「私はまだだよ」
 意外と早くついたんだな。と思うと同時に楓はひらめいた。向日葵のことだから歌もうまいはずだ。カラオケでもその力は遺憾なく発揮されるだろう。ならば、一緒に歌えば楓の歌唱力は向日葵の歌唱力でかき消され、誰の記憶にも残らないはずだと考えた。一曲目ダダ滑るせずに、とりあえず歌ったという事実を作るため、楓は向日葵に寄った。
「何歌いたい? せっかく一緒に歌おう」
「一緒に? みんな一人で歌ってるけど」
「いいのいいの。二人で歌う曲もあるし、一人で歌わなければいけないってルールもないし」
「じゃあ、ランキング一番の」
「合点承知!」
 向日葵の指定通り、一番歌われているらしい曲を入れ、楓は再び背もたれに背中を預けた。
 届いたドリンクで口をしめらせ、床に目を向けた。汚れているわけではなく、人と目を合わせられなかった。
「あ、次私達だよ」
「はやっ」
 向日葵に腕を引っ張られるようにして引きずり出され、楓はマイクを受け取った。
 有名な曲だけに、サビだけは楓でも聞いたことはあった。なんとか、歌詞に色がつくのに合わせながら、口を動かしていれば大丈夫なはずだった。
 前奏が終わると、向日葵に隠れてひっそりと歌い出すはずだった。
 声が出て、ハッとした時には自然と笑みが漏れていた。
 向日葵に引っ張ってもらうようにして、リズムに合わせて歌っていると、気づくと歌い終えていた。
 出しゃばってしまったと思ったものの、恥ずかしさよりも清々しさが勝っていた。
「楓歌上手だね」
「向日葵の方が上手だよ」
「まあね」
 いつものことのように、謙遜しない向日葵と一笑いしたものの、口角は下がらなかった。
「ニヤニヤしてどうしたの楓たん」
 今度は桜がニヤニヤ笑いを浮かべる番だった。じっと見つめるその目は楽しげだった。
 桜に鋭く見付けられ、楓は口元を咄嗟に隠した。
 だが、見られた後で隠しても意味はない。
「そんなにニヤニヤしてないよ」
「してたよ。なんだか楓たんが楽しそうだね」
「まあ、歌っていいなって思って。でも、なんで桜までニヤニヤしてるのさ」
「あたしも楽しいなって思っただけ」
「本当?」
「本当だよ。あっ、次あたしだ」
 楓からマイクを受け取ると、今度は桜が歌い出した。
 出だしから桜も上手いと思った。というより、一通り聞いた限りでは、楓の基準では全員歌が上手かった。プロと並べば素人だとわかるのかもしれないが、楽しむ分には問題なかった。
 それより何より、楓自信が向日葵に褒められて、桜の指摘通りニヤニヤしていた。そのうえ、歌い終えてスッキリしている自分に気づいてしまった。向日葵と一緒に歌ったからかもしれないが、つい先ほどまで逃げようとしていた自分が嘘のようだった。
 椿が教室を出て行った後、忘れていたということにしてしまおうかと思ったが、向日葵だけ行かせるわけにも行かない。そんな思いで来たが、今では来てよかったと思っていた。
「楓どうしたの、あーあーって言ってそんなに笑って」
「改めて高音が出せるなと思って」
「そりゃ女子だからね」
「向日葵からすればどんな音だろうと出るかもしれないけど、僕はそうじゃないからね」
「ああ。なるほどね。歌好きだったの?」
「別にそうじゃないけど、何と言うか、声変わりとともに出なくなって、失っていたことに今初めて気づいたというか」
「ふーん」
 向日葵もまたニヤニヤ笑いを浮かべ出した。
「何さ」
「別にーそんなに楽しかったならもっと歌ったら? 私も一緒に歌うんじゃなくて、楓が一人で歌うところも見たいし」
「それはこっちのセリフでもあるけど、そうだなー」
 と言って、曲を探してみるフリをするも、歌詞に自信のある曲はない。
 楽しかったのは事実だったが、どれもサビは思い出せるのだが、他の部分が全くもってわからなかった。
「勉強不足だ」
「楓さんは真面目ですね」
 楓のつぶやきに、手元を覗き込むように葛が言った。
「うっ、そう言う葛はどうなのさ」
「多少歌えなくてもいいのですよね?」
 そうして、立ち上がると葛は桜からマイクを取り上げた。始まりから何が起こったのかわからなかったが、葛はデスメタルを歌い出していた。全くもって予想外だった。アーティスト気質なのかもしれない。
 楓にとっては、歌えているのかどうかさえよくわからない。デスメタルという名称で合っているのかすらわからない。だが、楽しそうということはわかった。
「私も歌に自信はないけれど、ここは披露の場じゃないのだし、気張る必要はないんじゃない?」
「そ、そうかもね」
 椿の助言に、楓は声が上ずった。
「じゃあ、聞いててね」
「わ、わかったよ」
「どうしたの楓。そんなだった?」
「いや、こっちのこと」
 向日葵の訝しむような目を受け流しながら、椿に視線を送った。椿の選曲はラブソングだった。途中にウインクまでして、相当テンションがおかしくなっていることはわかった。
「楓が入れないなら私が先に歌うよ?」
「どうぞ」
 今度は向日葵が予約を入れた。
 バカスカ予約を入れる桜に割り込みによる予約を入れたらしかった。
 楓はその横で迷いに迷い、スマホで歌詞を調べながら、
「くっ、アニソンしかねぇ」
 と誰にも聞こえないように囁いた。一人遊びばかりだった楓の趣味の一つがアニメ鑑賞。アニソンならば楓も聞き馴染みがあった。それでも二番はわからなかった。
 しかし、この四人の前でアニメの話をしたことはなかった。向日葵とさえ、ゲームはしてもアニメの話はしていなかった。
 だが、流れとしては次は楓のターン。向日葵の小さなステージでライブをしているような、魅力的な歌声ももうすぐ終わりの予感がしていた。
 ふと、一つの思いつき。桜の予約に流されたということにして、最後まで歌えなかったということにすればいいのではないか。そして、楓は最後に予約を入れた。
 これで今回は歌を聞くだけで済むはずだ。練習して次の機会にリベンジだと楓は一人意気込んだ。
「やっぱ上手だね。向日葵は」
「まあね」
 歌い終えた向日葵に声をかけ、楓はゆったりと座り込んだ。
 次の曲の前奏が鳴り始めるも、誰もマイクを持たなかった。
「あ、これは楓たんに歌ってほしいと思って入れたんだった。はい、マイク」
「え、何それ、この曲わかんないよ?」
「大丈夫だって、このまま聞いてればわかると思うから」
「え、え?」
 桜に無理やり背中を押され、楓は前へと押し出された。歌うことになったのは人気女性アイドルグループの曲。桜の言う通り、確かにどこかで聞いた気はしたがその程度。なんとか流れる歌詞を目で追うので精一杯だった。
 歌い切ると、楓はすぐに戻るため、顔を覆って椅子へと歩き出した。
「次も楓たんだよ?」
「何で? また知らない曲?」
「ううん」
 桜は首を横に振る。
 だまって耳を澄ますと聞き覚えのある曲。それも、
「楓たんが入れてたから、先にしといてあげたよ」
 気遣いのつもりなのだろう行動、そして、桜のウインク。
 よくも余計なお世話を。と危うく声に出しかけて、あくまで笑顔を返してから、楓はやけになって歌った。
 案外気にしていた程、周りのノリも悪くないような気もしたが、歌い切る頃には精神力を使い果たしていた。
「災難だったね」
 今はぽんと方に手を乗せてくれる向日葵だけが救いだった。
「わかってくれるのは向日葵だけだよぉ」
「次、向日葵たんだよ?」
「本当? じゃ、歌ってくるね」
 勢いのまま抱きつこうとしたものの、すぐに体は離れ離れ。またも聴衆の視線を釘付けにしながら、向日葵は歌い出した。
 わかってくれるのは、向日葵だけだろうか。よっぽど楓よりも注目を集めている向日葵に、気をつけるべきは向日葵の方ではないかと思ったが、タンバリンを手に取り、笑ってリズムに合わせて叩くに押さえた。
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