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第109話 夏目邸アスレチック

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 夏目邸の入り口。
 アスレチックが完成したということで、楓は向日葵に連れられて夏目邸を訪れていた。
 体育祭の特訓も兼ねているせいか、やけにできるのが早い気がした。
 向日葵の話し振りから、元からあった建物にアスレチック部分を付け加えるのだと思っていた楓は、実際には新しい建物が増えていることに、目を丸くし度肝を抜かれていた。
「へえーやるねぇ」
 なんとか息だけでなく、簡単な感想も述べた楓だったが、それからは目をしばたかせる以外は特別反応できないでいた。
「でしょ? 見栄えもこだわったんだよ」
 嬉しそうに言う向日葵はどこか誇らしげだった。
「確かに、そんな雰囲気だね」
 向日葵の言葉通り、どこぞのテーマパークにありそうなそんな雰囲気を漂わせていた。カラフルでそれでいて目に痛くない。不思議な色使いだった。
「じゃ、早速中に入ろうか」
 手を引いて車に乗り込もうとする向日葵に、楓は逆に手を引いて立ち止まった。
「どうしたの?」
「いや、あれはアスレチックというか特訓施設なんだよね?」
「そうだよ?」
「だったらさ、軽く準備運動くらいしておいた方がいいんじゃない? あそこまでジョギンで行くとかさ。鍛えよう! って意気込んで怪我したんじゃわけないし」
「そんなことなら問題ないよ。さ、行こっ」
 何が問題ないのかわからなかったが、楓はそれ以上向日葵に抵抗できず、引っ張られるまま移動用の車に乗せられ、新たに作られた建物へと向かった。

 門の辺りから見ても大きいと思わせられる建物だったが、足元までくると自立式電波塔を下から見上げるような、そんな迫力が感じられた。
 実際にはさすがに、そこまでの高さはないが、それでも中で特訓をすることを考えると、まるで猛獣を目の前にしたかのように、威圧感で萎縮せずにはいられなかった。
 まだ、運動を始めていないにも関わらず、自然とドクドクと脈打つ心臓の音が、まるで耳元で鳴っているように聞こえてきた。
 それもそのはず、準備運動は問題にならないらしいが、向日葵が作ったのだ。向日葵にとってお茶の子さいさいなことも、楓にとってはとてつもなく難題だったりする。向日葵基準で作られていないか、それが目下楓の心配事項だった。
「本当に大丈夫だよね?」
 不安げに口にする楓の顔を見て、向日葵はすぐに笑顔で首を縦に振った。
「もちろん! 安全には配慮してあるし、私も一緒に行くから、もしもの時は建物の方を変えることで楓を守るから」
 どんとこいといった様子で胸を叩く向日葵を見て、
「まあ、それなら大丈夫かな」
 と少し心が軽くなった思いで、楓は一人でにゆっくりと開かれる扉を見つめた。
 中の様子もまた、カラフルだった。だが、いきなりなんの前触れもなく、アスレチックが始まるわけではなかった。最初はホールのような場所だった。
 向日葵に続き中に入ると、アスレチックが始まる場所なのか、一本道が続いているだけだった。
「えーと、簡単に説明すると、あそこから進んで行って、最後まで辿り着けたらゴール。そういうのであってるよね?」
「まあ、実は僕もアスレチックは、学校の遠足くらいでしかいったことないから、よくわからないんだけど、小さい頃行ったのはそういうのだった気がするし、大丈夫だと思うよ」
「オッケー。じゃ、動ける服装に着替えたら、レッツゴーだね」
 楓はそうしてジャージに着替えてから、ホールから続く一本道へと入った。人二人が横に並んでも余裕のある道で、床が先日の動く足場のようにゆっくりと、しかし、前回よりも速く動いていた。
「まずは慣らしってことで、やったことのあるものからね」
「ジョギングができるから、準備運動は大丈夫ってことだったんだね」
「そういうこと!」
 特段障害物もなく、第一ステージは難なくクリア。ウォームアップにもなり、体も温まった。
 ステージをクリアするごとに上階へ上がっていく仕様なのか、走り終えると今度は階段があった。その間は休憩ということなのか、登り始めても変わったことは何も起こらなかった。
 パッと踊り場を通り抜け、階段を登った先で楓を待ち構えていたのは、置かれた丸太だった。さらに、障害物として横に揺れる丸太が設置されていた。
「次はジャンプなり、しゃがむなりで障害物をかわしながら進んでいくステージだよ」
「いきなり難しすぎじゃない?」
「大丈夫大丈夫。当たっても痛くないから」
 実際に、一番近くの丸太を触れてみると、座ると人をダメにしそうな素材で、スピードも速くなく全く問題はなさそうだった。
 向日葵がその場で足踏みしながら、先に行きたくてうずうずしているのを見て、楓も頷きかけ目の前の丸太を越えた。
 迫り来る丸太。実際に動く足場の上で目の前にすると、遠くにいた時とは緊迫感が別物だった。
「楓なら行けるよ」
 だが、向日葵の鼓舞で揺れる丸太をなんとかかわすと、だんだんと緊張は興奮へと変わっていった。
 それから調子づき、テンポを見定めて飛び、かわすとあっという間に走り抜け、
「ギャアアアアア!」
 思わず大声をあげ、腹部を押さえながら、楓は転がり込んだ。
 呼吸を早め、目を見開く。目の前には刀。それも刀身が剥き出しになっていた。
「当たった。やばい。止血しないと」
「大丈夫だって」
 向日葵は笑顔で言った。いつからこんな薄情になったのだろう。
「いや、やばいって。傷が、お腹が」
「だから大丈夫だって。お腹を見てみな」
「傷口がぱっくりってあれ? 切れてない?」
「あれ、おもちゃだよ」
 向日葵の言葉を受け、立ち上がって触ってみると、明らかにプラスチックでできていることがわかった。
 迫真の演技をしてしまったようになり、恥ずかしさで赤くなりながら、楓はうつむいた。
 一応、第二ステージもクリア。
 そそくさと階段を登り、続く第三ステージ。頬を叩いて気持ちを切り替え、目を見開く。
「うえっ! なんで触手!?」
 楓の視界に入ったのは、うねうねと気持ち悪く動いている触手。だが、今まで見たものの中でどれよりも一本一本が細かった。
「作ってたら朝顔も作りたいって言い出して」
 てへっ、といった様子で笑顔を浮かべながら言う向日葵。
「なるほど」
 楓は苦笑いを浮かべることしかできなかった。
 触手を見ると、嫌でも殺されそうな勢いで追いかけられた時の記憶がよみがえる。実際に、今も楓の腕には鳥肌が立っていた。
 もっと愛らしいものが使ってくれればいいのだが、完成してしまったのなら仕方がない。誰しも変わった趣味の一つや二つあるものだ。朝顔は神様だが。
「一応確認しておくけど、安全なんだよね?」
「うん! これは暴走の危険もないし、落ち着いてゆっくりしっかり手足に力を入れれば、赤ちゃんの力でも千切れるように作ってあるから。足腰のトレーニングって思えば。ね!」
 ね。と言われ、頷いてはみたものの、落ち着いてというのが、楓にはできそうにもなかった。誰だって、急に手足を絡め取られれば、もがきあがこうとするものだろう。
 しかし、今さら文句を言っても何も解決しない。ももを叩き、楓は一歩安全圏を踏み出た。触手に気を取られよく見ていなかったが、やけにてかてかしていた床は触手の粘液らしく、危うく滑りかけそうになった。
 バランスを崩したところで、すぐさま触手は獲物を見つけたように楓の右足首を絡め取った。
「ひっ」
 情けない声をあげながら咄嗟に飛びのこうとして、楓は粘液に足を取られ、簡単に滑り尻餅をついた。大きく動いたせいか。また別の触手が今度は楓の左足首絡め取った。
「これ、痛みはないけど無理じゃない?」
「大丈夫だって。ほら、こうすれば簡単に切れるから」
 実演のように、向日葵は粘液をものともせず、楓の足に絡まった触手を手刀で切ってみせた。
 いともたやすく行われたが、向日葵の行動はいかんせん楓にとって説得力に欠けた。
 だが、信じることにして、再度気持ちを奮い立たせ、悪い足場の中、楓は立ち上がった。向日葵の言うことが正しいのなら、簡単に切れる。一度経験したことを二度も失敗する自分じゃない。
 滑らないようゆっくりのっそり進み、できるだけ触手に反応させないようにする。
 そんな、楓の目論見も触手の近くに行くと簡単に破られた。
「……!」
 今度は声は漏らさなかったものの、左腕の巻き付く感覚には顔をしかめた。
「ゆっくり引っ張れば大丈夫だよ」
 向日葵の言葉で少しの冷静さを取り戻した楓は、ゆっくりと触手を引っ張った。すると、簡単に千切れてしまった。
 なんとかなるとわかると、急に触手に対する恐怖も消え失せ、そこからはとんとん拍子で駆け抜け、第三ステージもクリアした。
「このヌルヌルはなんとかならないんですかね」
 取れないかと思って、壁にこすってみたが、全くと言っていいほど変わりがなかった。
「うーん」
 と唸るように声を出すと、向日葵は楓に向けて両手を出した。すると、みるみるうちに体から粘液は取れていった。しかし、気持ち悪い感覚は残っていた。
「スッキリしない」
「まあ、楓の感覚まではどうこうできないからね」
「早くシャワー浴びたい」
「じゃ、さっさと進もっか」
 続く第四ステージ。
 奥に見える大砲以外は何もなかった。
「シンプルだね」
「うん。ここはお姉ちゃんが作ったんだけど、あの狙って撃ってくる大砲の玉さえかわしてれば大丈夫だよ」
「なんだ。簡単だね」
 あはは。と笑いながら、ボーナスステージだと思って、楓は駆け出した。
 ボン。と大きな音が鳴った時には楓の視界は真っ暗になっていた。
「何も見えない!」
 突然のことに混乱して、必死に顔の前にへばりついたものを、はがすにすると、なんとか再び視界が戻ってきた。
 前の朝顔のステージではないが、落ち着いて払えばなんとかなるステージのようだ。
「早速食らっちゃったね。でも、似合ってるよ」
「似合ってるって?」
 向日葵の言葉に訝しむように、向日葵を睨んだ楓だったが、すぐに見下ろすと、着ていたはずのジャージが跡形もなく消え去り、水着へと変貌していた。
「なんで水着!?」
「動きやすいでしょ?」
「いや、そうかもしれないけど、へそが……ぐふぅ」
 動揺していると二発目をモロにくらい。今度はロングスカート姿へと変わっていた。どういうわけか、髪まで長くなっていた。
「ああ、もう!」
 これ以上恥をかくような姿になることを避けるため、楓は大砲をしっかりと観察しながら走り出した。
「せめて動きやすい服装にしてくれ!」
 ボン。という三度目の音。再び楓に着弾。
「なんで僕ばっかり?」
 いくらか勢いを出しても、玉をなかなかかわし切れず、発射されるたびに食らった楓だった。
 だが、なんとか駆け抜け安全地帯へとたどり着いた。当たるたび立ち止まったせいで、ついていた勢いが殺され、再び走り始めることに体力を使ったせいか、楓は背中から倒れ込んだ。
 そんな楓を見下ろしながら、
「お疲れ様」
 と向日葵は優しく投げかけるように言った。
「え、もう終わり?」
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