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第7話
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そこから、9月の授業が始まるまでは、あっという間だった。藤代先生からは、思い出したようにたまにメッセージが来る。勉強は、元々向いていたようで、少しずつではあるけれど、学力も上向きになっているらしい。
そんな9月のある日の学校帰り、気晴らしに砂浜を訪れた。革靴と靴下を脱いで、裸足で砂浜を歩く。だいぶ日差しは和らいだけれど、夕方になっても、暑さがじっとりと肌にまとわりついてくるようだった。
靴を持ったまま、砂浜の上を歩いていく。夏至を過ぎると、日の入りが早くなる。水平線に溶けていく夕日に吸い寄せられていくように、波打ち際へと向かった。
一人きりかと思っていたら、先客がいた。水平線の方を見ながら、何やら立ち尽くしている。一人で何をしているのか気になったけれど、見ず知らずの他人にじろじろと眺められたら不信感を抱くだろう、とその人から少し離れたところで、つま先を波に浸した。
温い波が、足の甲を上がっては、すぐに引いていく。時々大きな波が来て、足首まで濡れそうになる。砂浜には波が寄せては返す、規則正しい音だけが響いている。海鳥たちもすっかり引き払い、辺りは夜に向かって支度を始めていた。
その時、後ろから砂を踏む音が聞こえてくる。先ほど海を見ていた人に話しかけるのだろうとぼんやり思っていたら、なぜかその足音は、俺の真後ろで止まった。
「かいり、お待たせ」
「うわっ」
肩に突然手が置かれ、思わず肩が跳ねる。反射的に後ろを向くと、そこには見知らぬ男性が立っていた。細い金属フレームの大きなメガネをかけて、その奥からにこやかに微笑んでいる。短い髪の毛は、ワックスで固めていた。彫りが深い顔立ちは、夕日のせいで、さらに陰影が濃くなっている。
「えっ…?」
「えっ、あれっ、すみません、人違いでしたっ」
肩に置いた手を、熱いものを触ったかのように、さっと引っ込めた男性が、驚きで目を見開く。こちらを向いたまま何歩か後退りするその男性に、自分の横をすり抜けて、真っ直ぐに向かっていく人影があった。
「澪央?」
聞き覚えのある声に、驚いて、体が固まる。よく見ると、その声の主は、松葉杖をついていた。もしかして。もしかして…
「ああ、海里、お待たせ。…あの、ご迷惑をおかけしました、君が知り合いに似ていたので。海里、行こうか」
「うん、ありがとう」
澪央、と呼ばれたメガネをかけた男性は、こちらに一礼すると、松葉杖をついた人の背中に、ごく自然に手を当てる。それを制すと、松葉杖の男性が、こちらを振り向いた。
暮れなずむ夕日の下、解像度が下がった世界でも、はっきりと分かってしまった。
こちらを振り返った人は、白波瀬さんだった。
時が、止まったように感じる。見つめる先には、こちらを真っ直ぐに見る、白波瀬さんがいる。この世界には、白波瀬さんと自分以外いなくなってしまったかのような錯覚にさえ、囚われてしまいそうになる。
「あの、知り合いが、ご迷惑をおかけしました」
白波瀬さんの声が、二人を包んでいた薄い膜を弾けさせた。ぺこり、と頭を下げると、そのままゆっくりと去っていく。二人でペースを合わせて歩くそのシルエットは、薄暗い世界を背景にしてぼんやりと浮かび上がり、まるで写真のようだった。
その背中から、なぜか片時も目が離せなかった。指なんて一本も動かすことができないのに、白波瀬さんに会った、という事実に、心臓はうるさいほど拍動している。
二人は、そのまま近くに止めてあった車に近づく。しばらくすると、車はテールランプを点け、滑るように走り出した。
しばらく呆然としたまま砂浜に立ち尽くす。その間にも空は色を変え、いつの間にかあたりは紺色に染まっていた。
波の音は、相変わらず規則正しいリズムを刻んでいる。
「…帰らなきゃ…」
自分に言い聞かせながら、上を向く。口の中は、なぜか海の味がした。
そんな9月のある日の学校帰り、気晴らしに砂浜を訪れた。革靴と靴下を脱いで、裸足で砂浜を歩く。だいぶ日差しは和らいだけれど、夕方になっても、暑さがじっとりと肌にまとわりついてくるようだった。
靴を持ったまま、砂浜の上を歩いていく。夏至を過ぎると、日の入りが早くなる。水平線に溶けていく夕日に吸い寄せられていくように、波打ち際へと向かった。
一人きりかと思っていたら、先客がいた。水平線の方を見ながら、何やら立ち尽くしている。一人で何をしているのか気になったけれど、見ず知らずの他人にじろじろと眺められたら不信感を抱くだろう、とその人から少し離れたところで、つま先を波に浸した。
温い波が、足の甲を上がっては、すぐに引いていく。時々大きな波が来て、足首まで濡れそうになる。砂浜には波が寄せては返す、規則正しい音だけが響いている。海鳥たちもすっかり引き払い、辺りは夜に向かって支度を始めていた。
その時、後ろから砂を踏む音が聞こえてくる。先ほど海を見ていた人に話しかけるのだろうとぼんやり思っていたら、なぜかその足音は、俺の真後ろで止まった。
「かいり、お待たせ」
「うわっ」
肩に突然手が置かれ、思わず肩が跳ねる。反射的に後ろを向くと、そこには見知らぬ男性が立っていた。細い金属フレームの大きなメガネをかけて、その奥からにこやかに微笑んでいる。短い髪の毛は、ワックスで固めていた。彫りが深い顔立ちは、夕日のせいで、さらに陰影が濃くなっている。
「えっ…?」
「えっ、あれっ、すみません、人違いでしたっ」
肩に置いた手を、熱いものを触ったかのように、さっと引っ込めた男性が、驚きで目を見開く。こちらを向いたまま何歩か後退りするその男性に、自分の横をすり抜けて、真っ直ぐに向かっていく人影があった。
「澪央?」
聞き覚えのある声に、驚いて、体が固まる。よく見ると、その声の主は、松葉杖をついていた。もしかして。もしかして…
「ああ、海里、お待たせ。…あの、ご迷惑をおかけしました、君が知り合いに似ていたので。海里、行こうか」
「うん、ありがとう」
澪央、と呼ばれたメガネをかけた男性は、こちらに一礼すると、松葉杖をついた人の背中に、ごく自然に手を当てる。それを制すと、松葉杖の男性が、こちらを振り向いた。
暮れなずむ夕日の下、解像度が下がった世界でも、はっきりと分かってしまった。
こちらを振り返った人は、白波瀬さんだった。
時が、止まったように感じる。見つめる先には、こちらを真っ直ぐに見る、白波瀬さんがいる。この世界には、白波瀬さんと自分以外いなくなってしまったかのような錯覚にさえ、囚われてしまいそうになる。
「あの、知り合いが、ご迷惑をおかけしました」
白波瀬さんの声が、二人を包んでいた薄い膜を弾けさせた。ぺこり、と頭を下げると、そのままゆっくりと去っていく。二人でペースを合わせて歩くそのシルエットは、薄暗い世界を背景にしてぼんやりと浮かび上がり、まるで写真のようだった。
その背中から、なぜか片時も目が離せなかった。指なんて一本も動かすことができないのに、白波瀬さんに会った、という事実に、心臓はうるさいほど拍動している。
二人は、そのまま近くに止めてあった車に近づく。しばらくすると、車はテールランプを点け、滑るように走り出した。
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「…帰らなきゃ…」
自分に言い聞かせながら、上を向く。口の中は、なぜか海の味がした。
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