夜影末法斬鬼禄

名誉ナゴヤニスタン人

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第六章 ‐ 焔揺らぐ ‐

082話「今はおやすみ」

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第82話「今はおやすみ」



 結局その晩はスマートフォンの解析と修理を知人のCIAであるレイとソフィア任せ、会話もそこそこに清壱は帰路へとついた。今は彼らの作業を信じるしかない。


 鉄の玄関扉を開けると、夏場の熱気を伴う温い空気が肺へと入り込んでくる。
 清壱は扉を閉めると暗闇の中で屈みこんだ。彼の頭の中にはこの空間の地形情報がきちんと入っている。丁度この靴箱の下に……そう、カチリと音が鳴った。電灯のスイッチではない、何らかのスイッチをオフにした後、彼はようやく立ち上がる。


 蒸れた靴を脱いで廊下に上がった清壱が手探りで電灯のスイッチをようやく入れた。

「ただいま」
 廊下が照らされると、彼は靴箱の上に置かれた貰いもののペンギンのぬいぐるみに声をかけた。自分でもどうしてこんな事をするのかはわからない、もちろん返事を期待してはいない。少年時代、家庭というものは本来こういうものだと有澤から教わったから、こうしているのだろうかとふいに考える事はある。

 大した仕掛けではない。気持ち的に言えば爆発物を仕掛けたいが、窃盗が入るたびにマンションを吹き飛ばすのはいささか合理性に欠ける。靴箱の下のセンサーをオフにせずに入室するとセキュリティが起動し、ぬいぐるみ内に備えられたものをはじめ幾つかの監視カメラ・盗聴装置が起動するだけだ。


 持っていかれて困るようなものもそこまで無いし、むしろショットガントラップなどを用いてマンション自宅内に死体を残してしまう方が後の手間だと清壱は考える。
 例えばせいぜい30万円の安い平成製の日本刀などは、持って行かせるに任せればいい。わざとリビングに引き出しを置いて、10万円ほどの入った銀行通帳も置いてある。全く使わない口座で、盗ませるためだけのものだ、持っていけばいい。
 隠し武器庫のショットガンや、単発ライフル入りのガンロッカーにまで手を出されて、ようやくそれは困るという話になるので、致死性のトラップはそこにしか無い。



 都内、品川区内におけるマンションの一室、近年最も利用している自宅である。横浜に出るにしろ、都心に出るにしろ地理的に便利だという理由で、ここに構えた居であった。

 何年か前に売られていた当時の人気のタワーマンション……もっとも、ベランダを見ても見晴らしは良くない。だいたいこういうタワーマンションの立つ場所は、近くにも別のタワーマンションが立つわけである。
 また、そもそも論を言えば清壱が入居しているのはマンションの三階である。有事の際に飛び降りる事の出来る階層を選んだ。高い金を払って脱出しづらく、消防や救急の救助の届きにくい階層に住むなど清壱には賛同の出来ぬ価値観である。星に手の届きやすい高さというものは、実際当人が星になりやすい高さでもあるのだから。

 私物を放りタンクトップ一枚になると10分ほど一人稽古を行う、もう20年の長い習慣だ。それを終えた清壱はシャワーを浴び、私室のデスクトップPCと向き合う。

 ゲーミング用のコントローラーをどかして、PCの前で息をつく。ツイッターやブログを開くが、特にそれ以上何かをするわけでもない。アマゾンのビデオを開くと『世界ニンジャファイター』がプライムの特典ビデオに入っている事に気づいたので、彼はおもむろに1話を再生する。もう今から30年以上前、朝の子供向けテレビ番組として放送されていた央宝の特撮ヒーロー番組であるが、夜影流の現宗家である藤川がアクション・武芸考証を行った作品で、その点において異色の作品である。

 幼少時、既に放送終了後久しいそれを、母がレンタルビデオ店から借りてきて、父に内緒で日中それを見ていた事もあった……。


 映像を見ているうち、汽車道で見た横浜の夜景や、中華街の風景が清壱の脳裏に飛び込む。見知らぬ男性の頸椎に手刀を繰り出そうとして、現実の手がビクりと反射的に動き、手刀打ちの形を作っていた。



 ………………

 …………

 ……



 ――――ロウ

 イチロウ

「一郎! 何度言ったら覚えるんだ! そんなものが手刀打ちと呼べるか! 馬鹿め!」
 憤怒の形相の中年男が、少年の額を手刀で殴りつけた。

「いいか! これが本当の手刀打ちだ! 一体何度言えば覚える!」
「ウウウー……。痛い、痛いよお父さん……」
 少年は涙と共に、血の混じった鼻水を垂らして流血した額を必死に抑える。

「出来もしないくせに泣くな! 泣くならもっと殴るぞ!」
「ウウゥ……お父さん……」
 少年は泣き止もうと努力するが泣き止み切れない。男性は顔を真っ赤にしながら少年の頭をもう一度殴りつける。

「チッ」
 深紅の道着を身に纏った中年男性は舌打ちすると、まだ小学校の中学年ほどの少年を裸足で蹴り、ビニール畳の外に追い出した。

 その後ろから「まあまあ」と、ニコニコ笑みを造って男をなだめに来た者が居た。
大枝おおえ先生、一応跡継ぎなんですから……」
 同じく深紅の道着を着た男だが、大枝と呼ばれた男性よりはずっと若い。黒帯には「戻橋」と書かれてある。

「戻橋、こいつのどこが跡継ぎに見える」
「え、それはだって、先生のお子さんじゃないですか……」

「犯した女がたまたま孕んで、金をくれるっていうから結婚してやっただけだ。見ろ」
「こいつはまるで背も伸びないし、動きもトロい、物覚えも悪い。根本的に才能が無い」
 大枝は乱れた白髪混じりの七三分けを手で整えながら、暗い瞳で少年を見下ろす。

「しかし……」
「三日月の構えもまるで出来ていない。拳の握り方ひとつ覚えられない。あげく前回りで自分の頭を打つような愚図グズだ。そんなもん教えても無駄だ」

 吐き捨てると、大枝はまた道場の内側へと戻って行ってしまった。道場には深紅の道着を身に纏った門下生が十数名、道場の隅で泣いてうずくまっている少年と同じぐらいの年頃の男の子も数人が修行しており、型の稽古を行っていた。

「おい! お前たちも型はしっかりやれ。あそこに居る”出来そこない”みたいになったら、大人になってからの人生悲惨だぞ!」
 大枝が生徒たちを叱咤激励すると、道場内で爆笑が起こった。

「まだまだこれから、という事もありますけどねえ……」
 ただ一人、戻橋だけが少年の前に立ちその様子を見守っていた。手を差し伸べる事も、痛めつける事も、そのどちらもせずに。

「戻橋、戻って技の受けを取ってくれ」
 大枝が戻橋を呼んだ。戻橋は「はい、今行きます」と返事しながらも途中、後ろ髪引かれるようにして一郎少年を振り返る。

「……ま、でも先生が「才能が無い」とおっしゃるなら…………残念」
「そんなのに構うな! せっかくお前は才能があるんだ、出来そこないが伝染るぞ!」
「すみませんすみません……」

 戻橋は頭を下げながら大枝のもとへ駆け足で急ぐ。大枝は既に構えを取っている、戻橋が右半身を一緒に突きだすような突きを放つと、大枝はそれに対して――…………。



「つらいよ…………。ナツミちゃん……」


 ……

 …………

 ………………


 まどろみを掻き消したのは物音だった。

 ハっとなった清壱は椅子に座ったまま自然とその場で戦闘警戒し、周囲を確認する。真っ先、自己の状態を認識するよりも早く行われる優先のルーチンで、長年の修行で身体に染みついたものだった。

 幸いにしてひどい被害ではなかった。居眠りの拍子に無線式のトラックボールマウスがデスクから落下しただけだ。視界を明滅させる清壱が飛び出したトラックボールの青いボールと乾電池を拾って元の形に直し、致命的な破損が無い事を確認する。


 どうしてあんな事を思い出すのか。清壱は深い溜息を吐く、慣れない事をしたせいか、今日は妙に疲れたようだ。それとも自分も歳ということだろうか、30も半ばで体力面にガタが来ると、先輩達は口をそろえて言う。死ぬまで戦い続けねばならないのだからそんな話は勘弁して欲しい。


 モニターを見ると特撮番組の再生はとっくに終わっていた。第一どこまで見たかも記憶が定かではない、悪夢の所為で気分が変わってしまい、世界ニンジャファイターをこれ以上見返すようなノスタルジックは今日はもう湧いてこなかった。

 清壱は結局1話目の25分あまりの映像さえ満足に視聴しれずPCをスリープモードに戻し、ベッドの上に横たわってしまった。


 清壱はその日も枕下に隠した護身用ナイフの手触りを確認し、部屋の明かりを消した。
 暗黒の中に抱かれる男が、その意識さえも闇の中に溶かしてしまうのはすぐのことだった。

 疲れた。ただその一念のみを心の中に絞り出し、男は目を閉じる。
 そのとき、


 イチさん
 清壱先生


 カスミと望、それぞれの自分を呼ぶ声が幻聴として聴こえた。





 その中に混じって
「イチくん、学校行こう」
 違う少女の呼び声が微かに聴こえた。

「ナツ……ミ……」
 それは幻だが、清壱にとってそれは確実に聴こえたのだ。




 僕は、今も君を…………。



 その先を頭の中で言葉にしようとしていたはずだったが、彼はそれを為せなかった。





 ― 第七章へ続く。 ―


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