夜影末法斬鬼禄

名誉ナゴヤニスタン人

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第参章 - 焔魔王は異形の剣と躍る -

014話「邪悪の予兆」

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第14話「邪悪の予兆」


 広瀬邸では老女が一人、洗濯物をベランダで干していた。ラインナップは、年頃の女性のシャツやズボン、可愛い柄のバスタオルやパジャマ……どれも老女のものではなさそうだ。洗濯の量も一人分のものしかないのですぐ干し終わってしまう事だろう。大した家事ではない。

 窓を閉め、下着類だけは部屋干しする。以前一度、カスミの下着が下着泥棒の被害に遭ったことがあるので、それを教訓にした対策である。

 柳の緑のように明るい柳緑りゅうりょく色のカエルエプロンのポケットが音楽を鳴らし始めたのは、水色の横縞パンツを干している時の事だった。


「あら、誰かしら」

 卜部 京子はエプロンのポケットに入れたスマートフォンを手に取る。着信メロディは「服部半蔵 影の軍団」のメインテーマである、なんと雄大なセンスの持ち主だろうか。余談であるが、件の作品の主演はサニー千葉こと巨匠マエストロ、千葉 真一である。

「もしもし? 私です」

『こちら無間ムゲンです。報告したい事があるのですが、今お時間と環境の方は……』

 スピーカーから聴こえて来る音声は男性の声のようであるが、ボイスチェンジャーによって加工されていて、声からでは年齢や体型を想像する事が不可能であった。
 ただし、通話先の相手は自らを「無間ムゲン」と名乗った。”影の組織”が広瀬 カスミの身辺警護の為に放った上級戦闘員、その人の呼び名である。


 京子は辺りを軽く見回すと、こう答えた。
「ええ、はい、こちらは大丈夫ですよ。はい、大丈夫です、少しぐらいは話せますよ。まだあの子帰って来てませんから」
『GPS追跡だけでは不安がありますが……』

 本人は知らないが、カスミの位置情報は彼女のスマートフォンと、手持ちの防犯ブザーに仕込まれたGPSによって常に二重の追跡を受けている。ただ、無間はそれだけでは不十分と言いたげのようだ。

「心配要りませんよ。その為に安斎アンザイいえ……顕教ケンギョウくんに頑張って貰っていて、私も外に出ているんですから」

 「顕教」とは、カスミの護衛にあたっている更にもう一人の仲間の呼び名である。

 カスミの警護は現在三人体勢でカバーされており、在宅や近所のスーパーへの買い物の範囲は「銀蘭」こと京子が、学内の治安監視と防衛は「無間」が、そして通学ルート上は顕教によって密かに護衛されている。


『顕教くん一人では危険だ。相手は水葉スイバを殺った連中です、何を仕掛けてくるかわからない』
「それは同感だけど……こっちも別の任務に出てる人が多くて、24時間フルで動かせる高段者は限られてるわ。表の仕事が忙しい人も多いし……」
 そう言うと、通話先の無間が唸る。

「それにあまり日の浅い人を出して、犠牲者を出したくないわ。大丈夫よ、彼だって強いんですから、何とかなります」

 安斎こと「顕教」は若手のため銀蘭や無間には実力を大きく譲るが、それでも並の襲撃者数人なら仕留めてしまう程度の戦闘力は十分有している。それを不足というのは京子にとって贅沢にも聴こえたのだった。

『フウム……』
 やはり無間は唸った。不服はあるものの、彼も京子の口にする理屈や心情には理解があるようだった。
「それより、どう? 転入生さん。新しい学校生活は楽しめてる?」
 京子が茶化して言うと、無間は軽く愛想笑いする。

『ははは、やめてくださいよ、ただの仕事ですし』
 と、無間は乾いた笑いで返す。
『第一、そんな大仰おおぎょうなもんなんかじゃないです』

「でも、せっかくの学校よ」
『楽しむ余裕は余り無いですね。悪い話があります。こっちの放った”草”はダメですね、消息を絶ちました』
「うっそ、バレちゃったってこと?」
『さあ、外部協力員ですし、単に懐柔されて寝返ったかも』
 それを聴き「まさか」と口にする京子であるが、無間はこう言う。
『向こうには暴力、金、酒、女、ドラッグ……全てがある』
 全く嫌な話だ、正直まともにこんな事を聞きたいとは60を過ぎた今も思わない。

「こっちも酒だったら負けないわよ。日本酒とウイスキー作りならそれこそ私達の……」
『悪い話はもう一つ』
 無間は京子の口にしかけた冗談を遮って言った。

「他にもあるのー?」
 京子がうんざりした口調で言うも、無間は淡々と報告を続ける。

『「千里眼」の使用経過について報告が。警戒のため、屋上から双眼鏡とドローンを使っていますがここ2日、連続で同じ男数人が学校周辺をうろついています、偵察でしょう。つまり、そろそろ……』


「うそ、それ本当?」
『マジですね。万一に備えて、守り切れるだけの道具は日々増やしてますが』
「ちょっと無間さん、それは学内に乗り込んでくる想定で? こっちの家や通学路を無視して?」

 京子は眉をひそめた。当然である、こっそり拉致するだけながらもっと少人数で、通学中や、カスミが遊びに出かけている所を狙って拉致すればいい。それをわざわざ、警察や大勢の注意を引くような場所に直接踏み込んでくるなんて合理性がなく、道理が通らないのだ。


 ――――その疑問に対して、無間の意見は極めてシビアだった。

『当然でしょう。クソッタレ共はそれぐらいの事は平気でやります。自分が土足で踏み入っちゃいけない所など、世界のどこにもないと思い込んでやがりますからね』

 無間は彼らが、そういった道理や合理性を無視する連中であると認識しており、巌山が殺傷した人数の多さを考えれば、カスミ一人を犯してヤク漬けにして海外に売り飛ばすだけで、果たして彼ら「ジ・リーヴァーズ」の”報復”としての目的が完全に達成されるのかは甚だ疑問に感じている。ゆえに、こう続ける。

『銀蘭さん、クソッタレの行動を理屈とか合理性で考えたらダメです。”ああいう連中”は損得でやるんじゃない、”ヤりたいから犯る”、”面白そうだから殺る”、それ以上の知性は持ち合わせていないクズだ』
 京子がボイスチェンジャー越しにも無間の怒りを感じ取る。そ実際、彼の言葉には言いしれぬ重みと説得力があった。


 その時、一階の玄関の扉が開く音を京子の反対側の耳が聴いた。
「ただいまー」
 カスミの声に間違いなかった。

「わかりました。あなたがそう言うなら……すみません、家族が帰ってきたので、またお話しましょう」
『了解です、くれぐれもお気をつけて』


 そちらもですよ。そう言って京子は電話を切り、下着の残りを干すと帰宅したカスミを一階へと迎えに行く。
「おかえりカスミちゃん」
「あ、ただいま」
 今日もカスミの顔には傷一つ無く、美しい見た目と表情を保っている。顕教はきちんと仕事をこなしているようだ。

「洗濯、とりあえず干してあるから」
「あ、ありがとー、助かるー」
「どういたしまして」
「お風呂も沸かしておく?」
「いいの? ありがとうー」

 京子は言うと、カスミは笑ってお礼の言葉を口にする。ここずっと京子の脳裏に浮かぶのは、水葉スイバの悲惨な最期である。気が付けば老女は、彼の事を思い出さない日は無くなっていた。


 繰り返してはいけない。同じになってはいけない。


 彼女の無垢で屈託のない笑顔を、悪い人たちから守り切れるだろうか
 京子は内なる苦悩によってその胸を締め付けられた。

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