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第参章 - 焔魔王は異形の剣と躍る -

027話「立ちはだかる合気杖」

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『高雅高校防衛戦:13』
第27話「立ちはだかる合気杖」


「先生だめです! 奴らが入ってきます!」
 そう叫んだのは土まみれのサッカー部員で、彼は土足のスパイクのまま体育館に入ってきていた。普段なら教員に怒られるだろうが、緊急避難のためだったのだから仕方がないし、それを咎める余裕のある者など一人も居なかった。


 割られた窓から鉄パイプを持った悪漢が侵入して来ると、男子生徒に狙いを定める。男子生徒は尻もちをついて後ずさった。


 その間に割って入ったのが、大きな髭むくじゃらのテディベアのような中年教員だった。
 悪漢が何かをするよりも早く教員は腰を沈めて踏み込み、悪漢にワン・ツーパンチを叩きこむ。ヘヴィ級ボクサー同等のウェイトを抱える男性のパンチはただ重いだけでなく、殴り方もちょっとしたボクサー顔負けの技量だった。悪漢はその威力を堪えきれず腰から路上に崩れる。


 体育館にはちょっとした奇跡が起こっていた。法と神に見捨てられた世界の中にありながらも、在校戦力のみで悪漢たちの襲撃に耐えていたのである。

 奇跡を起こすにはいくつかの因子があった。一つは体育館のゲートを施錠可能な老用務員が、全身を刺され血まみれの状態となりながらも、暴行寸前だった少女を一人救助しながらこの体育館へと駈け込んで来た事である。

 一つは、この学校に武道場がなかった事である。高雅高校に正規の部活動として存在する部活は伝統系の空手部と、剣道部で、そのいずれも体育館で練習を行っていたため、学内の武闘派戦力は体育館に集中していた。
 特に剣道部は過去に全国大会出場者を輩出している、まあまあ悪くない学校で、竹刀や剣道鎧で武装した数名が大健闘を果たしていた。


 だが体育館防衛の最大戦力は剣道部部長でも、剣道三段の顧問でもなく、一人の太った中年教員だった。

 素手で挑んで来た悪漢が中年教員の胸倉を掴み、柔道技の「大外刈」で投げようとする。柔道を使う相手だ。だが、中年教員も悪漢の両胸を取ると、思い切ってぶらさがった。グラウンド戦闘に引きずり込まれた悪漢は当初上側であったものの、数秒もしない内にグラウンドテクニックで上下をひっくり返され、逆にマウントを取られている。
 そして「突込締」で頸動脈を締めあげると、敵はあっという間に失神し動かなくなった。髭を生やした中年男性は汗を半袖シャツの肩で拭い、大きな腹肉を揺らしながら次の敵へと挑んでゆく。



 彼こそが体育館防衛に最も貢献している最大戦力、格闘技同好会こと「コンベイティ部」の顧問を務める雷善ライゼン マット教員である。
 学校内での役職としては基本、広瀬 カスミのクラスを受け持つ担任に過ぎない彼であるが、実のところ尋常ならざる特技を隠し持つ男であった。


 ――――彼の普段役に立つ事のない特技、それは戦闘技術全般である。特にライフル、ナイフ、そして徒手格闘、より具体的にはグラウンド戦闘を得意としており、ブラジリアン柔術の黒帯取得者である事自体は学内でも知られていた。

 そもそも、彼が取得するブラジリアン柔術の黒帯は、空手や合気道など他武術と比較しても圧倒的に取得難易度の厳しいものであり、それを持っている事自体が個人で道場を設立可能な半達人的腕前である事を示す勲章だ。

 彼の寝技技術の”やり込み”は余りに世間離れしたレベルで、瞬く間に悪漢たちを床の上に寝かせていく。

 全く信じがたい話であるが、学校教員というのも様々で、時折こういう埋もれた逸材がこういう小さな学校の小さなポストに甘んじている事がままあるのだ。


「先生、もうだめです! 防ぎ切れません!」
 とはいえ、もう限界だった。体育館に門以外の窓が多すぎた。割れた窓から次々と悪漢たちが流入し、空手部員やコンベイティ部員のように徒手格闘専門の者から負傷者が増えている。

 その中で入ってきた悪漢の一人に、尋常ならざる者が混ざっていた。彼の背格好は170センチ半ば、そこまでの大男というわけではなかったし、柔道家やレスラーのように耳が変形しているわけでもない。細身というわけではなく、むしろややふっくらとした顔つきのまだ若い男。

 肉体といえば、発達した三角筋と僧帽筋がYシャツ越しにも確認できるもののボディビルダーほど大きな体をしているわけでもない。
 だが白樫の木の棒を背負った男は只ならぬ雰囲気を放っている。それは強者特有の、己の強さへの自負から来るオーラ、風格というものだ。


 白樫棒の悪漢を残った空手部生徒とコンベイティ部生徒が囲むが、男は四尺二寸の棒をクルクルと左右に回しはじめ、相手を寄せ付けない。

「だめだ! そいつは手に負えない!」
 来善はすぐに相手の危険性を察知し制止を呼びかけるが、遅かった。別の生徒が一人ずつ、順番棒を奪おうと突っ込んでいく。白樫棒を手にする男は棒回しを辞めると、まずタックルを仕掛けようとした生徒の後頭部を棒で叩き割った。次の生徒が走り寄って来るも、それよりも速く喉の突きが命中し、少年は血を吐いて顔から地面に落ちた。

「来善先生、私がやります……!」
 全滅を防ぐべく前に出たのは剣道部顧問の田所である。

「田所先生、あれは恐らくですが合気道です。一人では手に余ります」
 来善が断定して言った。


「合気道が武器を?」
 田所教員は尋ねたが、その疑問は珍しくない。
 合気道は「徒手格闘における投げ技を使う」という事だけは世間によく知られている。しかし彼ら合気道家は平均的にメディアへの露出を余り好まない傾向があるため、合気道という武術が打撃、関節、投げ技、そして杖や剣のような武器術まで扱う総合武術であるという事実は、流派の外の者にはあまり伝わっていないのが現実だ。


「使いますとも、もちろん徒手格闘も含めて……」

 合気は危険な武道です。そう口にした来善の額を汗が伝う。相手の男は30代の前半……いや、まだ20代の内かもしれない。相当若いが、杖や剣を使いこなす合気道家は実際の所年長者の中にさえ多くないのが実情だ。それを自信を持って、自ら杖を持ちだしているというのはそれだけで強敵の証左となる。

 ブラジリアン柔術のみならず多くの武術を収める来善であるが、その性格は実直穏健。戦いに卑怯な手を用いず、常に正々堂々とした戦いを行う。

 その彼が非常に慎重な姿勢となり、個人間の決闘ではなく多対一を提案する。――その意味を考えた時、田所教員のこめかみを流れる汗は急激にその熱を失った。

 ほう、と感心の息を漏らした敵が、二人の敵に不敵な笑みを投げかける。
「合気杖がわかる奴がいるとは……」
 堕ちた合気道家、小松崎は二人がその他大勢の雑魚とは一味違う事を認識し、四尺二寸、白樫の棒――――あらため「合気杖」の先端を向けた。

「だが、それだけで勝ったつもりになるなよ」



 ・『ヘッジホッグ・クルセイダー』来善ライゼン マット
 ――――元傭兵。イラク戦争、アフガニスタン戦争参加者。
 松濤館空手初段。柔道弐段。コマンドサンボ:インストラクター資格。
 ブラジリアン柔術:四段(黒帯、師範資格)。その他、ボクシングやエスクリマ等多くの格闘技・武術を経験。現、高雅高校格闘技同好会「コンベイティ部」顧問。

 ・田所 建志ケンシ
 ――――剣道参段。柔道一級。高雅高校剣道部顧問。


 対

 ・『刀捕り』小松崎 雅
 ――――元合気道四段(破門)、柔道初段(破門漏れにより現在も有効な段位)。合█道 氣登会 ██本部道場 元指導員。
 (通りすがりの女性の髪や顔に体液をなすりつけた疑いにより、暴行の容疑で逮捕。流派を破門となる。)


 束になっても叶わぬ男子生徒たちが散り散りになってゆくなか、田所教員と来善はそれぞれ戦闘姿勢を取り、互いに距離を取る。
 小松崎も青眼剣構えにて合気杖を構え、その切っ先は田所教員の喉へと向けつつも、来善からも決してその意識は離さない。

 田所は中段に木刀を構えるが、緊張で手に力が籠る。この間も田所と来善は小松崎を挟み撃ちするようにジリジリと動いていく。

 最初に仕掛けたのは小松崎だった、挟み撃ちを阻止せんと田所へと下段払いを放つ。剣道では喰らう事の少ない攻撃を冷や汗をかきながら間一髪防ぐ田所であるが、防御の瞬間、二撃目となる突きを胸部に受ける。

 幸い胴当てがあったものの、防具越しにもその衝撃は凄まじくふらつく。そして崩れた所を許さぬ三撃目、手を持ち替えながらの上段袈裟振りが田所の左腕を打った。

「うぐっ……!」
 剣道防具による保護の有効ではない箇所を狙った一撃だった。竹刀のとは比べ物にならない鈍い痛みが左腕を伝い、木剣を取り落としそうになる田所であるが胴打ちによる反撃を放つ。
 攻撃は当たらなかった。槍や六尺棒術用の棒より短い合気杖であるが、剣よりは間合いが遠く、剣士は木剣である限り杖に対して不利を強いられる。

 田所が極めて危険な状況にある。来善が近寄ろうとするが、それを見切った小松崎は横に向かって振り払い、来善を牽制。

 田所が攻撃の前兆を示すが、小松崎はそれよりも速い。振り払いから切り返す振り上げの一撃は来善を更に牽制すると共に、攻撃を仕掛けようとした田所までも牽制し下がらせる。

 一度退いた田所はそれを反動にして、踏み込みながら全速力の面打ちを放つ。
「メエエエェェェェェン!!」
 気合を発して行う剣道家の木刀面打ちはもはや禁じ手レベルの攻撃で、受ければ戦闘不能は避けられない。――――が、ここで田所は合気道の体術を使い、前足を引いて後ろに楕円を描くような足運びでこの攻撃を回避してみせたのだ。

 そして、相手の攻撃の勢いを利用して放たれた必殺の突き込み――――。

 それは合気道が十八番とする、相手の攻撃の威力をそのまま相手に還す。というメソッドに忠実なものだった。剣道防具が無ければ当然即死、それがあったのはまこと幸運であったものの、それでも防具では威力を吸収しきれず、田所が血の飛沫を剣道面の中に吐きだした。

 一生に一度も喰らいたくない一撃を受けた田所は呼吸の困難な状態となり、木剣をその場に取り落とすと両膝を着いて崩れる。

 田所 建志、戦闘不能――――。


「田所先生!」
 小松崎が側面からの首への攻撃で完全に息の根を止めようとするのを来善は止めに入ろうとする。しかし徒手と合気杖のリーチの差は大きく、小松崎の迎撃の方が速い……はずだった。

 小松崎が合気杖で横払いの攻撃を放つため杖を引こうとした時、力の抵抗を感じた。呼吸困難と激痛でもはや視界には何も入らず、その意識が完全に闇の中に沈もうとしている中で、彼は右腕に残った最後の力で合気杖を掴んでいた。

 舌打ちした小松崎が強引に手を振り払い、来善を迎撃するまでのタイムラグは殆ど生じない。田村が最後の力で稼いだ時間は半秒にさえ届かなかった。

 だがその行動が来善を、ひいては田所自身を救ったのだ。


 間合いを急速に詰める来善であるが、彼の腰を合気杖の一撃が襲う。この一撃によって来善の動きは鈍るはずだったが、彼は止まらなかった。

 田所が稼いだ半秒の間に来善は数十センチを前進した。たったの数十センチであったが、その前進のために合気杖の打点がずれ、遠心力によって最も破壊力を発揮する部分で腰骨を打つ事に失敗したのである。

 そして来善はその腹の肉と巨体が示す通り、生半可な一撃では沈まないだけの耐久力を有していた。そして中東での戦争経験から、痛みにも耐性があった。彼もまた、尋常ならざる者の一人であった。

 アフガニスタンに居た若い頃よりも体が重くなったと思う。
 腹の肉もかなり出て来たと思う。
 正直髪も薄くなった。

 当時の戦友で生き残った者も、年を理由に皆前線を退いてしまった。
 いや、自分だってそうだ。

 だがそれらを理由に、「もう戦えなくなった」なんて、来善は思っていない。



 来善が放ったのは彼が最も得意とする一撃、即ち、相手をブラジリアン柔術の土俵である蟻地獄グラウンドへと引きずり込むための、超高速で放つ片足捕りタックルだった。


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