夜影末法斬鬼禄

名誉ナゴヤニスタン人

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第五章 ‐ いつか星の海で ‐

060話「影のお仕事」

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第60話「影のお仕事」


 新港中央広場に男が一人、白い石造りの生垣に腰掛けると深い息を吐いた。
 いつの間にか日は傾き、空は赤く染まっていた。

 夏の夕暮れのぼやけた空気が清壱の頬を撫でて、「もう真夏だな」と一人呟く。彼は虚無を湛え続ける暗い瞳を隠すように偏光スポーツサングラスをかけている。駐車場で投げ捨てたせいで、レンズに少し傷がついていた。
「また買い替えだな……」

 そうしていると「うんしょ、うんしょ」と、小さな独り言が耳に入った。
 「うんしょ、うんしょ」
 独り言はどんどんこちらに近づいてくる。

 振り向かずとも、気配・足音・そして声で、それが誰だかはわかってはいたが、清壱は敢えて振り向いた。

 カスミは清壱に言葉を投げかける。
「お疲れさまです」
「どうしたんだ、卜部さんたちと一緒だったんじゃないのか」

「うん、そうなんですけど、おばさんが差し入れしてあげてって……はい」

 カスミは両手にタピオカドリンクの入った透明のプラスチックカップを持っていて、その片方を清壱に差し出してくる。彼はそれを受け取らず、怪訝な表情でこう尋ねた。

「……まさか、ここまで一人で歩いてきたのか?」
「? ええ、そうですけど……」

 カスミが目をぱちくりさせて神妙な表情で答えると、

「ああ……宗家そうけにはこんなもの見せられないな」
 と、清壱は顔を抑えて一人この惨状を嘆いた。

「聞きたかったんですけど……「ソーケ」? ってなんですか?」

 聴き慣れない武術用語にカスミが首をかしげると、彼はこう説明する。

「ああ、『宗家そうけ』ね。「流派の一番えらいひと」って意味かな、概ね。私達にとっての宗家というのは、夜陰流30代目継承者の藤川先生の事になる」

「社長とか、そういう感じ?」
「そうそう、だいたいノリはね」
「じゃあやっぱり……すごいひとなんですよね?」

「それはもう。なんといっても一番偉いからね」

 そうなんですねえ。カスミは相槌を打つと、もう一度タピオカドリンクを差し出した。

「それより、はい、これ。飲んでください、ぬるくなっちゃいますよ」
「貰うよ。ありがとう」

 彼は抹茶ラテ味のそれをようやく受け取った。
 どういたしまして。とカスミは微笑んでから、彼の腰かけていた石壁の隣に座り、自分の分のタピオカドリンクのストローを口に運んだ。

「他の三人は今どうしてる?」
「翔子ちゃんは安斎さんと一緒に、電車で先に帰るかもって言ってた。おばさんは今電話中。今はイチさんの所に行ってて……って、これを」
 と、カスミは自身のタピオカドリンクを指差して言う。

「どこでこれを?」
「ワールドポーターズで、中の飲み物屋さんでおばさんが買ってくれたんです」

 そうか。と清壱は相槌を打つ。中央広場の彼が座っている場所から見て、右手には夕日に染まった赤レンガ倉庫が、左手にはカスミが名を挙げた巨大商業施設「ワールドポーターズ」の姿があった。


「業務外の戦闘による負傷と命令違反で護衛役が一人脱落、警護対象は一人で飲み物を持って街中をふらついているなんて……はっきりいってメチャクチャだ。私の指導能力不足も問題になるだろうな」
 落第点なんてもんじゃないよ。と清壱は自嘲的な笑みを浮かべる。
「バレたら他の先生や先輩に、めっちゃくちゃ怒られるだろうなあ」

「大丈夫です、誰も見てませんよ」
 少女は少しイタズラっぽい表情を見せ、ウインクすると言った。
「だから、この事はナイショにしちゃいましょう」
「そうだね。……そうしようか」
 清壱が肩をすくめた。

 遠くに見える大型複合商業施設、ワールドポーターズの方面へと目を凝らすと、何かがキラリと光った。銀蘭が位置を知らせるために使っている手鏡とフラッシュライトの光だ。

 なんだ、一応見ててくれたのか。と、清壱は光の反射の方向に向かって独り言を呟いた。

「あの、イチさん」
「なんだい」
「翔子ちゃんが叱られちゃったのって、私のせい、なんでしょうか」

「なぜそう思った?」
 と、清壱は理由を尋ねた。
「だってその……私の事があるから……」

「違うよ、カスミさん。草薙さんが叱られたのは、彼女自身の問題だ」
 いや、そういう言い方は良くないな。厳しい言い方かもしれない。と少し自身の言い方に反省してから言葉を続ける。
「でも、カスミさんに問題の無い事だけは確かだ。むしろ、間接的には君があの子供を救ったのかもしれない」

 どういう事ですか? カスミが言葉の意味を尋ねた。

「――――だって、君が横浜の中華街に来なかったら、そもそも誰もあの誘拐に気づかなかったはずだ。物事は、そういう風に考える事だって出来るんだ」
「そっか……。なんかイチさんって、大人の人なんですね」

「買い被りすぎだな」
 清壱が苦笑すると、カスミは微笑み返した。
「ふふ、どうでしょう?」


「カスミさんは、「ニンジャの仕事」って想像した事あるかい」
「え? クナイ使ってお城登るとか、大名の命狙ったりするとか、そういう系ですか?」
 カスミが聞くと、清壱は突然ケラケラと笑い出した。

「大名。大名かあ……。その発想は無かったなあ……」
「違うんですか?」
 どこか馬鹿にされたような気がして、カスミがその頬を膨らませる。

「いやいや、ごめん。確かに大昔はそういう事もあったかもしれない。でもお城に忍び込んだ事はまだ無いかな。実は、君には黙っていたことがある。そんな大したことじゃないから特に言う事もなかったけど――――実は僕、忍者なんだ」




「…………? あ、はい。知ってました…………」

 だいたいこういう話を切り出すと、驚愕されるか、相手の正気を疑うような疑いの表情を取られるか、あるいは十割冗談と受け取られて鼻で笑われるかの三択だと思っていたのだが……カスミの反応は少々拍子抜けだった。

「なんだ。卜部さんから聞いたかい?」
 彼女の反応をほんの少し残念に思いながら、彼が聞く。少女は首を横に振った。

「いえ、そうじゃないですけど……なんかそんな感じがしてて……。それに刀とか、手裏剣とか、そういうの持ってるし……映画で見た忍者みたいだなって、ずっと…………。観ましたもん「忍びだらけの国」」

 まあ、それもそうか。確かに手裏剣投げるし。と清壱は苦笑いして、言った。

「あはは、その映画なら僕も観たよ、つい最近」
「そうなんですか」
「ああ。でも実際の所、映画ほどには派手じゃないし、「忍者」って皆の想像よりずっと地味だよ。昔の水遁の術でやってた「水蜘蛛」とか、本当は浮輪を抱えて泳いでただけだしね」
「ええっ? そうなんですか?」

「そうだよ。映画でクナイを沢山投げるのは創作者が棒手裏剣と誤解したことだと言われてるし、手裏剣もそんなに大量には投げなかったらしい」
「え? 投げないんですか?」
「鉄が貴重で、しかも加工技術が高くなかった時代に、あんな星型のギザギザした手裏剣を作ったら相当貴重なものになる。少なくとも当時に量産は出来なかっただろうね」

「へー……詳しいですね」

 詳しいとも、なにせ僕はニンジャだからね。と清壱は笑った。

「夜陰流は、戦国時代ぐらいから続いてる忍術なんだ。発祥は駿河国するがのくに、今の静岡県のあたりだとか……。でもそういう事をボカすために古武術とか護身術とか、色んな名前を名乗って実態を誤魔化している。外国向けには拡張エクスパンション古武術マーシャルアーツとか、それを英語で略してE-MAYR(イーマイヤー)システムなんて呼称も……」

「なんか……色々覚えきれません」
 カスミが難しい表情をすると清壱は

「覚えなくていいよ、別に現代では役に立たないし、外国人も実際の所「実戦で使えるかどうか」しか気にしちゃいない。宗家もアバウトなお人だから、看板の名前なんてそんなに重要じゃないと思ってるだろうね」
 と言って肩を竦めてみせた。


 清壱は言った。
「「忍者」っていうのは自ら望んで始めた仕事だけど……まあ、探偵や軍人よりもずっと変な仕事だろうね。……例えば、ある年はヤクザ事務所の近くの居酒屋で焼き鳥を毎晩焼いてた」

「えぇ? 忍者が……? 焼き鳥焼くんです?」
 それがあまりにおかしい事のように聴こえてカスミが笑うと清壱は

「そうなんだよ。おかしいだろ? 店長にも他の店員にも、誰にも素性を悟られず、毎晩ビールサーバーと格闘するのが忍者の仕事だった。そこで働いてたのは3か月ぐらいだったかな? いつもボサっとしていて仕事が遅いって店長によく怒鳴られた。参ったよ」
 と苦笑いを浮かべる。

「よく説教された。「こんな簡単な仕事も出来ないのに、よく社会に出て来られたな」って」
「そんな事……」
「どうも僕には、焼き鳥屋はあんまり向いてない仕事だったみたいだ」
 と、タピオカドリンクをストローで吸い上げて、清壱は軽く苦笑した。

「別の年……外国の軍人が僕の顔を覚えてくれるようになり始めた頃かな、その前の年は政治家の護衛をしてたんだけど――――その年はアメリカ国防省から夜陰流の本部に武術指導の依頼が来て、宗家は既にご高齢だから、有澤師範や僕が「代理の使者」として宗家に指名された。「筒井くん、指導に行きなさい。そして君自身も彼らから学んで来なさい」……ってね。

 それで僕は特殊部隊や諜報員に格闘技を教える事になった。みんな僕より体が大きくて、力も強くて、僕より才能のある人ばっかりだったよ。

 ……かと思えばその翌年はデパートのカルチャーセンターの講師をやる事になった。一般向けの護身術教室で、家に帰れば積みゲーの消化にハマってた。そんなに忙しくない年だったね。

 でもそうしていると、ある日声がかかって裏の仕事を依頼されるんだ。知らない偉い役人が僕に深々と頭をさげて、写真と情報の入ったUSBを渡してくる。写真に写ったそいつは、国防に関わる日本企業の情報を持ちだそうとしている外国の諜報員スパイだと言う。
 日本政府の仕事で、宗家からも「君がやりなさい」と名指しされるから仕事を断れない。僕は二週間の調査の後のある夜、電車に乗って浦和まで行くと、写真と官僚の噂話でしか知らないアジア人の諜報員の男を闇討ちし――――後ろから苦無クナイで滅多刺しにした。


 …………彼は銃を抜く前に死んだよ。アジアの言葉で何か最後に呟いたが、英語じゃないから僕には何と言ったのか判らなかった。……僕は物言わなくなった男と、返り血のついた服を路地裏のゴミ捨て場に捨てて去った。

 人間を一人殺した僕は、夜が明ける前にタクシーに乗って横浜に帰るんだ。仮眠を取って、シャワーを浴びて、それで……お昼過ぎにはカルチャーに足を運んで、何食わぬ顔で専業主婦やお年寄りのみんなに護身術を教えるのさ……いつもと同じ、ニコニコと笑顔を造って……」




 彼は偏光サングラスの奥で、目を細めて遠い空を眺めた。
「それが僕の仕事。それが「忍者」という仕事。この職業は一定の形を持たない。住む場所も、肩書きも、名前も仕事をしていく内に変わる。自分が自分である事を証明する手段は、次第に自分の古い記憶の中にしか無くなってゆく…………」
「……」

 すっかり彼の話に聞き入っていたカスミは少し間を置いてから、彼の話が既に終わっている事にようやく気が付く。その話を聞いて感じた事を、少女は何とかありのまま、言語化しようと試みた。

「なんだか不思議で……切なくて……でも、ほんの少しだけ、ロマンチックですね……」
「ロマンチック? 変わった事を言う」


 ――――そうですか? 私、変わってますかね……。

 ――――そうとも。でも、悪い事じゃないと思う。



 二人はやり取りを交わし合う。西へと傾く夕日は男女の背中へと降り注いでいた。

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