夜影末法斬鬼禄

名誉ナゴヤニスタン人

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第五章 ‐ いつか星の海で ‐

065話「Heavenly Blue:2」

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第65話「Heavenly Blue:2」


「そうだね……色々、大変だった」
 振り返ろうにも母親との少ない記憶のほとんどが宗教施設と、そこに向かう間の電車内の思い出で、清壱は肩を落として息を吐く。その姿は瞳に宿った彼の虚無が、全身にまで及んでいるようにさえ見えた。


 ――――こうしている間にもゴンドラはゆったりと上昇してゆく。側面を見るとライトアップされたランドマークタワーの美しい姿があって、もう反対側の地上に目をやると、ジェットコースターのレールのライトが紫色に変色していく瞬間を目にすることが出来た。
 ジェットコースターの駆動音と、観客の楽しげな絶叫はまだこの場所まで届いて来て、ゴンドラ内は穏やかなBGMをバックに、英語と中国語による女性のガイド音声が流れている。


 ゴンドラのガラスにコツン、と頭を寄りかかると、地上の光を見ながら少女はポツリ呟く。
「家族って……色々あるよね」
 自分で言っておきながら、何と慰めにもならない凡庸な言葉だろう。カスミは内心自嘲した。

「私はお母さん……死んじゃった…………」
 一瞬、あの病室の光景がフラッシュバックしてしまったせいで出た言葉は、無意識の呟きだった。口にしてから彼女はハっとなって、目を見開いて軽く瞬きする。

「そうか」
 男は静かな相槌を打った。少女は軽く唇を噛むと、軽く俯いて言葉を発する。その視線の先には星の海のような輝きも無ければ、暗闇さえも無い、ただのゴンドラの床だった。

「……癌だったんです。本当はずっと身体が悪くて……でも無理して私を遊びに連れて行ってくれて……でも……水族館に行った日、お母さん、倒れて……それで……」

 そうか。相槌をもう一度打つと、清壱が静かに尋ねた。
「母さんの事、今も好きかい」

 すると、少女はコクリと頷いた。
「うん。お母さん、とても好きだった。優しかったし、沢山遊びに連れて行ってくれたし……だから、死んじゃった時本当に悲しかった」

「そうか。……君のお母さんは、今も大切に思っていてくれて、喜んでいると思う」
 清壱は、せめてもの慰めのように言った。
「君のお母さんは、君の事をとても愛していた…………」
「……イチさん。私のお母さんの事、知ってるんですね」
 少女の感が冴えた。

「いや、直接は」
「隠さなくて、大丈夫ですよ。私、聞きましたから」
 頭の重みをゴンドラのガラスに預けたまま、カスミは言った。
「お父さんが忍者だった事も……お母さんも……忍者だった事も……。二人とも忍者で、恋をして、それで私が生まれたって…………」

「……知っていたのか」
「はい、私が聞きました」
「そうか……卜部さんは…………」

 彼女の心に与える影響を考慮して、カスミの両親について話す事は禁止されていた。そのタブーは清壱は勿論、モミザ翔子ヨバチも同様に守り、肝心な事については沈黙を貫いた。
 唯一、卜部 京子だけが発言の裁量を預かり、彼女が自分の口で少女に説明する事で合意されていた。

(あの人は、話す決心がついたんだな……)

 彼は指を動かして忍びの「印」を組む仕草をみせると、決心して沈黙を破った。
「君のお父さんは現・月照支部のナンバー2。人呼んで「不倒の『巌山ガンザン』」。そして君のお母さん、広瀬 菊華きっかは、流派始まって以来の天才女性剣士と呼ばれた人だったんだ」

 清壱は少女に問いかけるようにして、こう告げた。
「本当に、多くの事は知らない。それでも知りたいというなら……僕の知る範囲の僅かな事を、正直に話そう」

「どんな話でも良いです。知りたいです、お母さんの事」
 少女の返事は決まりきっていた。清壱は「わかった」と頷くと、やがて語り始めた。

「……僕が夜陰流の門を潜ったのは中学生の時。30代目宗家の藤川先生に拾われた僕は筒井 清壱の名を貰い、過去を捨て、違う人間として生きていく事になった。

 僕の身柄を引き受けたのは有澤師範。あの時、まだあの人は30代だったが、地下鉄サリン事件の時にテロ組織と戦った功績から史上最年少で『夜影十傑集』入りし、「破防の『月照』」という通り名と肩書きが既についていた。あの頃から強かったね。


 ――――それで、僕は月照道場に入門した。当時は『道場』として、夜間には一般の指導も並行して行っていた時代だったが、その以前からテロ対策や危険人物の暗殺・要人警護を行う、超法規的秘密警察としての活動も行っていた。
 稽古は苛烈で、裏の世界にまで上がれた者は僅か。僕の同期も多くが挫折し、脱落した。そういう競争の厳しい集団の中、先頭を走っていた先輩たちが居た。

 それが1995年に、有澤師範と共に宗教テロリスト『定命じょうみょうの輪』と戦った経験を持つ三人。つまり君のお父さんと、君のお母さん……そして卜部さんも。皆、居たね。門倉さんは……あの人だけは僕より後の入門だったかな。君はまだ物心さえついていない頃の話だと思う」
「そんなの、知らなかった……」

「彼らは皆凄い人達だったけど、「テロリストでも人間」。そう考えていた三人だったから、自分達が人を殺してるなんて、君には教えたくなかったんだ。
 稽古の時、君のお父さんと卜部さんは、はっきりいって厳しかった。かなりスパルタな人でね……何度叩きのめされたか……。二人とも最近は丸くなったが……」

 清壱は在りし日の菊華の事を何とか思い出そうとする。強く、明るく、美しい女性であった事はよく覚えていた。
「君のお母さんは……とても優しい人だったよ。僕の稽古の様子や、武術との向き合い方をいつも心配していた。本当に最期まで……」
 きっとあの人の目には、僕のそれはひどい姿に見えたんだろう。と、清壱は自嘲の笑みを浮かべる。

「……」

「カスミさん、本当は君の事も昔から知ってた」
「えっ」
 清壱が突如として言うものだから、カスミは小さな驚きの声をあげてしまう。

「一度だけ、君が行方不明になった事があった」
「どうして、それを」
 清壱を見つめるカスミの瞳が微かに揺れ、その動揺が伝わって来た。その出来事は自分でもほとんど忘れていて、誰にも話したことのない話題だったからだ。

 すると、彼は答えた。
「あの日、僕はあの場所に居たからだ」
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