夜影末法斬鬼禄

名誉ナゴヤニスタン人

文字の大きさ
67 / 82
第五章 ‐ いつか星の海で ‐

067話「気怠いあの夏に」

しおりを挟む
第67話「気怠いあの夏に」


 庭での訓練はしばらく続いたが、日が傾く頃には終わりを迎えた。
「今日はもう、これぐらいにしましょう。少し疲れちゃいました」
 Tシャツにジャージズボン姿の菊華がタオルで汗を拭くと、息を切らせてベンチにもたれかかった。

「はい……ありがとうございました」
 清壱は納刀し、深く頭を下げる。彼も汗で濡れ、肩で荒く息をしていた。

「ごめんなさいね、私、体力が全く無くて……」
「いえ、済みません。わざわざ稽古をつけて頂いて、感謝しています」
 清壱は深く頭を下げ感謝を口にすると、もう一度、軽く頭を下げた。
「……本当に済みません」


「なあに、気にしないで。私の練習でもあるんだから」
「私の考えの事でも。その、ご迷惑をかけているので……。判ってます、「ガキの癖に生意気」だって事は」

「そんな風には思ってないわ」
「そう思ってる人も居るのは知ってます。そうした事が理由で、昇段の可否で物凄く”割れた”事も……」
「そういう人だっているけど……だって仕方がないわ、皆色々事情があるもの。特に筒井さんの場合は…………」
 菊華は、目を伏せて呟いた。
「……誰だって辛いわ」


 すると、彼は暗い瞳を浮かべたまま言った。日が沈み始めたせいで、清壱の表情は影に染まっていた。
「辛かったのは、俺じゃありません」
「……あなただって辛くなかったら、そんな顔はしないんですよ」
 影に堕ちた少年の表情をただ一人、菊華が見つめて言った。


 鐘が鳴ったのはその時の事だ。空に響き渡るのは自治体が鳴らす防災無線チャイム、いわゆる「ウエストミンスタの鐘」で、日本に生まれ育ったのならきっと多くの人が聴いた覚えのある音色だろう。

「あれ、今何時かな……? 筒井くん、わかる?」
「もう6時ですね」
 筒井が折り畳み式の携帯電話を開いて、小さな液晶に浮かんだ時刻を見た。

「カスミ、ちょっと遅いわね」
「娘さんですか」
「うん、近所の子に誘われて遊びに行ってるんだけど……」
「どちらまで?」
「公園よ、ちょっと行ったところの」


「少し探して来ます」
「平気よ、私と京子ちゃんで探しに行くから……」
 菊華が息を切らしたまま立ち上がったが、その足元がふらついた。剣技にかけては月照支部屈指の技量を持つ菊華であったが病弱で身体が弱く、長時間の歩行には杖の補助が欠かせない身だった。

「無理をしないでください」
 少年が菊華の肩を抑えて座りなおさせると「参ったわね、こんな身体だから」と菊華が苦笑いを浮かべる。

「私が行きます。代わりに自転車をお借りしてもよろしいですか」



 ◆


 清壱は汗を拭き水分補給だけを済ませると服装は黒い柔術ズボンにシャツのまま、菊華から借りたオレンジ色のママチャリを走らせる。
 カラスが空に鳴き、空の色は茜色に染まりつつあるが真夏の日差しと酷暑は厳しく、ワークキャップを被っていても目がチカチカとしそうだった。

 前カゴには白いMP3プレイヤーが置いてあって、100均の安い小型スピーカーと接続されている。夜陰流からはそれなりの生活資金が提供されていて、それで買った第五世代のE-PAD。従来のMDプレイヤーやCDプレイヤーよりもずっと使い勝手が良い。E―PADからはローリングストーンズの往年の名曲が流されていた。

 自転車を走らせること数分、彼は近隣の公園へと辿り着いた。緑が多く、水も流れており、地元の少年野球やサッカーの練習にも使えるであろう広大なグラウンドもある。小さな子供が帰って来ないと言われれば「さもありなん」といった場所だった。

 清壱は自転車を停め、カスミの捜索を開始する。
「公園内に居るなら良いが……」
 清壱は静かに呟く。少女がまだ公園で遊んでいるだけならば杞憂で済むのだ。カスミはまだ幼稚園児、大人の悪人に対峙した時、その善悪を判断する能力もなければ抵抗するだけの力も無く、逃げるだけの脚も無いのだ。

 可能性の話、もし、誰かに連れ去られていたら……。そんな考えが清壱の脳裏をよぎるのも無理からぬ事だった。

 突如、清壱は強烈なスポットライトの光を浴びせられたかのような錯覚を覚えた。


 ………………

 …………

 ……


 ――――ロウ

 イチロウ

「一郎! 何度言ったら覚えるんだ!」
 憤怒の形相の中年男が、少年を殴りつける。

「ウウウー……。痛い、痛いよお父さん……」
 少年は涙と共に、血の混じった鼻水を垂らして流血した額を必死に抑える。

「泣くな! 泣くならもっと殴るぞ!」



 ……

 …………

 ………………


「うっ……おえっ……うええ………! げぼっ……ごぼっ……ウゥゥゥ……!」

 突如体調不良を感じた清壱が、公園の茂みに向かって走ると、その中で思い切り吐瀉した。フラッシュバックが終わっても視界の点滅は続き、襲って来た立ちくらみは酷暑と蝉の五月蠅さのせいで余計に悪化したようさえ感じられる。


 ――――ああ、クソ。

 清壱は悪態をつきながらフラフラと元の自転車駐輪スペースに戻り、気を取り直して駐輪スペースの捜索からまず開始する。すると……あった、一台の自転車が。
 青と黄色のカラフルな子供用自転車で、清壱の年頃ではもうこぐこともままならない小ささ。補助輪がまだ外れて居なくて、後輪カバーには「ひろせ かすみ」の名前と自宅の電話番号が……。

 清壱自身もこの自転車には見覚えがある。彼女は少なくとも、この公園に来ていたようだった。

「まだ公園に居れば良いが……」
 再び呟いた清壱は、額の汗を拭って日の傾き始めた公園内へ進んでいった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

春の雨はあたたかいー家出JKがオッサンの嫁になって女子大生になるまでのお話

登夢
恋愛
春の雨の夜に出会った訳あり家出JKと真面目な独身サラリーマンの1年間の同居生活を綴ったラブストーリーです。私は家出JKで春の雨の日の夜に駅前にいたところオッサンに拾われて家に連れ帰ってもらった。家出の訳を聞いたオッサンは、自分と同じに境遇に同情して私を同居させてくれた。同居の代わりに私は家事を引き受けることにしたが、真面目なオッサンは私を抱こうとしなかった。18歳になったときオッサンにプロポーズされる。

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

【完結】結界守護者の憂鬱なあやかし幻境譚 ~平凡な男子高校生、今日から結界を繕います~

御崎菟翔
キャラ文芸
​【平凡な高校生 × 妖従者たちが紡ぐ、絆と成長の主従現代和風ファンタジー!】 ★第9回キャラ文芸大賞エントリー中! 「選ぶのはお前だ」 ――そう言われても、もう引き返せない。 ​ごく普通の高校生・奏太(そうた)は、夏休みのある日、本家から奇妙な呼び出しを受ける。 そこで待っていたのは、人の言葉を話す蝶・汐(うしお)と、大鷲・亘(わたり)。 彼らに告げられたのは、人界と異界を隔てる結界を修復する「守り手」という、一族に伝わる秘密の役目だった。 ​「嫌なら断ってもいい」と言われたものの、放置すれば友人が、家族が、町が危険に晒される。 なし崩し的に役目を引き受けた奏太は、夜な夜な大鷲の背に乗り、廃校や心霊スポットへ「出勤」することに! ​小生意気な妖たちに絡まれ、毒を吐く蛙と戦い、ついには異世界「妖界」での政変にまで巻き込まれていく奏太。 その過程で彼は、一族が隠し続けてきた「残酷な真実」と、従姉・結(ゆい)の悲しい運命を知ることになる―― ​これは、後に「秩序の神」と呼ばれる青年が、まだ「ただの人間」だった頃の、始まりの物語。 ​★新作『蜻蛉商会のヒトガミ様』 この物語から300年後……神様になった奏太の物語も公開中! https://www.alphapolis.co.jp/novel/174241108/158016858

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

中1でEカップって巨乳だから熱く甘く生きたいと思う真理(マリー)と小説家を目指す男子、光(みつ)のラブな日常物語

jun( ̄▽ ̄)ノ
大衆娯楽
 中1でバスト92cmのブラはEカップというマリーと小説家を目指す男子、光の日常ラブ  ★作品はマリーの語り、一人称で進行します。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

処理中です...