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〈冒険者編〉
272. パン屋さんです 1
エイダン商会にレシピを売って、二週間後。
ナギとエドの二人は冒険者ギルド経由で指名依頼を受けた。
依頼者はエイダン商会の商会長アントニオ。指名内容は新規オープンするパン屋でのお手伝いである。
そう、エドが作り方を教えたパンをエイダン商会は大々的に販売することを決めたのだ。
「まずは中央区に本店を出すのね。売り物のパンは食パンとバゲット?」
「バゲットにバタール、カンパーニュのハード系パンとセミハード系のイングリッシュマフィンとフォカッチャの五種類を店では扱う予定だ」
生真面目な表情でエドが説明してくれる。
当初は食パンとバゲットのレシピを教えるだけの予定が、請われるまま幾つもレシピを売ることになったらしい。
ちゃんと対価は貰っているようなので、ナギは特に口を挟んではいなかったのだが。
「食パンは売らないの?」
商会から食パンを買う気満々だったナギは首を傾げた。
ふわふわの食感で使い勝手の良い食パンは絶対に売れると思っていたのだが。
すると、エドが端正な口元に微苦笑を浮かべた。
「食パンとバターロール、クロワッサンはパン屋では扱わないらしいぞ。エイダン商会が経営しているホテルとレストランで専売する予定らしい」
「あー……そうきたのね……」
高級ホテルと高級レストランでのみ出される特別なパン。
それはきっと物凄く話題になるだろう。
庶民用のハード系のパンは量産してお手頃な価格でパン屋にて販売。
夢のように柔らかくて極上の味と食感を誇るパンは高値で提供する。
「高値と言っても、少し頑張れば、冒険者でも通える金額らしいぞ。ただ、先行でお試し提供したら、常連客に大好評でしばらく予約で埋まっていると聞いた」
「わぁ……」
パン作りの先生として、エドはこの一週間ほど、パン工房に通い詰めたのだ。
おかげで、パン職人はめきめきと腕を上げ、美味しいパンを焼けるようになった。
工房で作ったパンを売る店が、とうとう明日オープンする。
「俺は工房の現場監督として呼ばれている」
「私はパンの販売のお手伝い。……レジ係かな?」
ギルドから手渡された依頼書には詳しい内容は書かれていなかったので、当日のお楽しみだ。
それにしても驚くべきは、エイダン商会のフットワークの軽さか。
「二週間でお店を新規オープンできるって、凄すぎない……?」
「ありえないと思う。が、やってのけるからこその大店なんだろうな」
工房付きの店の選定、内装工事。職人の育成に従業員の教育も必要だろう。
ナギは店をやるにしても、半年は準備期間が必要だと考えていたので仰天した。
店舗は元レストランだったようで、広い厨房が元々あったらしい。
が、営業するのはパン屋だ。
イートインスペースはなく、パンを売るだけのお店なので、敷地の三分の二ほどのスペースを工房に作り替えたと聞く。
高価な魔道オーブンを五つも揃えて、早朝からひたすらパンを焼くそうだ。
前日の夜の内に生地を仕込んでおくので、焼き立てのパンを朝から販売することができる。
「パン屋さんの香りって、幸せな気分になるのよね」
「その香りで客を釣ると、店長が張り切っていたぞ」
「うん、釣れるね。エドレシピのパンはどれも美味しいもの」
「そうか。ナギがそう言ってくれるなら、少しは自信が持てそうだ」
謙虚な彼らしい発言に、胸がきゅっと熱くなる。良い子だ。頭を撫でたい気持ちをどうにか押し殺し、微笑んでおいた。
それはそうと、手紙と一緒に渡された包みが気になる。
「なんだろう、これ?」
「ああ。明日着る衣装だと聞いた」
「制服? お手伝い要員の私にも用意してくれているのね。さすが、エイダン商会」
包みを開くと、おそらくはエド用の清潔なコックコートに前掛け、パンツの三点セットが入っている。
ちゃんと獣人用に尻尾穴付き。帽子の代わりにバンダナを巻くようだ。
「わぁ…! エドに似合いそうだね」
「白い服を着るのは初めてだ」
落ち着かなそうに視線を揺らしているが、しっかりとした縫製の衣装は気に入ったようだ。
「こっちはナギの服だ」
「ありがとう。……って、メイド風な制服⁉︎」
差し出されて素直に受け取ってしまったが、どれどれと広げてギョッとする。
フリルレース付きの白いエプロンはまだ分かる。が、その下のワンピースが膝上サイズだった。
袖口は可愛らしいパフスリーブ。ワンピースは濃紺色で落ち着いているが、パニエでスカートを膨らませたデザインなため、エプロンと合わせると、前世のロリータファッションそのものだ。
そこにエプロンドレスとお揃いのヘッドドレスを装着するらしい。
ご丁寧にナギのサイズにぴったりな革靴とシルクの靴下も同梱されていた。
「……これがパン屋さんの制服? メイドカフェじゃなくて?」
「リリアーヌさんが率先してデザインしたらしい」
「リリアーヌさんが⁉︎」
「ナギに着せたいから張り切って考えたと言っていた」
「何をしているの、リリアーヌさん……」
自分が紹介した二人が関係する店の新規オープンということで、彼女も視察としてやって来ているらしい。
「若い女性の働き口が増えるのは良いことだと張り切っていた」
パン屋の店員は女性がメインになる。
お給料も悪くなく、余ったパンもお土産にできる上に制服が可愛いとなれば、人気の職場となることは想像が付く。
さすが、やり手のリリアーヌ嬢。
「……まぁ、お手伝いは二日間だけだもんね。頑張ろうか」
朝から休憩を除いて七時間労働になる。
給金は一人、銀貨二枚。高級な部類だろう。制服も支給、昼食付き。
子猫たちが心配で、しばらくは遠出をしない予定の二人には美味しい仕事でもある。
(それに、このパン屋さんが軌道に乗れば、美味しいパンが気軽に手に入るようになるし、良いことよね)
人気が出れば、中央区以外の街でも二号店、三号店とオープン予定らしいので、ぜひ売れまくってほしい。
そのためにも、明日は頑張って販売のお手伝いをしようと思う。
◆◇◆
昼食とおやつをたっぷりと用意して、コテツと子猫たちにお留守番をお願いする。
お土産よろしくにゃ、とちゃっかり可愛らしいおねだりを繰り出すキジトラ猫をひと撫でして、いざ指名依頼へ。
ダンジョン都市まではいつものようにゴーレム馬車で向かい、東区から中央区までは乗り合い馬車で移動した。
約束の三十分前に到着すると、店内は既に戦場だった。
工房では次々とパンを焼き、可愛らしい制服姿の少女たちが店頭にせっせと並べている。
「私も手伝います!」
慌ててナギも店内に駆け込んだ。
エドも工房に向かって行く。
「まぁ、ナギさん。その制服、とっても似合っているわ!」
目敏く寄って来たのは、リリアーヌだ。
エプロンドレス姿のナギを頭の天辺から爪先までじっくり眺めて、満足そうに微笑んでいる。恥ずかしい。
「あはは……。おはようございます、リリアーヌさん」
「うふふ。おはようございます。今日はよろしくお願いしますね」
リリアーヌ嬢は商会の令嬢らしく、品の良いデイドレス姿だ。
販売員の制服と同じ、濃紺色の生地を使ったドレスのシルエットはとても美しい。
髪はきっちりと後ろで纏めており、いつもの豪奢な縦ロールは拝めなくて少し残念だ。
頭には斜めがけの小さな帽子が留められており、ドレスのデザインも動きやすそう。
(できる女スタイルだわ……! かっこいい!)
外見だけでなく、中身もできる女なリリアーヌは的確に支持を飛ばし、開店準備に余念がない。
ちなみにパン屋のディスプレイは前世のパン屋さんスタイルを真似てある。
こちらの世界のパン屋は客がレジで注文したパンを持参したカゴに店員が詰めていくスタイルなのだ。
それを、ナギの提案でセルフ方式に変更してもらった。
入り口で木製のトレイとトングを手渡して、欲しいパンを自分で選んでもらうスタイルだ。
「ナギさんの発案でしょう? これは素晴らしいわ。今までの売り方だと、決めたパンしか買わない人ばかりだったけど、このセルフスタイルだと、ついで買いが増えます」
「ふふ。パン屋さんで悩みながら選ぶのが楽しいんですよね。一個だけのつもりが、香りに釣られて五個買っちゃう」
前世の自分の所業である。
だって、焼き立てのパンの魅力には抗えない。
「それと、試食販売でしたかしら? あれも画期的な販売方法だわ。ナギさんにはぜひ、そちらをお願いしたくて」
「ふぇっ?」
アントニオの前でつい、ぽろりと喋ってしまった雑談が、なぜか形になっている。
リリアーヌがナギの両手をそっと握り込んだ。逃げられない。
「試食販売、お願いしますね?」
「……はぁい……」
そういうことに、なった。
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