異世界転生令嬢、出奔する

猫野美羽

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〈掌編・番外編〉

17. ヒスミレ病とクッキー


 生家である辺境伯邸を出奔し、大森林を苦労して通り抜けて、ようやく到着したダンジョン都市。
 冒険者見習いとして、近くの森で採取や狩猟、たまに街中依頼をこなしていた頃、ナギは体調を崩して寝込んでしまった。

 まだ土地を購入する前で、エルフのミーシャが経営する宿『妖精の止まり木』でお世話になっていた頃。
 少し広めの二人部屋で、宿の備品は【無限収納EX】に片付けて、辺境伯邸から持ち出してきた寝心地の良いベッドで快適に過ごしていたのだが──

 ある朝、少し身体が怠いなとぼんやり考えながら起き出したナギが、昼前から熱が出始めて、夜には高熱にうなされることになったのだ。

「のどが、いたい……」

 唾を飲み込むだけでも、ひりつく喉の痛みに耐えかねて、懸命に看病をしてくれているエドに訴えかけた。

「水、飲めるか?」
「ん……のみたいけど、いたい」

 掠れた声でどうにか喋るが、すぐに咳き込んでしまう。
 慌てたエドが背中をそっと撫でてくれる。
 
(熱が下がらない……。頭、痛い。これ、たぶん三十九度はありそう)

 額にそっと当ててくれる手拭いが心地良い。氷魔法が使えるエドが氷水で冷やしてくれたのだ。もっとも、すぐに熱でぬるくなってしまうのだが。
 うんうん唸っていると、遠慮がちにドアがノックされた。

「はい」
「私です。ナギの具合はどうですか?」

 宿の女将、ミーシャが様子を見に来てくれたようだ。
 見慣れた麗しい美貌が心配そうにナギを観察する。
 ほっそりとした手が額や頬、耳の下あたりに触れて、何やら確認しているようだ。
 彼女の手はひんやりとしており、触れられた箇所が心地良い。

「喉が腫れているわね。見たところ、肌に湿疹や爛れもない。おそらくは、ヒスミレ病です。ヒスミレの花が咲く頃に流行る病」
「……やはり」

 ミーシャの診断に、エドが嘆息まじりに頷いた。
 ヒスミレ病。初めて耳にする。

「それは……?」
「ああ、ナギは知らないのでしたね。王国の出身のようですし、当然でしょう」

 汗を滲ませた額をそっと布で拭い、ミーシャは柔らかく微笑んだ。

「ヒスミレ病は風土病です。ここ、ダリア共和国特有の感染症のひとつなのですよ」
「風土病……」

 ナギは熱に浮かされながら、ぼんやりと繰り返す。
 感染症ならば、ポーションで治るのではないだろうか。何なら、転生特典で手に入れた【治癒魔法】を使ってもいい。
 だが、ミーシャとエドに何故か、強く止められていたのだ。

「他の症状が出るかどうかの確認に、半日必要だったのです。おかげで病名を分かりました」

 その確認のためにポーションと【治癒魔法】はお預け状態だったらしい。
 ちなみにナギの【鑑定】は高熱のために使えなかった。鑑定しようとしても、文字化けしていたのだ。
 
(病名が分かったのならば、もう魔法を使っても良いのでは?)

 期待に満ちた眼差しを二人に向けるが、エドに気の毒そうな顔をされてしまう。

「ヒスミレ病なら、ポーションも治癒魔法も使えないぞ」
「っ、なん、で……?」
「ヒスミレ病はこの国の幼な子が罹る風土病なのです。一度罹れば、もう二度と罹ることがなくなるので、自然治癒が望ましいのですよ」
「ポーションや魔法で治すと、また罹るんだ」
「えー……」

 そんな殺生な。
 泣き言を言いたくなるが、ちゃんと理由を聞いてしまえば、諦めもつく。

(免疫を獲得する必要があるのね。麻疹とかおたふく風邪みたいなものと考えれば、仕方ないかな……)

 病を治すためのポーションや【治癒魔法】を使えば、元の状態に戻るため、せっかく獲得しようとした免疫も消えてしまうらしい。
 つまりは、また罹る可能性が高いということで。

(こんなに辛い思い、二度としたくないから、我慢する……!)

 高熱からくる頭痛と喉の腫れ、関節の痛み。症状としてはそれだけのようなので、気力で乗り越えるしかない。

「そういえば、エドは平気なの……?」

 感染症と聞いて、途端に不安になったのだが。

「俺は二歳の頃に済ませている。小さい時に罹ると、症状も軽く済むんだ」
「そうなんだ……。いいなぁ……」
「ナギはまだマシな方ですよ。大人の男性がヒスミレ病に罹って後遺症に苦しむ人もいましたから」

 帝国の商人が一週間ほど高熱に苦しめられ、死にかけたらしい。
 聞いて、ぞっとする。
 ミーシャ曰く、まだ十歳で肉体が成長しきっていないナギなら平気だろうと慰められた。

「それに女の子の方が熱に強いと聞いたことがあります」
「……ですね…」

 前世の『渚』時代もよく扁桃炎で寝込んでいたので、慣れてはいるのだ。
 とはいえ、前世では痛み止めの薬や解熱剤があったので、今ほど苦しくはなかったのだが。

「うぅ……のどがかわいた……」
「喉に優しい薬草茶を持ってきましたよ」

 エドが身を起こしてくれた。
 背中にクッションを当ててもらい、ミーシャが渡してくれた薬草茶を飲む。
 これが、とんでもなく苦い。

「にがぃ……」
「ふふ。喉の炎症を抑えてくれる薬草を煎じていますからね。頑張って飲んだご褒美に、スプーンひと匙の蜂蜜をどうぞ」
「んん…っ…あまい……おいしー…」
「良かったです。どうやら食欲はあるようですね」

 おそらくはダンジョン産の蜂蜜なのだろう。優しい甘さの蜂蜜は、傷んだ喉を労わるようにとろりと胃に滑り落ちていく。

「何か、食べれそうか、ナギ」
「うぅん……お腹が空いた気はするけど、飲み込めるかな……」

 薬草茶と蜂蜜のおかげで、喉の痛みは少しマシになったが、固形物は自信がない。
 と、再びドアをノックする音がした。
 エドが返事をする前にドアが開かれ、ふわふわの白い耳がぴょこりと顔を覗かせる。

「具合はどう? もう熱は下がった?」
「ラヴィ。病人を疲れさせたらダメですよ」

 白兎獣人のラヴィルだ。
 エドの武術の師匠で、可憐な外見とは裏腹に物凄く強い金級ゴールドランク冒険者。
 ミーシャとは親友で、この宿の常連でもある。
 ここしばらくは南の海ダンジョンに潜っていると聞いたのだが。

「お土産! さっき帰ってきたら、宿の子からナギが寝込んでいるって聞いたから」

 そう言いながら差し出してくれたのは、水蜜桃すいみつとうだ。
 ダンジョンに実る、レアな果実。
 甘くて美味しい上に栄養価も高いとされる、高価な桃だ。

「貴女にしては、良い土産ですね。水蜜桃なら、今のナギには最適の食事です」

 さっそく代わりに受け取ったエドが、木製の椀に水蜜桃の薄い皮を剥いて入れ、匙と共にナギに渡してくれた。

「ありがとう」

 水蜜桃は柔らかく、薄い皮は指先で剥けるほど。中身はほぼ果汁で、果実部分はゼリーに近い食感だ。
 喉にもお腹にも優しくて、何より美味しい。あっという間に完食してしまった。

「解熱剤も飲まない方が良いです。真夜中頃に熱が上がるかもしれないですが──」
「俺がついている」
「なら、貴方に任せます。後頭部や首筋、辛そうなら脇の下などを冷やしてあげてください。水分はこまめに与えるように。水が飲みにくいなら、果汁を」
「分かりました」

 果実ならたくさん採取してある。
 果汁として飲むなら、柑橘系が好みなナギだが、喉や胃腸が弱っている時に柑橘系の果汁は相性が悪い。
 りんごや梨、ぶどうを推奨された。

「じゃ、あとは着替えね。オオカミくんは退室!」

 ラヴィルに追い出されるエド。
 呆然と見送るナギは、ミーシャとラヴィル二人がかりで夜着を脱がされ、濡れタオルで肌を拭われた。
 汗で濡れた夜着はミーシャが浄化魔法クリーンで綺麗にしてくれる。
 着たまま浄化すれば手間はなかったのでは、とナギが考えていると、ミーシャに浄化の魔法を使うと、免疫の獲得に失敗する可能性があるのだと説明された。なるほど。

「魔法やポーション、薬を使わずに、寝て食べて治すしかないのよねー。がんばって」

 ラヴィルに頭を撫でられて、ミーシャが布団を直してくれる。
 皆に優しく甘やかされてしまい、何となく気恥ずかしい。

「おやすみなさい、ナギ」
「何かあったら、すぐに呼ぶのよ。オオカミくん」


◆◇◆


 それから、三日。
 夜に熱が上がる日々を繰り返し、ようやく四日目にして起き上がることを許された。
 その間ずっと、付きっきりでエドが看病してくれたのだ。

 懐には余裕があったので、二人揃って仕事を休んでも平気なのだが、宿の仲間はそれを知らない。
 見習い仲間や新人冒険者である彼らはあまり稼げないので、お見舞いの品は採取物が中心だったが、その気持ちがありがたい。
 なので、復活したナギはお礼にクッキーを焼くことにした。

「ブルーベリーの差し入れがたくさんあるから、アイスボックスクッキーを焼こうかな」

 見栄えも良いし、二種類の味を楽しめるので、プレゼントにはちょうど良い。
 エドは首を捻っている。

「アイスボックスクッキー……?」
「知らない? 市松模様のクッキーよ」

 作るのは意外と簡単だ。
 二種類の生地を用意して、交互に重ねて切って焼くだけ。
 バターたっぷりのプレーンな生地とブルーベリージャムを混ぜ込んだ生地で市松模様を作ることにした。
 前世で作っていた時には、ココアパウダーや板チョコを溶かした生地を使っていたが、この世界ではカカオはダンジョンでしか手に入らない高級品。
 甘酸っぱいブルーベリー風味のクッキーでも見栄えは充分なはず。

「完成!」

 焼き上がったアイスボックスクッキーは丁寧に油紙で包んでラッピングした。
 まるでホワイトデーのプレゼントみたい、とくすりと笑う。
 バレンタインで友チョコを交換し合った友人に、そういえば良く作っていたことを思い出す。

「まずは、エド。看病ありがとう!」
「ん。ナギが元気になって良かった。クッキー美味いな」

 それから、ミーシャとラヴィル。差し入れをくれた宿の皆。心配して様子を見に来てくれた冒険者ギルドのフェローに受付嬢のリアと、次々に配っていった。
 皆、その出来栄えに感動し、美味しいと大好評だった。
 風土病は辛かったけれど、皆の優しさも実感できて、悪くなかったかもとナギはこっそり考えていた。
 

◆◆◆

ホワイトデーネタを、と思ったのですが。
異世界にはバレンタインもなかったので、クッキーを配るお話になりました。
10歳のナギとエドのお話です!

◆◆◆

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