89 / 289
〈掌編・番外編〉
17. ヒスミレ病とクッキー
生家である辺境伯邸を出奔し、大森林を苦労して通り抜けて、ようやく到着したダンジョン都市。
冒険者見習いとして、近くの森で採取や狩猟、たまに街中依頼をこなしていた頃、ナギは体調を崩して寝込んでしまった。
まだ土地を購入する前で、エルフのミーシャが経営する宿『妖精の止まり木』でお世話になっていた頃。
少し広めの二人部屋で、宿の備品は【無限収納EX】に片付けて、辺境伯邸から持ち出してきた寝心地の良いベッドで快適に過ごしていたのだが──
ある朝、少し身体が怠いなとぼんやり考えながら起き出したナギが、昼前から熱が出始めて、夜には高熱に魘されることになったのだ。
「のどが、いたい……」
唾を飲み込むだけでも、ひりつく喉の痛みに耐えかねて、懸命に看病をしてくれているエドに訴えかけた。
「水、飲めるか?」
「ん……のみたいけど、いたい」
掠れた声でどうにか喋るが、すぐに咳き込んでしまう。
慌てたエドが背中をそっと撫でてくれる。
(熱が下がらない……。頭、痛い。これ、たぶん三十九度はありそう)
額にそっと当ててくれる手拭いが心地良い。氷魔法が使えるエドが氷水で冷やしてくれたのだ。もっとも、すぐに熱で温くなってしまうのだが。
うんうん唸っていると、遠慮がちにドアがノックされた。
「はい」
「私です。ナギの具合はどうですか?」
宿の女将、ミーシャが様子を見に来てくれたようだ。
見慣れた麗しい美貌が心配そうにナギを観察する。
ほっそりとした手が額や頬、耳の下あたりに触れて、何やら確認しているようだ。
彼女の手はひんやりとしており、触れられた箇所が心地良い。
「喉が腫れているわね。見たところ、肌に湿疹や爛れもない。おそらくは、ヒスミレ病です。ヒスミレの花が咲く頃に流行る病」
「……やはり」
ミーシャの診断に、エドが嘆息まじりに頷いた。
ヒスミレ病。初めて耳にする。
「それは……?」
「ああ、ナギは知らないのでしたね。王国の出身のようですし、当然でしょう」
汗を滲ませた額をそっと布で拭い、ミーシャは柔らかく微笑んだ。
「ヒスミレ病は風土病です。ここ、ダリア共和国特有の感染症のひとつなのですよ」
「風土病……」
ナギは熱に浮かされながら、ぼんやりと繰り返す。
感染症ならば、ポーションで治るのではないだろうか。何なら、転生特典で手に入れた【治癒魔法】を使ってもいい。
だが、ミーシャとエドに何故か、強く止められていたのだ。
「他の症状が出るかどうかの確認に、半日必要だったのです。おかげで病名を分かりました」
その確認のためにポーションと【治癒魔法】はお預け状態だったらしい。
ちなみにナギの【鑑定】は高熱のために使えなかった。鑑定しようとしても、文字化けしていたのだ。
(病名が分かったのならば、もう魔法を使っても良いのでは?)
期待に満ちた眼差しを二人に向けるが、エドに気の毒そうな顔をされてしまう。
「ヒスミレ病なら、ポーションも治癒魔法も使えないぞ」
「っ、なん、で……?」
「ヒスミレ病はこの国の幼な子が罹る風土病なのです。一度罹れば、もう二度と罹ることがなくなるので、自然治癒が望ましいのですよ」
「ポーションや魔法で治すと、また罹るんだ」
「えー……」
そんな殺生な。
泣き言を言いたくなるが、ちゃんと理由を聞いてしまえば、諦めもつく。
(免疫を獲得する必要があるのね。麻疹とかおたふく風邪みたいなものと考えれば、仕方ないかな……)
病を治すためのポーションや【治癒魔法】を使えば、元の状態に戻るため、せっかく獲得しようとした免疫も消えてしまうらしい。
つまりは、また罹る可能性が高いということで。
(こんなに辛い思い、二度としたくないから、我慢する……!)
高熱からくる頭痛と喉の腫れ、関節の痛み。症状としてはそれだけのようなので、気力で乗り越えるしかない。
「そういえば、エドは平気なの……?」
感染症と聞いて、途端に不安になったのだが。
「俺は二歳の頃に済ませている。小さい時に罹ると、症状も軽く済むんだ」
「そうなんだ……。いいなぁ……」
「ナギはまだマシな方ですよ。大人の男性がヒスミレ病に罹って後遺症に苦しむ人もいましたから」
帝国の商人が一週間ほど高熱に苦しめられ、死にかけたらしい。
聞いて、ぞっとする。
ミーシャ曰く、まだ十歳で肉体が成長しきっていないナギなら平気だろうと慰められた。
「それに女の子の方が熱に強いと聞いたことがあります」
「……ですね…」
前世の『渚』時代もよく扁桃炎で寝込んでいたので、慣れてはいるのだ。
とはいえ、前世では痛み止めの薬や解熱剤があったので、今ほど苦しくはなかったのだが。
「うぅ……のどがかわいた……」
「喉に優しい薬草茶を持ってきましたよ」
エドが身を起こしてくれた。
背中にクッションを当ててもらい、ミーシャが渡してくれた薬草茶を飲む。
これが、とんでもなく苦い。
「にがぃ……」
「ふふ。喉の炎症を抑えてくれる薬草を煎じていますからね。頑張って飲んだご褒美に、スプーンひと匙の蜂蜜をどうぞ」
「んん…っ…あまい……おいしー…」
「良かったです。どうやら食欲はあるようですね」
おそらくはダンジョン産の蜂蜜なのだろう。優しい甘さの蜂蜜は、傷んだ喉を労わるようにとろりと胃に滑り落ちていく。
「何か、食べれそうか、ナギ」
「うぅん……お腹が空いた気はするけど、飲み込めるかな……」
薬草茶と蜂蜜のおかげで、喉の痛みは少しマシになったが、固形物は自信がない。
と、再びドアをノックする音がした。
エドが返事をする前にドアが開かれ、ふわふわの白い耳がぴょこりと顔を覗かせる。
「具合はどう? もう熱は下がった?」
「ラヴィ。病人を疲れさせたらダメですよ」
白兎獣人のラヴィルだ。
エドの武術の師匠で、可憐な外見とは裏腹に物凄く強い金級冒険者。
ミーシャとは親友で、この宿の常連でもある。
ここしばらくは南の海ダンジョンに潜っていると聞いたのだが。
「お土産! さっき帰ってきたら、宿の子からナギが寝込んでいるって聞いたから」
そう言いながら差し出してくれたのは、水蜜桃だ。
ダンジョンに実る、レアな果実。
甘くて美味しい上に栄養価も高いとされる、高価な桃だ。
「貴女にしては、良い土産ですね。水蜜桃なら、今のナギには最適の食事です」
さっそく代わりに受け取ったエドが、木製の椀に水蜜桃の薄い皮を剥いて入れ、匙と共にナギに渡してくれた。
「ありがとう」
水蜜桃は柔らかく、薄い皮は指先で剥けるほど。中身はほぼ果汁で、果実部分はゼリーに近い食感だ。
喉にもお腹にも優しくて、何より美味しい。あっという間に完食してしまった。
「解熱剤も飲まない方が良いです。真夜中頃に熱が上がるかもしれないですが──」
「俺がついている」
「なら、貴方に任せます。後頭部や首筋、辛そうなら脇の下などを冷やしてあげてください。水分はこまめに与えるように。水が飲みにくいなら、果汁を」
「分かりました」
果実ならたくさん採取してある。
果汁として飲むなら、柑橘系が好みなナギだが、喉や胃腸が弱っている時に柑橘系の果汁は相性が悪い。
りんごや梨、ぶどうを推奨された。
「じゃ、あとは着替えね。オオカミくんは退室!」
ラヴィルに追い出されるエド。
呆然と見送るナギは、ミーシャとラヴィル二人がかりで夜着を脱がされ、濡れタオルで肌を拭われた。
汗で濡れた夜着はミーシャが浄化魔法で綺麗にしてくれる。
着たまま浄化すれば手間はなかったのでは、とナギが考えていると、ミーシャに浄化の魔法を使うと、免疫の獲得に失敗する可能性があるのだと説明された。なるほど。
「魔法やポーション、薬を使わずに、寝て食べて治すしかないのよねー。がんばって」
ラヴィルに頭を撫でられて、ミーシャが布団を直してくれる。
皆に優しく甘やかされてしまい、何となく気恥ずかしい。
「おやすみなさい、ナギ」
「何かあったら、すぐに呼ぶのよ。オオカミくん」
◆◇◆
それから、三日。
夜に熱が上がる日々を繰り返し、ようやく四日目にして起き上がることを許された。
その間ずっと、付きっきりでエドが看病してくれたのだ。
懐には余裕があったので、二人揃って仕事を休んでも平気なのだが、宿の仲間はそれを知らない。
見習い仲間や新人冒険者である彼らはあまり稼げないので、お見舞いの品は採取物が中心だったが、その気持ちがありがたい。
なので、復活したナギはお礼にクッキーを焼くことにした。
「ブルーベリーの差し入れがたくさんあるから、アイスボックスクッキーを焼こうかな」
見栄えも良いし、二種類の味を楽しめるので、プレゼントにはちょうど良い。
エドは首を捻っている。
「アイスボックスクッキー……?」
「知らない? 市松模様のクッキーよ」
作るのは意外と簡単だ。
二種類の生地を用意して、交互に重ねて切って焼くだけ。
バターたっぷりのプレーンな生地とブルーベリージャムを混ぜ込んだ生地で市松模様を作ることにした。
前世で作っていた時には、ココアパウダーや板チョコを溶かした生地を使っていたが、この世界ではカカオはダンジョンでしか手に入らない高級品。
甘酸っぱいブルーベリー風味のクッキーでも見栄えは充分なはず。
「完成!」
焼き上がったアイスボックスクッキーは丁寧に油紙で包んでラッピングした。
まるでホワイトデーのプレゼントみたい、とくすりと笑う。
バレンタインで友チョコを交換し合った友人に、そういえば良く作っていたことを思い出す。
「まずは、エド。看病ありがとう!」
「ん。ナギが元気になって良かった。クッキー美味いな」
それから、ミーシャとラヴィル。差し入れをくれた宿の皆。心配して様子を見に来てくれた冒険者ギルドのフェローに受付嬢のリアと、次々に配っていった。
皆、その出来栄えに感動し、美味しいと大好評だった。
風土病は辛かったけれど、皆の優しさも実感できて、悪くなかったかもとナギはこっそり考えていた。
◆◆◆
ホワイトデーネタを、と思ったのですが。
異世界にはバレンタインもなかったので、クッキーを配るお話になりました。
10歳のナギとエドのお話です!
◆◆◆
あなたにおすすめの小説
義弟の婚約者が私の婚約者の番でした
五珠 izumi
ファンタジー
「ー…姉さん…ごめん…」
金の髪に碧瞳の美しい私の義弟が、一筋の涙を流しながら言った。
自分も辛いだろうに、この優しい義弟は、こんな時にも私を気遣ってくれているのだ。
視界の先には
私の婚約者と義弟の婚約者が見つめ合っている姿があった。
タダ働きなので待遇改善を求めて抗議したら、精霊達から『破壊神』と怖れられています。
渡里あずま
ファンタジー
出来損ないの聖女・アガタ。
しかし、精霊の加護を持つ新たな聖女が現れて、王子から婚約破棄された時――彼女は、前世(現代)の記憶を取り戻した。
「それなら、今までの報酬を払って貰えますか?」
※※※
虐げられていた子が、モフモフしながらやりたいことを探す旅に出る話です。
※重複投稿作品※
表紙の使用画像は、AdobeStockのものです。
五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~
放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」
大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。
生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。
しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。
「すまない。私は父としての責任を果たす」
かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。
だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。
これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。
水魔法しか使えない私と婚約破棄するのなら、貴方が隠すよう命じていた前世の知識をこれから使います
黒木 楓
恋愛
伯爵令嬢のリリカは、婚約者である侯爵令息ラルフに「水魔法しか使えないお前との婚約を破棄する」と言われてしまう。
異世界に転生したリリカは前世の知識があり、それにより普通とは違う水魔法が使える。
そのことは婚約前に話していたけど、ラルフは隠すよう命令していた。
「立場が下のお前が、俺よりも優秀であるわけがない。普通の水魔法だけ使っていろ」
そう言われ続けてきたけど、これから命令を聞く必要もない。
「婚約破棄するのなら、貴方が隠すよう命じていた力をこれから使います」
飲んだ人を強くしたり回復する聖水を作ることができるけど、命令により家族以外は誰も知らない。
これは前世の知識がある私だけが出せる特殊な水で、婚約破棄された後は何も気にせず使えそうだ。
【完結】悪役令嬢は3歳?〜断罪されていたのは、幼女でした〜
白崎りか
恋愛
魔法学園の卒業式に招かれた保護者達は、突然、王太子の始めた蛮行に驚愕した。
舞台上で、大柄な男子生徒が幼い子供を押さえつけているのだ。
王太子は、それを見下ろし、子供に向って婚約破棄を告げた。
「ヒナコのノートを汚したな!」
「ちがうもん。ミア、お絵かきしてただけだもん!」
小説家になろう様でも投稿しています。
私を追い出した結果、飼っていた聖獣は誰にも懐かないようです
天宮有
恋愛
子供の頃、男爵令嬢の私アミリア・ファグトは助けた小犬が聖獣と判明して、飼うことが決まる。
数年後――成長した聖獣は家を守ってくれて、私に一番懐いていた。
そんな私を妬んだ姉ラミダは「聖獣は私が拾って一番懐いている」と吹聴していたようで、姉は侯爵令息ケドスの婚約者になる。
どうやらラミダは聖獣が一番懐いていた私が邪魔なようで、追い出そうと目論んでいたようだ。
家族とゲドスはラミダの嘘を信じて、私を蔑み追い出そうとしていた。
【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました
佐倉穂波
恋愛
転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。
確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。
(そんな……死にたくないっ!)
乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。
2023.9.3 投稿分の改稿終了。
2023.9.4 表紙を作ってみました。
2023.9.15 完結。
2023.9.23 後日談を投稿しました。
【完】あの、……どなたでしょうか?
桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー
爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」
見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は………
「あの、……どなたのことでしょうか?」
まさかの意味不明発言!!
今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!!
結末やいかに!!
*******************
執筆終了済みです。