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〈成人編〉
2. ささやかな願い
しおりを挟むダンジョン都市には東西南北に四つのダンジョンがある。
食肉になる魔獣が多い、通称『肉ダンジョン』と呼ばれる東のダンジョン。
四方を海に囲まれた小島をゲートとする、『海ダンジョン』は南の砦の側にある。
北の『鉱山ダンジョン』や西地区の通称『アンデッドダンジョン』は難易度が高いため、あまり人気はない。
稼ぐことを目的とした銀級以上の冒険者グループにとっては美味しい狩り場ではあるが、盛況なのはやはり東と南のダンジョンだった。
新人冒険者なら、まずは東の『肉ダンジョン』が推奨される。
稼ぎはそこまで大きくはないが、低階層の魔獣なら楽に狩れるのだ。
ドロップした魔石と肉はギルドで確実に買い取ってもらえる。
金銭に困っても、肉さえ狩ることができれば、食べることには困らない。
多少、冒険者活動に慣れた頃合いで南の『海ダンジョン』は狙い目だ。
凶暴な魔獣は少なく、比較的におとなしい水棲の魔物が多いため、低階層の難易度は低い。
ドロップ率は高くないが、『海ダンジョン』では希少な真珠が手に入る。
形が美しく、大きな粒の真珠がドロップすれば、半年は遊んで暮らせると聞いた冒険者たちが、南のダンジョンを目指すのだ。
そのため、ひと稼ぎしようとダンジョン都市を訪れる冒険者たちは、まずは南地区に足を運ぶことが多い。
楽に稼ぐことを目的とした冒険者は、あまり腕が期待できない。
銀級以上を狙う冒険者はギルドからの審査が入るため、評判が良い者が多いが、出稼ぎ気分でダンジョン都市を冷やかす輩は素行もあまり良くなかった。
この日、南の砦を通り抜けた冒険者も地元を追い出されたクチで、似たような連中とつるんでいた。
ギルドに寄るのは後回しにして、まずは腹ごしらえだと、彼らは市場に向かう。
海鮮市場のすぐ隣の空き地に屋台街があるのだ。新鮮な魚介が安く食べられると評判なため、昼時には混雑する。
素行のよろしくない三人組の冒険者は人混みにまぎれて、市場の商品を万引きした。
混雑している出店を狙い、二人が交互に店員に声を掛けて気を引き、もう一人がこっそり商品を懐へ入れる。
店員に話しかけられる前に、気配を消して人混みにまぎれて逃げるのだ。
「っし! 地味な首飾りだが、今日の宿代くらいにはなるだろ」
「だな。ここは人が多いから、やりやすい」
ザルに盛られた果実をひとつ失敬してかじっていた男が、ふと顔を上げた。
「お、あれはどうだ? 身なりもいいし、小金を貯め込んでいそうな婆さんだ」
「いいな。連れもいないし、狙い目だ」
「俺が行く」
三人の中でいちばん手先が器用な男が立候補して、老婆に歩み寄る。
手提げ袋に素早く手を突っ込むと、コインの入った革袋を探り当てた。
もう一人の男がさりげなく老婆にぶつかり、「すまない」と謝っている間に、革袋を抜き取った男が足早にその場を離れていく。成功だ。
念を入れて、もう一人の男とすれ違いざまに革袋を手渡した。
「スリだ! 私の金が盗まれた!」
軽くなった手提げ袋に気付いた老婆が叫ぶが、もう遅い。
近くにいた冒険者装備を身にまとった若者が、ぶつかった男の腕を掴んだ。
「お前、あの婆さんとわざとらしくぶつかっていたよな⁉︎」
「俺じゃねーよ。ほら、調べてみろよ」
ぶつかった男は白々しく、背負い袋の中を見せている。
「私の革袋には名前を刺繍してあるんだ」
「刺繍はないな」
それらしきものが見つからなかった冒険者は顔を顰めて、少し離れた位置に立ち止まっていた男を睨み付けた。
「なら、お前か? アイツがぶつかった時に、お前も婆さんの側にいた」
「俺も無実だ。疑うなら、調べるといい。ただし、何も無かったら謝罪しろよ」
「くっ……!」
堂々とした態度を取られて、告発した冒険者が顔色を悪くする。
ニヤニヤと笑う男たちが「人を盗人扱いしやがって」「迷惑料を支払ってもらおうかぁ?」などと囃し立てていると、人混みをすり抜けようとしていた黒髪の青年がふと足を止めた。
「ほら、ちゃんと謝れよ! 疑ってすみませんでしたってな!」
「傷付いた俺たちに迷惑料として金貨三枚を寄越せば許してやるよ」
「なっ……! いくらなんでもぼったくりだろ!」
黒髪の青年はいぶかしげに、その騒動を眺める。おろおろとしながら見守っている老婆に視線をやり、眉を寄せた。
周囲で見物している連中に目を向ける。
「……何があった?」
「ああ。あの婆さんがスリの被害に遭ったんだ。あの男たちが怪しいと、そっちの若いのが捕まえたんだが……」
「肝心の、盗まれたという革袋が見つからないんだ」
「そういうことか……」
黒髪の青年は獣人のようで、凛々しい獣の耳をぴくりと揺らした。
すん、と小さく鼻を鳴らすと、鋭い視線を少し離れた場所に立つ男に向ける。
「ナギ、緑のバンダナを巻いた、その男が犯人だ」
「了解、エド」
少し離れた位置にいた、ナギと呼ばれた少女が素早く動いた。
緑のバンダナを巻いた男が顔色を変えて、踵を返す。
「どけ!」
大声で罵りながら、周囲の人々を蹴散らしながら逃げていく。
「逃がさないわよ!」
ほっそりとした体格の少女が逃げる男を追い掛ける。到底、間に合わないように思えたが──
「ぐわっ!」
突然悲鳴を上げて、バンダナの男が地面に倒れ込んだ。何があったのか分からずに、周囲にいた人々は首を傾げて困惑する。
戸惑う人々の間をすり抜けると、長い金髪をポニーテールにした少女が男が逃げ出さないよう、胴体を踏み付けた。
「確保! 荷物を確認するわね。うん、カナンって刺繍が入った革袋があったわ」
「カナンは私だよ! ありがとう、お嬢ちゃん」
「どういたしまして。エドのお手柄よ」
「俺は少し鼻がいいだけだ」
盗難被害に遭った老婆の匂いを辿り、革袋の行方に気付いたのだ。
「じゃあ、コイツらは俺の勘違いか」
申し訳なさそうに頭を掻く冒険者の青年に、エドはいや、と首を振る。
「勘違いじゃない。ソイツらは三人組の小悪党だ。盗んだ革袋をこっそりアイツに手渡して誤魔化していたんだろう。臭い匂いが染み付いているから分かる」
「なんだと!」
「俺は知らねぇよ、アイツが犯人なんだろ」
往生際が悪い連中だが、荷物をあらためると、市場で盗んだ商品がいくつも見つかった。
換金しやすい女性ものの装飾品ばかりを狙っていたため、言い訳も通用しない。
「はい、犯人よ。冒険者ギルドに引っ立てればいいのかしら?」
そこへ先程、颯爽と男を追い掛けた少女が戻ってきた。縄で括り付けた犯人の男を引き摺りながらの登場だ。
「それとも警邏に引き渡す?」
「冒険者のタグを持っているようだから、まずはギルドで資格を剥奪してもらおう」
「そうね。そっちの方がいいか」
「それより、重くないのか、ナギ」
「平気よ。【身体強化】スキルを使っているから」
にこりと微笑む少女を前にして、冒険者の男は頬を赤らめた。
よく見ると、とんでもなく愛らしかったのだ。瞳は綺麗な青で、極上の蜂蜜のような黄金色の髪も美しい。
手足がすらりと長く、体格は華奢だが、猫のように身がしなやかだ。
まるで妖精が人に化けたみたいだ──そんな考えが脳を支配していたため、冒険者の青年はつい、問いただしそびれていた。
あの男を追い掛けている際に、急に頭上に木箱が降ってきた理由について。
◆◇◆
「無茶をするなって、フェローさんに叱られちゃったね」
「む……俺が追い掛ければ良かったか」
「エドは仲間の二人が逃げないように見張ってくれていたでしょう? 仕方ないと思う」
冒険者ギルドに三人組を連行したナギとエド。肩を竦めて笑うナギに、エドは苦笑するしかない。
「……木箱を落としたのはナギだな?」
「逃げられそうだったから、つい」
ぺろりと舌を出す少女。
その無邪気な様子に、フェローもそれ以上の追求ができなかったのだろう。
ナギの【無限収納EX】スキルは狙った場所に収納物を出すことができる。
あまり重いものだと大怪我をさせてしまう可能性があったので、木箱を落としたのだ。中身は入っていなかったので、ダメージは最低限のはず。
「もうすぐ成人なのに、落ち着きがないってお小言もらっちゃったわ」
「俺たちはもう銀級の冒険者なのに、心配性だ」
「ねー? 成人の儀式の前に金級の昇格試験を受ける予定の立派な冒険者なのに!」
ナギが唇をとがらせて拗ねたように言うが、東の冒険者ギルドのサブマスターには十歳の頃から世話になっている。
(出会った頃のイメージが強くて、まだ子供扱いしてしまうんだろうな……)
エドはやれやれと嘆息するが、心配されること事態は悪い気はしない。
「せっかくの休日がスリ騒動で台無しだな」
「目当てのものが買えたから、まぁ良いわ。皆が待っているし、早く帰りましょう」
ワンピースの裾を翻しながら、ナギが悪戯っぽく笑う。
十歳のナギがばっさりと切り落とした髪はすでに背中を隠すまでの長さを取り戻している。
ナギが成人となる十五歳まで、あと三ヶ月。
(できれば、目立たないよう身を潜めていたいものだが──……)
祈るようなエドの願いは、残念ながら叶うことは難しそうだった。
◆◆◆
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