【書籍化】魔法のトランクと異世界暮らし〜魔女見習いの自由気ままな移住生活〜

猫野美羽

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16. ワイルドディアのステーキ

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 指輪から放たれた雷魔法により、落命した大鹿の死骸をリリは呆然と見下ろした。
 特に攻撃をしようとも考えてはいなかったのに、魔道具は持ち主の命を守ったのだ。
 結界のブローチだけでなく、指輪も勝手に発動していた。
 助けてくれたのはありがたいけれど、これをどうすればいいのか。
 途方に暮れていると、木から降りてきた黒猫にぺちぺちと足首を叩かれた。

『ほら、早く収納して。傷まないように、ちゃんとストレージバングルの方にだよ』
「えっ……? これ、持ち帰るの?」
『当然でしょ。リリが倒したんだから、ちゃんと食べてあげなきゃ』

 不思議そうに返されて、それもそうかと納得する。
 不可抗力ではあったけれど、命を殺めてしまったのは自分なのだ。それを無駄にするのは、心苦しい。
 死骸に直接触れるのが何となく怖くて、リリはおそるおそるストレージバングルを鹿の毛皮に触れさせて「収納」と囁いた。
 しゅるん、と大鹿が腕輪の魔道具の中に吸い込まれる。
 黒猫のナイトが満足そうに喉を鳴らす。

『ワイルドディアのローストは絶品だよ。ついさっき摘んだベリーソースで食べると、すごーく美味しいんだ』
「鹿肉のロースト……美味しそうね…」

 食べたことはないけれど、その響きだけでリリはうっとりとした。
 聖域で狩った鹿肉には魔素がたっぷりと含まれている。昨日、舌鼓を打ったイノシシ肉と同じく、震えるほど美味しいに違いない。

『今日の分の食材は手に入ったから、家へ戻ろう。ワイルドディアを解体しなくちゃね』
「解体」
『うん、解体。バラさないと、キミたちニンゲンは食べられないでしょう? ボクだけなら、生でも食べられるけど』

 可愛くても、もっとも野生に近い身近な生き物とされているネコだけあった。
 生食なましょくはちょっと勘弁してほしい。解毒耐性とやらがあるから肉体的には無事なのかもしれないが、ジビエの生食はこわいと聞く。

「生はやめてね? 私がちゃんと責任を持って調理するから、それを食べて欲しい」

 真剣な表情で訴えると、不思議そうな表情を浮かべつつも、素直に頷いてくれた。


◆◇◆


 ワイルドディアのローストはナイトの言う通り、とても美味しかった。
 脂質が少ない、やわらかな赤身肉はオーブンを使ったロースト料理と相性がいい。
 ベリーのソースとやらはレシピが分からなかったから、あいにく日本から持ち込んだ市販のソースを使ったのだけど、ナイトが夢中で貪り食べるほどには美味しかったようだ。
 食べ終わった後に、我に返って毛繕いしつつ「まぁまぁだったね?」なんて誤魔化す姿は可愛らしかった。

「とっても美味しかったし、魔力が回復していくのも分かるけど」

 そっとお腹を撫でながら、リリは遠い目をした。

「でも、自分でお肉を解体するのは大変だった……」

 そう、聖域である森で狩った──と言うか自滅したワイルドディアという大鹿を解体したのは、他ならぬ彼女だった。
 そこでエヘンと胸を張っている黒猫ではない。箱入りのお嬢さま育ちのはずのリリなのである。

(まぁ、誰かが解体してくれないと、お肉は食べられないものね。仕方ない)

 いくら物知らずのお嬢さまだとしても、魚は切り身で海を泳いでるなんて考えるようなお子さまではない。
 ついさっきまで生きていた動物の肉なのだ。黒猫のナイトが貸してくれた解体の魔道具がなければ、いかに豪胆なリリだとて解体は無理だったと思う。
 肉屋ブッチャーナイフという、何となく物騒な銘の魔道具を手にすれば、未経験の少女でもあら不思議。さくさくとお肉が解体できたのだ。
 血抜きも皮剥ぎも内臓の処理も、このナイフを肉に突き刺すだけで終わってしまうのだから、もう真面目に考えることをリリは放棄している。

「さすが魔法の国。異世界のナイフはひと味違う……」

 ともあれ、おかげで美味しいお肉をお腹いっぱいに食べることができて、リリは幸せだった。
 摘んできたベリーはジャムにしてある。たくさん作ったので、ひとつは伯父の家にお裾分けをするつもりだ。
 のんびりとそんなことを考えていたリリは、はっと顔を上げた。

「そう言えば、今日の連絡をまだしていなかった」

 魔力不足に気付いて、昨夜は大急ぎでこちらの世界に避難してきたが、従兄あてにメールしただけで、すっかり忘れていた。
 一日に一度は生存確認の連絡をする約束だったのだ。
 
「ごめんね、ナイト。いったん日本に帰らなきゃ。雑事を片付けたら、すぐに戻ってくるから」
『むぅ……分かったよ。気を付けて』

 お留守番をお願いすると、大急ぎで異世界と繋がるドアへと向かった。
 ドアを通り抜けて、曾祖母の部屋に足を踏み入れるや否や、手にしていたスマホがひっきりなしに通知を知らせてきた。
 おそるおそる確認すると、従兄二人から物凄い量のメッセージと着信が届いている。

「うわぁ……」

 見たくない。見たくはないが、返事をしなければ、心配した従兄たちがここまで飛んでくるのは確実だ。
 そうなると、もっと面倒くさい。
 仕方なく、リリは伯父一家との家族用のメッセージアプリを開いた。


◆◇◆


 連絡を入れて、どうにか安心してもらえた。結局、メッセージだけでは納得しなかった従兄二人を宥めるためにビデオ通話で説明する羽目になってしまったが。
 質問にひとつひとつ答えながら、リリはここぞとばかりに雑用を片付けた。
 まずはお風呂をセットして、炊飯器でご飯を炊く。一升もあれば、しばらくは炊かずに済む。

「あとは、お肉やお魚の解凍!」

 これはひたすらレンジで解凍していくので地味に面倒だった。解凍魔法があればいいのに。
 レトルト食品はフライパンや鍋で加熱すれば多分大丈夫。
 お肉の解凍は後回しでもいいかもしれない。何せ、今はワイルドディアのお肉が大量にあるのだ。
 ひとしきり魚介類の解凍を終わらせたところで、お風呂が沸いたとのアナウンスがあった。
 ここで従兄との電話は強制的に終了する。報告はしたので充分だろう。
 またうるさく騒がれそうだったので、今日は森でベリーを摘んだとだけ説明してある。

(大鹿を魔法の指輪で倒したなんて伝えたら、卒倒しそうだもの)

 清潔なバスタオルと着替えをアイテムバッグから取り出すと、リリは軽い足取りでバスルームに向かった。
 生活魔法で汚れは落としてあるけれど、お風呂はリラックスするには必要なのだ。
 異世界の森で見つけた、柚子ゆずにそっくりな柑橘類を採取してある。
 食用には向かないけれど、肌にはとても良いものだとナイトに教えてもらったものだ。
 お湯にいくつか浮かせると、爽やかな良い香りが立ち昇る。

「んんー……やっぱりお風呂は気持ちいい……」

 異世界柚子湯をしっかり堪能したリリだった。
 
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