17 / 180
16. ワイルドディアのステーキ
しおりを挟む指輪から放たれた雷魔法により、落命した大鹿の死骸をリリは呆然と見下ろした。
特に攻撃をしようとも考えてはいなかったのに、魔道具は持ち主の命を守ったのだ。
結界のブローチだけでなく、指輪も勝手に発動していた。
助けてくれたのはありがたいけれど、これをどうすればいいのか。
途方に暮れていると、木から降りてきた黒猫にぺちぺちと足首を叩かれた。
『ほら、早く収納して。傷まないように、ちゃんとストレージバングルの方にだよ』
「えっ……? これ、持ち帰るの?」
『当然でしょ。リリが倒したんだから、ちゃんと食べてあげなきゃ』
不思議そうに返されて、それもそうかと納得する。
不可抗力ではあったけれど、命を殺めてしまったのは自分なのだ。それを無駄にするのは、心苦しい。
死骸に直接触れるのが何となく怖くて、リリはおそるおそるストレージバングルを鹿の毛皮に触れさせて「収納」と囁いた。
しゅるん、と大鹿が腕輪の魔道具の中に吸い込まれる。
黒猫のナイトが満足そうに喉を鳴らす。
『ワイルドディアのローストは絶品だよ。ついさっき摘んだベリーソースで食べると、すごーく美味しいんだ』
「鹿肉のロースト……美味しそうね…」
食べたことはないけれど、その響きだけでリリはうっとりとした。
聖域で狩った鹿肉には魔素がたっぷりと含まれている。昨日、舌鼓を打ったイノシシ肉と同じく、震えるほど美味しいに違いない。
『今日の分の食材は手に入ったから、家へ戻ろう。ワイルドディアを解体しなくちゃね』
「解体」
『うん、解体。バラさないと、キミたちニンゲンは食べられないでしょう? ボクだけなら、生でも食べられるけど』
可愛くても、もっとも野生に近い身近な生き物とされているネコだけあった。
生食はちょっと勘弁してほしい。解毒耐性とやらがあるから肉体的には無事なのかもしれないが、ジビエの生食はこわいと聞く。
「生はやめてね? 私がちゃんと責任を持って調理するから、それを食べて欲しい」
真剣な表情で訴えると、不思議そうな表情を浮かべつつも、素直に頷いてくれた。
◆◇◆
ワイルドディアのローストはナイトの言う通り、とても美味しかった。
脂質が少ない、やわらかな赤身肉はオーブンを使ったロースト料理と相性がいい。
ベリーのソースとやらはレシピが分からなかったから、あいにく日本から持ち込んだ市販のソースを使ったのだけど、ナイトが夢中で貪り食べるほどには美味しかったようだ。
食べ終わった後に、我に返って毛繕いしつつ「まぁまぁだったね?」なんて誤魔化す姿は可愛らしかった。
「とっても美味しかったし、魔力が回復していくのも分かるけど」
そっとお腹を撫でながら、リリは遠い目をした。
「でも、自分でお肉を解体するのは大変だった……」
そう、聖域である森で狩った──と言うか自滅したワイルドディアという大鹿を解体したのは、他ならぬ彼女だった。
そこでエヘンと胸を張っている黒猫ではない。箱入りのお嬢さま育ちのはずのリリなのである。
(まぁ、誰かが解体してくれないと、お肉は食べられないものね。仕方ない)
いくら物知らずのお嬢さまだとしても、魚は切り身で海を泳いでるなんて考えるようなお子さまではない。
ついさっきまで生きていた動物の肉なのだ。黒猫のナイトが貸してくれた解体の魔道具がなければ、いかに豪胆なリリだとて解体は無理だったと思う。
肉屋ナイフという、何となく物騒な銘の魔道具を手にすれば、未経験の少女でもあら不思議。さくさくとお肉が解体できたのだ。
血抜きも皮剥ぎも内臓の処理も、このナイフを肉に突き刺すだけで終わってしまうのだから、もう真面目に考えることをリリは放棄している。
「さすが魔法の国。異世界のナイフはひと味違う……」
ともあれ、おかげで美味しいお肉をお腹いっぱいに食べることができて、リリは幸せだった。
摘んできたベリーはジャムにしてある。たくさん作ったので、ひとつは伯父の家にお裾分けをするつもりだ。
のんびりとそんなことを考えていたリリは、はっと顔を上げた。
「そう言えば、今日の連絡をまだしていなかった」
魔力不足に気付いて、昨夜は大急ぎでこちらの世界に避難してきたが、従兄あてにメールしただけで、すっかり忘れていた。
一日に一度は生存確認の連絡をする約束だったのだ。
「ごめんね、ナイト。いったん日本に帰らなきゃ。雑事を片付けたら、すぐに戻ってくるから」
『むぅ……分かったよ。気を付けて』
お留守番をお願いすると、大急ぎで異世界と繋がるドアへと向かった。
ドアを通り抜けて、曾祖母の部屋に足を踏み入れるや否や、手にしていたスマホがひっきりなしに通知を知らせてきた。
おそるおそる確認すると、従兄二人から物凄い量のメッセージと着信が届いている。
「うわぁ……」
見たくない。見たくはないが、返事をしなければ、心配した従兄たちがここまで飛んでくるのは確実だ。
そうなると、もっと面倒くさい。
仕方なく、リリは伯父一家との家族用のメッセージアプリを開いた。
◆◇◆
連絡を入れて、どうにか安心してもらえた。結局、メッセージだけでは納得しなかった従兄二人を宥めるためにビデオ通話で説明する羽目になってしまったが。
質問にひとつひとつ答えながら、リリはここぞとばかりに雑用を片付けた。
まずはお風呂をセットして、炊飯器でご飯を炊く。一升もあれば、しばらくは炊かずに済む。
「あとは、お肉やお魚の解凍!」
これはひたすらレンジで解凍していくので地味に面倒だった。解凍魔法があればいいのに。
レトルト食品はフライパンや鍋で加熱すれば多分大丈夫。
お肉の解凍は後回しでもいいかもしれない。何せ、今はワイルドディアのお肉が大量にあるのだ。
ひとしきり魚介類の解凍を終わらせたところで、お風呂が沸いたとのアナウンスがあった。
ここで従兄との電話は強制的に終了する。報告はしたので充分だろう。
またうるさく騒がれそうだったので、今日は森でベリーを摘んだとだけ説明してある。
(大鹿を魔法の指輪で倒したなんて伝えたら、卒倒しそうだもの)
清潔なバスタオルと着替えをアイテムバッグから取り出すと、リリは軽い足取りでバスルームに向かった。
生活魔法で汚れは落としてあるけれど、お風呂はリラックスするには必要なのだ。
異世界の森で見つけた、柚子にそっくりな柑橘類を採取してある。
食用には向かないけれど、肌にはとても良いものだとナイトに教えてもらったものだ。
お湯にいくつか浮かせると、爽やかな良い香りが立ち昇る。
「んんー……やっぱりお風呂は気持ちいい……」
異世界柚子湯をしっかり堪能したリリだった。
1,986
あなたにおすすめの小説
この度、青帝陛下の運命の番に選ばれまして
四馬㋟
恋愛
蓬莱国(ほうらいこく)を治める青帝(せいてい)は人ならざるもの、人の形をした神獣――青龍である。ゆえに不老不死で、お世継ぎを作る必要もない。それなのに私は青帝の妻にされ、后となった。望まれない后だった私は、民の反乱に乗して後宮から逃げ出そうとしたものの、夫に捕まり、殺されてしまう。と思ったら時が遡り、夫に出会う前の、四年前の自分に戻っていた。今度は間違えない、と決意した矢先、再び番(つがい)として宮城に連れ戻されてしまう。けれど状況は以前と変わっていて……。
聖女の座を追われた私は田舎で畑を耕すつもりが、辺境伯様に「君は畑担当ね」と強引に任命されました
さくら
恋愛
王都で“聖女”として人々を癒やし続けてきたリーネ。だが「加護が弱まった」と政争の口実にされ、無慈悲に追放されてしまう。行き場を失った彼女が選んだのは、幼い頃からの夢――のんびり畑を耕す暮らしだった。
ところが辺境の村にたどり着いた途端、無骨で豪胆な領主・辺境伯に「君は畑担当だ」と強引に任命されてしまう。荒れ果てた土地、困窮する領民たち、そして王都から伸びる陰謀の影。追放されたはずの聖女は、鍬を握り、祈りを土に注ぐことで再び人々に希望を芽吹かせていく。
「畑担当の聖女さま」と呼ばれながら笑顔を取り戻していくリーネ。そして彼女を真っ直ぐに支える辺境伯との距離も、少しずつ近づいて……?
畑から始まるスローライフと、不器用な辺境伯との恋。追放された聖女が見つけた本当の居場所は、王都の玉座ではなく、土と緑と温かな人々に囲まれた辺境の畑だった――。
青い鳥と 日記 〜コウタとディック 幸せを詰め込んで〜
Yokoちー
ファンタジー
もふもふと優しい大人達に温かく見守られて育つコウタの幸せ日記です。コウタの成長を一緒に楽しみませんか?
(長編になります。閑話ですと登場人物が少なくて読みやすいかもしれません)
地球で生まれた小さな魂。あまりの輝きに見合った器(身体)が見つからない。そこで新米女神の星で生を受けることになる。
小さな身体に何でも吸収する大きな器。だが、運命の日を迎え、両親との幸せな日々はたった三年で終わりを告げる。
辺境伯に拾われたコウタ。神鳥ソラと温かな家族を巻き込んで今日もほのぼのマイペース。置かれた場所で精一杯に生きていく。
「小説家になろう」「カクヨム」でも投稿しています。
田舎農家の俺、拾ったトカゲが『始祖竜』だった件〜女神がくれたスキル【絶対飼育】で育てたら、魔王がコスメ欲しさに竜王が胃薬借りに通い詰めだした
月神世一
ファンタジー
「くそっ、魔王はまたトカゲの抜け殻を美容液にしようとしてるし、女神は酒のつまみばかり要求してくる! 俺はただ静かに農業がしたいだけなのに!」
ブラック企業で過労死した日本人、カイト。
彼の願いはただ一つ、「誰にも邪魔されない静かな場所で農業をすること」。
女神ルチアナからチートスキル【絶対飼育】を貰い、異世界マンルシア大陸の辺境で念願の農場を開いたカイトだったが、ある日、庭から虹色の卵を発掘してしまう。
孵化したのは、可愛らしいトカゲ……ではなく、神話の時代に世界を滅亡させた『始祖竜』の幼体だった!
しかし、カイトはスキル【絶対飼育】のおかげで、その破壊神を「ポチ」と名付けたペットとして完璧に飼い慣らしてしまう。
ポチのくしゃみ一発で、敵の軍勢は老衰で塵に!?
ポチの抜け殻は、魔王が喉から手が出るほど欲しがる究極の美容成分に!?
世界を滅ぼすほどの力を持つポチと、その魔素を浴びて育った規格外の農作物を求め、理知的で美人の魔王、疲労困憊の竜王、いい加減な女神が次々にカイトの家に押しかけてくる!
「世界の管理者」すら手が出せない最強の農場主、カイト。
これは、世界の運命と、美味しい野菜と、ペットの散歩に追われる、史上最も騒がしいスローライフ物語である!
お前を愛することはないと言われたので、姑をハニトラに引っ掛けて婚家を内側から崩壊させます
碧井 汐桜香
ファンタジー
「お前を愛することはない」
そんな夫と
「そうよ! あなたなんか息子にふさわしくない!」
そんな義母のいる伯爵家に嫁いだケリナ。
嫁を大切にしない?ならば、内部から崩壊させて見せましょう
甘そうな話は甘くない
ねこまんまときみどりのことり
ファンタジー
「君には失望したよ。ミレイ傷つけるなんて酷いことを! 婚約解消の通知は君の両親にさせて貰うから、もう会うこともないだろうな!」
言い捨てるような突然の婚約解消に、困惑しかないアマリリス・クライド公爵令嬢。
「ミレイ様とは、どなたのことでしょうか? 私(わたくし)には分かりかねますわ」
「とぼけるのも程ほどにしろっ。まったくこれだから気位の高い女は好かんのだ」
先程から散々不満を並べ立てるのが、アマリリスの婚約者のデバン・クラッチ侯爵令息だ。煌めく碧眼と艶々の長い金髪を腰まで伸ばした長身の全身筋肉。
彼の家門は武に長けた者が多く輩出され、彼もそれに漏れないのだが脳筋過ぎた。
だけど顔は普通。
10人に1人くらいは見かける顔である。
そして自分とは真逆の、大人しくか弱い女性が好みなのだ。
前述のアマリリス・クライド公爵令嬢は猫目で菫色、銀糸のサラサラ髪を持つ美しい令嬢だ。祖母似の容姿の為、特に父方の祖父母に溺愛されている。
そんな彼女は言葉が通じない婚約者に、些かの疲労感を覚えた。
「ミレイ様のことは覚えがないのですが、お話は両親に伝えますわ。それでは」
彼女(アマリリス)が淑女の礼の最中に、それを見終えることなく歩き出したデバンの足取りは軽やかだった。
(漸くだ。あいつの有責で、やっと婚約解消が出来る。こちらに非がなければ、父上も同意するだろう)
この婚約はデバン・クラッチの父親、グラナス・クラッチ侯爵からの申し込みであった。クライド公爵家はアマリリスの兄が継ぐので、侯爵家を継ぐデバンは嫁入り先として丁度良いと整ったものだった。
カクヨムさん、小説家になろうさんにも載せています。
【連載版】婚約破棄されて辺境へ追放されました。でもステータスがほぼMAXだったので平気です!スローライフを楽しむぞっ♪
naturalsoft
恋愛
短編では、なろうの方で異世界転生・恋愛【1位】ありがとうございます!
読者様の方からの連載の要望があったので連載を開始しました。
シオン・スカーレット公爵令嬢は転生者であった。夢だった剣と魔法の世界に転生し、剣の鍛錬と魔法の鍛錬と勉強をずっとしており、攻略者の好感度を上げなかったため、婚約破棄されました。
「あれ?ここって乙女ゲーの世界だったの?」
まっ、いいかっ!
持ち前の能天気さとポジティブ思考で、辺境へ追放されても元気に頑張って生きてます!
※連載のためタイトル回収は結構後ろの後半からになります。
悪役令嬢、休職致します
碧井 汐桜香
ファンタジー
そのキツい目つきと高飛車な言動から悪役令嬢として中傷されるサーシャ・ツンドール公爵令嬢。王太子殿下の婚約者候補として、他の婚約者候補の妨害をするように父に言われて、実行しているのも一因だろう。
しかし、ある日突然身体が動かなくなり、母のいる領地で療養することに。
作中、主人公が精神を病む描写があります。ご注意ください。
作品内に登場する医療行為や病気、治療などは創作です。作者は医療従事者ではありません。実際の症状や治療に関する判断は、必ず医師など専門家にご相談ください。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる