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35. 保護者が増えました
しおりを挟むジェイドの街で営業を始めた雑貨店『紫苑』は瞬く間に街中の少女たちの心をわしづかみにした。
メインで扱うのは見たこともないほどに美しい色彩の、愛らしいワンピースドレス。
ちょっとしたレストランや劇場にお洒落をして出掛ける際にちょうどいい、ドレス風の華やかな装いから、普段着としても着ることができるワンピースまで。
色々なデザインと色柄の衣装が揃っていた。
フリルやレースをたっぷりと贅沢に使ったワンピースは他の店のオーダー品よりも縫製が丁寧で、着心地も良い。
決められた規格の三種類のサイズで何着も作ってあるため、オーダーよりもお安く手に入るのだと言う。
価格は銀貨八枚から金貨一枚まで。
安価ではないが、質を考えればあり得ないほどにお得な金額である。
父親や兄が冒険者をしている家なら、少女が可愛くねだればほいほい支払ってもらえるくらいの値段だ。
この街の外──たとえば王都に着ていけば、おそらくは十倍の価格のものと勘違いされそうなほどの衣装なため、少女たちは商人たちの転売や、お金持ちの令嬢たちの買い占めを恐れたのだが、幸い、今のところは極端な品切れを起こしてはいない。
それはこの『紫苑』が定めた厳格なルールのおかげだ。
「ワンピースは一人一着まで。きちんと試着した、自分のための衣装として購入すること。このルールのおかげで、楽して儲けようとしている商人たちが悔しがっているみたい」
「ふふっ。ズルをしようとするからよ。どこかの男爵令嬢もドレスを買い占めようとして、赤毛の騎士さまに摘み出されていたわ!」
「まぁ、素敵! 痛快ね!」
華やかな歓声を上げる少女たちの様子をカウンターの上に寝そべった黒猫が迷惑そうに一瞥する。
『リリ、あれ追い出さなくていいの? うるさくって昼寝もできやしない』
「大事なお客さまですから。……あまり迷惑になりそうなら、ルーファスに声を掛けてもらうわ」
リリは彼に注意をしてもらうつもりのようだが、それは逆効果だろうと黒猫は考える。
少女たちの中にはルーファスのファンも多くいるのだ。
雑貨店『紫苑』は千客万来。開店するや否や、口コミであっという間に評判となった。
売っている品物はもちろんだが、ミステリアスな美少女店員──実は店長であるが──リリとその護衛として傍らに立つルーファスがなぜか大人気なのだ。
リリはエルフと異世界人の血を引く混血児だ。
白い肌や翡翠色の瞳など、色素の薄さはエルフの血が濃く出たのだろう。繊細に整った容貌もシオンの面影がうっすらとある。
(でも、エルフとはまったく違う雰囲気があるんだよね、リリは)
まるで氷でできた人形のよう、と陰口を叩かれることさえある、整いすぎたエルフの外見と比べても、彼女は可愛すぎるのだ。
(幼い、って言ったら怒るけど。雰囲気が甘やかなんだよね。瞳が大きいのも関係があるのかな?)
何というか、とても保護欲? 庇護欲というのだろうか──をくすぐるのだ。
小さくて弱々しい子猫を目にした時のように。助けなくては、守らなくてはと強く思ってしまう、あの心境に近い。
理由なんて分からない。だって、可愛いのだ。可愛がりたくて仕方ない。
(ルーファスなんて、完全にそれだよね。デレデレしちゃってだらしない。最強のドラゴンのくせに笑っちゃうよ)
まぁ、ナイトも他人のことは言えないが。
彼女の曾祖母にして、ナイトの主人だった大魔女シオンも同じくらいの人たらしではあったが、リリは種類が違う。
日本での家族に溺愛されすぎて、ちょっと鬱陶しいとぼやいていたが、さもありなん。
無意識に【魅了】に近いスキルを使っているようにしか思えない。
(いや、違うか。リリのレベルの【魅了】にボクやルーファスが引っ掛かるはずがないし)
第一、リリの性格的にそういう執着を向けられることを何より嫌っていそうなので。
ともあれ、彼女は自分たちどころか、思春期の少女たちにも慕われている。
リリが身に着けた商品はその日のうちに完売するほど、影響力が大きい。
おかげでこの店の影のオーナーでは、とナイトが睨んでいる「おばさま」の指示で毎日、新商品を試着させられている。売り上げもすこぶる良い。
衣服以外の小物類も順調に売れている。
特にシルクのリボンや髪を飾るアクセサリーなどは手に取りやすい価格設定にしているので、朝に並べた商品が夕方には売り切れていた。
上質で良心的な価格の商品を喜んだのは少女たちだけではない。
さきほど、彼女たちが口にしていたように、リリ曰くの『転売屋』が店にやって来たのだ。
最初からそれを警戒していたリリは、ルールを守れない者は出禁とした。
少女のためのお店には試着室もあるので男性は入店禁止。
衣装は一人一着のみ購入可。プレゼントは可。その他の商品も買い占めは禁止とした。
何度か、貴族階級だと名乗る下品な令嬢が無茶を通そうとしたが、それらは護衛ごとルーファスに叩き出された。
(親に言い付けて仕返しをしようとした令嬢たちは逆に叱責されていたんだよね。ふふっ。ざまぁみろ)
権力には権力。
リリを守るために、ルーファスとナイトは顔見知りを利用したのだ。
ちょっとだけ面倒な相手だけど、彼女は絶対にリリを裏切らないことを知っていたので、この街での保護者の一人として認めてやった。
(この街で商売をするには、保証人が必要だったし、仕方なかったんだよね……)
商業ギルドは金銭さえ払えば、店舗の賃貸手続きはすぐに取ってくれるのだが、肝心の出店に関しては地位のある人物の保証が必要だった。
あいにく、大魔女シオンの元筆頭使い魔である自分は見た目は普通の黒猫。
立派な出立ちのルーファスにしたって、正体はドラゴンだ。
金銭はあるが、人族の間で通用する地位が二人にはなかった。
どうしましょう、と困った様子のリリを見かねて、ルーファスはほんのちょっぴり、本性であるドラゴンの魔力を解放したのだ。
そうすれば、あれが飛んでくると知っていて。
そうして真っ青な顔で、文字通り空を飛んできたあれは、二人の頼みを聞いて、リリの保証人になってくれた。
おかげで無事に店をオープンすることはできたのだが──
「リリィ! 私の可愛いお花ちゃん。ふふ、今日もとても麗しいね。ご機嫌はいかがかな?」
「辺境伯さま。いらっしゃい」
チリン、と軽やかなベルの音と共に颯爽と店内に足を踏み入れたのは、当の保証人。
黄金の冠のように輝くゴージャスな金髪の麗人だ。仕立ての良いスーツを身に纏った美貌の主はリリを目にするや、とろけるような笑顔を閃かせる。
居合わせた少女たちがキャアと黄色い悲鳴を上げた。
それもそのはず、その闖入者は今や希少種族と成り果てたエルフの麗人だったからだ。
豪奢な金髪を大きなリボンで後ろに纏めて、まるで男性のような衣装を着ているが、れっきとした女性で、この辺境の地の領主だった。
「辺境伯だなんて、つれないな。リリィ。私のことはルチアとそう呼んでくれて構わない。君は私にとっては珠玉のような存在なのだから」
切なげにため息を吐くと、リリの手の甲にそっと唇を落とすルチア。
店内中に少女たちの感極まったかのような悲鳴が響き渡った。
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