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56. ラビット南蛮
しおりを挟む日本での雑用を終えると、リリは大急ぎでダンジョンへと戻った。
魔道冷蔵庫で寝かせておいたホーンラビット肉を取り出すと、キッチンペーパーで汁気を拭き取り、薄力粉をまぶしていく。
溶き卵にくぐらせた肉を揚げるのはルーファスにお願いした。
「油が熱されたら、お肉を揚げてくださいね」
「分かった。この油が熱くなったら……む? どのくらいの熱さだ?」
素直に頷いたルーファスだが、ふと首を傾げる。そして、おもむろに鍋の中に人差し指を突き入れた。
リリは目を見開いて、小さく悲鳴を上げてしまう。
「何をやっているんですか……ッ⁉︎」
慌てて、油が煮立った鍋からルーファスの右腕を掴んで引き出した。
そのままシンクまで引きずるようにして連れて行くと、右手に流水を当てる。
「えっと、流水で冷やして……あとはどうすれば良かった? ……はっ、ポーション!」
伯父に渡した以外にも、自分たち用に確保していたポーションがあることを思い出す。
「ストレージバングルに何本か収納していたから、それを使いましょう。足りるかどうかは分からないけれど……」
あいにく手元にあるのは下級ポーションだけ。軽い外傷や火傷に効果はあると聞いたが、熱された油で負った火傷なのだ。
ストレージバングルから取り出したポーションの蓋を開けようとしたリリの手を、ルーファスがそっと押さえた。
「落ち着け、リリィ」
「私は落ち着いています。火傷は初期の手当が大事……あれ?」
「ようやく冷静になったか。気遣いは嬉しいが、俺はドラゴンだ。この程度の熱ではウロコ一枚傷付くことはない」
「…あ……」
右手をひらひらとさせるルーファス。
その人差し指は火傷どころか、赤くさえなっていない。
「そうでした、ルーファスはドラゴン……」
うっかり忘れがちだが、この気の良い赤毛の大男は最強種であるドラゴンだった。
ふにゃあ、と足元で黒猫が鳴く。
呆れたようにリリとルーファスを交互に見遣って、ナイトはため息を吐いた。
『リリ。その男はね、火山を寝床にするようなドラゴンなんだ。熱湯でさえ平気な顔で飲み干すんだから、火傷の心配は無用だよ』
そういえば、そんなようなことを言っていたような。
猫舌の黒猫は「信じられないよね!」と器用に肩を竦めてみせた。
たしかにそれは人外だな、と思う。
人の姿を取ったルーファスはドラゴンを思わせるパーツは皆無だ。
黄金色の瞳だけはそっくりだけど、ドラゴンの時とは違い、虹彩は普通なので特に違和感もない。
多少変わった言動はあるが、見た目は普通の人間そのもの──むしろ、鍛え上げられた立派な体格と整った容貌から、『紫苑』では憧れの騎士さま扱いされているくらいで。
「隙あらば、私を膝に乗せたがる過保護な家族みたいに思っていたけれど、火傷にも強いドラゴンさんでしたね」
ふぅ、と安堵の息を吐くと、リリは水瓶の魔道具を止めた。
水流を最大にしてしまったので、周囲が水浸しだ。
雑巾はどこに置いていたか、と周囲を見渡していると、気付いたナイトが魔法で片付けてくれた。
「ありがとう、ナイト」
『どういたしまして。ちなみに油をそのままにしておくのは危ないと思って、魔道コンロの火は落としてあるよ』
「天才ですか。ありがとうございます大好きよ、ナイト」
さすが、筆頭使い魔!
抱き上げた黒猫の額にキスをして褒めたたえてあげると、瞳を細めて喉を鳴らしてくれた。
いちゃつく二人を前に、ルーファスが肩を落とす。目に見えて萎れた様子。しおしおだ。
「すまない、リリィ。迷惑をかけた」
「わぁ……悪戯が見つかった大型犬が全身で反省を表現しているような有り様です」
ドラゴンなのに。
「騒いでしまった私も悪いです。でも、人は煮立った油に手を入れたら大火傷を負ってしまうものなので、気を付けてくださいね?」
「分かった。リリィも怪我をしてしまうのだな? 気を付けよう」
しょんぼりとした様子が気の毒やら可愛らしいやらで、リリはくすりと笑ってしまった。
背伸びをして、項垂れている頭をそっと撫でてやる。
「でも、ルーファスが痛い思いをしていなくて安心しました。火傷や怪我をしない頑丈な体でも、わざと無茶をするのはダメですよ?」
「……分かった。気を付ける」
『ふふっ。最強種のドラゴンの火傷や怪我を心配するのはリリくらいだよ』
ナイトが自慢の尻尾を振りながら、にんまりと笑う。
ルーファスをからかうつもりだったようだけど、当の本人はきょとんとしている。
「心配? ……リリィは俺を心配したのか?」
「? 心配したし、ちょっとだけ怒ってもいますよ」
「……そうか。ふ、俺を心配したか。そんな相手、長く生きても出会ったのは初めてだな」
なぜか、嬉しそうに端整な口元を綻ばせている。どうして、そこで喜ぶのだろうか。
「シオンおばあさまは心配してくれなかったの?」
「シオンが俺を心配? するわけがない! ちょっとやそっとじゃ死なないんだから、って奈落の底へ蹴落とすようなヤツだぞ?」
「まさか、あの優しいおばあさまがそんなことをするわけないです」
『…………』
しっかり者の黒猫は賢く黙秘を貫いている。
リリは会話を交わしながらも、なでなでの手を止めない。
ルーファスの艶やかな赤毛は見た目よりもふわふわで手触りが良くて、ついつい触り続けてしまった。
名残り惜しいが、そろそろ夕食作りに戻ろう。背伸びした足と手もだるくなってきたので。
よしよし、を止めたリリの手をルーファスが残念そうに見送るが、そこはスルーした。
これ以上なでなでを続ければ、筋肉痛は確実なので。
「ラビット肉を揚げる作業は私がするので、ルーファスはタルタルソースを作ってくださいね」
「分かった」
しおらしく頷くルーファスにジェイドの街で購入しておいたエプロンを手渡す。
黒猫ナイトには野菜サラダ作りをお願いして、リリはルーファスに指示を出しながら、せっせと揚げ物に励んだ。
◆◇◆
チキン南蛮もとい、ラビット南蛮は二人に大好評だった。
ウサギの肉は鶏肉と近い食感だけど、ダンジョンでドロップしたホーンラビット肉は高級地鶏の味を凌駕していた。
引き締まった肉は噛み締めると、驚くほどジューシーで柔らかく口の中でほどけたのだ。
「レベル上げのために森で狩ったホーンラビットと、味が違う気がします」
森のホーンラビットが野生の天然ものだとしたら、ダンジョンのホーンラビットは養殖ものの味だと思った。
天然ものの方が贅沢ではあるが、美味しくなるように管理された肉は旨味が凝縮されている。
「やわらかくて、脂肪が甘い。すごく美味しいです……」
これは食がすすむ。
リリは下品にならない最低限のラインで、せっせと箸を伸ばして、美味しい肉料理を堪能した。
ダンジョン内は『聖域』よりも魔素が濃いため、体調はすこぶる良い。
魔力もたくさん使ったが、それ以上に魔素が体内を循環しているようだった。
魔素を含んだ魔獣肉はリリのお腹と心をたっぷりと満たしてくれる。
「旨い、旨いぞ、リリィ! カラアゲも良かったが、この肉料理も最高だな!」
一方、ルーファスも揚げたホーンラビット肉は気に入ったようで、夢中で平らげている。
大きな口で、ぱくり。
尖った犬歯のようなものが見える。硬い肉でもバリバリ齧れそうだ。
さくさくの衣の感触に喜び、柔らかな肉に驚き、自分で作ったタルタルソースの味に感動するルーファスの姿は見ていて飽きない。
『んー! おいしい! カラアゲに似た料理だけど、これは二種類のソースが絶妙だね、リリ。甘酸っぱいのと、この卵のソースが絡まって……ふわぁ、いくらでも食べられそう…』
黒猫のナイトも口元をタルタルソースで汚しながらもご機嫌で平らげている。
「ルーファスの作ってくれたソースが美味しいのですよ。以前にナイトが獲ってきてくれたコッコ鳥の卵を使ったのですが、濃厚で美味しいです」
コッコ鳥とはダチョウサイズの魔獣だと、魔物図鑑で読んで知ってはいたけれど、その卵もダチョウサイズだった。
我が家でいちばん大きな鍋で茹でて、タルタルソースを作るのは大変だったけれど、これだけ美味しいのなら、その甲斐はあったと思う。
「マヨネーズも日本の市販のものじゃなくて、コッコ鳥の卵を使って自作したら、もっと美味しくなりそうです」
リリの何てことのないつぶやきに、二人は素早く反応した。
「作ろう、リリィ! 指示してくれたら、俺が作るから」
『コッコ鳥の卵の確保はボクに任せて! ついでに親鳥も狩ってくるから!』
ぎらつく目で訴えられて、リリはのけぞった。ここまで気に入ってくれるとは。
「もしかして、ダンジョンにいるのです?」
「ああ、四階層に棲息しているようだ」
「じゃあ、卵がたくさん採れる?」
『獲り放題だよ! ドロップもするし、巣を見つければ複数個、確保できるんだ』
「素敵。卵がたくさん手に入ったら、色々な料理に使えるわ。マヨネーズはもちろん、オムレツにハムエッグ、味玉もいいですね。お菓子もたくさん焼いてみたいです」
指折り数えながら、食べたい卵料理をあげていくと、ルーファスとナイトがたらりと涎を垂らしてしまった。
おかげで、モチベーションが上がった二人が張り切ってリリをフォローしてくれたので、低レベルでも楽に下層へ降りることができたのだった。
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