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80. ネブラム狩り
しおりを挟むリリとルーファスはアゲットの街唯一の食堂で出された料理を笑顔で平らげていく。
素材の味を生かしたシンプルな料理がとても美味しい。
姿を消してある黒猫のナイトもこっそりお裾分けしたフォレストボアのトマト煮込みと串焼き肉を夢中で食べている。
『美味しいねぇ! 肉はもちろんだけど、トマトスープがまた格別だよ。にほんの調味料に匹敵する味じゃない?』
最近では日本産の調味料やソース類のおかげで、すっかり舌が肥えたはずのナイトまで絶賛している。
それほどに、この店の料理は美味しかった。
「このお肉は買って帰れるのでしょうか」
「気持ちは分かるぞ、リリィ。売っていなくとも、俺が狩ってきたいくらいだ」
『ボクも協力するよ。この肉は是非とも確保しておきたい』
額を突き合わせて真剣に相談しているところへ、おかわりの串焼き肉を運んできた女性店員が大笑いする。
「そんなに気に入ってくれるとは嬉しいねぇ。フォレストボアはうちの街の特産品のひとつなんだ。街の外れの肉屋に行けば、誰でも買えるよ」
「本当ですか? ありがとうございます! あの、お料理どれもとても美味しいです」
「ふふ。ありがとうね」
「お肉はもちろん絶品でしたが、野菜も素晴らしかったです。特にトマト! あんなに甘くてまろやかなトマト煮込みは初めて食べました。お砂糖は入っていませんよね?」
「そんな高級品、使うわけない! あれは野菜の甘さだよ」
フォレストボアの煮込みにはトマトに玉ねぎ、マッシュルームによく似たキノコが入っていた。トマトだけでなく、玉ねぎの甘さも加わっての味だったようだ。
「串焼き肉に挟んである野菜も旨いぞ」
「ああ、ペリカね。生のままだと辛いんだが、火を通すと甘くなるんだよ。シャキシャキの食感が脂身の多い肉と一緒に食うのに最適なんだ」
パプリカそっくりの野菜はペリカというらしい。味や食感もかなり近い。
ほんの少しの岩塩での味付けが、肉と野菜の旨みを上手に引き出している。
「野菜の盛り合わせも素晴らしかったです。生野菜サラダは柑橘系のドレッシングソースが絶品でしたし、茹で野菜もほくほくしていて、とても美味しかったです」
サラダとして食べるのも最高に美味しかったけれど、せっかくなので持ち込んだコッペパンに串焼き肉と野菜を挟んで食べてみたが、これがまた秀逸!
女性店員もその食べ方を目にしたようで、今度うちでも試してみるわと言ってくれた。
「フォレストボアのお肉はもちろんですが、お野菜も忘れずに仕入れて帰りましょう」
「うむ。サンドイッチに合うから賛成だ」
『ボクも賛成! お土産にしたら、セオがきっと喜ぶと思うよ』
白黒双子姉妹は野菜はあまり好きではないようだが、セオは果物や野菜も好物なのだ。いちばんは肉なのは同じだが。
女性店員に野菜の販売所も教えてもらい、お土産用に追加で焼いてもらった串焼き肉二十本を、ルーファスに収納してもらった。
「ごちそうさまでした。美味しかったです」
「ありがとねぇ。肉と野菜もいいけど、ネブラムも忘れないで買って帰るんだよ!」
「はい、ぜひ」
やはり、街人にとってのイチオシはネブラムらしい。
「ネブラムは量り売りをしていると聞きましたが、果樹園を目指せばいいのでしょうか……?」
「ん、おそらくはあっちだろう」
すん、と鼻を鳴らしたルーファスが指差す方向へ歩いていく。
街の大通りらしき、この周辺だけ石畳が敷かれている。綺麗に均されているので歩きやすい。
ただし、通りを抜けると舗装されていない細道になる。
この街は二階建ての木造の家が多く、敷地内に小さな畑を持っているようだ。
観賞用の庭よりも、実用的な家庭菜園に熱心らしい。
庭の片隅には小さな小屋があり、ニワトリも飼っているようだった。
余裕のある大きな屋敷には畑の他に果樹も植えられており、緑が目に優しい。
ジェイドの街はここよりも栄えてはいるが、冒険者が経済の要のためか、農業の規模は小さい。
肉以外の野菜や果物、穀物などは八割以上がよそからの買い付けが中心だと聞いたことがある。残りの二割弱はダンジョンで採取した野草や果実だとか。
(だから、ジェイドの街の野菜はあまり新鮮ではないのね)
食堂の料理に使われていた野菜のほとんどが、裏の畑でもぎりたての新鮮なものだったようで、美味しさの秘密を理解したリリだった。
「朝採れ野菜が美味しいとは聞いたことがあったのですが、こんなに違うものなのですね」
「それもあるが、この土地は元々かなり肥沃だったようだぞ?」
ルーファスが小声で教えてくれた。
ドラゴンである彼には、精霊の気配が分かるらしい。
リリの腕の中で大人しく運ばれていた黒猫も納得したように頷いている。
『ああ、緑の精霊に愛された土地なんだね』
「緑の精霊……」
精霊といえば、すぐに思い出すのは『聖域』だ。
曾祖母の秘密の部屋のドアと繋がっている、特別な土地。
あそこは精霊王が守護する場所なのだと、ナイトに教えてもらった。
(あの土地に実っていたベリーも絶品だったから、ここが精霊に愛された土地というのも納得ね)
ぼんやり考え込みながら歩いていると、足元が疎かになっていたようで。
爪先を道の凹凸に引っ掛けて、前のめりで転びかけてしまう。
「っと、大丈夫か。リリィ?」
「平気です……ありがとうございます、ルーファス」
すかさず手を伸ばして、抱き寄せてくれた赤毛の大男のおかげで助かった。
無様に転ばずに済んでホッとしていると、どこからか「きゃあ!」と甲高い嬌声が響いてきた。
声が聞こえた方向に向き直ると、街の住民が何人か集まって、こちらを見つめている。
よそ者が珍しかったのだろうか。
そっと観察してみると、どうやら若い女性の集団で、頬を赤くしてルーファスをうっとりと眺めていた。
なるほど、とリリは納得する。
「ルーファスはイケメンですからね。女の子たちが見惚れていたようです」
長身で引き締まった肢体の持ち主であるルーファスはとてももてる。
ジェイドの街でもひっきりなしに女性に声を掛けられていた。
雑貨店『紫苑』で護衛役をしていた際にも、客の少女たちはうっとりと彼に見惚れていたものである。
もっとも当人はけろりとしたもので、肩を竦めて笑い飛ばすだけだった。
「俺が? 気のせいじゃないか」
「間違いありません。憧れの眼差しですよ。隅に置けませんね、ふふ」
「いや、むしろ俺よりも……」
言葉を切って、ルーファスは反対方向に鋭い視線を向けた。
不思議に思ってリリもそちらに目をやったが、特に気になるものは見つけられなかった。五、六人の少年たちのグループがいたくらいだ。
『……ルーファス。ちゃんと目を光らせていてよ?』
「分かっているさ。リリィは俺が守る」
何やらナイトとこそこそと会話を交わしているルーファスを不思議そうに見やるが、気にしないことにして歩き出す。
『まったく、自分のことには疎いんだから……』
「周囲に規格外の美貌の持ち主が多いから、リリィは感覚が麻痺しているんじゃないかとクロエが言っていたが、あながち間違っていない気がしてきたぞ」
『リリ、自分のこと「普通」とか思っていそうだもんねぇ』
苦労性の使い魔たちが己の容姿に無頓着な主を思い、ため息を吐いている間に、目的の果樹園に到着した。
◆◇◆
ネブラムの果樹園の一角は街の外の人々の買い付け用に開放されており、自由に採取ができるようになっていた。
手渡されたカゴに自身で好きな実を収穫して、量り売りをしているらしい。
収穫の人手も不要で、確実に売ることができる。なかなかに良い案だとリリは密かに感心した。
ルーファスとリリ、二人がネブラム狩りに挑戦することになった。
「熟れ頃の果実を見分けるのがコツだぞ。まぁ、素人には難しいだろうが」
果樹園の管理人のおじさんにニヤニヤされながらカゴを手渡されたリリは俄然やる気になった。
「絶対に美味しくて食べ頃のネブラムを根こそぎ採ります」
「はっはっは。がんばれ、お嬢ちゃん」
「むぅ……鑑定」
ぽそりと呟いて、さっそくスキルを使うリリ。【鑑定】スキルは便利だ。どの実が熟れて食べ頃か。虫入りか、そうでないかが一目で分かる。
ルーファスは匂いで何となく分かるらしく、こちらも涼しい表情で「当たり」の実を黙々と捥いでいく。
三十分後、大きなカゴふたつ分の食べ頃のネブラムの実を収穫した二人を前に、管理人は「参った!」と頭を抱えることになる。
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