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81. フォレストボアのトマトクリームグラタン
しおりを挟む「よい買い物ができたな、リリィ」
「ええ。ネブラムはもちろん、新鮮なお野菜も買えましたし、フォレストボア肉もたっぷり仕入れることができたわ」
欲しかったものを手に入れられて、リリは上機嫌でキャンピングカーに乗り込んだ。
食堂で食べた煮込み料理が特に気に入ったため、トマトは大量に仕入れてある。
葉物野菜や夏野菜なども買えるだけ購入した。キュウリにナスなどのおなじみの野菜はもちろん、異世界野菜も仕入れてある。
パプリカに似たペリカ、キャベツもどきのカボットなどだ。
カボットはてのひらサイズのミニキャベツで、肉厚で葉は少し硬めの野菜だが、スープに入れるととても美味しいらしい。
ちなみに果物狩り体験を楽しめたネブラムはプラムそっくりの形をした、鮮やかな黄色の果実だ。
皮は薄くて、指で摘んだ感触はぶどうに近い。食べ方は親指の爪先で穴を開けて、果汁を搾るようにして飲むのが作法だとか。
「皮を剥いで実を食べるのだと思っていたから、驚きました……」
「ああ、ネブラムは果汁を楽しむ果物だからな。リリィが飲ませてくれたジュースに似ていただろう」
「ええ、オレンジジュースね」
柑橘系で酸味が強いと聞いていたので、レモンに近い果実だと思い込んでいた。
オレンジジュース、それも果汁100%の贅沢な味がして、リリには嬉しい驚きだった。
みかんやオレンジよりは、ネーブルに近い味かもしれない。
さっぱりとしており、夏にはぴったりの飲み物だ。何個か、車内の冷蔵庫で冷やしておこう。
「これはきっと、伯母さまが気に入るわ」
野菜もいくつか、料理長に差し入れよう。フォレストボアも三頭分の肉を買わせてもらったので、お裾分けするつもりだ。
『フォレストボアを街ぐるみで餌付けしているのには驚いたね』
後部座席のクッションに飛び乗ったナイトが感心したように言うのに、リリは首を傾げた。
アゲットの街ではネブラムの実を与えて大きく育てたフォレストボアを高値で販売しているのだ。
餌とするネブラムは地面に落ちたものや熟し過ぎたり、傷が付いて売り物にならないものを選んでいるらしい。
「それは珍しいの? 日本では畜産が主流だけど」
『卵を手に入れるためにニワトリを飼う農家は多いよ。土地が広い豪農なら、豚を飼育しているところもあるらしいけど……ボアを餌付けするのは珍しい』
「豚は飼うのに?」
「フォレストボアは魔獣だからな。気性が荒いから、飼うには適さない」
ルーファスの説明に、リリは再び疑問を抱いた。
「でも、アゲットの街では飼育に成功していますよね?」
飼育というか、餌付けか。
街の外れに穴を掘り、そこを牧場のようにしてフォレストボアを放し飼いにしていた。
狭いながらに、ボア一頭ならギリギリ通り抜けられる出入り口はあるのだ。
だが、美味しいネブラムによほど魅了されたのか、自分から出て行こうとするフォレストボアは滅多にいないのだとか。
「よほどネブラムの味が好きなのね、フォレストボア」
その飼育場にも自分から踏み入ってくるらしい。ほどよく太ったフォレストボアは街一番の狩人が、弓矢で仕留めて肉にするのだとか。
感心するリリだが、ルーファスは端正な顔に苦笑を浮かべている。
「あれは酔っ払いなんだ」
「酔っ払い?」
「ネブラムの実は完熟したのを採取せずに放置しておくと、熟成されて酒になる」
「……え?」
ぎょっとするが、そういえば野生のリスが発酵したフルーツを食べて酔っ払ってしまった動画を観たことがあった。
ルーファスは何もない空間から、ネブラムの実を取り出した。収納スキルにこっそり入れていたようだ。
「これが完熟後、放置されていたネブラムの実だ。匂いが分かるか?」
「匂い……あ、アルコール臭がしますね、少しだけですが」
独特の香りに、リリは眉を寄せた。
お酒が未経験な彼女には刺激的な匂いだ。
ルーファスはにやりと笑うと、完熟ネブラムを皮ごと口に放り込む。
「あ……大丈夫なのです?」
「うむ。にほんの果実酒とは比べようもないが、酒のなりかけだな」
『あんまり美味しいものじゃないみたいだけど、野生の獣や魔獣によっては好物なんだよね。その習性をアゲットの街はうまく利用して肉を得ているんだ』
ナイトの説明に、ようやく納得した。
ネブラムの果実酒に釣られたフォレストボアを酔っ払わせて、飼い慣らしていたのだ。
「それで、お肉がやわらかくて美味しかったのね。松坂牛にビールを飲ませるようなものなのでしょうか?」
肉質はこっそり鑑定してみたが、特に問題はなかった。
なので酔っ払いのお肉ということは気にせず食べることにする。
「では、街から離れるぞ。今夜の野営の場所を見つけなくては」
「街道から少し外れた場所がいいです」
『そうだね。シオンさまの結界があるから安全ではあるけど、うるさいのは嫌だからね』
ランチ休憩と買い物の予定だったのが、つい長居してしまったので、急いで車を出してもらった。
街道は石畳やアスファルトで舗装されていなかったけれど、大魔女シオンの強化魔法のおかげでタイヤにダメージもなく、すいすいと進むことができた。
◆◇◆
三時間ほど車を走らせた先で、今夜は休むことにした。
街道からほんの少し外れた草原の中を本日の野営地とする。
(野営と言うか、普通に家で休むのだけど……)
キャンピングカーから降りたって、開けた場所まで歩いていく。
空は赤紫色に染まっており、郷愁を誘われる美しさだ。
雲ひとつない晴れ晴れとしたお天気だったので、今夜は星がよく見えるだろう。
トランクを地面に置いて、魔法の呪文を唱える。
「マイホーム、展開」
十歩ほど下がると、トランクが淡く光を放ちながら、その姿を変える。ぱたん。
仕掛け絵本を開くとお城が立ち上がるように、トランクは魔法の家に変身する。
赤茶けた煉瓦造りの二階建て。今の季節はまだ使わない小さな煙突がチャームポイントだ。冬になると、ここから暖かな煙が流れるのだろう。
ルーファスがキャンピングカーを【アイテムボックス】に収納するのを待って、皆で家に入った。
「今日の夕食はアゲットの街で買ったフォレストボアと野菜を使ったグラタンにしましょう」
美味しいトマトを使った料理が食べたくて、メニューはグラタンにした。
ルーファスとナイトはリリが日本から持ち込んだレトルトのマカロニグラタンを食べたことがある。
手作りのグラタンは初めてだ。
伯母の好物なので、リリは一緒に作ったことがあるため、レシピは覚えている。
トマトは湯剥きして、ナスは一口サイズに切り、玉ねぎはスライスしておく。
フォレストボアの塊肉はルーファスに頼んで切り分けてもらった。火が通りやすいように薄く細切りに。
フライパンでオリーブオイルを熱して、ナスを炒めていく。火が通ってきたら、スライスした玉ねぎとフォレストボアの肉を入れて蒸し焼きにする。
「あとはバターと小麦粉を入れて馴染ませながら、軽く炒めて……湯剥きしたトマトを潰し入れます」
『ここでトマトなんだね』
フライパンを混ぜるのがリリの担当で、具材を入れるのがナイトの担当だ。
器用に魔法で浮かせて、ぽいぽいとフライパンに放り込んでくれる。
「あとはミルクを四回に分けて、少しずつ入れてください」
『ん、これくらい?』
「ちょうどいいわ。ありがとう、ナイト」
『どういたしまして』
ルーファスは豪快すぎるので、二人の共同作業を背後から見守ってもらっている。
何となく寂しそうだけど、後方腕組みスタイルで待機中。保護者面、というよりは捨てられないか不安そうなワンコ顔である。
「あとは調味料で味を整えましょう」
粉末のコンソメ、塩胡椒にお砂糖を少々。ナツメグに赤ワインも少しだけ。
「よーく混ぜて、沸騰したら耐熱皿に入れます」
『耐熱皿?』
「これだろう?」
テーブルに並べておいたグラタン皿をルーファスが運んでくれた。お礼を言って受け取る。
グラタン皿にフライパンの中身を流し入れ、チーズをたっぷりと散らしたら、オーブンで焼くだけだ。
「まだか?」
「まだダメです」
『もういい?』
「もう少しだけ」
そわそわと落ち着きなくオーブンを覗き込むルーファスとナイトを、リリは笑いながらたしなめる。
十分ほど経つと、良い匂いが漂い始めた。
オーブンを覗き込むと、焼き色が綺麗についている。
「完成です」
厳かに言い放つと、わっと歓声が上がった。
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