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82. いつでも買えます
しおりを挟む日本のパン屋で購入してあったバゲットを添えて、グラタンを食べることにした。
オーブンから取り出したグラタンからはチーズの香ばしい匂いが立ち昇っており、ルーファスとナイトはこくりと喉を鳴らす。
「旨そうな匂いだ」
『リリ、はやく食べよう!』
「ふふっ。そうですね。食べましょうか。熱いので火傷をしないように気を付けて」
猫舌の黒猫が目を潤ませたので、リリは小さく笑った。ナイトのグラタンをスプーンですくって、息を吹きかける。
ほどよく冷えたところで、口元に運んであげた。
ぱっと表情を明るくさせた黒猫にグラタンを食べさせてあげる。
小さな舌でこそげるようにして溶けたチーズごとトマトクリームソースを舐めたナイトはヒゲの先を震わせた。
『美味しいっ! 蕩けるチーズが最高ってことは知っていたけど、こっちの世界のグラタンも美味しいね』
瞳を細めて、感極まったように叫んでいる。尻尾の先がまるでブラシのように膨らんでいて、可愛いやら、面白いやら。
リリはくすりと笑いながら、首を傾げた。
「そんなに美味しかったの?」
『うん、すっごく! リリも食べてみなよ!』
「はぁい。いただきます」
良い子のお返事を返して、リリは自分のグラタン皿に向き合った。
こちらはフォークで食べてみる。狙うのは一口サイズのナスだ。トマトクリームソースとチーズをたっぷりまぶして、ぱくり。
チーズは日本から持ち込んだモッツァレラのシュレッドタイプだ。
ブランド生乳を100%使用した、職人が丹精込めて仕込んだ高級品。
なので、美味しいことは分かりきっていたけれど──
「これは想像以上の味……」
思わず、唸ってしまった。
トマトソースがチーズと張り合うほどに濃厚なのだ。
火が通って、とろりとしたナスは肉の旨味とトマトソースが染み込んでおり、ため息を吐きたくなるくらいに美味しかった。
フォークを繰り出す手が止まらない。
フォレストボア肉とチーズの相性も抜群だ。
アゲットの街の食堂で食べたトマト煮込みも美味しかったけれど、このグラタンも負けていない。
「あっという間に完食しちゃいました……」
「うむ。素晴らしく美味であった」
ふぅ、とリリがフォークを置くと同時にルーファスが満ち足りた表情でつぶやく。
話しかけてこないなとは思っていたが、こちらも夢中で平らげていたようだ。
黒猫のナイトもグラタン皿に顔を突っ込むようにして貪り食べている。
マナー的にはよろしくないが、それほど美味しく食べてくれているのだと嬉しく思えたので、注意はしない。
気持ちの良い食べっぷりだ。
ぺろりと平らげたルーファスが物足りなさそうに空の皿を切なく見やっていた。
「皿を舐めたくなるくらい、旨かったぞ。フォレストボアの肉も脂がのっていて、信じられないほど柔らかかったな」
「ええ、本当に。イノシシ……ボア肉なのに臭みも独特のクセもなく、素晴らしい肉質でした」
そう言えば、瀬戸内海でもイノシシが海を泳いで島の柑橘類を食い荒らす被害があったが、そのイノシシを捕獲し、特産品の肉として加工したというニュースを見たことがある。
ミネラルとビタミンをたっぷり含むエサを食べたイノシシはとても美味しかったとか。
「アゲットの街のフォレストボアとお野菜は定期的に購入したいです」
「そのつもりだろう?」
悪戯っぽく黄金色の瞳を細めて笑うルーファスにはバレていたようだ。
リリもぺろりと舌を出して、笑った。
「ふふ。魔法のドアの転移先として、こっそり登録しちゃいました。これでいつでも買いに行けます」
ダンジョンでレベル上げを頑張ったので、登録先の件数にはまだ余裕があるのだ。
拠点にしてあるジェイドの街のお隣なのは少し気になるけれど、これだけ上質で新鮮な野菜が手に入るのなら、悪くない選択だと思う。
「フォレストボアの肉は美味だからな。いいと思うぞ?」
「ふふ。煮込みも美味しかったけれど、生姜焼きにも合いそうなお肉なんですよね」
『ボクも食べてみたい!』
食いしん坊がもう一匹、参戦した。
口元をトマトクリームソースでべったり汚していたので、丁寧に拭ってやる。
「美味しかった?」
『すっっごく! にほんのグラタンも良かったけど、こっちのも絶品だったね』
残ったクリームソースをバゲットで拭うようにして食べるといいのよ、と教えてあげると、その手があったか! と大喜びでバゲットを手にしている。
「このトマトは生のままで食べても甘そうね。次はサラダに使ってみよう」
艶々のトマトはうっとりするほど美しく色付いている。青臭い匂いは皆無だ。
鮮やかな黒紫色のナスも期待がもてる。
加熱すると、とろりと果肉がやわらかくなるので、シンプルに焼きナスにしても美味しそうだと思う。
つくづく不思議なのは、これほど素晴らしい農産地が隣街にあるのに、ジェイドの街の料理はなぜ、あんなに残念な味なのだろうか。
「馬車で片道半日かけて運んでいる間に、野菜の味が落ちるのだろう」
リリの疑問にルーファスがあっさり答えをくれた。
「葉野菜などの青物は萎れやすいからな。長持ちする根菜類なら、ジェイドの街にも出回っているのではないか?」
「ああ……そう言えば、ジャガイモは美味しかった気がします。えっと、ではお肉は……」
「マジックバッグ持ちか氷属性魔法が使えないと肉の輸送は難しいからな。近隣の村くらいしか、あの肉は食えないだろう」
『あとは干し肉に加工するくらいかな?』
「あれは不味い。リリィのところの料理長が作ってくれたベーコンやソーセージレベルなら旨いが、干し肉は肉の良さを台無しにしている」
『同意!』
「そうなんですね……。じゃあ、私たちは贅沢な味を楽しめて幸運でした」
それに、魔法のドアの転移先として登録したので、いつでも買いに行けるのだ。
(せっかくの旅だもの。今回みたいに素敵な場所を見つけたら、転移先として登録すればいいわね)
ジェイドの街では手に入らないものを売っている土地。
何度でも訪れたくなるような、素敵な景色が拝める観光地もいい。
「目的が決まったら、旅がもっと楽しくなるわね」
◆◇◆
早朝、リリは日本へ戻って定期連絡のメールを送った。
昨夜は美味しいランチとディナーに満足して、そのまま眠ってしまったのだ。
予想通り、スマホには通知履歴が大量に残っていた。
「相変わらずの心配症なんだから……」
伯父と伯母は、昨日からリリが旅に出たことを知っているので、特に気にした様子はなかったようだが──
従兄二人がとても面倒くさい。
とりあえず、黒猫とルーファスとのスリーショットの自撮りを送っておいた。
元気です。心配はいりません。ご飯が美味しかったです。
フォレストボアのトマトクリームグラタンの画像も送る。我ながら、美味しそう。
届いていた荷物を回収して、すぐに異世界へ帰った。
『紫苑』にはまだ戻らない。
店の様子は、ナイトが通信魔法で留守番中の皆と連絡が取れているので心配はしていない。
魔法の家をトランクに戻すと、リリはキャンピングカーに乗り込んだ。
運転席から振り返ったルーファスが「次は何処に行く?」と楽しそうに尋ねてくる。
ナイトが古ぼけた地図を広げた。
「そうね。次は……海が見たいわ。このまま南を目指しましょう」
「海か。いいな。俺の翼だと、すぐに到着するが、のんびりと行こう。リリィと一緒なら、それも楽しい」
『ボクも一緒なことを忘れないように!』
黒猫の尻尾にぽかりと頭を叩かれて、ルーファスが快活に笑う。
リリはわくわくする気持ちを隠さずに、窓の外を眺めた。
南の海までは、かなりの距離がある。
道中で寄り道をしながら、曾祖母が生まれた国を見て回るのが楽しみで仕方なかった。
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