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83. セオは留守番が嫌い
しおりを挟む「旅をしたいわ、私」
ぽつりとつぶやいた少女の言葉を、セオは最初それほど本気にはしていなかった。
ちょうど雑貨店『紫苑』が軌道に乗って、かなりの稼ぎを得ることができるようになった頃だったのだ。
せっかく、ここまで盛り立てた自分の店なのに、あっさりと人に任せて旅に出てしまうなんて、思いもしなかった。
セオが従業員になる契約を交わした、その少女の名をリリと言う。
異世界で生まれ育った彼女は、かつてセオの主であった大魔女シオンの曾孫だ。
シオンはとても強くて、立派で、それはもう美しい女性だった。
そんな大魔女の血縁であるリリは、小さくて愛らしく──そして、とても弱い存在だ。
筆頭使い魔であった黒猫のナイトに誘われ、彼女の元を訪ねた時には、肩透かしを喰らった気分になったのは内緒である。
セオは大魔女シオンに戦いを挑み、あっさりと打ち負かされてから、彼女に服従した。
獣の掟が根強い土地で生まれ育ったため、セオにとっては何よりも『強さ』が大事だった。
強いのが、正義。弱いものは踏み躙られ、奪われる存在でしかない。
だから、彼は『強く』あろうとした。
素養があったのか、その地では負け知らずだった。調子に乗って暴れ回っていたところに、冒険者ギルドから依頼を受けたシオンがやってきて、こてんぱんにされたのだ。
容赦のない彼女には死ぬ寸前まで痛め付けられたのだが、こうまで圧倒的に強い存在は初めてで、セオはその場で彼女に隷属することを誓った。
望んで、自分から大魔女シオンの使い魔となったのだ。
強い主が彼の誇りだった。
一生を掛けて、付き従うと決めていたのに、別離の時は早かった。
魔力過多症。不治の病だ。
それはあっと言う間にシオンの生命力を奪って、彼女を苦しめた。
どうにもならないと誰もが諦める中、それでも彼女は最後まで諦めなかった。
そして、自分たちをこの世界に置き去りにしたまま異世界へと旅立ったのだ。
(世界を渡るなんて、できるはずがないと思ったんだけど)
まさか、成功していたなんて。
そうして、異世界で恋をして、子孫を遺していたなんてビックリだ。相変わらず、セオの主は破天荒で面白い。
そんな大切なシオンの曾孫であるリリは、セオが少し力を込めるだけで、あっさりと命を落としそうなほどに頼りなく、弱々しかった。
(これが、大魔女シオンの曾孫⁉︎)
信じられなかった。
いや、でもあの筆頭使い魔であるナイトがあんなに懐いているのだ。本物だろう。
(シオンさまの相棒だった、赤いウロコのドラゴンもでろでろに甘やかしているし、本物だよねぇ……?)
黒猫ナイトの誘いに乗ったのは、ちょっとした好奇心からだ。
使い魔仲間のクロエとネージュはすぐに曾孫のことを気に入ったようだけど、セオは報酬が目当てだった。
異世界を自由に行き来ができる少女は、とても美味なものを食べさせてくれるらしい。
こちらの世界の王侯貴族が口にするご馳走よりも、それらは素晴らしいものだとナイトは力説していた。
まぁ、話半分だとあまり期待せずに、ジェイドの街に向かったのだ。
そうして、現在。
セオはすっかり異世界の食べ物に魅了されている。
茶葉ひとつとっても、リリが持ち込んだものは上質なのだ。
やわらかなパン、甘い焼き菓子。泥のような色をしているのに、夢みたいに美味しいココアという飲み物。
それに、食材の旨味をぎゅっと凝縮したような、素晴らしいポタージュ!
あんなに美味しいスープは初めてだった。
(リリさまが作ってくれた料理はどれも絶品だ。ただ焼いただけの肉があんなに美味しくなるなんて、信じられない!)
異世界の調味料やソースが優秀だからですよ。
そんな風に謙遜していたが、彼女が手ずから作ってくれたものは何でも美味しかった。
(シオンさまはあらゆる分野の天才だったけれど、料理は苦手だったからなぁ……)
思い出して、苦笑する。
あんまりにも酷かったから、家事はセオが担当したくらいだ。
だから、セオは誰かが自分のために作ってくれた食事を食べたのは初めてで。
『どうぞ。お口に合えばいいのですが』
はにかみながら、そっと手料理を渡された、その瞬間に。
きっと、胃袋とハートを掴まれたのだ。
リリは可愛いよ。それに、とても良い子なんだ。
筆頭使い魔のナイトが自慢していた言葉がようやく分かった。
そう、大魔女シオンの曾孫、リリはとても愛らしい。
最初に顔を合わせた頃にはくすんだ栗色をしていた髪は、この世界でたっぷり魔素を浴びて、本来の輝きを取り戻している。
大魔女シオンと同じ、綺麗な金髪だ。
(ずっと、全然似ていないって思っていたけど、ちゃんと見れば分かったこと)
翡翠色の瞳もそっくりだった。
好奇心に満ちた瞳を期待に輝かせる表情なんて、瓜二つだ。
懐かしくて、涙がこぼれ落ちそうなほど。
彼女に気に入られたら、異世界のものをたくさん貰えるかも。
そんな下心から、猫をかぶってすり寄っていた自分がとても恥ずかしい。
シオンに似ているから、だけでなく。
気が付くと、セオは少女の心根や性格を好ましく思うようになっていた。
リリは弱い。魔女の中でも、おそらくは最弱。まともに使えるのは、生活魔法くらいだろう。
以前までのセオなら、弱い相手なんて歯牙にも掛けなかったのに。
今の彼は心の底からリリを慕い、守りたいとさえ思っていた。
だから、「旅に出たい」と口にしたリリにショックを受けたのだ。
◆◇◆
雑貨店『紫苑』のセオは護衛がメインの販売員だ。
人手が足りている際には、接客はクロエとネージュに任せてある。
客に声を掛けられた時だけは、愛想良く応えるようにしているが、店を厄介事から守るのが彼の本来の仕事なのだ。
今や、『紫苑』はジェイドの街で話題沸騰の雑貨店だ。
女性客しか入れないし、販売にも制限があるが、売上げはピカイチ。
閉店後の集計では金貨が飛び交うほど、商品が売れている。
そうなると、よからぬ輩が寄ってくるのは当然のことで──
ぴくり、と獣の方の耳が揺れる。
招かれざる客だ。
会計作業に集中していたクロエとネージュも気付いたようで、面倒くさそうに瞳を細めている。
雑貨店『紫苑』には結界の魔術が施されてはいるが、邪魔者は排除しておいた方が安全だ。
なにせ、店長である少女は最弱の魔女なので。
「片付けてくるよ」
「ん、お願いするわ。……一人でも平気かしら?」
事務作業に余念がないクロエが視線は手元に落としたまま、ひらりと片手を閃かせる。
セオは鋭い犬歯を見せつけるようにして笑った。
「──誰に言っているんだ?」
「ま、貴方なら平気ね」
「汚しちゃ、だめ」
「分かっているよ。リリさまから貰った制服も、店の周囲も汚さないように気を付ける」
「ん。……いってらっしゃい」
満足そうに口角を上げるネージュ。
二人ともセオがどうにかなるなんて、微塵も心配していない。
面映い気分だが、まぁ悪くない。
一緒に暮らす自分たちのことを、リリは『家族』と呼んで大切にしてくれている。
使い魔を家族扱いするなんて、奇特な主人だ。だが、それがとても誇らしい。
そんな大切な主人が大事にしている店を荒らそうとする輩は許せない。
「殺す。……と、辺境伯がうるさそうだから、半殺しでいいかな。ああ、優しいリリさまが哀しむのは嫌だから、三分の一殺しくらいで許してやろう」
店のドアは閉ざしてあるので、二階の窓から外に出た。トン、と壁を蹴って宙を舞う。
人化の魔道具であるネックレスを外して、本来の妖狐の姿で、暗い路地の隙間に隠れていたソイツらの背後に降り立った。
大魔女シオンに置いていかれてから、彼は待つことが何より嫌いだった。
なので、邪魔者の排除ついでに、留守番の寂しさをソイツらで発散することにした。
『僕、掃除は得意なんだ』
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