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84. ハチミツ道中
しおりを挟むキャンピングカーの旅は順調だ。
運転はずっとルーファスが担当してくれているので、リリはのんびりと後部座席に座って窓から見える景色を楽しんでいる。
居住性を何より重視した作りのキャンピングカーなため、リビング部分は快適だ。
クッションシートも特注らしく、座り心地は抜群である。
ルーファスもそれにはひどく感心していた。
「これに慣れたら、こちらの世界の馬車に乗れなくなるぞ」
「……そんなに酷いのです?」
「ああ、三時間ぶっ続けで乗っていると、尻の皮が剥けそうになると聞いた」
夜半、一人でぶらりと飲みに行くルーファスは酒場で冒険者から世間話を仕入れてくるのだ。
『こっちは、にほんと違って道が悪いからね』
黒猫のナイトがはたり、と尻尾を揺らしながら訳知り顔で頷く。
「にほん製の車が優れているのもあるが、このキャンピングカーはシオンの魔法で強化されているからな」
「え、結界や目眩しだけでなく、タイヤにも強化魔法が……?」
どうりで、舗装されていない悪所や草原を突っ切っても傷ひとつ付かなかったのか。
「タイヤがパンクしないのなら、ありがたいわね」
遠い目でリリはぽそりとつぶやいた。
大魔女であった曾祖母が魔改造──文字通りの魔道車に改造──したおかげで、キャンピングカーはガソリン要らず。
魔石に魔力を込めたものが動力源になるらしく、日本へ給油しに帰る必要がないのはありがたかった。
備え付きの家電もすべて、魔石で動く便利仕様だ。
エアコンはもちろん、電子レンジに冷蔵庫、ポットにまさかのトイレまで!
簡易キッチンの水道に水洗トイレの水事情がどうなっているのか不思議に思い、【鑑定】してみたところ、水属性の魔石が使われていた。
魔石のおかげで、リリはタンクの水補給に苦労しないで済んでいる。
地味に大変なのだと聞いていたので、これもラッキーだ。
(もっと驚いたのは、トイレに光属性の魔石がセットされていて、汚物はすべて浄化されていたことかしら……?)
下水の処理が不要なのが、何よりも嬉しかったりする。
黒猫ナイトはトイレに光属性魔石が使われていたことに、ものすごく驚いていた。
希少な光属性魔石はとても高価なのだとか。それを惜しげもなくトイレに使うとは、さすがシオンさまと感心していた。
「まぁ、快適なのはありがたいし、気にせずに甘受しましょう」
喉が渇いたので、冷蔵庫から取り出した紙パックのアイスティーをグラスに注いでいく。
ルーファスはストレートティー。ナイトはシロップましましのミルクティー。
自分用にはスライスレモンを入れて、アイスレモンティーにした。
運転中に立ち上がると危ないので、ナイトが魔法でアイスティーを運んでくれる。
ふわふわと浮かんで、運転席に向かうグラスは何度見ても不思議な光景だ。
礼を言って受け取るルーファス。器用に片手で運転しながら、ストローを咥えている。
ナイトは自分用の深皿を引き寄せて、ミルクティーを幸せそうに舐めた。
リリはレモンティーを飲みながら、手元の本に視線を落とす。
読んでいるのは、薬草図鑑だ。
羊皮紙に手書きしたものを綴じた、手作りの本。ジェイドの街で購入した、この本をリリは移動の合間に読み進めている。
【鑑定】スキルは所有者の知識量により、詳細な内容を知れるのだと聞いてから、暇な時間は本に目を通すことにしているのだ。
雑貨店『紫苑』に頼れる従業員が増えて、自由時間が取れるようになってから、リリはこつこつと読書に励んでいる。
おかげで、すでに魔物図鑑は読破した。
(もし、次にダンジョンに挑むことがあったら、魔獣の弱点も看破できるかもしれない)
知識は、力だ。
曾祖母シオンは病弱なリリにそう教えてくれた。学校に通えなくても、ベッドの上で本を読むことはできる。
そう言って、彼女が望む本を何でも揃えてくれた。
おかげで、出席日数が半分に満たないリリでも、成績はいつもトップクラスだった。
読書が趣味なリリなので、【鑑定】スキルの強化のための勉強もまったく苦にはならなかった。
知らなかったことを知れるのは、純粋に楽しい。
使うことのない知識かもしれないが、何かの糧になるかもしれない。
糧にならなかったとしても、単純に知識が増えることが楽しかった。
熱心に読書に耽るリリを見て、面白がったルチアが辺境伯家の蔵書を貸してくれた。
多種多様なジャンルの本ばかりで、とても興味深い。
花開くような笑顔で礼を言うリリを見て、負けず嫌いのドラゴンに火が付いた。
自身の【アイテムボックス】を引っ掻き回して、かつてダンジョンでドロップした稀覯本をリリにプレゼントしてきた。
薬師の書、錬金術の教本、魔道具の技術書。技術職の方々には垂涎の、幻の書の数々らしい。
中には初級から上級までの魔法の書もあったので、薬草図鑑を読み終えたら、そちらにチャレンジしようと思う。
『リリ、ずっと本を読んでいたら気分が悪くなるから気を付けて』
集中しすぎると、頼りになる黒猫ストップが掛かるので、安心して読書に耽ることができた。
◆◇◆
目的地は、南の街。
海沿いの観光地があるらしく、そこを目指して南下している。
キャンピングカーの旅でも、到着まで七日は掛かる距離にあるらしい。
なので、途中下車ならぬ寄り道も楽しみながら旅をしている。
アゲットの街で良い買い物ができたので、気になる村や集落があれば、ふらりと立ち寄った。
今のところ、ネブラムやフォレストボア肉ほどの出会いはなかったけれど、リリ的には良い買い物ができたと思っている。
ほくほく顔でリリが手に入れたのは、ハチミツだ。
ルーファスなどは心底不思議そうな顔をしている。
「ハチミツなど、そんなに珍しくもないだろうに……」
『そうだよね? 『聖域』のハチミツの方が魔素もたっぷり含まれているよ?』
「たしかに、高価ではあるけれど、それほど珍しくはないかもしれませんね。でも、地域によって、少しずつ香りや味が違うのが面白いのですよ?」
魔素の量からしたら、『聖域』産のハチミツが圧勝だ。味もいい。
「ちなみにアゲットの街のハチミツも買ってあるんですが、ネブラムの風味が僅かにあって、面白い味でした」
異世界の蜜蜂にも巣ごとに好みの違いがあるようで、ネブラムのハチミツとは別に、花の蜜を集めたハチミツと二種類あった。
そういえばアゲットの街の入り口の手前に綺麗な花畑があったが、あれはハチミツ採取用に育てていたのだ。
「ネブラムのハチミツはさっぱりとした柑橘風味。お花のハチミツはねっとりと甘い。その日の気分によってハチミツを選ぶのって、素敵だと思いません?」
黒猫が空色の瞳をぱちぱちと瞬きさせる。思いも寄らないことを聞いた、といった表情でリリを見上げた。
『……それはとても贅沢な楽しみ方だね?』
「ふふ。お土産にしても素敵でしょう? その土地のハチミツを味わう度に、そういえばレンゲ畑が綺麗だった、ミニ薔薇に囲まれたお家があったなって思い出せるもの」
「ふむ。旅の醍醐味というやつだな。面白い」
興味を持ってくれた彼らのために、リリは魔法のトランクの家でふわふわのパンケーキを焼いた。
ハンドミキサーがなかったけれど、そこは黒猫ナイトの魔法であっという間に卵白や卵黄が泡立てられる。
弱火で蒸し焼きにすると、やわらかに膨らんだ素敵なスフレパンケーキの完成だ。
トッピングはバターとハチミツだけ。
アゲットの街で手に入れたハチミツ二種と、途中の村で買ったハチミツの食べ比べだ。
『全然違う!』
一口ずつ味わって、ナイトは目を見開いて驚いた。
「うむ。まったく気が付かなかったが、こんなに味に違いがあるのだな」
「面白いでしょう? ちなみにこれは、日本産のレンゲのハチミツです」
スプーンですくってあげたハチミツをナイトがペロリと舐めた。
『美味しい! 花の香りがすごいね、これ!』
「リリィ、俺にもくれ。あーん」
「ルーファスは自分で食べられるのに……もう、仕方ないですね」
大きな子供みたいだ。
リリの手ずから、嬉しそうにスプーンをぱくりと咥える赤毛の大男。
すっかりハチミツの味比べにハマった二人と一匹は、それからどこかの集落に立ち寄る度にハチミツを求めた。
もちろん、その他の食材も忘れずに、しっかりと買い込みながら。
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