【書籍化】魔法のトランクと異世界暮らし〜魔女見習いの自由気ままな移住生活〜

猫野美羽

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85. 海堂家の食卓

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 帰宅するなり、海堂玲王かいどうれおは、足早にダイニングに向かう。
 以前は残業やら寄り道で帰宅が遅くなることもあったが、最近はきっちり時間内に仕事を終わらせて職場を後にするようになった。

(少しでも遅れると、せっかくの異世界肉がルカに食い尽くされてしまうからな!)

 今日はどうやら間に合ったようで、食卓では母と弟が食前酒を楽しんでいた。
 テーブルにはまだカトラリーしか置かれていない。
 息を切らせながらドアを開けた玲王に、母が「あら?」と首を傾げながら微笑みかけてくれる。

「おかえりなさい、レオ。今日も早かったのね」
「ただいま。今日はカツカレーだと料理長から聞いていたからな。集中して仕事を片付けてきた」
「そんなに急いで帰って来なくても、レオの分の夕食には手を付けないよ?」

 にこりとメガネの奥の瞳を細めながら、瑠海ルカが肩を竦めて見せるが、そんな演技には騙されない。

だろう? 残してくれるのは。おかわり分のカツを独り占めするのは許せねぇよなぁ?」
「時間に間に合わなかった方が悪い」
「はっ! 大学生はいいよなぁ、暇があって。まぁ、それももうすぐ終わりだがな」
「俺は誰かさんとは違って優秀だから、ディナーの時間は死守できるさ」

 テーブルを挟んで、火花を飛ばす息子たちを母親は呆れた風に一瞥する。

「いい加減になさい。喧嘩をする子は食堂から退出させるわよ?」

 途端、二人ともしおらしく謝ってくる。
 それほど、本日のディナーを心待ちにしているのだろう。

「まったく……。あんまり酷いと、リリちゃんに言いつけるわよ?」
「それは止めてくれ、母さん。リリが異世界肉を売ってくれなくなる!」
「そうだよ、母さん。喧嘩なんて、するはずがないよ。俺たち兄弟は仲良しなんだから」
「まぁ、しらじらしい。でも、仕方ないわよねぇ。あんなに美味しいお肉は私たちでさえ、食べたことがなかったのですもの」

 ほうっと、とため息をつく母親に、息子二人は重々しく頷いた。
 我らが愛しの姫君が、その体質から異世界へと移住することになったのは、春の終わりのこと。
 信じられないことに、うちの家系は異世界生まれのエルフの血を引いているらしい。
 中でも、たった一人の女性であるリリはエルフであった曾祖母の血を濃く継いでしまい、日本では長く生きられないのだと分かったのだ。

 実の妹のように可愛がっていた従妹を断腸の思いで手放した。
 本当は一緒に異世界について行きたかったくらいだ。
 あいにく、エルフの血を受け継いでいなかったため、リリ一人を送り出すことになって──

(だが、おかげでリリは元気になった。健康な肉体を取り戻し、食欲も出てきたし、異世界では立派に働いている)

 毎日の定期報告をたまに忘れてしまうのは心配だが、先日の里帰りで見違えるほどに元気な姿を目にすることができて、家族全員で喜んだ。
 嬉しかったのは、異世界からのお土産の数々もそうだ。
 ポーション類は我が家の分を除いて、父曰く『適切な場』で大いに役立ってくれたらしい。
 
(父さんは教えてくれなかったが、ちょっと調べれば、どこに出回って使われたかはすぐに分かる。政財界では密かに噂になっているみたいだしな)

 病を得て、引退を噂されていた老政治家の劇的な復活劇。
 半身不随で寝たきりであったはずの大富豪が、どこぞのパーティ会場に颯爽と出席して見せたとも聞く。
 声帯を痛めて休養中だった世界の歌姫も先日、復活コンサートを華々しく開催したとか。
 玲王としては、ファンだった有名アスリートが怪我を治して現役復帰したことが特に嬉しかった。

 表には流れていないが、もっと大物との縁も海堂家は着実に繋いでいることは確かだろう。
 おかげで、海堂グループの最近の業績は著しく順調だった。

 ちなみに下級ポーションは微小な傷や軽度の火傷くらいにしか効果がないとのことで、あまり使えないのではないかと思われていたが、リリが【鑑定】結果を母に話したことで、有益な使い方をされている。
 横目で盗み見た母の肌は明らかに以前とは違っていた。ぱっと見ただけでも、十歳は若返っている。

(下級ポーションを肌に塗ると、下手な美容液よりも効果があるなんてなー……)

 女性でなければ、思い付かない使い方だと感心する。
 それこそ化粧水のように肌に優しく塗り込むと、蓄積された肌のダメージが消えたのだ。
 日焼けだけでなく、化粧品でも肌には負担が掛かっているらしい。
 そのダメージが経年で、シミやシワなどとして肌に現れるのだとか。
 それらのダメージを下級ポーションを塗り込むことで、少しずつ癒していった結果──母の肌は若返り、美白と艶を取り戻したのである。
 見て分かる効果は、何よりも雄弁だ。
 上流階級の奥方が集まる場で、母はあっという間に女性たちの心を掌握して、縁を繋いだそうだ。
 女性たちはいくつになっても、若く美しくありたいと思うもの。
 特に、上流階級の彼女たちならば。

 両親たちは実に巧みに影響力のある人々の支持を集めた。
 金銭的だけでなく、あらゆる恩恵がもたらされることは確実だ。

(彼らはもう、海堂家からしか手に入らないポーションを手放せない)

 食前酒のグラスを傾けて、ふうと息をつく。午後七時の鐘が鳴る。時間だ。
 料理長が自らワゴンを押してきてくれた。てっきり、完成品を給仕してくれるものだと思い込んでいたら、ニヤリと笑うや否や、卓上コンロを取り出した。

「おお……!」
「まさか、目の前で揚げてくれるのか」
「まぁ、素敵。我が家でカツカレーを食べるなんて初めてだわぁ」
 
 追加のワゴンが運ばれてきて、炊飯器と寸胴鍋が並べられる。
 料理長は目を輝かせた三人によく見えるよう、手早くカツを揚げていく。
 使う肉はもちろん、リリが持ち込んだオーク肉だ。丁寧に筋切りした分厚い肉をキツネ色に二度揚げすると、ご飯をよそい、カレーを回しかけた皿に載せていく。

「どうぞ。カツカレーです」
「素晴らしいわ、料理長。とっても美味しそう」

 玲王はさっそく、揚げ立てのオークカツにかぶりついた。ざくり。小気味良い音が口の中で弾ける。
 噛み締めた瞬間に、肉汁が溢れてきた。
 脳が痺れそうなほどに旨い。
 角煮も凄まじく美味だったが、オークカツも絶品だ。
 
「とんでもなく旨いな、これは」
「今まで食べたカツカレーの中でも間違いなく、トップの美味しさだよ、料理長」
「えぇ、本当に。夢に見そうなくらい素晴らしいお料理だわ」
「光栄です。……正直、坊ちゃんにリクエストをいただいた時にはまさか、この家で家庭料理を作ることになろうとは思いもしませんでしたが……」

 リクエストしたのは瑠海なのだろう。涼しい表情でカツカレーを頬張っている。

「味見して、この味の奥深さに度肝を抜かれました。いや、家庭料理とは侮れませんね」
「ふふ。素材のお肉はもちろん、貴方の腕がいいからよ」
「ありがとうございます、奥さま」

 あまり揚げ物料理は好まなかった母でさえ、笑顔でカツカレーを口にしている。
 上品に見える最低ラインのスピードでスプーンを動かしていた。
 
 オーク肉の角煮が食卓に並んだ際にも、苛烈な争奪戦になったものだが、今回も譲れそうにはない。
 あっという間に皿を空にして、おかわりを所望する。
 料理長は二人の食べっぷりを目にして、すでに予想していたようで、すかさず追加のオークカツを提供してくれた。
 二杯目のおかわりを完食したところで、海堂家の当主である父が帰ってきた。

「遅かったか……!」

 がくり、と膝を折る夫に母がにこやかに笑う。

「ちゃんと、一食分は確保してありますわよ」
「くっ……! 仕方あるまい。一食が無事だったことを喜ぶべきだな」

 オークカツカレーを早速頬張って、かっと目を見開いている。

「オー…じゃない、ポークカツがメインだけど、このカレーも旨いよな、料理長」
「おそれいります。この豚肉が素晴らしいので、ルーには肉を使いませんでした。お嬢さまからいただいた鶏ガラで出汁を取ったので、その味でしょうな」

(なるほど、コッコ鳥の鶏ガラか。そりゃ、旨いに決まっている)

 料理長がふ、と顔を曇らせた。

「ですが、お嬢さまから預かった豚肉に鶏肉。どちらもこれで使い切ってしまいました」
「なに⁉︎」
「もう、か⁉︎」

 愕然とする。
 が、異世界の魔獣肉にすっかり魅せられた我が家の面々は毎食、料理長にリクエストしていたので、それも当然だと思い至る。

「くっ……リリが次に帰省するのはいつだ?」
「リリちゃんは旅行中ですからね。たしか、1カ月は不在なのではないかしら……」
「そんな!」
「1カ月もお預けなのか……」

 男三人と、ついでになぜか料理長もその場で崩折れた。
 せっかくの、我が家の大切な姫君の初めての旅を邪魔するつもりはないが──

(異世界肉を追加で送ってもらえるよう、メールだけはしておこう……)
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