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95. 侯爵家のご令嬢
しおりを挟む華やかに着飾った令嬢たちに囲まれていたルーファスが、目敏くこちらに気付いた。
仏頂面を浮かべていた端正な貌がリリを目にした途端、とろけるような笑みを浮かべる。
「リリィ! もう買い物は終わったのか?」
しなだれかかるように身を寄せていた令嬢たちの間を身軽くすり抜けると、ルーファスはリリの手を取った。
熱心に自分に話かけていた令嬢を完全に無視して、何事もなかったかのように笑う。
「では、行こうか。次はどの店がいい?」
「えっと……」
しっかりと手を繋がれているので、エスコートというよりは保護者のようだ。
呆気に取られて、ルーファスにされるがまま歩き出そうとしたところで、顔を真っ赤にした令嬢がこちらを睨み付けてきた。
「ちょっと、貴方! そう、そこの貴方よ! この素敵な殿方と、どういうご関係なのかしら?」
「……私ですか?」
急に声を掛けられたリリは、きょとんと首を傾げる。
「そう、貴方のこと!」
「私……。素敵な殿方って」
もしかしなくても、ルーファスのことだろう。
ちらりと隣に立つ赤毛の男を見上げるも、当の本人はご令嬢が全く目に入っていないようで、涼しい表情をしている。
(ジェイドの街ではこんな風に絡まれたことはなかったのに)
ふぅ、とため息をつく。
あの辺境の街でも、凛々しいルーファスは人気があったが、リリも雑貨店『紫苑』の店長として知られていた。
ルーファスが彼女の護衛だと、街の者はよく知っていたので、こんな風に喧嘩を売ってくる者はほとんどいなかったのだ。
(懐かしい……。レオ兄やルカ兄のファンにも、こうやって詰られたことがあったわね)
嫉妬混じりの悪意を向けられることには、残念ながら慣れてしまっている。
たとえば、恵まれた生まれや容姿を妬まれて。
優しい従兄たちに甘やかされているのが気に食わないと言い掛かりをつけられたこともある。
同性からの嫉妬だけでなく、異性もタチが悪かった。告白されて丁重に断ったら、粘着されたこともある。
あまりにも悪質な行為を繰り返す連中には、従兄や伯父が動いてくれたが、まさか異世界に移住しても同じように絡まれるとは思いもしなかった。
「聞いていますの? せっかく、この私たちが声を掛けたのに、こちらの方ったら無視しますのよ! なのに貴方を見かけた途端、別人かと思うほど、デレデレして!」
「デレデレ……」
甲高い声音で喚く少女の指摘に、リリはルーファスを見上げた。うん、たしかにデレデレしている。
それに、この少女。てっきり、リリに喧嘩を売ってきたのかと思いきや、ルーファスに怒っているようだ。
興味がわいたリリは足を止めて、少女に向き合った。
身長はリリの方が五センチほど低かったが、少女は十五歳くらいに見える。
ストロベリーブロンドをきっちりと編み上げて大きなリボンで飾っていた。
瞳はヘーゼルアイ。きりっとした眉毛が特徴的だが、整った容貌の持ち主だ。
いかにも貴族の令嬢といった、華やかなピンクのドレスがとても目立っている。
「私はジェイドの街で雑貨店を営んでいる、リリと申します。彼は私の友人で、護衛をしてくれているのですが、何か失礼でも?」
リリが静かな口調で訊ねると、ストロベリーブロンドの令嬢はヘーゼルの瞳を見開いて、ぱちぱちと瞬きをした。
「ジェイドの街の雑貨店……? 貴方、もしかして『紫苑』の関係者なのかしら」
「ええ。『紫苑』は私の店です」
まさか、ここまで離れた土地で『紫苑』が知られていたとは。
「まぁ、失礼しました。私はヴェローナ侯爵家の次女、ローザと申しますわ」
「ご丁寧にありがとうございます」
侯爵家と聞いて、リリは内心でため息を吐いた。声を掛けられた時に、さっさと逃げておけば良かったかもしれない。
てっきり、ルーファスについて何か無理難題を言われるかも、と身構えていたのだが──
「あの……貴方、ここへはお仕事でいらっしゃったの? それとも、ただの観光?」
ローザ嬢がもじもじしながら、上目遣いで訊ねてきた。
(あれ? ルーファスは?)
不思議に思って観察すると、どうやらルーファスに秋波を送っているのはローザ嬢ではなく、その周りにいた取り巻きの令嬢たちのようだった。
ローザ嬢よりも二、三歳年上のようで、ドレスや化粧が派手な二人だ。
『後ろの二人がルーファスにしつこく言い寄っていたんだ。それを無視されたら怒って、そっちの子に言い付けていたんだよ』
こっそりナイトが教えてくれた。
袖にされて怒った令嬢が、格上のローザ嬢に悪口を吹き込んだのだろう。
なるほど、ローザ嬢はルーファスよりもうちの店の方が気になる、と。
リリはにっこりと微笑むと、ローザ嬢に小声で囁いた。
「この街には観光で訪れたのですが、もしかしてローザさまは何か気になる品があるのでしょうか?」
「あっ……そ、そうね。王都で噂を聞いて、気になっているの。とても珍しくて、美しい品物をたくさん扱っていると聞いたわ」
ぽっと頬を赤らめた少女の姿に、リリはほっこりする。こういう令嬢なら大歓迎だ。
「でしたら、私の部屋に遊びに来てください。気に入る品がきっと見つかると思います」
「まぁ、よろしいの? では、さっそくお邪魔したいわ!」
「ローザさま⁉︎」
「あ、あの……私たちは……?」
ローザ嬢の陰に隠れていた令嬢たちがおずおずと声を上げるが、リリは申し訳なさそうに微笑んでみせた。
「あいにく、部屋が狭いもので。それに、うちの者がお気に障ったようですので、ご遠慮いただければ」
「……っ!」
「そ、そうね! そんな失礼な男がいる部屋になど、行きたくないですわっ」
リリはローザ嬢にだけ、ホテルの名前と部屋番号を記したメモを手渡して、そつなくその場を辞した。
ルーファスは自分に熱を上げていた令嬢を一瞥することもなく、リリの傍らに歩み寄る。無言で腕を差し出してくるので、仕方なく手を伸ばした。
『あの子、部屋に呼ぶの?』
ナイトが不思議そうに尋ねてくる。
せっかくのお休みなのに、とどこか責める眼差しだ。
「ええ。王都に住んでいるみたいですし、情報を仕入れたいんです」
『……あの子、たくさん買ってくれそうだしね?』
ふふ、とリリが笑う。
ルチアから学んだ、この世界の貴族階級を思い出す。王族、公爵に次いで権力を持つのが侯爵家だ。ヴェローナ侯爵家は、歴史の古い名家だと紳士録に記載されていた。
「うちを気に入ってくれたら、良いお客さまになりそうでしょう?」
当のローザ嬢も面白そうな女性だと、興味を惹かれたのだ。
「お友達になれると楽しそう」
今日のところは観光を切り上げて、ホテルの部屋でお仕事を頑張ろう。
◆◇◆
一時間後、ローザ嬢は護衛らしき女性騎士と侍女を引き連れて部屋を訪ねてきた。
ルーファスがリビングへ案内してくれる。
「ようこそ、おいでくださいました」
平民の店主がカーテシーを披露するのは可笑しいので、見苦しくない程度の仕草で一礼する。
「どうぞ。お口に合うと良いのですが……」
「まぁ、なんて素敵な陶器。花園にいるようだわ」
侯爵令嬢をおもてなしする為にリリが用意したのは、白磁に青いバラが描かれたティーセット。紅茶はダージリン。もちろん、店で人気のデザインシュガーもシュガーポットに詰めてある。
お茶菓子は日本の洋菓子店で購入したシェル型のマドレーヌだ。
「なんて芳醇な香り……。それに、このお砂糖がとても愛らしい」
お花のモチーフが浮かんでくるデザインシュガーも気に入ってくれたようだ。
マドレーヌに至っては、毒味をした侍女が思わず感嘆の声を上げてしまったほどで。
「失礼致しました。お嬢さま」
「まぁ、いつも冷静な貴方がそこまで驚くほどの味なのね。……んっ、確かにこれは素晴らしいわ」
さすがに高位の令嬢ともなれば、優雅にカップを傾けている。
お茶やお菓子を摘みつつ、リリが目配せをすると、ルーファスが雑貨店『紫苑』の人気商品を運んできた。
ガラスペンにカラーインク、レターセットなどの文房具。リボンや髪飾り、ポーチやバッグなどの雑貨類。
ティーセットに茶葉、便利なティーパックにデザインシュガー、日持ちのするクッキーも可愛くラッピングされた物を用意してある。
次々と運び込まれてくる品を目にして、ローザ嬢だけでなく、護衛の騎士や侍女まであんぐりと口を開けていた。
そして、ラストの目玉商品は──
「ご婦人方に人気の、普段着です」
各種ロリィタ衣装を吊るした大型ハンガーラックをルーファスが軽々と運んできて、客人の度肝を抜いたのだった。
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