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94. ドレスメーカー
しおりを挟む屋台でお腹を満たすと、街歩きを再開する。
露天販売の雑貨などを眺めながら、ぶらぶらと目的もなく歩く行為が楽しい。
雑貨店を覗いてみたが、価格は『紫苑』のものより高い割に品物の質はいまいちだったので、購入は控えた。
市場は冷やかすだけでも楽しい。
屋台で美味しかった料理をお土産として買うことにした。
従業員の三人と、伯父一家の分。
さすがに辺境伯であるルチアには屋台飯を買って帰るわけにはいかないので、そちらは愛らしい花束のブーケを購入した。
薄水色の愛らしい花をメインにしたブーケはルチアにも似合いそうだ。
高原都市のバリシアにしか咲かない花らしいので、物珍しいはず。
枯らさないよう、ブーケはストレージバングルに収納しておく。
ブーケはリリも気に入ったので、自分用にも購入した。ホテルの部屋に飾ろう。
「服屋さんがありますね。後学のために覗いてもいいですか?」
大通りのホテル街を抜けた先にある、瀟洒な店に気付いて、リリはルーファスを振り返った。
そこは婦人用のショップなので、ルーファスは店の外で待つことに。
リリについて行こうとしたナイトは、入り口で店員に止められた。
「恐れ入ります。こちらの店内はレディ専用ですので、ペットはご遠慮いただけますと……」
むぅ、とナイトが顔をしかめる。
『ボクはペットじゃないぞ!』
「ドレスに抜け毛が付きますと、お客さまにご迷惑となりますので……」
「分かりました。ナイト、ルーファスと一緒に待っていてくれますか?」
『……分かった』
ホテルに入る時のように、最初から姿を隠す魔法を使っていればバレなかったのだが、後の祭りだ。
使い魔である黒猫は、普通の猫ではない。大魔女の筆頭使い魔だった、猫の妖精なのだ。
抜け毛なんて、とんでもない。
大抵の人間よりも、彼の方が綺麗好きなのに、屈辱以外のなにものでもないだろう。
だが、リリが頼むと大人しく怒りを収めてくれた。あとでお詫びの品を進呈しよう。
ふたりに軽く手を振ると、リリは店内に足を踏み入れた。
まるでホテルのロビーのような高級感溢れるインテリアにリリはきょとんとする。
ドレスメーカーのはずだが、肝心のドレスは店頭には出していないようだ。
ソファには何人かのご婦人がゆったりと座り、お茶を飲みながら、従業員と打ち合わせをしている。
デザイナーでもあるのだろうか。
従業員は客から好みの色やデザインを聞き出し、今年の流行をさりげなく伝えつつ、オーダーを聞き取っていた。
(既製品を扱っていないお店のようですね……)
うっかり足を踏み入れてしまったことを、リリは少しばかり後悔する。
いわゆる吊るしの服でなく、フルオーダーのショップだったらしい。
戸惑うリリに気付いたのか、年若い従業員が手招きしてくれた。
「? こちらは……」
「試着室です。あの、失礼ですが、うちがオーダーのお店だとは知らずに入店されました?」
ずばりと聞いてくれて、リリはむしろホッとした。
「はい……すみません。既製品の服を見たくて、ぶらりと入ってしまいました」
「やっぱり! 気にしないで大丈夫ですよ。同じように間違うお客さまも多いので」
「そうなのですね……。オーダーの服も気になるのですが、長期滞在の予定ではないので……」
「ああ、お気になさらず。うちはシンプルなデザインのドレスでも1ヶ月は必要になるので」
「1ヶ月……は待っていられませんね。残念です。素敵なドレスを見てみたかったです」
リリが肩を落とすと、従業員の女性はくすりと笑った。
「見ていったらいいですよ。今日はオーナーも店長もいないので、見学してください」
「え、いいのですか……?」
「もちろん! 貴方のその服もとっても素敵だもの。うちのドレスが気に入ったら、いつか注文してくれたら嬉しいです」
朗らかに笑う彼女に釣られて、リリも笑みを浮かべた。
そういうことなら申し出に甘えてみよう。
案内された部屋には完成品のドレスと、未完成のドレスが溢れていた。
色とりどりの豪奢な花がトルソーに咲き乱れているようで、圧巻だ。
「素敵です。どれも美しい手仕事ですね」
「ふふ。分かります? バリシアの街は王都にお住まいの高位貴族のご婦人方も避暑に来られるので、注文が殺到しているんです」
ジェイドの街で、たまに見かけるご婦人方はもっと薄手の布で織られたドレス姿だが、高原の街は涼しいので、布地は分厚い。
デザインも正統派のドレスが多いようで、遊び心は少なそうだ。
(コルセットが窮屈そう……)
身体を締め付けるような服装が苦手なリリでは試着も難しそうだ。
「そうだわ。オーダーでなくても良いのなら、この服はどうでしょう?」
そう言って、店の奥から持ってきてくれたエレガントなドレスを、リリは一目で気に入った。
「とっても素敵です!」
「ふふ。そうでしょう? 実はこれ、オーダーで注文をいただいたのに、出来上がりが気に入らないとキャンセルされたドレスなんです」
「こんなに愛らしいのに?」
「二ヶ月の制作期間中に、その……体型が変わられてしまって」
「……なるほど」
その二ヶ月の間に太ってしまったらしい。
手直しをすればいいのに、と思うのだが、高位貴族のご令嬢はプライドが高いようで、自身の体型の変化から目を逸らしたとか。
サイズが合わないのではなく、デザインが気に入らないことにして、キャンセルしたらしい。
「もったいないです。こんなに素敵なドレスなのに……」
「ありがとうございます。……そういった因縁のあるドレスなのですが、もし良かったらお嬢さま、購入されませんか?」
「え……」
意外な申し出に、きょとんとしてしまう。
キャンセル品ではあるが、ドレス自体に罪はない。そっとリリの身体に当てられたドレスはサイズ直しも必要なさそうだ。
淡いブルーと白が基調の、ヴィクトリアン風のレースドレス。
これをオーダーしたのは小柄な少女だったのだろう。ドレスというよりも豪奢なワンピースに近いデザインだ。
スカートの丈は膝下で、白のフリルレースが愛らしいパニエが幾重にも広がっている。
無粋なコルセットはなく、ウェストはレースリボンのベルト付きで、サイドでふわりと結ばれており、とても愛らしい。
光沢のある白のシルク地に重ねるように、透け感のあるオーガンジーの淡いブルーの生地で華やかさを演出している。
裾は白の花柄レース。ところどころ、まるで花畑に舞う蝶のように淡いブルーのリボンが縫い付けられていた。
よく観察すると、青い糸で小花が刺繍されており、とても手が込んだ一着のようだ。
「こちらのレースの手袋と揃いのレースリボンもセットですよ。今なら、なんと金貨二枚!」
「破格では?」
この世界なら、これほどのドレスは一着で金貨十五枚はする。しかも、オーダーだ。
レースだけでもかなりの価値があるため、金貨二十枚はいくかもしれない。
「キャンセルされたオーダー品は処分に困るのですよ。うちはオーダー中心のドレスメーカーなので、既製品としても売りにくいですし……。他のご令嬢がこちらを着ているところを、キャンセルされた方が目にしたら良い気分にはならないでしょうから」
「ああ、なるほど。それはお困りでしょうね。……で、旅の途中の私に声を掛けたと」
「そうなんです! どうですか?」
そういうことなら、喜んで買わせてもらおう。念のために試着して、手直しも不要とのことで、リリは笑顔で金貨二枚を支払った。
キャンセル料はしっかり貰っているので、赤字にはならないらしいが、細かい注文に泣かされたレース職人や急かされた刺繍職人に特別ボーナスを出せると喜んでもらえた。
「ありがとうございます、お嬢さま! とってもお似合いでしたわ」
「こちらこそ、良い買い物ができました。このドレスはバリシアの街以外で着ますね」
「助かります」
共犯者の笑みを交わして、リリは上機嫌で店を後にした。
さて、とルーファスを探すと、着飾ったご令嬢たち数人に囲まれている。
何事? と戸惑っていると、足元で黒猫が鳴いた。ナイトだ。
「あれ、どうしたの?」
『んー? ニンゲンの発情期なんじゃない?』
身も蓋もない一言に、リリはため息を吐いた。せめて、恋の季節と言ってほしい。
ジェイドの街でも、かなりもてていたルーファスだが、それはここバリシアの街でも同様だったようだ。
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