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99. 祭りのあと
しおりを挟むバリシアホテルは今や、上流階級の女性たちの噂話の中心にあった。
辺境の地であるジェイドの街でしか手に入らない人気の品がホテル内で販売されたという。
どれも美しく、とても珍しい商品ばかりで、支配人に招待された上客は半ば妬まれつつも販売会の話をねだられた。
ガラスペンやカラーインクなどの文房具は家族のお土産としても喜ばれたし、気品のあるティーセットはお茶会で披露すると、たちまち注目の的となった。
たまたま避暑地として滞在していたホテルで販売会に参加できたご婦人方は己の運の良さに感謝した。
ヴェローナ侯爵令嬢に誘ってもらえた令嬢たちも、購入できたワンピースや化粧品に歓喜している。
美しいけれど、嵩張って重く、コルセットで締め付ける必要のあるドレスと違い、軽くて着心地の良いワンピースを彼女たちは上機嫌で身に纏った。
部屋着のワンピースと違い、『紫苑』で扱う服はどれも洗練されたデザインで、特別感があるのだ。
侍女の手を借りる必要もなく、一人で手軽に着られる可愛いワンピース。
しかも、貴族令嬢の自分たちのお小遣いで手に入れることができる価格帯なのもありがたい。
おかげで何着も購入することができた。
舞踏会用のドレスなら、デザインや色がかぶることを恐れるものだが、普段着のワンピースなら、そう気にならない。
いや、むしろ仲の良い少女たちの間で『お揃い』を楽しむのが流行らしい。
雑貨店の店主曰く、『双子コーデ』というものだとか。
全く同じワンピースで揃えるのも良いし、色違いで楽しむのもありらしい。
ワンピース以外でも、スカートやリボン、バッグなどの小物をお揃いにしても楽しいのだと教えてもらった。
思春期の少女たちにとって、『特別に仲良し』な友人は得難い宝物だ。
それを目に見える形で周囲に見せつけることのできる、『お揃い』文化はバリシアの街から、あっという間に大流行した。
◆◇◆
「……まさか、そんなブームが起きるとは思いもしませんでしたが」
ちょっとした思い付きで、避暑地のホテルでの販売会を催しただけなので、意外な展開にリリは戸惑った。
「だが、おかげでかなり稼げているのだろう?」
ルーファスが面白そうな表情で問い掛けてきたのに、大きく頷いてみせた。
「それはもう。おかげさまで在庫は捌けましたし、良い取引先を確保できました」
「ああ。ホテルの支配人との取引きが決まったのだったか」
リリが提案した、アフターヌーンティーが宿泊客に大人気になっているらしい。
雑貨店『紫苑』から購入した、美しいティーセットで提供される美味しい紅茶と砂糖菓子。
そして、リリがレシピを教えてあげた焼き菓子が美味しいと評判になり、宿泊客以外もティーラウンジに足を運ぶようになったとか。
「美味しいお茶とお菓子が楽しめるなら、お客さまが増えるのは当然です」
このホテルの紅茶とスイーツを目当てに宿泊客も増え、しばらくは予約で満室だと、支配人はほくほくしていた。
『……で、追加のティーセットと紅茶、砂糖菓子が売れているんだ?』
「ええ。せっかくなので、焼き菓子以外のレシピも教えてあげました」
にっこりと膝の上の黒猫に笑い掛ける。ナイトは尻尾をはたり、と揺らした。空色の瞳を細めて、チェシャ猫のように笑う。
『それはそれは……たくさん稼げた?』
「うふふ」
レシピはお金になるのだ、とあらためて実感した。
最初に支配人に教えた焼き菓子はスコーンだけだったのだが、味わった宿泊客に大人気となり、他のレシピも売って欲しいと懇願されたのだ。
なので、リリは日本に帰った際にネットで良さそうなレシピを調べて、まとめたものを支配人に提供した。
「スコーンの他に、ジェラート、プディング、パウンドケーキを教えてあげました」
「ほう……それは楽しみだな」
「でしょう? こちらの料理長がさらに洗練させたものを食べるのが楽しみなの」
リリにも下心があるのだ。
日本で買うスイーツは文句なしに美味しいけれど、魔素が入っていない。
どうせなら、異世界産の食材を使った、魔素たっぷりの美味しいスイーツを楽しみたい。
「あ、アフターヌーンティーなので、甘いものだけでなく、サンドイッチのレシピも教えてあげました」
手軽に食べられる、フィンガーサンドイッチだ。
定番はキュウリサンドとスモークサーモンサンドだろう。その他にもハムや卵を挟むレシピを伝えておいた。
この世界のティータイムには、どっしりとした重くて甘い焼き菓子が定番らしく、サンドイッチのような軽食は出されないと知って、リリは驚いたものだった。
なので、レシピを教えるついでにサンプルとして作っておいたサンドイッチを試食した支配人と料理長は雷に撃たれたかのようにショックを受けていた。
我に返ると、これは売れます! とやる気を見せてくれていたので、ブラッシュアップを期待しようと思う。
ちなみにサンドイッチ用のパンを作るための、酵母の作り方のレシピも渡しておいた。
ふかふかの食パンは、ジェイドの街の辺境伯公認のパン屋だけの特権なので、あとは独自の研鑽を期待する。
「リリィはここも転移先に登録するつもりなのだろう?」
ルーファスがこつこつ、とテーブルを爪先で叩く。
当初の予定より、すっかり長居してしまったが、楽しい経験ができたので、リリは笑顔で頷いた。
「定期的にうちの商品を購入してくださることになったので。……それに、たまに料理を食べに来たいじゃないですか?」
「そうだな。リリィのレシピなら、旨い料理を期待できるか……」
「ここの料理長の腕前次第ですが、他のレシピを教えたり、調味料を提供してもいいと考えています」
「……いいのか?」
「たまには外食を楽しみたい日もあると思うので」
今はまだ、お試し期間中。
リリが渡したレシピを忠実に再現するだけの料理人はつまらない。
自身でアレンジしたりと研究熱心な料理長なら、こっそり日本産の調味料を預けようと考えている。
(サンドイッチのレシピにも、マヨネーズは使っていないのよね。美味しくなるよう切磋琢磨した様子が見られたら、そのうちマヨネーズのレシピを販売するのもありかしら)
食中毒が怖いので、信頼できない料理人にマヨネーズのレシピは渡せない。
異世界の生卵も不安なので、そこはこちらでも【鑑定】して研究する必要はありそうだが。
リリはまったりと紅茶を飲みながら、今後の展望に思いを馳せる。
異世界旅を楽しむはずが、なぜか仕事を増やしてしまっている気がするが、それが大人というものなのだろう。きっと。
アイシングクッキーを手に取って、さくりとかじる。
日本でのお気に入りのスイーツ店で注文した、ネコのシルエット型のクッキーだ。
本当は黒猫が良かったのだけど、見慣れない色は敬遠されそうだったので、白猫になってしまった。
ホテルでの販売会でお客さまに配ったもので、可愛らしいと好評だった。
(これは、うちのお店でも販売したいわね)
淡いピンクの肉球クッキーも置いてみたい。猫モチーフばかりだと、お留守番中の三人が拗ねてしまうだろうか。
ぼんやり考え込んでいると、のしっと頭に顎を載せられた。ルーファスだ。
「……ドラゴンのクッキーがあってもいいと思うのだが」
「こっちが拗ねちゃいましたか」
体重は掛けないようにしてくれているが、微妙に重い。
仕方ないので、クッキーの半分を「あーん」してあげた。
素直に口を開くルーファスを膝上の黒猫が呆れたように見上げている。
「アイシングクッキーとマドレーヌ、ローザさんが喜んでくれて嬉しいです」
『あの子はリリと仲良くなれたことがいちばん嬉しそうだったけどね』
「……そう、かな? そうだと、いいのだけど」
あの販売会後から、ローザ嬢とは更に親しくなった。
一緒にお茶を楽しんだり、頼まれて『双子コーデ』で街を歩いた。
(さま付けはやめてください、って言われたから、ローザさん呼びをしているけれど、侯爵令嬢相手に大丈夫なのかしら……)
少しだけ不安だけど、異世界でできた初めてのお友達に、リリはらしくもなく浮かれていた。
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