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113. 辺境伯と王都 1
しおりを挟む領地もちの貴族は議会に参加するため、春に王都へ向かう。
花々が咲き始めると、社交シーズンの始まりだ。
紳士淑女は張り切って情報収集や縁繋ぎに奔走することになる。
男たちは日中、狩猟などに出掛け、その妻女はお茶会に参加した。
夜になると、各家で催される夜会に赴き、ダンスやおしゃべりに興じる。
夏には領地に戻るため、地方領主である下位貴族は少しでも良い縁を結ぼうと、社交に精を出すのだ。
(これまでは、わざわざ社交に時間を費やすのは面倒だと思っていたけれど……)
ルチア・グリフィス辺境伯は端正な口元に微苦笑を浮かべる。
脳裏を過ぎるのは、恩人である偉大な魔女シオンの曾孫である少女の姿。
魔力枯渇症に悩まされて、異世界からこの地に移住してきた彼女の尽力により、我が領はかつてないほどの活気に沸き立っていた。
領都であるジェイドの街で彼女が始めた雑貨店『紫苑』。
小さな店舗だが、扱う品はどれも珍しく、そして上質だった。
女性の心をつかむ、美しく愛らしい商品が取り揃えられており、あっという間に人気店となって驚かされた。
エルフとして長く生きてきたが、初めて目にする物ばかりで、恥ずかしながら夢中になって店内を見て回ったものだった。
そんな素晴らしい商品が、流行に敏感な王都の貴族たちの話題にならないわけはなく──
「社交シーズンが終わった時期なのに、わざわざ王城での夜会に招かれるとは」
間違いなく、リリから託された異世界のワインのおかげだろう。
日本で作られた、桃とぶどうのワイン。どちらも驚くほどの甘露で、うっとりと酔いしれる美酒だ。
酒に使われる果実は通常、生食するには向かない品種のものが多いと聞くが、それらのワインの原料である桃とぶどうはとても美味しかった。
「特にあの黄緑色の宝石のようなぶどうは素晴らしかったな。『聖域』の白ぶどうよりも甘い果実があるとは思いもしなかった」
あんなに瑞々しく美味な果実を使ったワインなのだ。絶品なのも当然か。
二種のワインは親しい貴族家へ贈り、着々と顧客を増やすことに成功した。
リリは金貨一枚での販売を「ぼったくりでは……?」と慄いていたが、ルチアはそこにさらに銀貨一枚を上乗せして販売している。
リリ曰くの「ぼったくり価格」ではあるが、それでも購入した人々は大層喜んでいた。
それほどに、異世界の酒は我々を魅了するものなのだ。
(王族直々に招待してくださったからな)
彼らが特別な美酒の献上を求めているのは明白だった。
ルチアはそれに快く応じた。
カモが自分から寄ってきたようなものなのだ。ここぞとばかりに稼がせてもらうつもりで王城に参上した。
「レディリリも協力してくれたからな。ここは張り切って成果を上げて凱旋しなくては格好がつかない」
謁見の間の控え室。
ルチアはソファに腰掛けて、好戦的に紫水晶色の瞳を眇めた。
◆◆◆
謁見の間には、国王夫妻と王子、王女殿下が揃っていた。
建前上は「直近に功績のあった者への報奨」であるためか、他の貴族家の当主の姿もある。
その功績の大きさにより、名を呼ばれていく。
「ルチア・グリフィス辺境伯」
「はい」
最後に名を呼ばれ、ルチアは王の前に一歩を踏み出した。
女性の場合はカーテシーだが、女辺境伯として男装をした彼女は右足を引き、右手を身体に添えての、ボウアンドスクレープを披露する。
その優雅な所作に女性たちがほうっと熱いため息を吐いた。
国王が軽く咳払いをして、グリフィス領の納税額が倍増したことに関して言及されたところで、ルチアは献上品を差し出した。
「こちら、国王陛下にこそ相応しい、類稀なる美酒でございます」
「ほう。それはグリフィス領にて噂になっているワインであろうか?」
やはり、王族の耳にも入っていたようだ。ルチアは涼しげな表情で、軽く首を傾げてみせた。
「いえ、こちらは特別な品となります。世にも稀なる果実の蒸留酒。まずは、ご覧ください」
皆の目にも見えるよう、わざと大仰な仕草で【アイテムボックス】から酒瓶を取り出した。
希少な収納スキルに、皆がざわめく。
取り出したのは、リリが「おまけです」と譲ってくれたポム・プリゾニエールだ。
「なんと……! 瓶の中に果実が入っているぞ⁉︎」
「これはどのような魔法を使ったのだ? 形も崩れていないリンゴが酒に漬かっているとは……」
「ふふ。とびきりの美酒です。滅多に手に入らぬため、こちら一本のみとなりますが……」
ルチアの言葉に国王陛下は上機嫌となった。【鑑定】と毒味を挟むにせよ、これほどに珍しい酒を口にできることに今から浮かれているようだ。
代わって口を開いたのは王妃だ。
「グリフィス辺境伯の領地では、珍しい商品を扱う店があるとか」
「はい。小さな雑貨店ですが、ガラスペンや砂糖菓子など面白いものを販売しておりますよ」
このような、と一礼しつつ【アイテムボックス】から取り出した箱を侍従に差し出した。
綺麗にラッピングされた箱の中身は、『紫苑』で人気がある商品の詰め合わせだ。
「まぁ……! どれも美しいわね」
「お母さま、わたくしにも見せてくださいまし」
二人いる王女殿下が華やかな歓声を上げて、箱の中を覗き込む。
ガラスペンは王族への献上品ということで、リリに頼んで豪奢なデザインのものを買ってきてもらった。
ピンクのガラスペンには薔薇の花飾りが、青紫のガラスペンには蝶がデザインされており、とても華やかだ。
(実用的ではないが、見た目は豪華だから気に入ってもらえるだろう)
カラーインクは全色、レターセットは白地に金の箔押しがあるものを用意してもらっている。
どれもとびきり美しいため、審美眼が磨かれている王族でも満足する品のはず。
目論見通りに夢中になる王女殿下たちを「はしたないですよ」とたしなめたのは王妃だ。
彼女だけは贈り物に浮かれることなく、静かにルチアを凝視してくる。
「……グリフィス辺境伯はいつもと纏う雰囲気が異なりますね」
やはり、気になったのだろう。
本日のルチアはリリが日本で仕立ててくれたドレススーツを身に纏っていた。
夜空を映し取ったかのように艶やかな濃紺色の生地のスーツは襟元が開かれており、ルチアの美しい鎖骨が露わになっている。
黄金色のビーズが星のように縫い込められたジャケットはウェスト部分が絞られており、彼女の細腰を見せつけるデザインだ。
ジャケットの背面は燕尾スタイル。いや、燕の尾というよりも、もはやマントに近い。足首に届くほどの長さで、レース生地のような透けた布地が重なり、美しいドレープを描いている。
トラウザースは細身でジャケットより淡い色使いだ。よく見ると濃淡がグラデーションになっており、染料技術の高さにため息がこぼれ落ちそうだ。
ジャケットの袖口からは白いシャツのフリルが覗き、シンプルな中に華やかさが秘められている。
紳士服に似せてはいるが、着用する者のスタイルをより良く見せる華やかなデザインに女性陣は目の色を変えた。
豪奢な巻き髪はいつものように大振りの上質なリボンでまとめてある。
ジャケットと合わせた濃紺色のリボンには金細工が施されており、繊細な意匠がその華やかさを更に際立たせていた。
だが、何よりも女性陣の目を惹いたのは、ルチアに施された化粧だった。
リリが伯母から教わったのは、舞台用の『映える』男装メイク。
中性的なナチュラルマット肌、アイシャドウもマットブラウン系、眉毛をキリッと描き、シェーディングで骨格メイクを目指した。
リリと一緒に練習をしたクロエとネージュの方が完璧にマスターしてしまったので、今回の男装メイクは彼女たちに任せたのだが。
(想像以上の効果のようだね)
いつもクールな王妃がほんのりと頬を染めて自分に見惚れていることに気付き、ルチアは口角を上げた。
謁見後は、王妃主催のお茶会に誘われている。
グリフィス領を潤すためにも、女性陣に色々と売り込むチャンスだった。
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