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115. 辺境伯と王都 3
しおりを挟む「ふぅ。さすがに疲れたね」
王都にあるタウンハウスに戻ると、ルチアはソファにぐったりと身を預けた。
国王との謁見に王妃たちとの茶会と、続けて気が抜けないイベントをこなしたのだ。
体力にはそれなりの自信があったルチアでも、さすがに疲労の色は隠せない。
とはいえ、王妃と侯爵夫人、公爵令嬢と所謂こちらの世界のインフルエンサー的存在の心を掴むことに成功したので、すこぶる上機嫌でもあった。
特に化粧品に興味を示してくれたので、すぐに王都中のご婦人方に噂が広まることだろう。
(ふふ。店に買い物客が殺到したら困るだろうから、リリには早めに手紙を送っておかないとね)
女性向きの白桃ワインやシャインマスカットワインも高貴な女性たちの心を掴んだようだ。
まだ年若い王子や王女殿下たちは文房具の贈り物にはしゃいでいた。
個数制限をかけて販売されているガラスペンやカラーインクを王都の貴族学院で使ってくれれば、宣伝効果はばっちりだろう。
以前にリリが雑貨店の商品で自分を飾り立てて「宣伝になるので!」と言っていた意味がようやく分かった気がする。
「雑貨店『紫苑』の商品が売れたら、それだけ我が領の税収が上がるからね。協力するのはやぶさかではないよ」
ジェイドの街ではかつてないほど、商人の行き来が活発だ。
住みやすく、良い品が購入できると冒険者たちの間でもじわじわと評判になってきているようで、家族ごと定住する冒険者も増えてきた。
頻繁に中の魔獣や魔物を間引かないと氾濫する危険のあるダンジョンを有する辺境領にとっては、ありがたい経済効果だ。
「お祝いしよう」
ルチアは【アイテムボックス】から酒瓶を取り出した。
これも異世界である、にほん産の果実酒だ。ワインとは違ったお酒らしい。
コルクで栓をしたものではなく、キャップを捻るだけで開封できるのはとても便利だと思う。
(たしか、レディリリは『ウメシュ』と言っていたな……)
とろりとした琥珀色の酒をグラスに満たす。花の香りに似た、甘酸っぱい芳香に自然と頬が緩んだ。
グラスの中に氷を落として、しばし揺らして香りを堪能していると、背後から声を掛けられた。
「ご機嫌ですわね」
「ああ、営業活動が順調だからね。それも君のおかげだよ」
「わたくしというよりは、リリさまが持ち込まれた化粧品のおかげですわね」
黒髪ツインテールの少女が肩を竦めてみせる。
雑貨店『紫苑』の従業員である、クロエだ。
すっかり気に入ったらしく、クラシカルなメイド衣装のまま背後に佇んでいる。
背の翼は今は隠しているため、普通の人間にしか見えない。
大魔女シオンの使い魔であった、白黒鴉の片割れの彼女は今、ルチアのメイク係として今回の王都行きに付き添ってくれている。
「リリさまからお願いされたからには、責任を持って貴女を磨き上げます。今宵は戦場──本命の夜会があるのですから」
「ふふ。とても頼もしいね」
「というわけで、さっさとお風呂に入ってきてください」
「えぇ? 風呂なんて、面倒だよ。【洗浄】魔法でよくない?」
「ダメです」
黒髪金目の美少女はつん、と顎を上げて冷ややかに言い捨てる。
「お風呂に入ると、肌の表面がやわらかくなって不要な角質が剥がれやすくなるとリリさまが仰っていました。お化粧のノリも良くなるそうです」
それは愛らしい笑みを浮かべると、クロエはルチアをひょいと抱え上げてバスルームへと運んだ。
「ちょっ……⁉︎ 自分で歩けるよっ?」
「この方が早いです。面倒なら、このわたくしが隅々まで磨き上げてさしあげますわよ?」
「……自分で入ります」
ひとまわり小柄な体格の美少女メイドにお姫さま抱っこされたルチアは両手で顔を覆い、力なく降参した。
さすが大魔女シオンの使い魔。強すぎる。
◆◇◆
そんなわけで、頭の天辺から足の爪先までピカピカに磨き上げられたルチアは、リリが日本から持ち込んだ戦闘服を身に纏って夜会に出向いた。
王城内のダンスホールを開放した夜会である。
急な開催なため、晩餐会は省略されて、立食形式の気軽な集まりであると招待状には記載されていた。
気軽な集まりとされても、王家からの招きだ。皆、失礼のないよう着飾って参加する。
ご婦人方は流行りの色柄の華やかなドレスに高価なアクセサリー。
紳士連中は金細工の懐中時計や宝石で飾られたステッキなどで華やかさを競い合う。
そんな中で、辺境伯の家紋入りの馬車から降り立ったルチアはひときわ人目を惹いていた。
目にした者が、老若男女かかわらずに皆、目を見開いて驚いて、感嘆のため息をこぼしている。
(まぁ、こんなドレスは初めて目にするものだろうからねぇ)
華やかなメイクを施されたルチアは形の良い唇に笑みをのせて、ふっと息を吐く。
「まぁ……! なんて美しいの」
「まるで女神さまのよう。どなたなのかしら……?」
「待って。あのお耳、御髪も……まさか、ルチアさま?」
ざわり、と皆が動揺する中をルチアは堂々と闊歩する。
リリが用意してくれたのは、純白のロングドレス。それも身体のラインが露わになる、マーメイドラインのパーティドレスだった。
男装の麗人として知られるグリフィス辺境伯のイメージを一変させる、女性らしい艶やかな衣装を用意したのだ。
『デザインとしては、アオザイやチャイナドレスに寄せてみました。首は詰襟で隠しつつ、飾り釦の箇所は透け感のある布地で鎖骨をチラ見せ。袖はノースリーブ。瞳と同じ紫と銀の糸で刺繍を入れてあります。ルチアさまにぴったりの大輪の薔薇を咲かせました。もちろん、二の腕は晒しませんよ? レース地のロンググローブで肌は隠します。余計なアクセサリーは必要ありません。ルチアさま自身が貴重で美しい宝石なので』
珍しくも興奮したように早口でドレスの説明をしてくれたリリを思い出して、ルチアはくすりと笑う。
マーメイドライン、と彼女が口にしたデザインを目にして「なるほど」と感心したものだ。
人魚の艶やかな下半身のラインを描き出す、ドレスのなんと優美なこと!
社交の場では、ドレスの裾は幾重にも重ねた生地が大きく膨らんでいることこそ、美と権力の証だとされたのに、真逆の衣装なのだ。
(──だが、誰もが言葉を忘れたように見惚れるほど、このドレスは美しい)
長身痩躯なエルフの麗人の見事なプロポーションを過不足なく『魅せる』デザインに、男性も女性もすっかり見惚れてしまっている。
ロングドレスには脇にスリットが入っており、形の良いしなやかな足が身動くたびに目に入った。
もちろん素足ではない。日本製のシルクの靴下で覆ってある。
リリはサスペンダーストッキングと言っていた。太腿までを覆う、官能的なデザインのレースの靴下で、とても美しい。
豪奢な縦ロールはいつも後ろでひとつに結ぶだけだったが、今は夜会のためにクロエに編み込まれている。
あれだけ奔放な癖毛が、日本製の髪用クリームできっちり纏まってしまい、我がことながら驚いたルチアだった。
編み上げた髪は銀細工の美しい髪留めに彩られている。見事な真珠が飾られており、シンプルながらも清楚な美しさを演出していた。
エルフ特有の先端が尖った耳にはこれまたリリがくれたイヤリングを装着してある。
ダイヤモンドのリーフロングピアスをイヤリングに加工したもので、身動くたびにしゃらりと優雅に揺れた。
衣装に髪型、アクセサリー。どれも奇抜だが、目を見張るほどに美しく、この夜の話題をルチアは掻っ攫った。
何よりも、その美貌を更に際立たせる化粧により、嫉妬さえ忘れるほどの美の化身として王城のダンスホールで注目を集めたのである。
男性のみならず、女性もこぞって彼女に声を掛け、共にダンスを楽しんだ。
夢のようなひとときをルチアと楽しんだ人々はサロンで更に素晴らしい夜を過ごすことになる。
「我が領でのみ扱う、素晴らしい美酒があるのですよ」
妖艶に笑いながら、どこからか取り出したワインを皆にすすめていくルチア。
もはや性別など、どうでもいい──そう思いたくなるほどの麗人と甘露な美酒に酔わされて、夜会に参加した上位貴族はこぞって高価なワインを大量に注文した。
後日、グリフィス辺境伯は満面の笑みをたたえて雑貨店『紫苑』を訪れて「儲かった!」と大喜びしたという。
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