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116. キッチン家電
しおりを挟む「では、実験します」
リリは真剣な表情で厳かに告げた。
ルーファスにナイト、クロエにネージュ、セオが息を飲んで見守る。
場所は魔法のトランクの家。
キッチンの中に転移の扉を呼び出して、日本と繋いである。
試すのは、扉を開け放したまま、日本から電源の延長コードを引っ張り込んで電気製品を使えるかどうかの実験だ。
5メートルの長さの延長コードがあったので、曽祖母の部屋のコンセントから引っ張ったのだが──
「えいっ」
使う電気製品は電動のハンドミキサーだ。作るのは、日本で教わったばかりの牛乳から作るホイップクリーム。
溶かしたゼラチンと砂糖、牛乳を混ぜて冷やしておいたものをミキサーで泡立てるのだ。
ドキドキしながら、ハンドミキサーのスイッチをオンにすると──
「わあっ、動いた! 動いていますよ、リリさまっ」
「すごく早いね、クロエ」
「ええ、驚いたわ」
はしゃぐ三人とは別に、黒猫のナイトは尻尾を膨らませていた。
『便利な道具かもしれないけど、音がうるさいよ』
「ごめんね、ナイト。もう終わったわ」
耳の良い猫さんには、ミキサーの可動音はキツかったようだ。
だが、実験は見事に成功した。
何となく思い付いて試してみたのだが、やって良かったとしみじみ思う。
「ドアを開け放しておく必要はあるけど、電気が使えることは分かりました」
家電が使えるなら、ここでの生活はさらに楽になる。自然と口角が上がっていた。
「この魔道具があれば、色々な美味しいものが作れるんですか?」
美味しい食べ物に弱いセオがリリに期待の眼差しを向けてくる。
ぴるるっと揺れるキツネの耳が愛らしい。これは期待に応えねば。
「ええ、そうよ。まずは、せっかく作ったホイップクリームを味わいましょうか」
今日は雑貨店『紫苑』はお休みだ。午前十時のティータイムに、ケーキを食べることにした。
ストレージバングルから取り出したのは、いつものショッピングモールの洋菓子店で購入しておいたガトーショコラ。
人数分のカットケーキを皿に並べて、たった今作ったばかりのホイップクリームを添える。
「牛乳から作ったクリームだから、本物のホイップクリームに比べて、少しだけゆるいのよね」
だが、このトロリとした舌触りも意外と悪くないように思う。
何より、異世界の牧場で搾りたてのミルクから作ったホイップクリームなので、魔素がたっぷり含まれており、とても美味しいのだ。
「ほんのり苦味のあるガトーショコラと甘いホイップの相性がとてもいいですわ」
クロエも気に入ってくれたようだ。
今日は紅茶ではなく、コーヒーを淹れてある。
お湯を入れるだけのインスタントコーヒーだが、電気が使えるようになったので、本格的なコーヒーも楽しめるようになるだろう。
「初めて目にした時には苦い泥水を飲むのかと驚いたものだが、慣れると旨いな、コーヒーは」
「ルーファスは気に入ってくれたみたいですね」
とはいえ、ブラックは苦手らしく、お砂糖とミルクをたっぷり入れているのが微笑ましい。
黒猫のナイトはジュースや紅茶なら飲むことはあるが、コーヒーはダメだったようだ。いちばん好きなのは、蜂蜜入りのホットミルクで、今もちぴちぴとミルクを舐めている。
「リリさま、コーヒーにこの甘いクリームを入れたら、もっと美味しくなるのでは?」
「鋭いですね、セオ。そういう飲み方もあります」
「試してみますっ!」
さっそく、余っていたホイップクリームをボウルごと抱え込むようにして持ってきたセオ。
スプーンですくって、そーっとコーヒーにのせてカップを傾ける。
「おいしい!」
満面の笑みを浮かべたセオの鼻の下にクリームのヒゲが生えている。
くすくすと皆に笑われたセオが慌てて口元を拭った。
「それほどに旨いのか。どれ、俺も試してみよう」
「ずるいですわ。私たちのも残しておいてくださいまし!」
「私もクリームほしい……」
わっと皆がボウルを囲んだ。
ちなみに黒猫ナイトはセオがウインナーコーヒーを飲んでいる間にちゃっかり自分とリリの分のホイップクリームを確保してくれていた。
「ありがと、ナイト」
『どういたしまして。ボクは紳士だからね?』
ホットミルクにもホイップクリームは合ったようで、幸せそうに喉を鳴らして飲んでいる。とてもかわいい。
「そういえば、リリィは何の家電を使うつもりなんだ?」
リリのお供として、何度も日本に通っているルーファスとナイトはいくつか見知った家電があるのだ。
『てれび? てれびでしょ、リリ! あれは興味深いよねっ』
黒猫のナイトは意外にもテレビが気に入っている。
リリが事務作業をこなしている間、自分でリモコンのスイッチを押して、ソファに寝転んで眺めていた。
「残念ながら、テレビではないわ。スマホもそうだったし、多分こっちに持ち込んでも電波が届かないと思う」
『てれび……』
しゅん、と落ち込む姿が可哀想なので、ホームプロジェクターを持ち込んで皆で映画鑑賞会を開こうと思う。
「まずは、家電ね。電動のハンドミキサーに電気ケトルやトースター、フードプロセッサーも欲しいわ」
指折り数えていく。どれも、あると便利なキッチン家電だ。
「でも、今すぐ持ち込みたいものはレンジと炊飯器」
「なるほど。あれは便利だな」
『えー? 温めるだけなら、【加熱】でも良くない?』
黒猫のナイトが不満げに口にする。【生活魔法】は確かに便利だが、レンジで時短料理を作りたいし、オーブン機能も使いたい。
「魔道オーブンも便利だけど、発酵機能や冷凍食品の解凍、オーブンの予熱機能も使いたいの」
それに、日本製のオーブンレンジなら放置しておいても、レシピ通りなら失敗することは滅多にない。
魔道具のオーブンは目視で確認して使う必要があるので、面倒なのだ。
(使い慣れたら、感覚で焼き加減も分かるようになると思うのだけど、私にはまだ難しい……)
なので、まだ使い慣れたオーブンレンジの方がありがたい。
「炊飯器は絶対に欲しいもののひとつです。炊き立てのご飯が食べたいもの」
日本で炊いたものを持ち込んだり、パックご飯を【加熱】で温めて食べるのも悪くはなかったが、やはり炊き立てご飯の誘惑には抗えない。
「コーヒーメーカーと電気圧力鍋も欲しいです。ハンドブレンダーもあると便利」
色々と考えていると、楽しくなってきた。午後からは日本へ戻って、家電製品を買ってこよう。
「リリィ、午前中はどうするつもりだ?」
ティータイムを満喫したルーファスに尋ねられて、リリははっと顔を上げた。
すっかり忘れていたが、ようやくの休日。ひとつ大事な予定があったのだ。
旅を終えて、日本の実家にも顔を出してからと考えていたのを、ルチアの王都行きのために慌ただしい日々を過ごすことになり、後回しになっていた。
我が家の頼れる従業員、クロエが衣装の着付けとメイク担当としてルチアの王都行きに同行したため、リリもルーファスも雑貨店の仕事が忙しかったのだ。
店の護衛はルーファスに任せて、セオには急遽、販売員として手伝ってもらったほどに多忙だった。
そういうことなら、と何故か張り切ったセオが少女の姿に変化してロリィタ衣装を身に纏ってくれたのは眼福ではあったが。
王都での仕事を終えたクロエは、仮の主であったルチアを置いて、さっさと飛んで帰ってきてくれたので、どうにか店を回すことができた。
そうして、怒涛の日々を乗り越えて、ようやくの休日なのだ。
「手紙の配達をお願いしに、商業ギルドに行ってきます」
そう、バリシアの街で出会った少女と文通の約束していたのだ。
「ついでに日本で買ってきたお土産も送るつもり」
大きな荷物は送れないが、ティッシュケースサイズの物なら転送できると聞いた。
ちょうどいい木箱を見つけたので、手紙とお土産を詰めて送るのだ。
「喜んでくれるといいのですが……」
薔薇の名前を持つ、ストロベリーブロンドの少女を思い浮かべながら、リリは綺麗にラッピングを施した木箱をそっと抱き締めた。
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