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第1章
奪われた防具
しおりを挟む一つ、二つと出来上がっていくクラスメイト達の輪を横目に、騒がしくなったホームルーム後の教室で、白いイヤホンを付けた私は鞄を手にするといつものように一人でそこを出た。
半年経っても同じことの繰り返し。
私、川村 椿は、ここ市立芦原高校に入学してからずっと、未だに友達と呼べるような存在は居らず、居心地が良いとは言えない教室の中では毎日空気のように自分を消して過ごし、下校時間はこうして一人で下校する。
入学前は、高校生になったら変わりたい。もう比べられることもなくなるんだから、楽しい女子高生ライフを謳歌するんだ、なんて思っていたけれど。
人はそんなに簡単には変われないんだということを私は身をもって知った。
長年で培われた内気な性格は、高校生になっても変わることはなく、人と一定の距離を置いてしまうところ。目を合わせて話せないところ。相手の言葉にいちいちマイナス思考になってしまうところ。そんな自分が嫌なのに、変わるって難しい。
顔色が気になって本音なんて言えない、うまく笑うことができない私は、結局友達も出来ずに青春なんてものとは無縁な日々を送りこのまま大人になっていくんだと思う。
ぼんやりとそんなことを考えながら廊下を進んでいた時だった。後ろから肩を叩かれた私は、もしかしたら…と思いながらもゆっくりと振り返ると、向き合った彼女の姿を見てイヤホンを片耳だけ外した。
「川村さん、ごめん。無理だったらいいんだけど、今日の掃除当番変わってくれないかなぁって思って」
そう言ってニコリと私に微笑むのは、同じ一年C組のクラスメイト、星名 真理亜。
普段は話すこともない間柄なのに、彼女はローテーションで回ってくる掃除当番の週だけ決まって私にこうやって声をかけてくる。
頼まれたら断れない性格の私を知ってるからか、或いは、掃除当番を変わってあげることを繰り返すうちにそれに慣れてしまったからか。そんなことはどうでもいいけれど、仲の良い友達じゃないからこそ面倒なことは頼みやすいんだと思う。
“今日の掃除当番”じゃなくて“今日も”でしょう?今週に入ってすでに三度目になるお願いを内心では迷惑に思いつつも本音は胸の奥にしまって口を開いた。
「うん…いいよ、大丈夫」
「本当?ありがとう!次、川村さんの当番の週に変わるから!言ってね!」
「うん」
「じゃ!お願いしまーす!」
星名さんはそう言うと、くるっと踵を返し廊下にいる女子グループ数人の輪の中に入っていった。
次、変わるから…か。そのお決まりのような言葉は、何度聞いたかもわからない。さらっと口にするくせに、私が掃除当番をしていても彼女はいつも気にもせずあっという間に下校してしまうのだから口先ばかりの意味のないセリフだ。
「私も行くー!」
「真理亜掃除当番じゃないの?あ、また川村さんに頼んだの?」
「あはっ、もう人聞き悪いなぁ!変わってくれるって言うから変わってもらったの。一人で遅れていくの嫌だったし」
「ははっ、まぁいいや。じゃ、行こ!早く歌いたーい」
廊下にまだ私がいるということにも気づいていないのか、それとも気づいていても何も気にもならないからか、そんな会話を終えた彼女たちは私の横を笑顔で通り過ぎていった。
早く歌いたい、か。カラオケにでも行くんだろう。外したイヤホンを再び耳につけた私は、遅れて行くのが嫌という理由で押し付けられてしまった掃除当番を淡々とこなしていた。
とはいえ、高校の教室なんて大して汚れてはいない。教室内を箒でサッとはいて開いている窓を閉め、ゴミ箱の中のゴミを集めればあっという間に終わってしまう。
十分、十五分もあれば済むことなのに。
胸の中に渦巻くモヤモヤした気持ち。それは溜まっていくばかりなのに解消するすべは見つからない。このまま増え続けたら、いつか心はパンクするのかな。
そう思いながら屈んだ姿勢でゴミ袋の口を思い切り縛った…その時だった。
突然右耳のイヤホンが外れたかと思ったら、目の前にはしゃがみ込んだ倉沢がいて、至近距離で目が合った。
おまけにどういうわけか、倉沢はニコリと微笑んでから外れた私のイヤホンを自分の耳に近づけている。
「え?つーか、何で無音?」
不思議そうに首を傾げた倉沢は、驚きで固まっている私にさらに続ける。
「あ、曲と曲の間?いや、にしては長いな。川村って、授業中以外いつもイヤホンしてるから、何聴いてんのかなって気になってたんだけど」
倉沢はそう言いながらジッとこちらを見ているけれど、動揺している私は俯くことしか出来ない。
どうしてあの倉沢が私に話しかけてくる?
理解不能な状況の中、左側の耳についたままだったイヤホンが、やや強引に引っ張られて一瞬にして倉沢の手に奪われた。
「聞いてる?」
俯いていた私を覗き込むように倉沢の顔が近づいてくる。
イヤホンを奪われただけでも緊急事態なのに、この状況は耐えられない。
「やっ…やめて!返して!」
気がつけば、久しぶりに大きな声を出してそう言っていた私は、イヤホンを奪い返そうと倉沢の手に自分の手を伸ばした。
「無理、返さない」
「なっ…なんで」
スッと立ち上がった倉沢は、イヤホンのコードを揺らしながら私を見下ろす。
「や、だって川村、音楽聴いてないじゃん。音楽聴かないのにイヤホンする意味ってある?」
「それは、その……」
言い訳が見つからない。
そんな正論を述べられたら、黙り込むことしか出来なかった。
正直に、必要以上に人と接しないための防具だと言ったら、倉沢はきっと返事に困るだろう。
だけど、極力誰とも関わりたくない、話しかけられたくないからイヤホンをすることで周囲に対してバリアを張っているんだと素直に言えば…もしかしたら返してくれるかもしれない。
しかし、そんなことは出来るはずもなく、ぎゅっと拳を握り締めた私は、急いで教室から飛び出した。
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