アイシャドウの捨て時

浅上秀

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社会人編

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二人で居酒屋を出た後もなかなか寺嶋から返信は来ない。

「これって、気まずいから返信してこないんでしょうか…」

ルリ子はどんどん考えがネガティブになってしまう。

「忙しいだけって考えよう。せっかく連絡先交換したんだから小宮さんさえ良ければ返信来たら教えてね」

「はい!」

ルリ子は初めて先輩と連絡先を交換した。

「小宮さん、まだ時間大丈夫?」

時計を確認すると終電までまだ一時間以上残っている。

「大丈夫です。先輩はいかがですか?」

「私は余裕。ここら辺に住んでるから電車気にしなくていいんだよね」

「そうなんですね!」

二人で近くにあったコーヒースタンドに入る。

「あ~飲んだ後のコーヒーってなんでこんなに沁みるんだろう…」

「落ち着きますね…」

二人でホットコーヒーをすする。

「小宮さん、この前、アイシャドウ買ってたよね。あれどこの?」

先輩が急にルリ子の顔を覗き込みながら聞いてくる。

「え、あ」

ルリ子はデパートに入っている有名なブランドの名前を答えた。

「やっぱり」

「わかります…?」

「うん、20代女性が恋をするとあそこのコスメが欲しくなるっていう噂あるの知ってる?」

先輩はドヤ顔で答えてくれた。

「知らないです…」

「えっ、じゃあ小宮さんどうやってあのブランド知ったの?」

「前に友達が使っていたのを見てかわいいなって思って」

サキが鼻高々にSNSで紹介していたを目にしたのだ。

「ねぇ、もしかして小宮さん、件の男の人に出会ってから、あ!あのブランドのコスメかわいいなって思い始めた、とかない?」

ルリ子が思い返すとそんなきもしてきてあいまいに頷く。

「すごいね、あそこ…ちなみに私はこの前、妹から教えてもらって知ったんだけどね」

ルリ子がアイシャドウを買ったとき、かわいい女の子がたくさん買い物に来ていたが、みんな恋をしているからかわいく見えたのだろうか。
しかしルリ子はあの時、自身が恋をしているという自覚は全くなかった。
無意識に恋をしている女性を惹きつけるコスメに若干、恐怖を覚えた。

「口紅を落とす男はいいけどマスカラを落とす男はダメってよく言うでしょ?」

先輩の言葉に頷く。
ルリ子もそれは聞いたことがある。

「女同士でいたら落ちないですよね」

「そんなこともないわよ。マスカラどころかアイライナーまで落としにかかる女もいるんだから」

先輩の脅しは経験則から来ているのだろうか。
妙な迫力がある。

「誰といても落ちちゃうのに、化粧ってなんのためにするんですかね…」

ルリ子はコーヒーの最後の一口を飲み込む。

「鎧じゃないかな」

「鎧、ですか?」

「強く見せたり、かわいく見せたりできる鎧だと思うな」

ルリ子は鎧という言葉を口の中で転がす。
しばらくの沈黙ののち、ルリ子の携帯が光った。

「お?来た?」

「…残念ながら違いました」

寺嶋からの連絡ではなく、企業からのDMだった。
二人でため息をつきながらルリ子の終電に間に合うようにその日は解散したのだった。



「おはようございます」

週明けの月曜日、先輩は朝から新年の挨拶回りで社外にいるようでまだ会社にはきていなかった。

ルリ子はひたすらにパソコンに向かって仕事に集中しようと努めたが、先輩と話がしたくてキョロキョロと先輩の席に彼女が戻ってきていないか確認するために何度も視線を送ってしまった。
結局、彼女は定時ギリギリにようやく会社に戻ってきたのでその日は話すことができなかった。
連絡先を知っているのでメッセージアプリで連絡することも考えたが、やっぱり直接話して相談したいとルリ子は思ってしまい、連絡しないことにしたのだった。
ルリ子もその次の日から忙しくて先輩とランチの時間があったのは金曜日のことで、寺嶋とのデートが翌日に迫っている。

「ごめんね、なかなか時間合わせられなくて…」

「いえいえ!こちらこそお時間をいただいてしまってすみません」

昼休み、食堂に二人で駆けこんでメニューを急いで決めて本題に入った。

「それで…どうだったの?」

「結婚もしていないし、現在お付き合いしている方もいらっしゃらないと」

ルリ子はその部分のメッセージを先輩に見せる。

「ほんとだ。それなら良かったじゃない!罪悪感なくデートに行けるよね」

「は、はい…」

「服装とかメイクとか決めた?」

「一応、なんとなく」

ルリ子は先週の土日でファッションビルに行って一着のワンピースを購入していた。
サキがSNSで紹介していた流行りのブランドの店先にあったもので、思い切って試着してみるとルリ子にとてもに会っていた一着だ。

「これなんですけど」

先輩にそのブランドのサイトから写真を検索して見せる。

「お!かわいいね!小宮さんに似合いそう!」

お世辞かもしれないが、そう言ってもらえてルリ子は嬉しかった。

「ありがとうございます。メイクはこの動画を参考にしようと思って…」

「う~ん、小宮さん、これよりもこっちのほうがいいんじゃないかな?」

「そうですか?」

昼休みのとても短い時間だったが、先輩と色々と話し合って準備をすすめた。
ルリ子はこの時間がとてつもなく楽しく、仕事に戻らずにこのままずっと話し続けたいとさえ思ってしまった。
しかし無情にも休憩時間は終わりを迎えてしまい、ルリ子も先輩も渋渋仕事に戻ったのだった。




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