仮面王子は下僕志願

灰鷹

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ご主人様は苦労性

威嚇する野良猫

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「渡辺」

 周りに人がいなくなったところを見計らい、トイレを過ぎた先の階段の踊り場で声をかけると、階段をのぼろうとしていた彼がびくっと肩を震わせ、足を止めた。
 そろそろと振り返り、顔をうつむかせて上目遣いで見上げてくる姿は、いつものコミュ障の陰キャそのものだ。あの夜にらみ返してきた顔は、俺の夢や妄想だったのではないかという気さえしてくる。

「なんか……用?」

 しかし、その声は明らかに警戒を含んでおり、あの夜を境にできた壁を思い出させるには十分だった。
 気づかないふりをして会話を続ける。

「弁当、いつもどこで食べてんの?」

 俺の質問が意外だったのか、渡辺はわずかに顔の角度を上げた。
 近くで見ると、やはり鼻筋は細く、スッキリと先が尖っていて形がよい。薄いのに立体感のある唇は遠くから見るよりも艶やかで、なんとなく落ち着かない気分がして目線を上げた。茶色い髪を透かして、アーモンド形の猫目が上目遣いでチラチラとこちらをうかがっている。

「化学室。……昼休みは開放されているから」

 予想していた通りの答えだった。
 渡辺はいつも、昼休みは教室にいないことが多い。校内にいくつかある特別教室は昼休みは自習用に開放されていて、図書室と違って飲食もできる。自習目的だけでなく、他のクラスに彼氏彼女がいる人が、一緒に昼食を食べるために利用することも多いらしい。

「俺も一緒に食べていい? 弁当取ってくるから」

「はっ? えっ?」

 渡辺が大きな声を上げ、弾かれるように顔を上げた。
 俺自身、自分が思いつきで口に出した言葉に、内心驚いていた。呼び止めたときは、もっと別のこと――あの写真をどうするつもりか、問い詰めるはずだったのに。

 渡辺は明らかに動揺している様子だった。

「あ……、いや、その……。いつもは、おにぎり持ってくるんだけど、今日は寝坊したからなくて……、あんまりお腹も空いてないから、今日は食べないつもり……っていうか、なんで……」

 あたふたと説明している途中で、グルグルという音が鳴った。俺じゃないから、渡辺の腹の音だ。
 髪の隙間から覗く耳も、頬も、みるみるうちに真っ赤に染まっていく。思わず「うわっ」と声を漏らしそうになった。

「こ、これは別に、空腹とかじゃなくて……。俺、腹が弱いから、たまに鳴るっていうか……」

「俺、下僕なんだろ? だったら、昼飯くらい俺にタカればいーじゃん」

「たっ……」

 渡辺は辺りをキョロキョロと見回して近くに人がいないことを確認し、キッと俺を睨み上げた。

「そんな犯罪行為、するわけないだろ!」

 前髪の隙間から覗くのは、あの夜に見たのと同じ、目尻が少しだけつり上がった、勝気な眼差しだ。あのときは予想外の抵抗にムッとしたけど、今はなんとなく、野良猫がシャーっと毛を逆立てているようで、可愛くさえ思えた。



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