糸と蜘蛛

犬若丸

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4章 闇底で交わす小指

カンダタ、生前 崩れる 4

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 いつもと変わらない蝶男の冷たい微笑が一層恐く見えた。
 私は咄嗟に小児を抱きしめて庇おうとするも、蝶男が速かった。
 蝶男の足元から湧いたのは無数の黒蝶であり、黒い羽根の群れは瞬く間に小児を攫う。
 黒蝶の群れは小児を花々の上に転がし、色彩の花びらが宙を舞った。
 小児からしてみれば異常ともいえる現象に叫んでもおかしくなかっただが、それができずにいた。数十羽の黒蝶が小児の口に無理矢理入り込み、喉まで侵入する。叫ぶどころか呼吸も難しい。
 私は小児のもとまで駆け寄る。取り囲む黒蝶の群れは鬱陶しく、一羽一羽が体当たりして邪魔しにくる。
 鬱陶しい妨害を無視し、口に手を突っ込ませ、黒蝶を毟り取る。
 いくら黒い羽を口から取り除き、背中を強く叩いて吐き出すのを促しても、次々と新しい黒蝶が小児に侵入してくる。
 「やめて!」 
 小児に侵入する黒蝶を取り除きながら訴える。すでに気絶していて白目を向き、痙攣している。
 「なぜ?」
 「子供じゃない!」
 「君が殺してきた数と比べれば小さいだろう」
 蝶男の鈍器にも似た言葉に私は手を止める。
 ここに訪れた者は下衆野郎ばかりで、奴らの言動に耐えきれず、衝動的に殺してきた。
 人喰い塀の噂はあながち嘘ではない。この塀に生きて出入りする人間は一人しかいない。その人を除き、あとは私が屠ってきた。
 蝶男はその下衆野郎たちと十歳にも満たない子供は大小のない一つの命だと言っていた。
 「良心が痛むとは今更だね」
 小児は痙攣し、空気を欲している。
 「君と僕は同罪だと思わないかい?」
 気が付けば蝶男が私の傍に立っていた。
 「紅柘榴が人材を捉え、僕が使う。いくら否定してもやっている事は同じだろう。今更、反省しましたとは言わないでくれよ」
 小児をこちらに差し出せと蝶男が手を伸ばす。
 私は蝶男に逆らえない。殺せと言えばその通りなければならない。
 身体の内側から焼かれる感覚が蘇る。息が苦しい。
 結局、私はこの男から逃れられない。
 本当に?
 その疑問と同時に浮かんだのは赤い瞳の彼だった。
 自然と身体が動き、不思議と恐怖はなかった。
 私は小児を抱きかかえ走り出していた。黒蝶の群れが私の逃避を妨げようと取り囲む。
 「邪魔っ!」
 私が一言と怒鳴ると無数に飛び交う黒蝶の羽が切り刻まれ、地に落ちた。
 片腕で小児を抱え、跳ねる。空いた手で瓦屋根の軒先を掴むと腕一本の力だけで屋根に登る。
 この勢いで瓦屋根を越えようとする。しかし、両足の腱に激痛が走った。
 身体の均衡を崩し、瓦屋根から落ちる。
 不意打ちの出来事であったが、身体を捻って地面に背中を向けさせたので小児に怪我をさせずに済んだ。
 激痛が走る両足を見てみると足首に切創がつけられていた。脚の筋肉とかかとを繋ぐ鍵が傷口から垂れ下がっている。
 立ち上がれずにいると蝶男が笑いもせずにじっとこちらを見下ろしていた。
 「やめて」
 恐怖が戻ってきた。
 怯えた私に蝶男は容赦なく手を伸ばした。



 目が覚めると黒い背中が私の目に入った。
 私は布団の中で寝ていて、囲炉裏には火が焚かれている。寒がりな私の為に彼がしてくれたのだろう。
 囲炉裏の火に照らされた彼の横顔は険しい。それを眺めていると無意識のうちに手が伸びて、そっと黒衣の背中に触れた。
 彼は振り向くと険しかった顔は柔らかくなり、赤い瞳が細くなる。
 「体調は?痛いところは?」
 足首の切創は綺麗になくなっていたが、痛みは残っていた。それを言うとさらに心配されそうで私は首を横に振るう。
 「気分は?吐き気とか熱は? 」
 「平気」
 あまりにも心配しているから笑ってしまった。
 「本当か?」
 全く信用できないと彼の手が私の額に触れる。そんなことしなくても熱はないのだからそこは信用してほしい。
 「べに」
 「言いたくない」
 質問される前に遮る。彼には蝶男や私の過去を知られたくない。
 はっきりと告げた拒絶に溜め息を落とされる。
 「肌襦袢に血の跡があった。顔にも。吐血の跡だ。病気、なのか?」
 額に触れる手から逃げ、私は布団の中に隠れる。
 身体は健康そのもので、病気持ちでもない。私の体調がすぐれないのは大抵、蝶男のせいだ。特に昨日は拷問に似たようなことをされた。
 「俺は、べにの力になれないのか?」
 私が沈黙を決めてしまったのが悪いのに自分を責めるような言い方だから申し訳なくなった。
 布団から顔だけ出す。
 「手、握って」
 甘えた声で言うと彼は困ったように笑い、布団の中に彼の手が入る。忍び込んだ手を握った。
 「いつか助けて欲しいって言った時、来てくれる?」
 「必ず行くよ。何なら、今もそう言ってくれ」
 私の子供のような願いなのに彼の眼差しが真剣だった。
 それが嬉しくて無邪気に笑っていたが、そんな日は来ないと悟っていた。 
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