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1章 神様が作った実験場
邂逅するまで 7
しおりを挟む重い瞼をゆっくりとあげてあたしは目を覚ました。
そこは寂れた電車の中で車窓はどこも割れていて風は堂々と外から吹いてくる。砂と埃と荒廃した線路。見覚えがある。
ここはどこでなぜ眠っていたのか。あたしはそれらの理解を置き去りにして歩くことにした。
開きっぱなしのドアから降りて、役割を果たさない線路の上をなんとく歩きながら荒廃した世界を眺める。
焼けた臭い、廃墟の街。暗い空には大きな光の穴。間違いなく地獄の地に立っている。
線路を辿っていると駅のホームに着いた。駅名が表示されている看板は大半が割れていて読めない。
あの時、死んでしまったの?でも、痛みとか衝撃もなかった。幽霊は死んだときの記憶がない、みたいな話をよく聞くけれどあたしには階段から落ちた前後の記憶がある。はっきり覚えている。頭を打った時の記憶だけがポロリと落ちてしまったとも思えない。
背後からの気配を察して振り返る。当然のようにハクがいる。
「一応、聞いてみるけれどここに詳しいの?」
ハクは首を傾げて呆ける。何を聞いても傾げる。いちいち聞くあたしもどうかしている。
鼻をひくひくと動かしたハクは何かを見つけたのかホームに登ってどこかへと走っていく。
それは唐突の出来事であたしは漠然と走り去るハクを見送った。別に追いかける義理もないし。
そのまま、線路を辿ってみようかと思い直しているとハクが戻ってきて、今度はあたしの背中をぐいぐいホームの中へと向かわせる。一緒に来い、という意思表示。
「わかったわよ。押さないで。行くから」
渋々、承諾してハクと動向する。
この駅は上にホームが設置してあり、階段を下りれば改札になっていた。ハクの誘導によって階段を下がって改札を抜ける。
あたしが階段から落ちた駅とは違う。見慣れない構造をしている。駅名を確認しても読めなかったし、ここってどこなのかしら。
それなりに大きい駅で一本の道に沿ってテナントが連なっていた。売る人も買う人もいない商いは跡だけを残して何も語らない静寂となって佇んでいる。
「どこまで行くの?」
鼻をならしてあたしを導くハク。目的地があるようには見えない。探し物を探す犬みたい。あたしは駄犬に途方もなく振り回されているわけね。
渋々ついてきたけれどトレジャーごっこは楽しくない。なんとなく並んだ店名を読んで歩く。
大きく宣伝された店名は鏡文字で綴られていて、並んだテナントは有名なチェーン店ばかり。でも、この店並びも駅の構内も見慣れない。やっぱり、あたしの知らない土地みたいね。
そういえば、あたしは空から落ちたのよね。なんで、電車の中で寝ていたのかしら?
ひとつの疑問が浮かんですぐに消えた。なぜならハクがいなくなっていたからだ。あたしが店名に気をとられている間にハクは探し物に夢中になってはぐれてしまった。
ハクについて行くのも退屈だったし、一人で探索するのも悪くはないはず。
そう思い至ったあたしは改札へと戻ろうとする。
一歩、踏み出そうとするとどこからからガラス破片を割る音が聞こえた。周囲を見渡してもあたし以外の生物はいない。
「ハク?」
呼びかけた声は反響して不気味な波紋が広がった。ハクはここにいない。あの音はハクじゃない。
そういえば、地獄には黒い鬼がいるんだった。
緊張が身体を縛った。サバンナの小動物になった気分だった。
どこかで誰かがあたしに牙を向けている。あたしを狙っている。
どこかに猛獣が潜む。
ひとつの店から微かな息遣いが聞こえた。その店は有名な喫茶店の割れたフロンドガラスを隔てた先。そこからは陰で覆われていて、カウンター席がうっすらと見える。明るい通路と違って完全な闇が店内を支配していた。
ドイツの哲学者だったかしら。そんな名言を残していたのは。深淵を覗く時は気をつけろだっけ?全部は思い出せない。
一般の女子高生が言葉の真意を理解ようだなんて考えもしないけれど「深淵を覗く」という感覚はこれに近いものかしら。
吸い込まれそうな深淵と対峙する。すると、赤く光る球体が2つ、深淵に浮かんだ。
それが目だと認識した時には赤目の生物がこちらへと向かってきた。あたしを狙う猛獣が深淵から出ようとしていた。
浮かんだシルエットは手を伸ばして、あたしは逃げようと背を向ける。もうすでに遅かった。
深淵の怪物はあたしの手首を掴み、その恐怖心はそのまま喉から悲鳴となって表に出た。それが拒絶だと直感したのか掴んだ手はさっと引いて、ひとつの沈黙が流れる。
その時になって、あたしは深淵の怪物の正体を知る。あたしの手を掴んだのは鬼でも怪物でもなく人だった。
黒く汚れたボロの浴衣をきた男。彼の赤い瞳はあたしの青い瞳を見つめ返していた。
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