糸と蜘蛛

犬若丸

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6章 盤上の外で蜘蛛喰い蝶は笑う

改変 3

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 「どうして、とは?」
 蓮池の岩縁に立ち、蝶男が質問する。質問を質問で返されたのは不思議な気分であった。
 植木の葉がさらさらと流れる。木漏れ日と木陰が赤眼の少年の上で揺れた。
 「あいつを第8層に着くまで待つ必要あったのかなって」
 少年は縁側に座り、両足を振り子にして自由に遊ばせていた。
 カンダタをハザマまで連れて行くのが蝶男の計画だ。赤眼の少年が「どうして」と聞いたのはカンダタをわざわざ第8層まで落としたかということだ。
 蝶男は女性の姿のままだ。性別のこだわりはなく、男性になる必要もないからだろう。女性特有の高くゆったりとした口調で話す。
 「地獄の構造がそうなっているからさ。ハザマと地獄は輪になって基本的に一方通行なんだよ。第1層から落ちれば第8層まで降りきるしかない」
 蝶男は池の水を掬い、手を高く上げる。手に溜まっていた水が水流となって池に流れる。これが摂理だ。水は下から上にはいかない。水流は逆には流れない。
 水を流れ落ち、手の平に残った水滴を軽く払う。
 「それだと不便だからあのエレベーターを作ったみたいだけどね。それを壊したから」
 「古流のやり方しかなくなった」
 説明の途中で口を挟んでしまった。機嫌を損ねてしまったかもしれないと肩を窄めて蝶男の様子を伺う。彼の笑顔が深くなったような気がした。
 「そうだよ。ハザマと地獄は水流だが輪だ。一方通行で戻る術もないが、輪を一蹴すれば」
 「最初に戻る」
 蝶男が答えを口にする前に少年の頭に答えが出た。自分で考えたものが鉄砲となって口から出てしまった。
 「よくできたね」
 普段から微笑んでいるせいで蝶男が怒っているのか機嫌が悪いのかの判断ができない。
 彼にそういった感情があるかも怪しく、考えも読み取れない。なのに、肯定してくれる言葉をもらうと全身がむず痒くなり、妙に落ち着かない。
 「第8層でカンダタを捕らえた。清音たちが間に戻ってくるまでにこちらも計画を進めよう」
 いよいよだ。
 赤眼の少年は縁縁から降り、歩き出した蝶男の背を追う。
 池がある小さな古民家から出ると竹林があり、その中の歩道を通る。
 風が流れ、頭上で影が揺れる。見上げれば風に遊ばれた竹の葉の合間から光が点々と漏れ、眩しくなる。
 この世界に太陽がないのに光があるのはおかしいなとか、風は気持ちいいものなんだなとか、関係ないことばかり思い浮かべ考えてしまうのは緊張の裏返しだ。
 これまでにないくらい早く脈打ち、固まってしまう。それが呼吸や指先から現れそうで、他者に悟られるのが嫌で、別のことを考えて紛らわそうとした。効果は全くない。
 蝶男は変わらず、焦りを感じさせない歩調だ。
 これから自分たちがすることを考えると赤目の少年は気持ちが沈み、歩調もゆっくりめになる。
 「怖くないの?」
 あるはずのない心に問いかけてみる。やはり蝶男は眉一つも動かさずに振り返る。
 「一応、父親なんだろ」
 「緊張してる?」
 質問で返されたよりも心の内がバレてしまったのに動揺し、「別に」と素気なく否定する。
 竹林を抜けた先にある湖畔へと着いた。浅橋の隣に浮かぶ小舟に蝶男が飛び移り、少年も見よう見真似で乗る。
 「恐怖はよくわからないんだ。持っていないからね」
 小舟がひとりでに動き出す。その気になったのか蝶男は少年の問いに答えることにした。
 「私は彼によって創られたがそれだけだ。私の意思は私が持っている」
 小舟が向かうのは水面の上に立つ寝殿造の城。その姿はまだ小さい。
 「創造主と言うものは出番もなく退場させられるものだ。誰にも気づかれずにね」
 屋城が近くなり、不安げに蝶男を見上げた。後ろから見た彼の背は偉大さはなく、細身であった。けど、掴みどころのない飄々と微笑する姿は底のない深海の闇に見えた。
 大池には金の蓮しかなく、波紋も作らずに浮いていた。
 いつもならを大池の上で作業する塊人がいるはずだが、誰もいない。復旧作業のせいで地獄の管理が疎かになっているらしい。
 そこにあるのは静寂だ。唯一の秩序と言ってもいい。
 そこに波を立て乱すのは小さな小舟だ。赤目の少年と蝶男、屋城に着く。
 近くで見る屋城は大きく、立派であった。平穏の姿は半壊したとは言えない。
 この寝殿造の城の地下は砕けたコンクリートと折れた鉄柱などで埋められているようだ。蝶男曰く、輪廻に関わる研究や生産場があるらしく、そこを失えばハザマとして機能できなくなるらしい。
 少年にはよくわからないが、輪廻の回転率は塊人にとって死活問題に関わるらしい。回転率が下がれば地獄の管理も侭ならないと言う。
 塊人と輪廻と回転がどう関係しているのか少年には今一理解できなかったが、蝶男の話は記憶していた。
 小舟が屋城の浅橋に着いた。屋城は左右に西対と東対があり、その間に本殿が立つ。本殿の前には砂利を敷き詰め、時折池の波音を鳴らす。浅橋はその砂利の中央の位置にあたる。
 小舟から降りようとしたものの、蝶男が声にも出さず手の平を少年の顔面に持ってくる。「待て」の合図に少年はおずおずと腰を下ろした。
 忙しなく本殿の廊下を横切ろうとした塊人が小舟に乗る2人を見つけ目を丸くする。
 硬直する塊人に蝶男は弥を呼ぶように伝える。塊人が渡り廊下を走っていたのは上司からの命令を急ぎでこなそうとしていたからだ。しかし、応用には弱いようでたった今蝶男から新しい命令が下ったことにより、優先事項が上書きされ、あっさりと上司の命令を忘れてしまった。
 下っ端の塊人が弥を読んでいる間、赤眼の少年は居場所がないような居心地の悪さがあった。
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