海が囁く誓い ー冤罪で島流しになった令嬢は、初恋王子と戀に堕ちるー

まめなちゅせん

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砂像祭と不穏なる影

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 祭りの当日。
 朝早くから島民たちは浜辺に集まり、色とりどりの布を張り、魚や果物を並べていた。潮風が心地よく吹き抜け、海のきらめきさえ祭りの装いに見える。

 そんな中、エリザベスは不思議なざわめきに気づいた。
 人々が視線を集める先には、巨大な砂像がそびえ立っていた。

「……っ!」

 それは人魚姫の像。尾を優雅にたゆたわせ、両の手を胸にあてて微笑むその顔立ちは、どう見ても自分に似すぎている。

「み、皆さん……これは……」

「みんなで作ったんだよ! にてるでしょー?」

 アニーがエリザベスの手を引いて像の前まで誘導すると、島民はやりきった表情をして人魚姫像を披露する。
 エリザベスは思わず頬を赤く染め、慌てて声を上げた。

「だ、駄目です! こんなもの、すぐに壊してください!」

 しかし返ってきたのは、子供たちの真っ直ぐな瞳と、大人たちの笑い声だった。

「よく出来ているだろう?」

「姫さんに似て、とても綺麗だろ。姫さまは島の誇りなんだ。像を作らなきゃ罰が当たるってもんよ」

「あんたをモデルに皆んなで作ったんだ。美人は砂像にしても美人さね!」

「人魚姫さまきれーい!」

「そ、そんな……!」

 戸惑う彼女の肩を、エドワードがそっと押さえた。

「いいじゃないか。これは皆の気持ちだ。壊すことは許さない」

 その断言に、周囲から歓声が上がった。
 エリザベスは羞恥に俯きながらも、否定の言葉をのみ込むしかなかった。










 やがて祭りが始まった。

 浜辺には大小さまざまな砂像が並び、魚の形をしたものや、子供たちの背丈ほどの城、商人たちが作った帆船まである。
 初めは「外から客など来るのだろうか」と人々は不安げにしていたが、その心配は杞憂に終わった。

 噂を耳にした近隣の漁師たち、船乗りに連れられた商人たちが次々と訪れ、港は賑わいに満ちていた。
 かつて子供たちが遊びで作った砂の城を目にした旅人が面白おかしく語り広めていたことが、思わぬ形で実を結んだのだ。

「すごい人出ですね……!」

 エリザベスは驚きと喜びで目を輝かせる。

「島民の努力が実を結んだな」

 エドワードは短く言い、しかしその声音には確かな満足が滲んでいた。

 浜辺を包む笑い声と潮騒。島全体が幸福に揺らいでいるかのようだった。


 けれど、その賑わいを割くようにして、一団の影が現れる。
 風に翻る薄衣、痩せた馬。彼らの纏う空気は華やぎとは程遠いものだった。

 その先頭に立つのは、蒼灰色の瞳を持つ痩身の男。

「……ヴェント男爵」

 エドワードが名を呼ぶと、周囲がざわめいた。
 貧困にあえぐ風の島の領主。己の領民を養うため、何かを求めにこの祭りへやってきたのだろうか。

 風は急に強まり、砂像の尾がかすかに揺れた。
 楽しい祭りの只中で、次なる波乱の予感が忍び寄っていた。

 ざわめく人々をかき分け、ヴェント男爵は足を進める。
 その姿は貧相で、着ている外套も擦り切れている。だが、纏う空気だけは傲慢そのものだった。

「ほう……これはまた、ずいぶんと賑わっているではないか」

 口端を歪め、ラウルを見上げるその眼差しには、あからさまな敵意と嫉妬が混ざっている。

「ヴェント男爵。ここは土の領地だ。無断での来訪は――」

 男へ忠告したのはラウルだった。その声色は、屋敷で聞く穏やかさは無く、威厳と冷たさを感じる。だがヴェントは意にも介さず、にやりと笑った。

「領地、だと? ふん、笑わせる。海に囲まれた吹き溜まりの島が、私の領地より賑わっているなど、あってはならぬことだ」

 その嫌味に、島民の表情が険しくなる。
 だがヴェントは、わざとらしく周囲を見回し、やがて視線を一点に留めた。

「……ほう」

 彼の目が射抜いたのは、エリザベスだった。
 群衆の中、彼女は人魚姫像の前に立っていた。
 柔らかな笑みと、気品を湛えた立ち姿。その姿を認めた瞬間、ヴェントの瞳にいやらしい光が宿る。

「ほうほう。なるほどな」

 彼は前に進み出て、わざと大げさに両手を広げた。

「噂に聞いた“人魚姫”とは、この娘のことか! 見事な美貌だ。海より生まれた宝石とでも言うべきか?」

 ヴェントは彼女に歩み寄り、顔を覗き込んだ。
 蒼灰色の瞳がいやらしく細められる。

「美しい……実に惜しいな。このような僻地に埋もれているとは。君のような女は、もっと華やかな場所にこそ相応しい」

 その言葉に、島民の間から怒りの声が上がる。

「おい、何を言ってやがる!」

「姫さんを侮辱する気か!」

 しかしヴェントは鼻で笑い、エリザベスの手を強引に取ろうとした。

「決めたぞ。今日からお前は、私の愛人だ。領民の女どもと違い、誇りを持たせてやろうではないか」

「……は?」

 空気が凍りつく。

 ヴェントの手が伸びる。
 その手がエリザベスに触れようとした瞬間、威圧ある声が動きを制した。

 ヴェントの手が伸びる。
 その指先が触れようとした瞬間、澄んだ声がその動きを縫い止めた。

「――お下がりなさい」

 広場に響いたのは、エリザベスの声音だった。
 普段の柔らかな響きではない。凛と張り詰め、誰もが思わず息を呑むような威厳を宿していた。

 エリザベスは一歩前に出て、蒼灰色の瞳を正面から受け止める。

「その名を冠する栄誉も持たぬ貴方が、わたくしに指一本でも触れていいはずがございません」

 その声音は冷ややかで、王宮の大広間に響いても違和感がないほどだった。
 忘れてはならない。彼女は元王太子妃。
 いかに罪人として流された身であろうと、その誇りと矜持は揺らがない。

 島民たちは一様に息を呑み、その気迫に飲まれていた。
 対峙するヴェントでさえ、思わず足を半歩引いてしまう。

「な、なにを……!」

 動揺を隠そうと声を荒げるが、言葉は空虚に響くだけだった。
 その醜悪な姿に、逆に彼の小物ぶりが際立つ。

「優しくしてやれば……調子に乗りおって……!」

 だがその負け惜しみを最後まで言い切ることはできなかった。

 ――鋭い手が、彼の手を叩いたからだ。

「痛いっ!」

 虚を突かれたように手を引くヴェント。その前に立ちはだかったのはエドワードだった。
 彼の瞳は凍るほど冷たく、声音は低く押し殺されていた。

「彼女に触れるなど、万死に値する」

 吐き捨てるような声音には、言葉以上の怒気が滲んでいた。
 その場にいた誰もが、空気の温度が一瞬で変わったことを肌で感じ取った。

 祭りのざわめきは完全に消え、ただ二人の間に走る緊張だけが場を支配していた。

「き、貴様、私を誰だと思っている!」

 虚勢の声は、もはや笑いを誘うほど空虚だった。
 群衆の中から「小物め」と嘲る声すら漏れ出す。

 エドワードは冷ややかに言い放った。

「己の身の程もわきまえず、祭りを汚す者など……ただの無礼者だ」

 ヴェントの顔が真っ赤になり、必死に叫ぶ。

「無能の土島が、この私を愚弄する気か! 覚えておけっ!」

 真っ赤に腫れた手をさすりながら、彼はマントを翻して背を向けた。
 痩せた背中はみすぼらしく、だがその口元には歪んだ笑みが浮かんでいる。

「――この屈辱、必ず倍にして返すぞ」

 そう吐き捨て、従者を従えて浜辺を後にする。
 その姿を見送りながら、人々はざわめいたが、やがて再び祭りの熱気に呑まれ、笑い声が戻っていった。

 ただ一人、ヴェントだけが違う熱に燃えていた。


ヴェントの一団が港の方へ去っていくと、押し殺していた吐息が一斉に解き放たれた。

「……行ったね」

「あのヒョロ、でてったな」

 子どもたちの小さな声に、大人たちの笑いが重なり、やがて先ほどのざわめきが戻っていく。

 砂像を囲んで再び歌が響き、人々は改めて祭りを楽しみ始めた。
 潮風に運ばれる笑い声は、空の蒼さに溶け込んでいく。
 砂像祭は、誰もが驚くほどの大成功に終わった。

 そんな喧騒の中、島民たちの視線がひとりの女性へと集まっていく。

「人魚ひめさま、かっこよかった!」

「うん! わたし、ドキッとしちゃった!」

「声を張ったとき、あの小物男爵が一歩下がったのを見たぞ」

「やっぱり王太子妃ってすごいんだなあ……」

「うちの島に、こんな立派なお方がいるなんて自慢だよ」

 子供から大人まで、口々に言葉を投げかける。
 エリザベスは慌てて両手を振った。

「い、いえ! わたくしは、ただ……」

 必死に否定するものの、島民たちはにこやかに彼女を囲い込み、次々と賞賛を重ねる。
 その温かな輪に押し込まれ、エリザベスの頬は真っ赤に染まっていった。

「この島を卑下されたのが悔しくて、つい大人気ない態度を……エドワード様?」

 彼は軽く笑みを浮かべ、島民たちへ視線を向けた。

「その通りだ。彼女は立派だ。私もつい───

 その言葉に、エリザベスの心臓が跳ねた。
 振り向くと、彼の蒼い瞳が真っ直ぐに自分を映していた。

「見惚れてしまった」

「なっ!」

 耳まで真っ赤になったエリザベスは、慌てて視線を逸らす。
 しかし島民たちはそれを見て、ますます笑みを深め、祝福するように拍手を送った。

 祭りのざわめきと潮騒が溶け合い、浜辺は喜びに包まれていた。






 祭りを離れ、荒れた海辺を進むヴェントの表情は醜悪そのものだった。
 砂を蹴り、歯ぎしりをしながら吐き捨てる。

「エリザベス……あの小娘……リンドブルグの王太子妃だっただと? なるほど、道理で気位が高いはずだ」

 彼女の毅然とした姿は、一瞬彼を怯ませた。
 だがそれは同時に、強烈な執着を芽生えさせる。

「あの誇り高さを……私の前でへし折るのだ。気高く澄ました女ほど、絶望に沈む姿は甘美だからな」

 彼は薄く笑みを浮かべる。
 波の音に紛れるその笑声は、潮風を冷たく震わせた。

「待っていろ。必ず、私の足元に跪かせてやる……」

 風が強まり、外套がはためいた。
 痩せ細った背中には、卑小さと同時に、狂気じみた執念の影がまとわりついていた。
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