出島で番士をしている俺が、遊女殺害の罪を着せられたら、おせっかいな美男通詞がぐいぐい来た。

みどりのおおかみ

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一章

嘉兵衛

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 そこには、身長五・五寸(一六六㎝)ほどの、長身で猫背の若者が立っていた。
 月代は毛が生えており、乱れた鬢が目立つ。どんよりとした目は一か所に定まらず、きょろきょろと常に動いている。
 男は口の片側だけを上げて、俺に笑いかけた。
「鉄杖の兄貴、こんなところにいたのか」
「嘉兵衛。どうした」
 俺はその男の顔を知っていた。同じ小川町に住む平山嘉兵衛(かへえ)だ。
「聞いてくれ。最悪の事体が起こったんだ、うちの組に」
「組? 小川町のペーロン組のことか?」
「ほう、鉄杖、お前はペーロン船を漕ぐのか」
 藤馬が口を挟むと、嘉兵衛はぎょっとしたように藤馬を見詰めた。俺は簡単に、互いを互いに紹介する。
「嘉兵衛、こいつは藤馬。通詞だ。藤馬、こっちは嘉兵衛だ。嘉兵衛は、一四の時から、小川町のペーロン船を、ずっと漕いできた仲間だ」
「それは、すごい。ペーロンは長崎の初夏の楽しみだからな。小川町は、なかなかに強いと聞いた事があるぞ。俺たち陸手町(おかてまち)の者は、見るのが専門だが、あれを漕ぐのは、さぞ気持ちが良いのだろうな。今年も出るのか?」
「そうでもない。漕ぐのはひたすら辛いぞ。今年は、俺は――」
 その時、嘉兵衛が俺の袖を引っ張った。もどかし気に、藤馬のほうをちらりと見る。
「兄貴、ちょっと……」
 どうやら、藤馬がいると話しづらい内容らしい。藤馬は軽く頷き、右掌を上に向けて差し出す。話してこい、という意味だろう。
 俺と嘉兵衛は、荒物屋と紺屋の間にある、小路の蔭に身を寄せた。道に人は疎らで、子供がきゃあきゃあ言いながら、猫を追いかけて走っていた。紺屋の、藍染の独特の匂いが鼻を突く。
 嘉兵衛は下を向いていたが、ちらと俺を見ると、呻くように言った。
「鉄杖の兄貴。小川組に戻って、ペーロン舟をこいでくれ」
 俺は言葉に詰まった。
「それは、俺一人では決められん。なんだ、何があったんだ?」
「まず、辰吉の兄貴が組を抜けた。しばらく前から、腕の調子が悪かったらしい。五日前の練習の時、もう櫂は握れないと」
 俺は些か驚いた。辰吉は五年もの長い間、舵取(かじとり)という、ペーロン船の操縦役を担ってきた。辰吉のお陰で、俺たちは安心して漕ぐことに集中できていた。
「--大丈夫だ。孫次郎が舵取りを習っていただろう。あいつならきっと上手くやる」
 嘉兵衛はごくりと唾を飲み込む。その刹那、俺はなぜか、背筋がひやりとした。
「ああ、解ってる。俺だって、勿論、勝つつもりだ。だけど……でも、もし負けたら……西濱町の連中に五十両、払わなきゃならねえ」
「まさか、賭博か?」
 嘉兵衛は、かっと目を見開くと、俺の両腕を掴んだ。急に、子供じみた声で喚き立てる。
「五日前、俺が飲み屋で、今年は最高の布陣だと。そう仲間と喋ってたんだ。そこに西濱組が来て――それであいつら、小川町の組は腰抜けだと言いやがった。それで、喧嘩になって……結局、賭けをさせられた」
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