夜の公園で出会った彼女は、死のうとしていた。

秋月とわ

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8.「仕込み」の成果

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 目が覚めると辺りは真っ暗だった。地面は硬く背中が痛い。
 一瞬、なんで自分がここにいるのか混乱したが徐々に直前の記憶がよみがえってくる。
 そうだ、私は奥本を刺そうとした時、急に眠気が襲って来たんだ。きっと睡眠薬でも盛られたんだ。迂闊だった。何も考えず奥本が出したものを飲むなんて。
 と、いうことはここは奥本の家のどこかのはずだ。というか、私はあいつに捕まってしまったのか。
 体を動かそうとすると手足に抵抗を感じた。そこで初めて自分の手足が拘束されていることに気づいた。拘束はしっかり施されているようでちょっと引っ張ったぐらいではびくともしない。
 仕方ないから両手がくっついたまま辺りに手を伸ばした。するとすぐに壁にぶつかった。撫でてみると硬くてつるつるした手触りがする。足の方も両足くっついたまま伸ばしてみるとすぐに壁にぶち当たった。靴下越しの感触は手で感じたものと同じだ。
 感触だけで狭くて硬い壁と床に囲まれているところに寝かされていることだけは分かった。
 どうやってここから脱出しよう……。そう考えた時、天井から大きな音がして目の前がいきなり明るくなった。明るさに目を細めると、奥本が顔を覗き込ませているのが見えた。
 明るさに目が慣れると、ここがどこだかすぐに分かった。
 タイル張りの壁に、大きな鏡そしてシャワー。──浴室だ。
 私は両手両足を粘着テープで拘束され、浴槽の中に放り込まれていた。さっき大きな音がしたのは浴槽の蓋を開ける音だったのだ。
「目が覚めたか。野宮、調子はどうだ」
「…………」
 無視すると奥本はやれやれとため息をついた。
「野宮、お前はこれで俺に何をしようとしてたんだ」
 奥本は包丁を掲げて見せた。浴室の照明を反射させて刃が光る。
「……ころ……してや……る」
 まだ薬が抜けきっていないのか舌が上手く回らない。それでも憎悪を込めた視線で奥本を睨みつけた。
「ほほう。言うじゃないか。まだ自分の立たされている状況を理解してないみたいだな」
「……うる……さい。ここ……から……出せ」
「すまないがそれは出来ないな。他に何か隠し持ってないか調べさせてもらった。するとだ、こんなものが出てきた」
 奥本は包丁を引っ込めると代わりに私のスマホを取り出した。それをちょちょいと操作すると、画面を私に向けた。そこには以前隠し撮りした密会の動画が流れていた。
「あちこちで俺を中傷するビラを撒いたのもお前だったんだな。あれのせいで俺は大迷惑しているんだ。近所では変な噂が立つし、学校でも問題になっている」
 演技がかったわざとらしい口調で奥本は嘆いた。そしてジロリとこちらを見るとごつごつとした大きな手で私の頬を親指と人差し指で挟むように掴んだ。
「クビになったらどう責任を取ってくれるんだ?」
「……汚らわし……い手で……触るな」
「おいおい。俺は怒っているんじゃないんだ。どう責任を取るのか話しているんだ。まあいい。もう少しそこで大人しくしていろ」
 そう言うと奥本はガタガタと音を立てて浴槽に蓋を戻した。
 目の前は再び暗闇に包まれた。奥本が遠ざかる足音が聞こえる。
 しばらくすると玄関のドアが閉まる音がした。奥本はどこかに出かけたのだろうか。私は動かずにじっと聞き耳を立てた。
 浴槽の中から聞く分には家の中はひっそりと静かだ。やっぱり誰もいないみたい。
 私は肘を使って上半身を起こした。薬が切れてきたのか体の重さは感じない。起き上がる勢いで頭を使って風呂蓋を押しのけた。
 ガタガタと大きな音で風呂蓋が開いたが、奥本がやってくる気配はない。これは大丈夫だ。
 壁に手を付きながら立ち上がった。両足がぴったりくっついているからバランスを崩さずに立つのも一苦労だ。何度か転びそうになりながらも両の足で立つことに成功した。
 しかし問題はすぐにやってくる。
 ここから出るには浴槽の縁を乗り越えなければいけない。普段なら跨ぐだけで簡単なのだが両足がくっついた状態でそれをするのは難しい。仕方なく、芋虫のように洗い場の方に倒れ込んで縁を乗り越えた。
 薄暗い浴室から廊下に出た。ここも人の気配はない。
 視線を動かして安全確認をしていると、私の通学カバンがキッチンの床に転がっているのを見つけた。
 そこまで這って行くと今度はダイニングテーブルの上にカバンの中身がぶちまけられているのに気がついた。
 さっきと同じ要領で立ち上がる。テーブルの上には私の荷物が散乱している。──包丁やスマホもある。
 きっとここでカバンをひっくり返したに違いない。
 私は包丁を手に取ると座り込んだ。刃を足と足をくっつけている粘着テープに切り込んだ。自分の足を切ってしまわないように注意しながら拘束を切断した。足が自由かどうかで出来ることは格段に変わる。
 今度は手の拘束を──と思ったが包丁で手首の粘着テープを切断するのは難易度が高すぎるのでやめた。誤って自分を刺してしまっては元も子もない。
 もう一度立ち上がってテーブルの上のスマホを手にした。救援を呼ばなければいけない。
 私は迷うこともなく天原さんに電話をかけた。
 しかしコールが続くだけで繋がる気配がない。一度電話を切って掛け直したが結果は同じだった。それから何度か掛け直してみたが天原さんが出ることはなかった。十何回目の電話が繋がらなかった時、私は目に入った時計を見て、ふと思い出した。
 ──今、ライブ中だ。
 監禁されている間にこれほど時間が経っていたとは思いもしなかった。そういえば窓から見える景色もここに訪れた時よりも暗い。それに雨も激しくなっている。
 こんなところに長居していられない。
 私は天原さんに『奥本に監禁されている。天原さん、助けて』と短いメールを送った。これでもしこの先、私の身に何か起こっても奥本の仕業と分かるはずだ。
 さ、私も早くここから脱出しないと。
 テーブルの上に散乱した荷物をカバンに詰めて、玄関口に急いだ。
 やはり両足が自由になった分、歩きやすい。今さっき這って来た区間をものの数秒で通過し、戸口までやって来た。あとは目の前のドアノブを回せば私は自由になれる。
 焦燥感の中、ドアノブに手をかけようとした──その時。
 いきなり目の前が開けた。外の風が私の肌を撫で、雨の音も大きく聞こえる。
 呆気にとられながら、ドアノブがあった場所から視線を上げた。そこには泣きじゃくった空を背景にきょとんとした奥本の顔があった。
 あまりに唐突な出来事に私も奥本もぽっかり口を開けたまま見つめあっていた。一秒にも満たない時間がとても長く感じた。
 あっと思った瞬間、肩を思いっきり突き飛ばされた。後ろによろけた私は、上がり框につまずいた拍子に尻餅をついてしまった。
 ──このままだと、また監禁される。
 目の前には奥本が立っている。でもドアはまだ開いたままだ。このチャンスを逃す訳にはいかない。すがる思いで咄嗟に叫んだ。
「たす──」
「大きな声を出すんじゃない」
 慌てて飛んで来た奥本がごつごつとした手で私の口を塞ぐ。奥本の後ろでは彼が動かしたドアがゆっくりと閉まっていくのが見えた。
 私の叫びは封じられてしまった。終わった。私はここで奥本に酷い目に遭わされるんだ……。
 恐怖と不安が一気に押し寄せて来て呼吸を乱す。まるでマラソンをしているみたいに息が苦しくて、心臓がバクバクしている。
 奥本は私の口を塞いだまま、逆の手で持っていたレジ袋を掲げた。そして恩着せがましく言う。
「せっかくお前のために晩飯を買って来てやったのに!」
 それから立ち上がると表情が抜け落ちた顔で私を見下ろした。
 同時に口を覆っていた手が外され、息が楽になる。私は貪るように新鮮な空気を肺にいれた。
 呼吸が落ち着くと視線を奥本の顔から下ろしてレジ袋に向けた。白いレジ袋に印字されているロゴは莉奈が勤めているコンビニと同じものだ。中にはうっすらとだが弁当と菓子パンらしきものが透けて見えている。奥本は本当に近所のコンビニに夕食を買いに行っていたようだ。しかし女子高生一人がこんなに食べられるはずない。たぶん弁当は自分の分だろう。
「お仕置きだ」
 視界の外から声が降ってきたかと思うと、奥本は私の胸ぐらを掴んだ。繋がった両手で奥本を叩いたが相手はまったく怯む様子はない。
 奥本はレジ袋を廊下の端に置くと両手で私を掴んだ。
 私も必死に抵抗したが、それも虚しく、そのまま廊下をずるずる引きずられ、浴室まで連れ戻されてしまった。
 手と足には粘着テープの他に新たにビニール紐での拘束が追加された。さらに変な液体を飲まされた挙句、口にはタオルで猿ぐつわまでつけられてしまった。
 抗議の声を上げるが猿ぐつわのせいで唸り声になってしまう。それでもふんふん唸る私の頬を奥本は掴むと無理矢理視線を合わせた。
「今回は大目に見てやる。だが次はないぞ? 次やったら、俺はお前の脚を折らなくちゃいけなくなる。そんなむごいことしたくないんだ」
 まるで野生の獣のような鋭い目つきで言う奥本に私は恐怖した。唸り声も喉の底で鳴りを潜める。この男なら本当にやりかねない。
 その後、私は元いた浴槽に入れられた。奥本は蓋を閉めたあと、今度は簡単に逃げられないようにと蓋と浴槽の間を粘着テープで目張りをしてしまった。
 万事休す。どうすることも出来ずにぼーっと倒れていると、だんだん意識がぼやけていくのを感じた。この感覚は二度目だ。一度目はもちろん奥本が出したお茶を飲んだときだ。そうなると、さっきの変な液体は睡眠薬の類だったのかもしれない。
 こんな短時間で二度も服用していい品なのだろうか、そんな心配もしていたが、次第に意識が薄れてきてだんだんとどうでもよくなった。
 強烈な眠気に抗うことも出来ず、私はそっとまぶたを閉じた。
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