上 下
66 / 116
第五章

第六十五話 エクレールとクロ

しおりを挟む
「クロ、あんたはいったい何者だ?」


 エクレールは思わず口から出てしまった言葉に後悔する。
 お互い正体を隠すような恰好をしているのだ。聞いたところで答えるはずもない。答えないどころか、ここで関係が終わる可能性が高かった。


「……」


 クロは振り返り、こちらを見ている。返答はない。表情こそ見えないが、決して良い顔はしていないだろう。


「…………気になるか?」

「……ああ、気にはなるけど、さっきの発言は取り消させてくれ。今のはあたしが悪かった。お互い姿を隠してるんだ。軽率なことを言った」

「そうか、ならいい」


 クロは再び歩き出した。その後ろに続きながら、エクレールは気づかれないようにほっと一息つく。

 何とかなった。いや、ただ単に見逃してもらえただけだ。もし強引に聞いていていればさっきので終わっていた。

 危険な橋をわたってしまったがクロの口から出た情報は大きい。女神に成り代わる。その言葉が真実かはわからない。ただ、さも当然のような口振りだったことから、ただのでたらめではない気がしていた。

 クロの言葉を考えているうちに、大きな建物に到着する。城からほど近く、魔道具屋の店主から貰った情報では赤の教団員が根城としている建物の一つだ。


「ここの屋上から城の城壁へ飛び移る」


 クロの言葉だった。

 エクレールは一瞬、聞き間違えかと思ったが、振り返ったクロが同じ言葉を繰り返したところで耳は正常だったと理解する。

 たしかに目の前にある建物は高い。城壁までの距離も他と比べれば近いだろう。しかし、跳べるような距離ではない。風の魔法を使うにしても、気づかれない程度に抑えた魔法では不可能である。

 エクレールが呆然としている間に、クロは警戒したようすもなく建物の扉に手をかけていた。中には赤の教団員がいるはずだ。そのまま入れば騒ぎになってしまうだろう。


「おい、待て! ここは赤の教団がいるところだぞ! 騒ぎになったらまずいだろ」

「問題ない」


 クロはそのまま扉を開けてしまった。建物の中は大きな部屋となっており、赤い服を着た男たちが見える。酒を飲んでいたり、談笑をしているようだ。

 扉を開けたことにより、赤の教団員たちがこちらに気づく。

 その瞬間、クロの姿は消えていた。

 正確には姿は見えている。消えたのは目の前からであり、今クロの姿は建物の中、部屋の奥だ。目の錯覚かと思うほど、一瞬のうちに移動していた。

 赤の教団員たちは立ち上がろうとしているもの、こちらを指さそうとしているもの、驚いた顔をしている者たちがいる。その全員に共通しているのは動きが止まっており、その体がゆっくりと傾いていっていることだった。

 扉が完全に開く。そのころには赤の教団員たちは床に倒れ伏し、風の音だけが耳に入っていた。


「……なんだ……今のは……見えなかった? あたしが?」


 エクレールは速さにおいては絶対の自信を持っている。魔族のザバントスすら圧倒し、全力を出せば勇者であるツカサよりも速く動けるという自信があったのだ。

 その自信が今、崩れていく。そして同時に興奮する。

 何も見えなかった。瞬きはしていない。警戒し、注意もしていた。それでも何も見えず、気づいたらすべてが終わっていたのである。倒すだけなら同じようにできるだろう。ただし、その場合は手加減できず、全員が目も当てられない肉塊となってしまうはずだ。

 ツカサも速かった。しかし、エクレールが全力を出していないこともあり、戦えば勝てると思っている。

 クロは違う。全力で戦っても勝てるかわからない。むしろ勝てない可能性のほうが高いとも思う。特級冒険者になって以降、そう思える相手に出会ったのは初めてであり、エクレールは密かに戦ってみたいという欲に駆られていた。

 エクレールは建物の中に入り、倒れた赤の教団員たちを観察する。
 見た限りでは首への一撃のみ、それも全員死んでいない。正確に手加減された攻撃だった。その手並みにエクレールは舌を巻く。


「どうした? もうついて来ないのか?」


 クロの言葉にエクレールは意識を赤の教団員から外す。


「クロがあまりにも速くてちょっとびっくりしてたんだよ。今行く」

「そうか。二階も人が居るようだ。片付けるぞ?」

「おう、次は驚かないから大丈夫だ。念のため、あたしも魔法を使っておいていいか?」

「好きにしろ」


 クロは階段へと足をかけ、上っていく。
 エクレールはそのあとを続きながら、静かに魔法を発動させる。赤の教団へ攻撃をするためでも、身を守るためでもない。ただクロの動きを観察するためだけに、エクレールは独自魔法を限定発動させていた。

 階段を上り、エクレールの頭が二階に出たころ、クロの姿が高速で移動しはじめる。

 二階は壁が取り払われ、一階と同じように一つの大きな部屋となっていた。クロはその中を尋常ではない速度で動いている。二階にいる敵、七人中二人はすでに手刀を打ち、今三人目も手刀を打ち終わったのが見えていた。

 先ほどと違い、クロの動きが見えている理由は独自魔法にある。エクレールは独自魔法の効果で帯電し、目と脳を活性状態にしているのだ。
 独自魔法を使った状態で見えなければ、クロが敵対したときに手の打ちようがなかった。だが、なんとか動きを確認することができ、エクレールは心の中で一息つく。

 クロは瞬く間にすべての敵に手刀を打ち終えると、上への階段に歩き出す。エクレールは魔法を止め、そのようすを眺めながら考える。

 同じ速度は出せるだろう。ただし、それで動けるのは直線のみだ。クロのように人から人へ、静かで流れるような動きは到底できない。
 もう一つ、クロで驚くことがあった。それは魔法の発動速度だ。いつ魔法を使ったのかわからないほど速い。加えてエクレールのように帯電し、雷を纏うといった分かりやすさもなく、何の属性かも判別できなかった。

 エクレールはクロの後ろを歩きながらもさらに思考を巡らせる。

 魔法は使用のさい、属性に対応した色で輝く。身体能力を上げるオーラ型の魔法も例外ではない。オーラ型の魔法は炎のように纏わせるなら比較的簡単だ。ただし、その場合はローブでは隠せない。服を着ているように纏わせているとしたら、その練度には恐ろしいものがある。

 また一方でオーラ型の魔法でないとすれば、独自魔法ということになるだろう。その場合、短い時間とはいえ二回、あまり間を開けずに連続で独自魔法を発動していることになる。魔力効率がいいのか、魔力量が多いのかはわからないが、どちらにしても脅威であった。

 エクレールはクロの魔法の技量、戦闘能力の高さから正体について思い浮かべるが、やはり該当する人物は思いつかない。先ほどの失敗を踏まえて直接聞くことはしないが、興味が尽きることはなかった。


「三階にはいないようだな。窓から出て、屋根に上る」


 三階に上がるとクロは近くの窓に手をかけた。そして静かに開け放つと窓を抜け、音も立てずに上っていく。
 エクレールが屋根に上がったときには、クロは城壁のほうへと顔を向け、腕を組んで何かを考えているようすだった。


「どうしたんだ? いまさら跳べない距離だったとかいうなよ?」

「大丈夫だ、飛べる。問題は、予想よりも見張りが多いことだ」

「見張り?」

「ああ、見てみろ」


 クロが指し示した場所を注視する。

 指しているのは城壁の上だ。何かが居るようにも見えるが、エクレールの目では人なのかは判別できない。これはエクレールの目が悪いわけではなく、指されれた場所が暗いためである。そして、暗がりで遠くまで見えるのは闇属性持ちの特徴でもあった。

 クロは闇属性を持っている。情報を一つ手に入れたエクレールはついでとばかりに質問をすることにした。


「見張りが多くて問題があるのか? さっき見たクロの強さなら気づかれる前に倒せるだろ? まさかもう魔力切れしたのか?」

「魔力はある。しかし、長時間は発動させたくない。あの見張りの距離だと俺の魔法は気づかれる可能性がある」


 残念なことに魔力はあるらしい。ただ、その後の言葉にエクレールは引っかかっていた。”長時間発動させたくない”そして、”魔法は気づかれる可能性がある”という点だ。

 言葉から考えれば、長時間発動はできるが、何らかの弊害がある。その弊害というのが、制御の不安定化だとエクレールは推察した。気づかれるというのを制御が不安定になり、属性の光が漏れ見えてしまうことと捉えたのだ。


「なら提案だ。クロが指さしてた先とその付近はあたしがやる。離れた場所にいる見張りのほうをクロがやるってのはどうだ?」

「……いいだろう。あの付近にいるのは三人、先ほど指したのを入れて四人だ。おまえの力なら問題ない相手のはずだ」

「ん? あたしの力って、実力を見せた覚えはないぞ?」

「独自魔法を無詠唱で使えるなら充分な実力だろう? それも本来の使い方ではなく、限定使用なら尚更だ」


 しっかりと観察されていたらしい。視線は感じなかったというのに油断ならない男だ。

 クロから見張りの詳細な位置が伝えられ、あとは跳ぶだけとなる。
 問題は静かに跳ぶ方法だ。距離だけなら、独自魔法でも風の魔法だけでも大丈夫だろう。ただ、独自魔法はうるさいうえに光って目立つ。風の魔法も届くように発動させると、弊害として屋根を吹き飛ばしかねない。そうなっては何のために見張りを倒すのか分からなくなってしまう。

 エクレールは懐を探り、鉤縄を取り出す。潜入用に持ってきていたものだ。せっかく屋根裏に登ったのに何だが一度降りて近づき、この鉤縄と目立たない範囲で発動させた風の魔法で城壁を超えるようと考えたのである。


「……おまえ、飛べないのか?」


 クロから声がかかる。その言葉は皮肉というよりかは純粋な疑問を口にしたようだった。


「悪かったな。あたしの魔法じゃ、目立って気づかれるんだよ。というか、普通の奴はこんな距離を跳べないからな」

「そうか……では、俺が投げよう。見張りも見えていないようだからな。そのほうが確実だろう」


 クロは自然な動作でエクレールに近づいてくると腕を掴んできた。その腕を掴まれたエクレールは混乱と同時に嫌な予感が頭によぎる。そして、それはすぐに現実となった。

 一瞬のうちにエクレールの見えていた景色が変わる。目の前に見えていた城壁がなくなっていた。代わりにいつもより少し近くに星が見える。顔に当たる風は激しく、先ほどよりも空気が冷たい。エクレールはクロによって空高く投げ飛ばされていた。


「あの野郎……覚えてろよ」


 速度が落ちはじめたところでエクレールは思わずつぶやく。元居た場所を見るが、クロの姿はもう見えず、睨みつけるのを諦めて下へと意識を向ける。

 下にあるのは城壁だった。その高さゆえか気づかれてはいない。そもそも洗脳され、見張りだというのに明かりさえつけていない連中である。数こそ多いものの、正面からいかない限り気づかないのではと思ってしまう。

 エクレールは風の魔法で調整し、着地点を定めて落下していく。その心の中はクロへの文句で溢れていた。突飛な行動をするとは思っていたが、まさか問答無用で投げ飛ばされるとは思わなかったのだ。合流したら謝らせる。エクレールは心の中でそう誓うと、着地と同時に八つ当たりをするがごとく、兵士たちを蹴散らすのであった。
しおりを挟む

処理中です...