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第六章

第八十四話 天変地異

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 世界はほんの数分で変わってしまった。大地は輝き地割れを起こして鳴動し、空にはさまざまな色が広がり互いに侵食し合っている。そして鳴動した大地からは土や石が剥がれ、重力を無視したように空に描かれた黒い円へと吸い込まれていた。

 そんな状況の中、俺、アリシア、そしてシュセットがいるのはカルミナの張った結界の中だ。アリシアは起きていない。シュセットはこんな時でも落ち着いている。結界の中は外の変化が届いていないとは賢い馬だ。そんなシュセットのようすを見たおかげか、俺も比較的落ち着きを取り戻すことができていた。

 一度大きく深呼吸をする。

 つい先ほどまで俺は酷く動揺していた。それは世界の変化のせいもあるし、カルミナの説明のせいでもある。

 現状を説明するうえでカルミナが最初に発した言葉。それは世界の崩壊がはじまった、というものだったからだ。

 あまりにも唐突であり、一度は信じることができずに聞き返してしまう。しかし、返ってくる言葉は同じものだった。結界の外を見れば納得するだけの光景も広がっていることもあり、俺は動揺してしまったのだ。


 シュセットには感謝だな。けど、いきなりすぎないか? 一体どうして世界の崩壊がはじまったんだ? きっかけになるようなことは……ん? もしかしてあの魔法陣が関係して――


『ツカサ、考え事をしているようですが時間がありません。話を進めさせてもらいます』

「あ、ごめん。お願い」


 そういえば、まだ説明の途中、というより説明をはじめたばかりだった。時間もないと言ってたし、考えるのは後だ。今はカルミナの話を聞かないと。


『先ほども言ったように、今は世界が崩壊している最中です。ですが安心してください。まだ初期段階のため、打つ手はあります』

「止められるってこと?」

『はい。私の力で世界を正常な状態に変化し直すことで止められるはずです。ただ、そのためには莫大な力を使う必要があります。しばらくは会話もできません。それに今後は強化魔法などの支援も出来なくなってしまいます』

「それは気にしなくていい。崩壊を止める方がよっぽど重要だ」

『ありがとうございます。ツカサならそう言ってくれると信じていました。では初期段階の間、残りは短い時間ですがその間にできる限りのことは話しておきたいと思います』


 カルミナは簡潔に説明してくれた。曰く、世界の崩壊がはじまったのは魔王のせいだという。封印の魔法陣がすべて壊されたことにより、無理にでも行動を起こしたのではないかとのことだ。


 つまり、封印が出来なくなったから、世界を壊すことでカルミナを殺そうとしている?
 ……いや、それだったら、そもそも封印する必要すらない。最初から世界を壊せばいいはずだ。


 魔王はカルミナの力を減少させたい。でも、封印の魔法陣が壊れ、カルミナの力を封じることができなくなった。だとするならば、世界の崩壊をはじめたのはカルミナが止めることを見越して? 力を使わせるために世界を壊そうとしている?


 考えている最中にカルミナの結界が解けてしまった。降りかかる環境の変化に軽い頭痛を覚える。シュセットも踏ん張ってくれているが、揺れる大地と浮かび上がろうとする体に姿勢を保つことが精一杯のようだ。

 カルミナはすでに世界の修復に取り掛かっている。ここで耐えれば、時期に世界は元に戻るだろう。今はただ、じっと時が過ぎるのを待つしかない。










 しばらくすると揺れが小さくなったような気がしてきた。光も弱くなっている。空を見ればまだ様々な色があるようだが、それらの色も薄くなってきているようだ。

 さらに時間が過ぎると地上は元に戻った。地面には亀裂こそ残っているものの、揺れはなく、光も消えている。しかし、空のほうは一部そのままだ。

 一部を除けば空は青く元どおりに見える。残ってしまったのは俺の真上、黒い部分だ。ブラックホールのように見えた部分は大きさこそ小さくなったが、消えてはいない。ここからだと太陽と同じぐらいの大きさで、黒い点として存在していた。

 辺りが落ち着いたとき、進行方向を北にしてシュセットに走ってもらう。

 北に向かう理由、それは先ほどカルミナから貰った情報にある。

 世界の崩壊がはじまったことで、不明だった魔王の拠点らしき場所が判明したとカルミナに聞いたのだ。カルミナによると、以前から怪しんでいた場所に突如、古びた教会のようなものが現れたとのだという。気になって観察したところ、多数の魔族が存在し、古びた教会の周りには魔道具と結界が壊れたあとがあったらしい。隠されていたことや位置関係から考えても拠点で間違いないだろうと言っていた。

 カルミナが伝えてくれたことはまだある。情報の共有についてだ。カルミナは石板と呼ばれている魔道具に言葉を記すことができるらしく、そこに魔王の居場所を書き込んだという。それによってほかの人たちにも伝わったとのことだ。この機会に総力戦を挑むつもりらしい。

 ただ、魔王のほうも居場所がバレたのは分かっているはずだ。魔王と呼ばれるものが逃げるとは思わない。それでもカルミナはまた身を隠されないか心配らしく、俺たちは先行するよう頼まれていたのであった。

 食料は心ともない。回復薬にいたっては零だ。武器もナイフだけという状態であり、本来は補給に戻るべきなのだろう。しかし、居場所が分かった今がチャンスだとというのは間違いない。多少無理をしても、魔王の存在ぐらいは確認しておきたいところだ。


「……ん、ぅん……」


 アリシアの声が耳に入る。視線を下げると身じろぎしているようだった。そろそろ起きるのかもしれない。

 シュセットに伝え、速度を落とす。気づけば日も低くなってきていた。もう野営の準備をしてもいい時間だろう。

 辺りを見渡せば、巨大な木が倒れているのが目に入る。その木の幅は太く、俺の背丈よりもありそうだ。


「あれなら壁の代わりなるな。シュセット、今日はあそこで休もう」


 野営の準備を進めているとアリシアが体を起こした。キョロキョロと辺りを見まわしている。まだ現状の把握はできていないようだ。


「アリシア、おはよう」

「おはようございます? えっと、あれ?」


 食事の用意をしながらも、アリシアに何が起きたのかを説明していく。
 ちなみに今日の夕飯は残っている食材を茹でただけのものだ。味付けは個人で塩を振ってもらう形となる。塩は貴重であり、味のわからない俺が使うよりは自分の好みにしてもらった方がいいと思ったためだ。


「じゃあ、私たちは魔王の拠点に向かってるんですか?」

「そういうことになる。でも安心て、ほかの人にも魔王の居場所は伝わってるはずだから。それにまだ距離もある。すぐに戦うってわけでもないしね」

「そうですか……少し不安ですけど、女神さまの頼みなら果たさないわけにはいきませんね!」

「そうだね。どこかで食料を調達しつつも早めに行こう」


 今後の予定も話しながら、味のしない食事を終える。
 いろいろなことがあって俺も疲れていたのだろう。片付けをするさい、不意に体が痺れるような感覚があった。特に強く痺れた左手では持っていた木の器を落としてしまう。食べ終わっていたので問題はないが少し休憩が必要かもしれない。

 そんなことを思っていると、食器を落としたことでアリシアに心配されてしまう。大丈夫だとは言ったが聞き入れてもらえず、結局片付けを任せてしまうことになってしまった。

 手持ち無沙汰になり、空を見上げる。黒い点は変わっていない。不気味さもそのままだ。
 本当は体の調子が完全となるまで休みたいところだが、空を見てしまうとその気もなくなる。あの空が元に戻らない限り、体は休めても心は休まらない。


 ……やっぱり、休憩するより動いてたほうがいいな。


 そんなことを思うと、片付けをしてくれているアリシアの元に歩き出す。俺は怒られるのを覚悟して片付けを手伝いに行くのであった。



◆◆◆◆◆◆◆



『――という次第で依然、二人の行方はわかっておりませぬ。それとこちらの情勢も落ち着きましたゆえ、わしを含め、ツカサくんたちに戦力を送る予定です。こちらからは以上ですかな……ルールライン殿のほうも何かありましたら連絡を頼みますぞ』


 ルールラインは砕けた送言の魔晶石を見つめる。そして次に見たのは目の前にある巨大な石板だった。現れていく文字を目で追う。確認するように何度も読み、そして大きく息を吐いた。


「……ついにこのときが来ましたか。バルドレッド将軍にも伝えなくてはいけませんね。送言の魔晶石が一方通行でなければ楽だったのですが。まぁ、仕方ありません。さて、私もすぐに出立の準備をしなくては」


 早足でその場を後にし、セルレンシアの宮殿に戻る。
 セルレンシアからは、すでにほとんどの人は避難していた。この場にいるのは、女神からの言葉が記される石板を守る微かな人員だけである。

 残っている教会の幹部を集めると指示を出し、ルールラインはさらに移動していく。

 宮殿の客間、その中の一室に辿り着くと、扉を軽く叩いて返事を待つ。この中には教会の人間ではない、ある男が泊っていた。見た目に反し、規則正しい男だ。突然尋ねることになったが昼を過ぎた今の時間なら起きているだろう。


「今、開けます」


 中から返事が聞こえ、ルールラインは説明の言葉を考えていく。


「あっ! ルールライン様! おはようございます!」

「おはよう。突然すまないね。緊急で知らせなければならないことが起きた。だが、その前に聞いておきたいのだが……体の調子はどうだね?」

「おかげさまですっかり良くなりました。あのときの記憶こそあやふやですが、体調のほうは完璧です!」


 その言葉にルールラインは頷き、力こぶを作っている男をゆっくりと観察していく。

 動作に違和感はない。たしかに体のほうは問題はなさそうだった。そもそも治療をしたのはルールラインであり、男の容態には詳しい。それでも確認したのは、これからの戦いを思ってのことだった。


「では、早速だが本題に入らせてもらおう。実は先ほど、石板に女神さまのお言葉が記された。その内容は魔王の居場所についてだ。そして、ツカサくんはすでにその場に向かっているらしい」

「魔王の居場所が!? それにツカサも向かってるってことは……」

「うむ。決戦の時が近いようだ。それに石板に記されたということは、我々の力も必要とされているということだろう。私はすぐにでも出立するつもりだ」


 ルールラインは女神の言葉により、戦いの地に向かおうとしていた。ただし、教会の幹部たちは置いて行くつもりである。石板に新たな言葉が記される可能性や、守護をするという理由もあるが、それ以上に戦闘について来れないという判断をしたためだ。

 幹部を置いて行く中、この男に声をかけたのは実力の高さにある。エクレールほどではないにしろ、名を馳せており、冒険者という存在が無くなったに等しい今でもその名を覚えているものが多いのだ。エクレールがいない今、できるなら連れて行きたい人物であった。


「俺も行きます。指導役だってのに序盤で引き下がることになっちまいましたからね。これで最後の戦いにも行けなかったら合わせる顔がないですよ」

「ありがとう。きみなら戦いに参加してくれると思っていた。見たところ準備もよさそうだ。すぐに行けるかね? ロイドくん」

「戦いの準備は常に。今からでも行けます」


 その言葉を聞いたルールラインはすぐに行動を開始した。
 バルドレッドへの連絡、馬の手配、食料や装備などは幹部に指示を出している。宮殿を出たころには準備はできているだろう。ルールラインとロイドは並び歩き、戦いの地へと向かうのであった。
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