ナナシ荘の料理係

天原カナ

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総務省人外部ナナシ係

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 篁四郎がナナシ荘に来て一週間。
 自分以外が食べるものということで、料理に対しても責任が出てきた。
 カレーとコーンサラダ。
 ホワイトシチューとツナサラダ。
 ハヤシライスとゆで卵を乗せたサラダ。
 ビーフシチューとハムサラダ。
 などなど、共有スペースに置いてあったレシピ本を読んで選んだ苦肉の策だった。
「シロー、ナナシ荘に慣れた?」
 ダイニングテーブルでレシピ本を読んでいた篁四郎に声をかけたのはタツキだった。
「はい。料理はまだまだですけど」
「でもシチュー美味かったよ。でもそろそろ煮込む系以外も食べたいかなー」
「ですよね」
 タツキの人懐っこい笑顔に嘘はない。
 一週間一緒に暮らしてきて、それが分かるようになってきた。シンも口が悪いが決して篁四郎を拒絶しているわけではなく、料理の出来がよければさりげなく褒めてくれたりする。
「夕飯食べたいものありますか?」
「唐揚げ」
「揚げ物……」
「チャレンジしてみなよ。シローなら大丈夫だって」
「僕は別に料理の専門学校に通ってるわけじゃなくて、ごく普通の大学生ですって」
「それがいいんだって」
 潤子にもタツキにも何度そう言っても同じ答えが返ってきた。料理人が作る凝ったものより、家庭料理が食べたいのだと。素朴であればあるほどいいのだと。
 篁四郎の作るものがそれに当てはまるのかは分からないが、とりあえず大量の品数はまだ作れないし、カレーに近いものしか作れていない。
「唐揚げのレシピ……」
 ナナシ荘のリビングに置いてある小さな本棚の中には、ぎっしりとレシピ本が置いてあった。和食から洋食、中華、お弁当のおかずに時短料理まで。本屋のレシピ本のコーナーのように充実していた。
「これって誰が集めたんですか?」
「ああ、前の料理係」
 唐揚げのレシピを探そうと、書いてありそうな本を手に取ると、ぱらぱらとめくる。該当個所には、付箋が貼ってあった。きっと前の料理係にもタツキが唐揚げをねだったのだろう。
「タツキさん、お昼どうします?」
「ラーメンに卵落として食べる。シローは?」
「僕もそうします」
 一週間ここで暮らして、三人の生活習慣も覚えてきた。
 タツキは新聞配達のバイトをしていて、早朝と夕方いなくなる。早朝の新聞配達のバイトを終わってから昼食を食べて少し寝て、昼ご飯を篁四郎と一緒に食べてまた夕方の配達に出て、そうして帰ってきて一緒に夕飯を食べる。夕食後は風呂に入って篁四郎やシンと少し談笑して、早い時間に寝て、明け方にこっそりと家を出て行く。
 一度どうして新聞配達なのかと聞いたら、足の速さと階段を飛んで上がれるから自分の能力を生かせるのだと言っていた。ただし、夕方は人に見られる可能性があるから、飛んだりはしないのだとも言っていた。それでも慣れで配達所の誰よりも速いと笑って。
 日中いないシンは、早朝から夕方まで工事現場で働いている。一緒に朝食も夕食も食べるが、昼食は朝炊いてあるご飯を、シン自身がおにぎりにして持って行っている。
 おにぎりを作るくらいなら篁四郎も朝食作りのついでにできると申し出ると、余計な手間を増やすからと断られた。それがシンなりの優しさで思いやりなのだろう。言葉数は少ないし、無愛想だが、篁四郎はシンが少しも怖くなかった。
「そういえば、潤子さんってなんの仕事してるんですか?」
 タツキは能力を生かして新聞配達のバイト。シンも事故に遭っても少々大丈夫だからと工事現場の仕事を選んだと言っていた。
 でも潤子の仕事はちゃんと聞いていなかった。毎朝シンと一緒にどこかに出かけて、夕方になると帰ってくる。土日が休みというわけでもないらしく、平日に家にいたこともある。
「オレもよく知らないんだよね。難しいこと言われてもわかんないし。なんかオシゴトしてることは確か」
 昼に食べる袋ラーメンを選びながら、タツキがそう答える。
「そうなんですか」
「あ、でもえっちなやつじゃないから! そういうんじゃないから!」
「あ、はい!」
 年をとるのが人よりゆっくりな潤子が普通の企業で働くのは大変そうだが、篁四郎の知らない世界ではナナシに理解のある企業もあるのかもしれない。
 そうであればいいと思いながら、篁四郎は最後の一つだった味噌ラーメンを手に取った。
「あ、それ最後の一つ!」
「タツキさんは醤油とったじゃないですか!」
「やっぱ味噌にすればよかったかなぁ」
「また買っておきますって」
 片手鍋を二つ出して、水を500CC計ってそれぞれに入れ、火をかける。冷蔵庫から卵を二つ、使いかけのキャベツを取り出す。鍋の水が沸騰するまでの間に、キャベツを千切りにする。
「ラーメンにキャベツ入れんの最高だよね」
「美味いですね」 
 沸騰したお湯に麺を入れて、箸で少し揺すって麺がほぐれてきたらキャベツを入れ、卵を割り入れる。そのまま説明書きを無視して、粉スープを投入した。
「粉スープって火を止めて入れてくださいって書いてあるよ」
「キャベツにスープが染みて欲しいんで」
「なるほどー流石料理係」
「ただのズボラです。できますよ。丼出してください」
「おっけぇー」
 タツキの出した丼に、それぞれ味噌ラーメンと醤油ラーメンを入れる。タツキが二人分の箸を用意して、ダイニングへと持って行った。
「いっただっきまーす」
「いただきます」
 勢いよくタツキがラーメンをすする。それにつられるように篁四郎も食べ始めた。
「ラーメンは美味いよ」
「そりゃ企業努力のたまものですし」
「野菜入れたり、卵入れたりってのはシローの努力でしょー」
「……」
「シロー」
「なんですか?」
「これ」
 タツキが食べるのを中断して、リビングの本棚に行くと、一冊の大学ノートを持って帰ってきた。手渡されたその中には几帳面な字で様々なレシピが書いてある。
「これ誰が書いたんですか?」
「前の料理係」
「料理好きだったんですか?」
「んにゃ。シローと一緒で素人だったけど。その中に唐揚げも鯖の味噌煮のレシピも書いてあるはずだから」
 タツキの言うとおり、ノートの最初の方に唐揚げも鯖の味噌煮のレシピも書いてあった。それ以外にも卵焼きから煮物、魚の焼き方など事細かに書いてあり、書いた人間の性格がでているようだった。
「タツキさんは作らないんですか?」
「オレ、不器用なの。シンさんは男の料理って感じだし、潤子さんも料理苦手だし。一番できるのシローだよ」
「いやいや」
「炊飯器でご飯炊けたら大丈夫だって」
「そんなの誰だって……」
「潤子さん、炊飯器壊したからね」
「ええ……」
 真面目な顔でそう言って、タツキが笑う。
 夏休みで料理を作ることが仕事の今、篁四郎は一日中家にいる。その中で一番会っているのがタツキだった。タツキもその人懐っこさであれこれと話しかけてくれるので、篁四郎も年の近い兄がいたらこんな風なのだろうかと思っていた。



 夕刊の配達に出て行ったタツキと入れ替わるように潤子が帰ってきた。見知らぬ男性を一人連れて。
「ただいま」
「おかえりなさい。潤子さん」
 スーツにメガネ姿のその男性は、篁四郎を一瞥すると慣れたように家の中に入ってくる。
「紹介するね。佐々木田篁四郎くん」
「はじめまして」
 篁四郎より少し高い身長から値踏みするような視線が落とされる。それに気が付いた潤子が、男性を叱る。
「睨まないで」
「元々こういう顔です」
「うそつき。篁四郎くん。気にしないでね。悪い子じゃないの」
「また子供扱いして」
「私からすると子どもだよ」
 そのまま年をとっていたら95歳の潤子にとって、篁四郎など赤ん坊のようなものだろう。 
「篁四郎くん、この子は武彦(たけひこ)くん」
「どうも」
 武彦と呼ばれたこの男性も、ナナシなのだろうかと思っていると、武彦は内ポケットから名刺ケースを取り出すと、一枚の名刺を差し出した。
「武彦と申し込ます」
「あ、はい、佐々木田です」
 受け取った名刺には「総務省人外部ナナシ課」と書かれていた。
「……ナナシ課」
「総務省には妖怪やナナシを管理する部署がある。そこに俺は所属している。このナナシ荘も管理の一つだから、困ったことがあれば連絡してくればいい」
「ありがとうございます」
「武彦くんはこのナナシ荘の担当なの。料理係の篁四郎くんに色々説明してもらおうと思って」
 武彦を見上げると、先ほどと変わらない表情がそこにはある。
 そうしてずいっと目の前にスイカを一玉渡された。
「え?」
「あ! スイカ!」
 嬉しそうに潤子が叫ぶ。
「差し入れだ。みんなで食べてくれ」
「あ、ありがとうございます」
 スイカには有名青果店の名前が記されたシールが貼ってあり、一目で高価なものだと分かる。そのスイカをじっと見ながら、潤子が食べたそうな表情をしていた。
「潤子さん、食べます?」
「うん。武彦くんもいるし、三人分切って今食べよう!」
「スイカ好きなんですか?」
「好きよ」
 屈託のない笑顔で返されて、潤子の好物はスイカとインプットする。
「みんなで、って言っただろう」
「いいじゃない。シンさんやタツキくん待ってたら、今度は武彦くんが食べられないもの」
 諦めたように武彦がダイニングの一つに座り、潤子が台所へ行く。篁四郎も潤子のあとをついて、スイカを持ったまま台所へ入っていった。
「私麦茶用意するから、篁四郎くんスイカ切って」
 そう言いながら潤子がグラスを三つ食器棚から取り出す。
「切り方の指定はありますか?」
「ううん。篁四郎くん家の切り方でいいよ」
 麦茶は午前中に煮出して冷やしていたものがたっぷり用意してある。それを潤子がグラスに注ぐのを横目で見ながら、篁四郎はまな板と包丁を取り出した。
 まな板の上に大きなスイカを置いて、真ん中に包丁を入れる。ふわっとした甘いスイカの香りがして、赤い果肉が表れる。その半分をラップで包んで野菜室に入れると、今度は残ったスイカをさらに半分に切った。
 四分の一になった半分をラップに包んで、いっぱいになった野菜室ではなく冷蔵庫に入れた。
 残ったスイカを一口大に切っていく。篁四郎の家では兄たちが争奪戦を繰り広げるからと、スイカのときは一口大に母親が切ってくれていた。
「篁四郎くんのお家は上品だねぇ」
「兄たちが喧嘩してたんで。苦肉の策ですよ。子供の頃はかぶりついて食べるのにあこがれました」
「残りいっぱいあるからまた夜も食べられるね。夜はかぶりついて食べよう」
「お腹壊しますよ」
「大丈夫だよ。夏だもの」
「なんですか、その謎理論」
 切ったスイカをガラスの器に盛ると、手拭きを濡らしてしっかりと絞る。お盆にそれらを乗せると、ダイニングの武彦の元へと持って行った。篁四郎の後ろからは麦茶の入ったグラスを持った潤子がついてくる。
「おまたせ、武彦くん」
「いえ、大丈夫です」
「どうぞ」
 篁四郎が武彦の前にスイカを置くと、潤子もその横に麦茶を置く。自分たちの前にも置いて座ると、潤子がいただきますと嬉しそうに言った。
「いただきます」
 ちらりと目の前を見ると、同じようにいただきますと律儀に言って、スイカに手を伸ばす武彦がいた。
「甘い……」
「流石武彦くんだね、美味しいスイカわかってる」
「ここで買えばハズレはありませんから」
「こんな良いスイカ買えるようになるなんて、武彦くんも出世したね」
「茶化さないでください」
 スイカは甘くて美味しかった。皮の近くまで甘さが続き、どこを食べても美味しいスイカというのは存在した。
 潤子と篁四郎が夢中で食べていると、武彦はスイカを食べる手を止め、麦茶を飲んだ。グラスの中の氷がカランと鳴って、篁四郎は思わずスイカを食べる手を止めた。
「食べたまま聞いてくれて構わない」
「あ、はい」
「なにも聞かされずに働いているんだろう? 今から説明する」
「ご飯、作る以外にですか?」
「そういうことじゃなくて、給与面の話とかだ」
「ああ」
 麦茶を口に含むと、氷で冷やされた液体がのどに流れていき、スイカの甘さを流すようだった。
 仕事の内容は話されていたが、給与の話は具体的には聞いていなかった。そのうち話すと言われていたが、武彦を待っていたのかと理解した。
「給与は仕事の体系から時給ではなく日給。支払いは20日締め25日に銀行口座に振り込み。ここの家賃は無料。口座の分かるものと、印鑑をあとで用意してくれ。書いてもらうものがある」
「はい」
「休みは基本土日祝日だが、料理をするのならその分支払う。その場合はナナシたちからの申告があるから、君がなにかすることはない。ただ料理をすればいい。平日でも大学があって作れない場合はそれで構わない。作り置きをしていてもいいし、一日のうち一食でも作るなら給料は払おう。実家に帰省や旅行でいないときはナナシの誰かに言ってくれ。聞きたいことは?」
「いえ、今のところなにもないです」
「ようはナナシたちとコミュニケーションをとりながら過ごしてくれたらいい。難しいことはなにもない。ただ給与はちゃんと支払われる」
 武彦は自分の役目は終わったとばかりに、麦茶を飲み、スイカを食べた。
「分からないことはない? 篁四郎くん」
「大丈夫です。潤子さんたちと普通に暮らしていたらお給料がもらえるわけですよね」
「そういうことだね。武彦くんへの連絡は私がするからめんどくさいことはなにもないよ」
「分かりました」
「それでは、こちらの書類にサインと口座番号の登録書に記入を」
 武彦が鞄から二枚の紙を出して、篁四郎に差し出す。受けとった二枚の紙のうち一枚には、給与口座登録書と書かれてあり、口座番号を書く欄があった。もう一つの紙は契約書とあり、就業する上での契約がつらつらと書かれていた。
 *ナナシのことを口外しない。
 *ナナシ荘で起こったことを口外しない。
 *有事の際はまずナナシ係に連絡すること。
 そんなことがA4の紙にぎっしりと書かれて、右下に署名する場所がある。
「印鑑と通帳取ってきます」
「ああ」
 武彦にそう断って、篁四郎が自分の部屋に行く。机の引き出しに仕舞っておいた印鑑と通帳はすぐに見つかったから、ダイニングに戻るまでそんなに時間はかからなかったはずだ。
 だが、その少しの時間でなんの話題がのぼったのか、二人の笑い声がかすかに聞こえてきた。
 今までずっと無愛想な顔をしていた武彦の笑い声に、どんな表情をしているのだろうという興味がわく。同時に二人の関係も気になった。
「……おまたせしました」
 おずおずとリビングへのドアを開けると、もうそこには笑う武彦はおらず、先ほど無愛想な顔があるだけだ。ただ潤子だけは笑った名残のある表情をしていて、先ほど聞いた笑い声は間違いないと分かった。
「おかえり」
 その声には、笑い声の名残がある。いったいなにを話していたのか分からないが、篁四郎は先ほどの笑い声を聞かなかったふりをして、さっきまで座っていた席に座った。
 スイカと麦茶を脇によけて、テーブルが濡れていないかしっかりと確認して書類を広げた。
 もう一度じっくり読んで、最後に署名をする。そうして印鑑を押せば、契約は完了される。
「どうして……」
「ん?」
「どうして口外してはいけないんですか?」
「ナナシの存在は秘密にされる。君は知らなかっただろう」
「そうですけど」
 答えになっていないと言いたかったけど、それ以上武彦が答えてくれるとは思えなかった。武彦の表情にはそれ以上聞かれても答えないと書いてあるようで、篁四郎はごくりと問いを飲み込んだ。
 書いた書類を武彦に渡すと、大事そうにそれを鞄に仕舞った。そうして残りのスイカを食べ、麦茶を飲み干すと、鞄を持って立ち上がった。
「そろそろお暇します」
「もうちょっとゆっくりしていけばいいのに」
「仕事がまだあるので」
「そっか。今度ご飯食べにおいでよ。篁四郎くんのご飯」
「機会があれば」
 玄関に行こうとする武彦を、潤子が見送るとついて行こうとしたが、それを武彦が制した。
「ここで大丈夫です」
「そう?」
「はい」
「そうだ、佐々木田くん」
「なんですか?」
「すき焼きの素を買っておくといい」
「え?」
「あれは万能だから」
「はぁ」
「では、失礼する」
 そう言って見送りを断る背中をして武彦が出て行く。残された篁四郎が、同じく残された潤子を見ると、仕方なさそうに笑っていた。
「アドバイスだよ」
「え?」
「武彦くんなりの」
「そうなんですか?」
「そうだよ」
 そこには長年の付き合いだからこそ知っている笑みがあった。
「すき焼きの素買ってきたら肉じゃが作ってね」
「肉じゃが」
「レシピノートに書いてあるはずだよ」
 潤子に言われたとおり、タツキにもらったレシピノートの中にはすき焼きの素を使った肉じゃがのレシピが書いてあった。そのほかにも、すき焼きの素を使ったレシピは多々ある。このレシピノートを書いた人間はずいぶんとすき焼きの素を信頼していたらしい。
 その夜はレシピノートに書いてある肉じゃがと味噌汁を作った。
 潤子は純粋に喜び、タツキとシンは煮込み料理のオンパレードから解放されてほっとして喜んだ。
 美味しいという一言をみな添えて。
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