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帰宅すると、神代に譲ってもらったテレビがある。飾り棚の上には、神代が使っていて、これも譲ってもらった紺色のマグカップがある。
もういないのに、思い出の品だけが残されている。いつかこれを見ても、懐かしいと思う日が来るかもしれない。
早く来て欲しいとも、まだ来て欲しくないとも思う。
電源のついていないテレビをぼうっと眺めていると、チャイムが鳴った。のそのそと玄関にいき、覗き穴を見る。
スーツ姿の天真だった。
「よぉ、お疲れさま」
「お疲れ。どうしたの?」
「いや、その、今日だったんだろ? 神代さんの転生」
「うん」
「どうしてるかなって思って。酒とか買ってきた」
「飲む」
天真も今日が神代の転生日だということは知っている。だから、茜のことを心配してくれたのだろう。
まだここには、頼ってもいい人がいる。
「上がって」
「おじゃまします」
天真は茜の家に上がると、綺麗に靴を揃えて中に入ってきた。きっとちゃんと教育された家の子だったのだろう。
ローテーブルの前に座るように言って、茜は台所に行ってグラスを二つ持ってきた。座布団なんてものはこの家にないけど、今度買っておこうと思った。
「一応聞くけど、お前未成年じゃないよな?」
「うん。成人済み。成人式は行ってないけど」
「じゃあ酒は遠慮なく飲めるな」
そう言って天真がビニール袋の中から、ビールやチューハイなどと一緒にお菓子やつまみを取り出す。
「スーパーで唐揚げと枝豆買ってきた」
「じゃあ、お皿とお箸持ってくる」
「ないかもって割り箸もらってきた」
「よくわかってるね」
皿は数枚あるが、箸は一膳しかない。これも増やす必要がある。
天真はビール、茜は度数の低いグレープのチューハイを選んで、残りの酒は冷蔵庫に入れた。
「じゃ、今日も一日お疲れさま」
天真が自分のグラスを、茜のグラスにコツンと当てる。そうしてごくごくと飲むと、ぷはっと声に出した。
「あー仕事終わりのビールって美味いわ」
それにつられるように、茜もチューハイを飲む。甘いし、あまり酒の風味を感じなくて、これなら飲める。
唐揚げを食べて、酒を飲み、枝豆を食べて、また酒を飲んだ。
家で酒を誰かと酒を飲むのは初めてだ。天真も神代もテレビを譲ってもらう時に家に入れたが、ほんの数分のことで長居をすることはなかった。
生前の記憶にだって、酒を飲める年になった頃は絶賛引きこもり中で、誰かと酒を飲むなんてことはなかった。
天真が買ってきたさきいかを食べながら、これは楽しいと思った。
人を家に招くのは、多分小学生以来だ。
楽しくて、今日あったことを忘れそうになってしまう。
「今日」
天真が少しも神代の話題を出さないから、茜から出すことにした。気を使われているのはわかるが、避けるのはしたくない。
「神代さん、転生した」
「そうだな」
「知ってる人が転生するのって寂しいね」
転生は死ぬわけじゃない。
何度言い聞かせても、うまく消化できなかった。
「オレたちが死んだときも、そう思われたのかもな」
「天真はね」
「お前だって、そうだろ」
「だって私はお母さんに殺されたのよ?」
「高校の友達とか、風の噂で聞いて思うよ。寂しいとか悲しいとか」
「そうかしら」
「オレがお前の高校の同級生なら、そう思う」
「同じ日に死んだのに」
「たとえばだよ」
茜と天真がここに来て、半年以上経った。現世で縁のあった人たちは、私たちのことを覚えていてくれるだろうか。
天真はきっと家族が泣いて弔ってくれただろう。
自分を殺した母親は、あの後自殺したのか、助かったのか、それはわからない。父親と妹は、悲しんでくれただろうか。中学や高校の友達は、訃報を聞いて少しでも自分のことを思い出してくれただろうか。
母親が自分の行動を悔いて、自分の不在を寂しく思うようになってくれたら、いいと思う。
三本目のビールを空けて、天真がなにも映っていないテレビを見て言う。
「神代さん、来世はいい人生だといいな」
「うん」
「戦争とか縁がなくて、長生きできて」
「うん」
神代は今頃、現世のどこかで生まれているのだろうか。どんな両親の元に生まれたのだろうか。兄姉はいるのか、どの地域に行ったのか、そんなこと茜が知るよしもないが、ふっと考えてしまうのだ。
生まれ落ちて、盛大に喜ばれて欲しい。
じゃないと、この寂しさは埋められない。
「唐揚げラスいちだけど?」
「天真食べていいよ。私さきいか食べる」
「んじゃ遠慮なく」
最後の唐揚げに、天真が豪快にかぶりつく。スーパーで買ってきたと言っていたが、冷めても美味しい唐揚げは、賞賛に値する。
目の前で唐揚げを美味しそうに食べる天真を見ながら、パフェを美味しそうに食べる神代を思い出した。
「天真」
「んー」
「私さ」
「うん」
「神代さんのこと好きだったのかもしれない」
「ぐっ!」
唐揚げをビールで流し込もうとしていた天真が、変な声を上げる。どうやら驚いて、咀嚼した唐揚げが変なところに入ったらしい。
「げほっ、げほっ」
「え、ちょっと大丈夫?」
「だい、じょぶ」
咳込みながらビールを飲んで、天真が落ち着く。
「あー死ぬかと思った」
「死んでるのに」
「それな」
危機を脱出した天真に、さっきの話の続きをする。
「んで、さっきの話なんだけど」
「ああ。神代さんが好きだったって?」
「多分、初恋、みたいな?」
茜のグラスに注がれているのは、今は半透明な液体だ。グレープ味、リンゴ味ときて、今は桃味を飲んでいる。度数が低いとはいえ、酔ってきている。
そう思うことにした。
「初恋ってお前いくつよ」
「じゃあ天真の初恋って?」
「同じ幼稚園に通ってたありさちゃん」
「幼稚園のことなんて覚えてないよ」
記憶をたどっても、好きな男の子というのは思い出せない。
小学校の頃足が速かった子や、中学の時の生徒会長だった先輩、高校の同級生。どれもちらりと思い出すが、初恋かと言われると即答できなかった。
「私、自分より出来の悪い男嫌いだったんだよね」
「なんだそれ」
九州の田舎町では、茜は一番だった。
「八巻さん家の優秀なお嬢さん」は、常に一番で、その地域で一番の進学校に通って、そこでも常に一番だった。
だから、大学受験もいつも通り、一番のところに合格できると思っていた。
現実はあっさりとその考えを崩してくれた。
田舎町で一番だからといっても、世の中は広い。もっと優秀な人はわんさかいた。自分は一番なんかじゃなかったし、優秀でもなかった。立ち直る術を持たない、ただの身の程知らずだったのだ。
「高校までずっと一番で、周りの男子は二番より下。勝手に見下してたね」
「やべーやつじゃん」
「そう、やべーやつ」
茶化してくれる天真の気軽さが、今は心地がいい。
引きこもっている間も、両親が話す同級生の噂は嫌でも聞こえてきた。自分より馬鹿だと思っていた男子が、働き出したという噂。役所だったり、消防士だったり、警察官だったりと職種は様々だったが、置いて行かれる思わなかった存在に、遠く引き離された感覚は、怖くて仕方なかった。
「だから、恋愛とは無縁だったの」
「ふーん」
「ってことで、神代さんが初恋だと思う」
「思うって、そこはもっと言い切れよ」
「だって恋愛ってわかんないんだもん」
「そういうの現世でしてこなかったんだろ? だったらここでやればいいじゃん。やれなかったことをやるって決めたんだろ?」
「それもそうね」
現世でやれなかったことはたくさんある。
恋愛だってそうだ。誰かを好きになるというのは、辛くて苦しくて、そして温かい。
いなくなってしまって初めて気がついた。
「うん。やっぱり神代さんが初恋だわ」
「三度目だな」
「いいの。やれなかったことをここで全部してやるから」
「恋愛も?」
「そう」
「じゃあ、それオレとしねぇ?」
「は?」
突然の天真の告白に、茜が固まる。
「告白もされたことない?」
「う、うん」
「初告白いただき」
そう言って天真が笑う。
「今さっきのって告白なの?」
「うーん、そうだな。じゃあ」
「なに?」
「茜、好きです。付き合ってください」
その言葉に、顔が赤くなるのが止められない。
茜の脳裏に、和久井少年の母親に首を絞められたときのことが浮かぶ。あのときも、天真は名前を呼んで助けてくれた。
「こういうのって、恥ずかしいのね」
「そう?」
余裕そうな天真に腹が立つ。きっと現世では彼女くらいいたのだろう。恋愛経験ゼロの茜とは違う。
「返事は? 茜」
「考えとく」
「ええ。でも却下ではないんだ」
「それも審議中」
「覚えといてよ、オレは茜のこと好きだから」
「そうやって何人の女を落としたのよ」
「いや、オレって一途だから」
天真のことは嫌いじゃない。一緒に出社するのも、ベランダで離すのも嫌ではないし、休みが重なったらご飯を食べに行くのも楽しい。
でも恋愛という意味で好きかと言われたら、わからないのだ。これが恋なのかどうか。
今はまだ神代がいないことが寂しくて、恋しい。
多分、自分は恋愛するには情緒が幼いのかもしれない。
「恋愛初心者なので、お手柔らかに」
そう言うと天真が笑う。
「この先長いんだ。ゆっくり待つよ」
その言葉に、ほっとする。
天真に対する気持ちが恋だとわかったら、それを伝えればいい。それが明日か、百年後かわからないけど。
「とりあえず予約済みということで」
ローテーブル越しに、天真の顔が近づく。キスをされると思って、思わず額を手で隠したが、柔らかな感触があったのは唇にだった。
「なんで額隠してんの?」
「いや、別に」
「キスは唇にでしょうよ」
「付き合ってもいないのに!?」
「ファーストキスはもらっとかないとね」
やられたと思った。
そんなことをされたら、意識しないわけにはいかない。
「んじゃ、明日もあるし、そろそろお開きにすっか」
「……うん」
二人で空き缶を片づけて、ゴミをまとめて、天真は使った皿たちを洗ってくれた。そうしてまた明日なと行って、隣に帰って行く。
明日どんな顔をして天真に会えばいいか、本気でわからなかった。
さて出社しようかと玄関で靴を履いていると、チャイムが鳴った。
覗き穴を見ると、天真がいる。
「おはよ」
「おはよう」
「結構飲んでたのに、寝坊しなかったな」
「お弁当は作れなかったけど」
「じゃあ、一緒に食堂に行こうぜ」
「いいよ」
二人で役所までのごく短い距離を歩く。
昨日告白されて、キスまでされたのに、天真はいつも通りだ。悔しくて、慌てさせたくて、茜は天真の鞄を持っていない左側に回り込んだ。
「茜?」
不思議そうな天真を無視して、空いている手を握る。
「茜さん!?」
驚く天真からは、謎のさん付け呼びが出た。それが面白くて、茜が笑う。
「うん、嫌じゃないわね」
神代とは手を繋いだことはない。繋いでみたかったなと思うのは、今頃になってからだ。
もう失恋してしまったのだ。
初恋は大事に包み紙に包んで、仕舞っておこう。
「どういう心境の変化?」
「ただの仕返し」
「まぁ嬉しいけどね」
天真との関係は発展途上だ。どうなるかわからないけど、きっとどうにかなる。
茜は役所に着くと、その手をぱっと離して、天真を見上げる。
「じゃ、昼にね」
「おう」
天真と別れると、茜は真っ直ぐ輪廻転生課と書かれたプレートの下を目指す。いつも通り麗と六花が話しているのが見えた。
これから二人に朝の挨拶をして、一緒にお茶を淹れて、いつも通りの朝が始まるのだ。
あの人はいないけど、それでも時間は進んでいく。
縁は繋がっているから、次に会ったときに誇れるように生きていたいと思う。
(顔を思い出したお父さん、お母さん、そして妹の葵、私はここで元気にやっています)
いつか会うときは、笑っていたい。
そう思いながら、茜は元気よく朝の挨拶をした。
了
もういないのに、思い出の品だけが残されている。いつかこれを見ても、懐かしいと思う日が来るかもしれない。
早く来て欲しいとも、まだ来て欲しくないとも思う。
電源のついていないテレビをぼうっと眺めていると、チャイムが鳴った。のそのそと玄関にいき、覗き穴を見る。
スーツ姿の天真だった。
「よぉ、お疲れさま」
「お疲れ。どうしたの?」
「いや、その、今日だったんだろ? 神代さんの転生」
「うん」
「どうしてるかなって思って。酒とか買ってきた」
「飲む」
天真も今日が神代の転生日だということは知っている。だから、茜のことを心配してくれたのだろう。
まだここには、頼ってもいい人がいる。
「上がって」
「おじゃまします」
天真は茜の家に上がると、綺麗に靴を揃えて中に入ってきた。きっとちゃんと教育された家の子だったのだろう。
ローテーブルの前に座るように言って、茜は台所に行ってグラスを二つ持ってきた。座布団なんてものはこの家にないけど、今度買っておこうと思った。
「一応聞くけど、お前未成年じゃないよな?」
「うん。成人済み。成人式は行ってないけど」
「じゃあ酒は遠慮なく飲めるな」
そう言って天真がビニール袋の中から、ビールやチューハイなどと一緒にお菓子やつまみを取り出す。
「スーパーで唐揚げと枝豆買ってきた」
「じゃあ、お皿とお箸持ってくる」
「ないかもって割り箸もらってきた」
「よくわかってるね」
皿は数枚あるが、箸は一膳しかない。これも増やす必要がある。
天真はビール、茜は度数の低いグレープのチューハイを選んで、残りの酒は冷蔵庫に入れた。
「じゃ、今日も一日お疲れさま」
天真が自分のグラスを、茜のグラスにコツンと当てる。そうしてごくごくと飲むと、ぷはっと声に出した。
「あー仕事終わりのビールって美味いわ」
それにつられるように、茜もチューハイを飲む。甘いし、あまり酒の風味を感じなくて、これなら飲める。
唐揚げを食べて、酒を飲み、枝豆を食べて、また酒を飲んだ。
家で酒を誰かと酒を飲むのは初めてだ。天真も神代もテレビを譲ってもらう時に家に入れたが、ほんの数分のことで長居をすることはなかった。
生前の記憶にだって、酒を飲める年になった頃は絶賛引きこもり中で、誰かと酒を飲むなんてことはなかった。
天真が買ってきたさきいかを食べながら、これは楽しいと思った。
人を家に招くのは、多分小学生以来だ。
楽しくて、今日あったことを忘れそうになってしまう。
「今日」
天真が少しも神代の話題を出さないから、茜から出すことにした。気を使われているのはわかるが、避けるのはしたくない。
「神代さん、転生した」
「そうだな」
「知ってる人が転生するのって寂しいね」
転生は死ぬわけじゃない。
何度言い聞かせても、うまく消化できなかった。
「オレたちが死んだときも、そう思われたのかもな」
「天真はね」
「お前だって、そうだろ」
「だって私はお母さんに殺されたのよ?」
「高校の友達とか、風の噂で聞いて思うよ。寂しいとか悲しいとか」
「そうかしら」
「オレがお前の高校の同級生なら、そう思う」
「同じ日に死んだのに」
「たとえばだよ」
茜と天真がここに来て、半年以上経った。現世で縁のあった人たちは、私たちのことを覚えていてくれるだろうか。
天真はきっと家族が泣いて弔ってくれただろう。
自分を殺した母親は、あの後自殺したのか、助かったのか、それはわからない。父親と妹は、悲しんでくれただろうか。中学や高校の友達は、訃報を聞いて少しでも自分のことを思い出してくれただろうか。
母親が自分の行動を悔いて、自分の不在を寂しく思うようになってくれたら、いいと思う。
三本目のビールを空けて、天真がなにも映っていないテレビを見て言う。
「神代さん、来世はいい人生だといいな」
「うん」
「戦争とか縁がなくて、長生きできて」
「うん」
神代は今頃、現世のどこかで生まれているのだろうか。どんな両親の元に生まれたのだろうか。兄姉はいるのか、どの地域に行ったのか、そんなこと茜が知るよしもないが、ふっと考えてしまうのだ。
生まれ落ちて、盛大に喜ばれて欲しい。
じゃないと、この寂しさは埋められない。
「唐揚げラスいちだけど?」
「天真食べていいよ。私さきいか食べる」
「んじゃ遠慮なく」
最後の唐揚げに、天真が豪快にかぶりつく。スーパーで買ってきたと言っていたが、冷めても美味しい唐揚げは、賞賛に値する。
目の前で唐揚げを美味しそうに食べる天真を見ながら、パフェを美味しそうに食べる神代を思い出した。
「天真」
「んー」
「私さ」
「うん」
「神代さんのこと好きだったのかもしれない」
「ぐっ!」
唐揚げをビールで流し込もうとしていた天真が、変な声を上げる。どうやら驚いて、咀嚼した唐揚げが変なところに入ったらしい。
「げほっ、げほっ」
「え、ちょっと大丈夫?」
「だい、じょぶ」
咳込みながらビールを飲んで、天真が落ち着く。
「あー死ぬかと思った」
「死んでるのに」
「それな」
危機を脱出した天真に、さっきの話の続きをする。
「んで、さっきの話なんだけど」
「ああ。神代さんが好きだったって?」
「多分、初恋、みたいな?」
茜のグラスに注がれているのは、今は半透明な液体だ。グレープ味、リンゴ味ときて、今は桃味を飲んでいる。度数が低いとはいえ、酔ってきている。
そう思うことにした。
「初恋ってお前いくつよ」
「じゃあ天真の初恋って?」
「同じ幼稚園に通ってたありさちゃん」
「幼稚園のことなんて覚えてないよ」
記憶をたどっても、好きな男の子というのは思い出せない。
小学校の頃足が速かった子や、中学の時の生徒会長だった先輩、高校の同級生。どれもちらりと思い出すが、初恋かと言われると即答できなかった。
「私、自分より出来の悪い男嫌いだったんだよね」
「なんだそれ」
九州の田舎町では、茜は一番だった。
「八巻さん家の優秀なお嬢さん」は、常に一番で、その地域で一番の進学校に通って、そこでも常に一番だった。
だから、大学受験もいつも通り、一番のところに合格できると思っていた。
現実はあっさりとその考えを崩してくれた。
田舎町で一番だからといっても、世の中は広い。もっと優秀な人はわんさかいた。自分は一番なんかじゃなかったし、優秀でもなかった。立ち直る術を持たない、ただの身の程知らずだったのだ。
「高校までずっと一番で、周りの男子は二番より下。勝手に見下してたね」
「やべーやつじゃん」
「そう、やべーやつ」
茶化してくれる天真の気軽さが、今は心地がいい。
引きこもっている間も、両親が話す同級生の噂は嫌でも聞こえてきた。自分より馬鹿だと思っていた男子が、働き出したという噂。役所だったり、消防士だったり、警察官だったりと職種は様々だったが、置いて行かれる思わなかった存在に、遠く引き離された感覚は、怖くて仕方なかった。
「だから、恋愛とは無縁だったの」
「ふーん」
「ってことで、神代さんが初恋だと思う」
「思うって、そこはもっと言い切れよ」
「だって恋愛ってわかんないんだもん」
「そういうの現世でしてこなかったんだろ? だったらここでやればいいじゃん。やれなかったことをやるって決めたんだろ?」
「それもそうね」
現世でやれなかったことはたくさんある。
恋愛だってそうだ。誰かを好きになるというのは、辛くて苦しくて、そして温かい。
いなくなってしまって初めて気がついた。
「うん。やっぱり神代さんが初恋だわ」
「三度目だな」
「いいの。やれなかったことをここで全部してやるから」
「恋愛も?」
「そう」
「じゃあ、それオレとしねぇ?」
「は?」
突然の天真の告白に、茜が固まる。
「告白もされたことない?」
「う、うん」
「初告白いただき」
そう言って天真が笑う。
「今さっきのって告白なの?」
「うーん、そうだな。じゃあ」
「なに?」
「茜、好きです。付き合ってください」
その言葉に、顔が赤くなるのが止められない。
茜の脳裏に、和久井少年の母親に首を絞められたときのことが浮かぶ。あのときも、天真は名前を呼んで助けてくれた。
「こういうのって、恥ずかしいのね」
「そう?」
余裕そうな天真に腹が立つ。きっと現世では彼女くらいいたのだろう。恋愛経験ゼロの茜とは違う。
「返事は? 茜」
「考えとく」
「ええ。でも却下ではないんだ」
「それも審議中」
「覚えといてよ、オレは茜のこと好きだから」
「そうやって何人の女を落としたのよ」
「いや、オレって一途だから」
天真のことは嫌いじゃない。一緒に出社するのも、ベランダで離すのも嫌ではないし、休みが重なったらご飯を食べに行くのも楽しい。
でも恋愛という意味で好きかと言われたら、わからないのだ。これが恋なのかどうか。
今はまだ神代がいないことが寂しくて、恋しい。
多分、自分は恋愛するには情緒が幼いのかもしれない。
「恋愛初心者なので、お手柔らかに」
そう言うと天真が笑う。
「この先長いんだ。ゆっくり待つよ」
その言葉に、ほっとする。
天真に対する気持ちが恋だとわかったら、それを伝えればいい。それが明日か、百年後かわからないけど。
「とりあえず予約済みということで」
ローテーブル越しに、天真の顔が近づく。キスをされると思って、思わず額を手で隠したが、柔らかな感触があったのは唇にだった。
「なんで額隠してんの?」
「いや、別に」
「キスは唇にでしょうよ」
「付き合ってもいないのに!?」
「ファーストキスはもらっとかないとね」
やられたと思った。
そんなことをされたら、意識しないわけにはいかない。
「んじゃ、明日もあるし、そろそろお開きにすっか」
「……うん」
二人で空き缶を片づけて、ゴミをまとめて、天真は使った皿たちを洗ってくれた。そうしてまた明日なと行って、隣に帰って行く。
明日どんな顔をして天真に会えばいいか、本気でわからなかった。
さて出社しようかと玄関で靴を履いていると、チャイムが鳴った。
覗き穴を見ると、天真がいる。
「おはよ」
「おはよう」
「結構飲んでたのに、寝坊しなかったな」
「お弁当は作れなかったけど」
「じゃあ、一緒に食堂に行こうぜ」
「いいよ」
二人で役所までのごく短い距離を歩く。
昨日告白されて、キスまでされたのに、天真はいつも通りだ。悔しくて、慌てさせたくて、茜は天真の鞄を持っていない左側に回り込んだ。
「茜?」
不思議そうな天真を無視して、空いている手を握る。
「茜さん!?」
驚く天真からは、謎のさん付け呼びが出た。それが面白くて、茜が笑う。
「うん、嫌じゃないわね」
神代とは手を繋いだことはない。繋いでみたかったなと思うのは、今頃になってからだ。
もう失恋してしまったのだ。
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「どういう心境の変化?」
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「まぁ嬉しいけどね」
天真との関係は発展途上だ。どうなるかわからないけど、きっとどうにかなる。
茜は役所に着くと、その手をぱっと離して、天真を見上げる。
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「おう」
天真と別れると、茜は真っ直ぐ輪廻転生課と書かれたプレートの下を目指す。いつも通り麗と六花が話しているのが見えた。
これから二人に朝の挨拶をして、一緒にお茶を淹れて、いつも通りの朝が始まるのだ。
あの人はいないけど、それでも時間は進んでいく。
縁は繋がっているから、次に会ったときに誇れるように生きていたいと思う。
(顔を思い出したお父さん、お母さん、そして妹の葵、私はここで元気にやっています)
いつか会うときは、笑っていたい。
そう思いながら、茜は元気よく朝の挨拶をした。
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