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見送り
しおりを挟む次の日、鯛焼きの入った紙バッグを持って役所に出勤した茜を待っていたのは、思いがけないことだった。
「え、神代さん、今なんて?」
いつも茜より遅く来る神代と大川が、今日はもう来ていた。そうして神代の口から告げられたのだ。
「だから、一ヶ月後に転生することに決めた」
役所の職員は、六十年で転生の縛りを受けない。その代わりに、六十年を過ぎた職員は転生したくなったらしていいという決まりがある。
「そんなどうして急に……」
突然のことに動揺する茜に、神代が顔を近づけて小声で言う。
「あの二人の転生案内をする自信が、俺にはない」
「神代さん」
あの二人というのは、照生と美代のことだ。顔を離した神代は穏やかに笑っていて、茜は苦しくなった。
「一ヶ月で身辺整理をしないといけないんだ。欲しいものはやるぞ」
「じゃあ、テレビください」
「デカいもの言うなぁ」
一ヶ月なんてあっという間だ。
それまで、神代からいくつ色んなことを教えてもらえるだろう。何度恩返しができるだろう。
考えるだけで、泣きそうになった。
離れたくないと思ったし、行かないで欲しいと思った。
でももう神代は決めてしまったのだ。
それを覆す力を、茜は持っていない。
神代が転生するという知らせは、あっという間に役所内に広がった。長いこと勤めているだけあって、色んな人が別れの挨拶にきて、来世への激励をしていった。
それを見ては、舌打ちしたい気持ちを抑えて、茜は毎日神代の隣で仕事をし、昼を食べ、美味しいものを教えてもらった。
思いだけが膨らんで、どうしようもなかった。
毎朝、神代が出勤すると安堵したし、いつもより遅かったら不安になった。
本当はみんなと一緒に、来世への激励をしたい。来世が良い人生でありますようにと願いだい。
だけど願ってしまうと、神代との別れが早く来てしまいそうで、願うことはできなかった。
一日一日を噛みしめるように暮らして、茜はその日が来るのを、震えるように待った。
神代の転生日は、快晴だった。
肌寒い日だったが日向は暖かくて、心地がいい。
神代は前日まで仕事をして、今日一番最後に転生の扉をくぐる予定だ。
この前の休みに、神代からテレビを譲ってもらった。それはまだ新しいもので、神代が転生を急に決めたのだとわかった。
天真も協力してくれて、テレビを家の中に運んでもらい、せっかくだからと一緒に行きつけのとんこつラーメンを食べた。
美味いと笑った顔が嬉しくて、もっと一緒にいろいろ食べたかった思った。それを伝えてしまうと神代が困ると思って、飲み込んだ。
主を失った神代のデスクは、綺麗に整理整頓されて、次の主を待っている。
その横で今日の分の仕事をし、昼を一人で食べた。
約束の時間が来なければいいのにと思いつつも、時間は容赦なく進んでいく。あっという間にいつもの十六時になって、茜は重い腰を上げた。
「あかね」
そんな茜に、麗が気遣うように声をかける。
「麗さんたちも行きますか?」
「ううん、お別れは昨日したし」
「そうですか」
「あかねが見送ってあげて」
「はい」
神代はあの世から消えるが、死ぬわけではない。現世に転生して新しい人生を歩むのだ。
頭ではわかっているが、どうしても心がついていかない。
重い足を引きずりながら、一段一段階段を上っていく。扉の前の列を見ると、きゅっと胸が苦しくなった。
ゆっくり近づいて、その列に神代がいないと少しだけほっとした。最後に入ると聞いていたから、まだ来ていないのだろう。
もう顔なじみになった転生課の職員に聞くと、今日転生予定で連絡が取れなかった者はいないらしい。あとは神代が来れば全員だと教えられた。
しばらく待っていると、神代が現れた。
ニットにジーンズというラフな格好は、いつもスーツばかり見慣れているから、見違えそうになった。
「神代さん」
「ハチ」
もう茜のことを「ハチ」と呼ぶ人もいなくなる。それが寂しくてたまらない。
「お前が泣いてどうする」
「え?」
神代に指摘されて、自分が泣いているのだと気がついた。記憶が戻ってから、よく泣いている気がする。
今は泣いてはいけないのに、仕事を全うしないといけないのに、と思っても涙は止まってくれなかった。
「大丈夫だ、ハチ。俺たちは縁が繋がっている」
「袖振り合うも多生の縁」
「そうだ」
縁がある人間はまたいつか繋がる。
きっといつか神代に会えるだろう。お互い、神代と茜という人間ではないかもしれないが。
「お前なら大丈夫だ、ハチ」
「はい」
「泣くなよ。今日はハンカチも持ってないんだ」
袖で涙を拭いたら、子供かと笑われた。
なんでもいい、神代が笑ってくれるなら。
「ハチがいてくれてよかった」
「私なんにもしてません」
「いや、あの公園で、俺は助けられた」
神代の前にいた転生者が扉の向こうに消え、扉が閉められる。
今度は神代の番だ。
ついにそのときが来てしまった。
「神代さん、ありがとうございました」
「ああ、またな」
扉が開く。光の洪水が流れ出す。
そのとき、神代の影が近づいて、額に温かなものが触れたと思った。
「次に会うときはいい女になってろよ」
「神代さん!」
額にキスされたのだとわかったときには、もう神代は光の中だった。影だけが朧気に見え、それもすぐに消えてしまった。
転生課の職員が扉を閉める。そうして片づけを始めた。最後の転生者だった神代が扉の向こうへ行けば、今日の仕事はもう終わりなのだ。
しばらく転生の扉を見ていたが、転生課の職員たちの片づけが終わった頃、茜も自分の課に戻った。
麗たちはいつも通り迎えてくれて、茜はぎゅっと麗に抱きついた。そんな茜を麗は抱きしめ返してくれた。
もうここに神代はいない。
「ハチ」と呼ぶ人はいない。
今なら、神代が言った意味が分かる気がした。照生と美代の転生を案内する自信がないというあの言葉は、確かにその通りだ。
苦しくてたまらない。
失う痛みは、なんと鋭いことか。
目に見えない血が流れて、落ちていく気がした。
来世は幸せに。
愛する人と一緒になれますように。
長生きできますように。
見送って初めて、茜は初めて神代の来世を祈った。
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